城之内×海馬&城之内+海馬。
海馬の一人称。
平行世界を題材にした、ちょっと不思議なお話です。
後半に出てくる城之内君は、あのお話の城之内君です。
副題『もう一人の君に伝えたかった大事な言葉』
誰もいない放課後の廊下で、急ぎ足で歩いているオレの後ろから城之内が付いてくる。
彼がオレに何を言いに来たのかは既に明白で、オレは何とか城之内を振り切ろうと懸命に歩くが、結局いつも追いつかれてしまうのだ。
「海馬! 待ってくれ!」
「待たない」
「オレの話を聞いてくれ!」
「聞かない」
「海馬…っ! 何度でも言うけど」
「やめろ…」
「オレは、お前の事が…っ」
「やめろ! 言うな!!」
「好きなんだよ…っ! 海馬!!」
「やめてくれ!!」
何度も何度も繰り返される会話。
ここ数週間、オレはこうして毎日のように城之内から告白されている。
教室で、廊下で、昇降口で、屋上で。
学校に来られない日は、邸や会社にまでやって来て、誰もいない二人きりになるのを見計らって真剣な表情で詰め寄ってくるのだ。
切ない程真剣なその声をこれ以上聞きたくなくて思わず両手で耳を押さえるが、その腕は城之内の強い掌に掴まれて引き剥がされる。
そして剥き出しになった耳に、殊更優しく囁かれるのだ。
「本当に…好きなんだよ。お前もオレの事が好きだろう…?」
熱い吐息に鼓膜が震えた。
城之内に掴まれている手首が熱い。
心臓が高鳴って、思わず頷きたくなる。
だけどオレは自らの心情に反して首を横に振った。
そうする事で目の前の顔が悲しそうに歪められるのを知りながら。
案の定、城之内はオレの反応を見て酷く悲しそうな顔をした。
「何でだよ。オレは分かってるんだぜ? お前…オレの事が好きじゃんか」
「好きじゃ…ない…っ」
「自分に嘘をつくなよ! 自分を誤魔化すなよ!」
「嘘なんてついてない。誤魔化してなんか…いない…っ」
「オレの思いが受け入れられないなら、せめてその理由を言ってくれ…っ! お前にはそんな嘘ついて欲しく無いんだ…っ」
ギュッと力を入れて腕を掴まれる。
必死な声色に心臓を鷲掴みにされたような気がした。
でもオレはどうしてもその理由を城之内に話せなかった。
城之内の真剣な想いを知っているからこそ、どうしても話す事が出来なかった。
オレは城之内の事が好きだった。
城之内が今みたいに告白してくるよりもずっと以前から、この想いは胸の内にあった。
だがオレは、大好きな城之内に近付く事が出来なかった。
彼を…信頼出来なかったのだ。
好きな男を信頼出来ないなどと矛盾極まり無いが、それでもそう感じてしまうのだから仕方が無い。
十歳で海馬家に養子として入ったオレは、その日から十五歳で養父が死ぬまでの間、毎日のように教育という虐待を受けていた。
近い将来、海馬コーポーレーションという大企業を背負っていく跡取りとして、経営学から人心術までありとあらゆる教育を叩き込まれた。
そしてその教育の中に、簡単に人を信じてはいけない、いつでも疑ってかかれというものも含まれていたのだ。
毎日のように言い聞かされるだけでなく、養父は実際に部下をオレに近付かせ、長い時間をかけてオレの信頼を得た頃にわざと裏切らせるなんていう事もしてみせた。
それによってオレはすっかり人間不信に陥り、酷い時では最愛の弟ですら疑いの対象になっていた程だった。
今はこうして立ち直って弟との信頼関係は修復出来てはいるが、オレは未だに弟と一部の部下を除いては、誰も信じる事が出来ずにいる。
勿論それは、城之内だって例外では無い。
恋愛感情を持っている相手を信じられないというのはおかしな話だが、それでもオレはどうしても彼を疑ってしまうのだ。
オレがここで城之内の想いを受け止めたとして、その想いが裏切られない保証はどこにある?
もしオレと付き合っている最中に好みの女性に出会ってしまったら?
男であるオレは即座に捨てられて、城之内はその女性を選ぶに決まっている。
ましてやオレと城之内の間柄は、少し前まで全く相容れない険悪な仲だった筈だ。
もしかしたらこの告白自体、オレを貶めようとしている城之内の罠かもしれない。
そうじゃないと、一体誰が言えるのだ。
城之内の事が好きな癖に、城之内の何一つも信じる事が出来なくて。
それが悲しくて辛くて悔しくて。
その癖、その理由を城之内に伝える事さえ出来ないのだ。
彼を信じる事が出来ない癖に、城之内に悲しい思いはさせたくなくて…。
そんな事を思っていると結局何も言い出せなくなってしまう。
最後はいつも黙り込んでしまうオレに城之内は軽く溜息をつき、やがて掴んでいた手を離した。
「分かった…。とりあえず今日は諦めるけど、また…聞きに来るから。お前の本当の心を聞くまでは、オレは絶対諦めないからな」
そう言って寂しそうに微笑んで、城之内はゆっくりと振り返り廊下の向こうに歩いていった。
その背が角を曲がって消えていくのを見届けて、やっと訪れた一人きりの空間にオレは深く息を吐いた。
正直…苦しいと思った。
城之内の告白も、それを受け入れられない状況も、城之内を信頼出来ない癖に募っていくばかりの自分の気持ちも。
それら全てが苦しかった。
誰か助けてくれ。
無意識にそう思ってしまう。
そしてそんな状況に精神的に耐えられなくなったオレは、ついに…ダウンした。
ダウンしたと言っても別に大した事は無い。
ただ気付いたら三十八度を超える熱を出していて、動けなくなっただけなのだ。
医者によると疲れが溜まったせいの発熱で、数日ゆっくり休めば問題無いとの事だった。
本当だったら会社に行ってやりたい事も山程あったのにモクバからも休養を告げられ、こうして邸でゆっくりと過ごしている始末だ。
熱は嫌いだった。
身体は怠いし頭はボウッとするし、何よりうつらうつらと眠る度に変な夢を見る。
普段だったら見ないような不可思議な、かつしつこい夢に魘され、その度にハッと目を覚ますのだ。
そんな事を繰り返していたら眠る事さえ疲れてくる。
夜になり本格的に眠らなければならない時間になっても、色々と疲れてしまったオレは眠りにつくことが出来ずにいた。
もちろん昼間寝過ぎたのも原因の一つだろうが、結局何とか眠る事が出来たのは朝方になってからの事だった。
そしてまだ熱が下がりきってなかったオレは、案の定変な夢を見てしまった。
気付いたら小さな部屋に立っていた。
真四角の白い小部屋だ。
オレの向かいにはよく見知っている人物が立っている。
城之内だ。
いつもの着崩した制服姿のまま立ち尽くして、真っ直ぐにオレの事を見詰めていた。
だが何故だろうか…?
いつもと全く変わらぬ姿なのに、どこか違和感を感じてしまう。
無理に染めて荒れた金の髪も、明るい琥珀色の瞳も、意外と精悍な顔つきも、どこもいつもと何も変わらないのに。
本能が、この城之内はオレの知っている城之内では無いと訴えかけていた。
どうやら向こうも同じような事を考えているらしい。
訝しげな顔をしてオレに問いかけてきた。
「海馬…? お前…海馬だよな?」
「あぁ、そうだが。お前は一体誰だ? 城之内」
「城之内って呼んでんじゃん。オレは城之内克也だよ」
「お前が城之内なのは分かっている。だが何故か違和感を感じるのだ」
「オレもだよ。お前が海馬だって事は分かるのに、何故かオレの海馬じゃないって思うんだ」
オレの…海馬?
今目の前の城之内は『オレの海馬』と言った。
オレの? オレのとはどういう事だ?
そう考え込んでいたら目の前の城之内が一歩、オレに向かって足を進めた。
こちらも思わず身構えてしまったが、だが城之内はすぐ足を止めてしまう。
そして目の前に手を翳して、何かをペタペタと触っていた。
「あぁ…やっぱり。ここに何か見えない壁みたいなのがあるな」
「壁…?」
「うん。ガラスみたいなのが」
丁度部屋の中央を横切る部分を掌で触っている。
オレも城之内の側に近付いてその部分を触ってみると、確かにガラスのような透明な何かがオレ達の間を遮っていた。
目の前の城之内の姿は鮮明に見えるし声もはっきりと聞こえて来るが、接触は一切出来ないようだった。
現にガラスを隔てて城之内と掌を合せているというのに、その体温すら感じられない。
「違う世界の人間とは、会う事は出来ても触れることは許されてないって事か…」
ふと呟かれた城之内の台詞にオレは首を捻る。
「違う世界?」
「あぁ。海馬、お前さ。今自分が夢見てるって自覚してるだろ?」
「あぁ…」
「やっぱり。実はオレもなんだ」
この現象に立ち会ってから、オレは自分が夢を見ているのだという事をはっきりと自覚していた。
熱を出した時によく見る夢は、それを夢だと自覚する事が難しくなる。
それだけ脳が熱によって麻痺している証拠なのだが、何故かこの夢ははっきりと自我が保てていた。
「何となくだ。何となくだけど…、オレはお前が違う世界の人間なんだって確信しちまったんだよ」
「何だと…?」
「SF小説とか漫画とかで読んだ事あるんだけどさ。こういうの何て言うんだっけ? パラレルワールド? 平行世界?」
「平行…世界…」
「そう。自分達の住んでいる世界とよく似ているけど、全く一緒って訳ではない世界。そこには自分達と同じ人間が同じように暮らしていて、同じように考え同じように喋ったりするんだけど、でもちょっとずつ違うんだ。お前はオレの知っている海馬瀬人と同じだけれど、やっぱり少し違うんだろうなぁ…」
ガラスの向こうの城之内がそう言ってにっこりと笑う。
確かにオレの知っている城之内では無いと本能が訴えかけていたが、だがしかし、やっぱりその明るい笑みはいつもと全く変わらなかった。
不思議な話だ。
現実のオレは彼のこの笑みから逃げ続けているというのに、夢の中では何故か素直に接する事が出来ている。
それはこの城之内がオレの知っている城之内では無いからなのか。
目の前の城之内がこの先のオレの人生に関わる事は絶対に無いと知っているからなのかもしれない。
軽く溜息をつき、オレは頭に浮かんだ疑問を口に出すことにした。
掌はガラス越しに合せたまま…。
そこから離れる事はしたくなかった。
「お前の言う平行世界が本当にあるならば、何故今オレ達はここでこうして出会えているんだ?」
「そんな事はオレが聞きたいよ。でもきっと意味があるんだろう」
「意味…?」
「うん。そうじゃなければこんな現象はあり得ない。オレには何の心当たりも無いけど、お前にはあるんじゃないのか?」
「別にそんなものは無い」
「本当に? 例えばそうだな…。そっちの『オレ』に対して悩みを持ってるとかないの?」
城之内の質問に、オレは驚いて思わず身体をビクリと揺らしてしまった。
そんなオレをガラスの向こうの城之内は真剣に見詰めている。
その真摯な瞳に揺さぶられて、オレはここ数日間悩みに悩んだ事柄を思わず口に出してしまった。
ここはどうせ夢なのだ…。
現実世界で誰にも相談出来ずに溜め込む事しか出来ないのなら、せめて夢の中で悩みを吐き出してしまいたかったのだ。
オレの話を城之内は真面目に聞いてくれた。
最後まで口を挟まずにただ黙って聞いて、そして話が終わった瞬間に徐に口を開く。
「なるほど。オレの事が好きな癖にオレを信用出来なくて、告白を受ける事が出来ないっていう事か」
「あぁ…」
「試しにちょっとだけ付合ってみようとか思わなかったの?」
「こんな気持ちを抱えたままでか? それはアイツに対しても失礼だろう」
「あはは! 相変わらず真面目なんだなぁ。ま、そんなところがお前のいい所なんだけど」
余りに明るく笑いかけられたので、オレは戸惑って視線を外してしまった。
この城之内がオレの知っている城之内では無いと分かっていたが、妙に罪悪感を感じてしまう。
そんなオレに、城之内は明るい表情をしたまま飄々と質問を続けてきた。
「ところでお前に聞きたいんだけど」
「何だ?」
「ちょっと下品な質問で悪いけどさー。お前ってヴァージン?」
「………っ!? な…何だと…っ!?」
余りに余りな質問に、思わず声が裏返った。
コイツは何て失礼な質問をしてくる奴なんだ…っ!!
「ふ、巫山戯るなっ!! オレは女じゃないんだぞ…っ!!」
「いや、女とかそういう事じゃなくって。つまり他の男に抱かれた事があるのかって事」
「ある訳ないだろ!! いい加減にしろ!!」
とんでも無い質問に遂にキレて大声でそう叫ぶが、それでも城之内は笑みを崩さず、それどころか軽く「そっか。ならいいじゃん」と言ったのだ。
「何がいいのだ! さっきから巫山戯た質問ばかりしてきおって…っ!!」
「まぁまぁ。いいからオレの話聞いてよ。本当はこんな話を第三者にするつもりは無かったんだけどさ。お前、オレの世界の住人じゃないみたいだし。それにお前自身の話だから、別に構わないだろう」
「何の話だ…」
「オレもさ、最初海馬に告白した時フラれたんだよ。ただし、理由はお前とは少し違ったぜ? アイツは自分の事を汚いって言ったんだ」
「汚い…?」
「そう。オレの事が好きな癖に、いや…好きだからこそ汚い自分と付合わせる訳にはいかないって、そう言ってた」
ガラスの向こうの城之内はそう言って、今までの明るい表情から一転悲しげな顔になる。
暫く目を瞑って当時の事を思い出しているようだった。
やがて何かを決心したかのように瞳を開けると、再びオレの目をじっと見詰めて喋り始めた。
「オレの海馬はさ、結構悲惨な目に合ってるんだ。海馬家に養子に入って暫くして、義理の親父に無理矢理犯されたんだ」
「なっ…!? 剛三郎にか!?」
「そう。勿論それだけで終わる筈も無くて、その後は海馬剛三郎にとって利用価値のある人間達に生け贄として差し出されていった。例えば取引先の重役とか金回りのいい地方議員とか、そういう腐った奴らに」
「………っ!」
「オレさ、海馬絡みのちょっとした事件に巻き込まれた事があってな。ヴァーチャル世界でその時の様子をこの目で間近に見ちまったんだ…。可哀想だったよ…。まだ小さな身体を大人に力ずくで押さえ込まれて、子供の身体に似合わない醜悪なモノを無理矢理押し込まれていた…」
「そん…な…事が…。信じ…られない…」
「うん、信じられないよな。でも、そんな事が実際にあったんだよ。最初は泣いて喚いて精一杯抵抗していた海馬も、やがてどうにもならないって諦めちまったんだろうなぁ…。最後は泣きもしなかったよ。涙も流さず声も漏らさず、ただ光を失った瞳をぼんやりと天井に向けて、自分を犯してる男の動きに任せて揺さぶられているだけだった…」
言いながら城之内はブルブルと震えていた。
オレの掌と合せていない方の手を力強く握り、その時に感じた怒りを何とか我慢しているようだった。
「救ってやりたかった。何とかしてこの地獄から救い出してやりたかった。だけどオレが見てたのはヴァーチャル世界で再生された過去の映像に過ぎなくて。だからその場に駆け込んで救い出してやる事は絶対に出来なかったんだよ。だったらオレに出来る事は一つしかないよな。それは『今』の海馬を救ってやる事。過去の地獄に浸ったままでいる海馬の腕を掴んで、そこから引っ張り上げてやる事。それだけだった」
そこまで話すと漸く怒りの表情を収め、城之内は柔らかい笑みを取り戻す。
凄く優しい顔だと思った。
見ているこっちまでが幸せになるような、そんな微笑みだった。
「海馬は自分の事を汚いと言った。だけどオレにはそんな汚れは何一つ見えなかったし、何より海馬が汚いなんて思いもしなかった。大体海馬があんな事で汚れる筈無いんだよ。あんなに高潔な魂を持った奴を汚せる人間なんて、この世界には一人だっていやしないんだ」
「だが…そっちの『オレ』は自分の事を汚れていると信じていたのだろう? もし自分が同じ立場だったら、オレだってきっとそう思った」
「そうなんだよなー。アイツは頑固だからさ、ずっとそう言ってオレの事を避けてた訳。でもオレはどうしても諦めきれなかったし、そう思ってるならその考えを利用してやれって思ったんだよ。まぁ…当時はこっちも一杯一杯だったからさ、本当に利用してやるなんて事、思いもしなかったけど」
ニカッと笑って呟かれた言葉に、オレは「どういう事だ?」と続きを促した。
「そんなに汚れてると思ってるなら、オレがその汚れを綺麗にしてやるよって言ってやった。オレの色で塗り替えてやるってね。ちょっと臭い台詞だと思うけど、それがまたバッチリ効いてさー」
「まさか…『オレ』は承諾したのか? 何と言って?」
「別に何も。一言好きって言ってくれて、あとは黙ってはっきりと頷いてくれただけ」
「………」
「今思い出すと、あの時は二人ともすっげー頑張ってた。お互いが勇気を出して、諦めずにこの手で幸せを掴み取ろうと必死になってたんだ」
「それで…?」
「それでって?」
「それで今は…? お前達はどうなっているんだ…?」
「お前なぁ…。それをオレに聞くのかよ」
「どういう意味だ、それは」
「オレの顔見て分からないのかっていう意味。これで海馬と付合ってなかったら、オレこんな顔してこんな事話せないぜ」
そう言って目の前の城之内は、心から幸せそうに笑ったのだ。
その笑みを見て胸がズキリと痛んだ。
この城之内はこんなにも幸せそうなのに、オレの世界の城之内はずっと寂しそうな顔をしたままだ。
このガラスの向こうの『オレ』は、勇気を振り絞ってこの城之内を幸せにした。
だがオレは…?
オレはこっちの城之内に何をしてやれた?
諦めずにオレを好きだと言ってくれる城之内に、オレは奴を信頼出来ないと冷たくはね除け続けている。
何て…酷い話なんだ…。
別れ際のあの城之内の顔を思い出して、オレは耐えきれずに落涙した。
ガラスの向こうの城之内を見詰めたままハラハラと涙を流し続けるオレを、奴は少し困った顔で黙って見詰めている。
「オレは…どうすればいい?」
震える声でそう問いかけると、城之内はオレを慈しむように瞳を細めて口を開いた。
「信じてやれよ、お前の『オレ』を」
「信じる…?」
「そう。『オレ』を信じてやってくれ。それで今まで告白を断わってた理由もちゃんと話してやれよ」
「だが…」
「信じられないんだったら、今ここではっきりと断言してやるよ。城之内克也は海馬瀬人を絶対に裏切らない。何があっても絶対お前を裏切る事だけはしないから」
「で…も…」
「でも?」
「でも…今更そんな事…言える訳が無い…」
「どうして? 何が怖い?」
「何って…。だってまさか…、告白してくれた相手に『お前の事が信用出来なくて断わっていた』なんて酷い事、言える訳無いだろう…」
「大丈夫。『オレ』は確かに頭悪いけどさ。お前の言う事ならちゃんと理解出来るから」
「だが…オレは…」
「『お前も勇気出してくれよ。俺と一緒に幸せになる勇気を』」
妙にはっきりと耳に届いたその言葉に、オレはハッと視線を上げる。
目の前の城之内は自信ありげに笑っていた。
「この台詞はオレがオレの海馬に告げた台詞だ。どうしてもオレの手を取る事が出来ずに躊躇っていた『アイツ』に対しての…。多分お前の『オレ』も同じ事を思っていると思うぜ。なぁ海馬、勇気を出してくれ。それで幸せになってくれよ」
「城之…内…っ!」
優しげに放たれた言葉に応えようとしたその時、それまでクリアだったガラスが突然曇りだした。
それまで鮮明に見えていた城之内の姿が見えなくなってくる。
目覚めが近いんだと直感で理解した。
「あぁ。朝が来たんだな」
「そうだな…」
「となると…いつまでもここでのんびりしてられないな。ちゃんと『おはよう』って挨拶してキスしてやらないと、アイツ機嫌悪くなるんだよ」
「まさか…一緒に眠っているのか…?」
「え? だって恋人同士だし?」
「そ、そうか…。そうだよな…」
「羨ましい?」
「ば…馬鹿言うな!! そんな事ある訳…っ」
「あるんでしょ?」
「っ………!」
「大丈夫。お前がほんの少し勇気を出せば、この幸せをそっちも味わう事が出来るようになるさ」
「城之内…」
「んじゃ、オレはコレで帰るけど…。ちゃんと『オレ』の事を信じてやれよ。起きたら直ぐにでも連絡してやれ。バイト中だろうと何だろうと、多分すっ飛んで来るぜ。だからお前も頑張れよな」
「あっ…! 城之内…!」
「ん?」
「あ…ありがとう…」
最後のオレの台詞に曇りガラスの向こうの城之内は嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を最後にガラスはついに完全に曇って何も見えなくなり、そして次の瞬間、オレはベッドの中で目を覚ました。
朝日の差し込む部屋の中でゆっくりと起き上がる。
熱はもうすっかり引いたようで、頭の中もスッキリとしていた。
オレは何度か瞬きをして意識を完全に覚醒させると、そっとベッドを降りた。
そしてサイドボードの上に置いてあった携帯を取り上げる。
以前、城之内に無理矢理登録させられた番号を呼び出してボタンを押し、携帯を耳に当てた。
心臓は煩い位に鳴り響いているのに、脳内は妙に冷静だった。
数コール後、電話が繋がる。
慌てて電話に出たであろう相手に、とりあえずオレは大事な一言だけを最初に伝える事にした…。
ちょっとしたおまけ:もう一つの世界で
「起きろ凡骨。もう朝だぞ」
ゆさゆさと身体を揺さぶられる感触に、城之内はゆっくりと瞼を開けた。
目の前には朝からむっすりとした顔の海馬が自分の事を見下ろしている。
それに苦笑して、城之内は海馬の首に両手をかけ、彼の顔を引き寄せた。
そして少し冷たくて柔らかい唇にそっとキスをし、満面の笑顔で「おはよう」と告げる。
それに漸く機嫌を良くした海馬が、ふっと柔らかい笑みを顔に浮かべた。
「何だ海馬。朝から随分と不機嫌そうだったな」
揶揄するようにそう告げると、少しだけ不満そうな顔をした海馬が城之内に擦り寄ってくる。
その細い肩を抱き寄せて、城之内は海馬のこめかみに唇を押し付けた。
「起きたら貴様がニタニタしていたものでな。一体何の夢を見ていたんだか」
「お前の夢だよ」
「ん?」
「正しくは『もう一人のお前』の夢。たった今、別のお前を救ってきたばかりだ」
「…?」
「分からなくていいよ」
まるで理解出来ていない顔をしている海馬に微笑んで、城之内は腕の中の温かい身体をもう一度抱き締め直した。
本当に、心の底から幸せだと感じる。
あの海馬も、多分もうすぐこの幸せを手に入れる事が出来るだろう。
それを確信しているからこそ、もう城之内はあの海馬の心配をする事は無かった。