城之内×海馬。
前々から書きたいと思っていた『死』についてのお話。
と言っても死にネタではありません。
例え普段から気に入らない相手とは言え、自分の会社に有益な相手なら仕方が無い事なのだ。
そういう心構えで気の乗らない接待パーティーを終えた海馬は、疲れた身体を引き摺るようにして帰って来た。
帰り際に何かを勘違いしているらしい件の相手から大きなカサブランカの花束を貰い、捨てる訳にもいかないのでそれを抱えてリムジンから降りる。
全く忌々しいと海馬は小さく舌打ちをした。
これを渡してきた時の相手の目付きが如何にも「貴方を狙っていますよ」と言っていて、それだけでも胸くそ悪くなったと言うのに、香りの強すぎるその花は海馬の神経を余計に苛立たせた。
玄関ホールに入って出迎えたメイドに「適当に活けろ」と言って、それを押し付けるようにして渡す。
自分でも使用人に当たるのは筋違いだと思っていたが、どうにもこの苛ついた気持ちを落ち着ける事が出来ない。
そんな海馬の気持ちを察したのか、メイド頭がそっと海馬に耳打ちした。
「先程から城之内様がお待ちでいらっしゃいますよ」
あぁ…と思う。
自分はたったこれだけの事で気持ちが安らぐんだと、他人事のように感心してしまう。
大分前から待っているらしい城之内に会う為に、歩きながらネクタイを解きつつ足早に私室に向かった。
ジャケットを脱ぎつつ部屋のドアを開けると、ソファに座って何かを読んでいる城之内の姿が見えた。
ドアが開いた音に気付いたのだろう。こちらに視線を向けると、嬉しそうに笑ったその笑顔が眩しかった。
「おかえり。遅かったな」
「…ただいま。何を読んでいるんだ?」
「ん? あぁちょっとね。杏子に借りたヤツ」
「貴様が読んでいるのが漫画か雑誌じゃないなんて珍しいな。明日の天気は大荒れだな」
「うるせーなー。オレだって漫画ばっか読んでる訳じゃねーよ。それよりもお前、何か疲れた顔してんなー。こっちへおいで」
城之内が手招きをするのに素直に近付き隣に腰掛ける。すると、それを待っていたかのように後ろから肩に手が回り、ゆっくりと胸元に引き寄せられた。
広い胸に頬を寄せて深く息を吸うと、嗅ぎ慣れた城之内の匂いが胸一杯に広がった。
それだけで先程まで溜まりに溜まっていたストレスが抜けていくような気がして、海馬は漸く安心出来る。
力の抜けた海馬の身体を抱き寄せ、栗色の頭を優しく撫でていた城之内が、ふと何かに気付きその動きを止めた。
くんっと鼻を動かして何かを嗅いでいる。
「何だ…?」
「いや…何かお前…、いい匂いしない? 何だろコレ? 香水みたいな感じ?」
「香水…? あぁ、アレか」
「覚えがあるの?」と聞いてくる城之内に海馬は頷いて答える。
多分もうすぐ答えが分かる筈だと答えると、いいタイミングで部屋のドアがノックされた。
海馬自らがドアまで行って、メイドが持ってきたそれを受け取る。
振り返った海馬が持っていたものは、花瓶に盛大に活けられたカサブランカだった。
「すっげー! 何ソレ!! でっけー百合の花! オレそんなの見たことない」
「カサブランカだ。今日のパーティーで貰った」
適当に答えながらガラステーブルの上にその花瓶を置く。
途端に部屋中に漂う花の香りに、城之内が納得がいったように手を叩いた。
「コレだ! さっきの匂いってこの百合の匂いだったんだ…」
鼻を近付けくんくんと匂いを嗅いでいる姿を見て、海馬は思わず笑ってしまった。
「そんなに嗅ぐな。本物の犬みたいだぞ」
鼻の頭についた黄色い花粉を指で拭い、ついでとばかりに唇に触れるだけのキスをする。
久しぶりに犬呼ばわりされて一瞬不機嫌になるも、そのキスで城之内はすっかり機嫌を直したようだった。
互いの唇や頬や額に軽いキスを何度も繰り返して、二人揃ってすっかりリラックスしてソファに寄りかかる。
海馬の栗色の髪を弄りながら、城之内がふと耳元で囁いた。
「お前ってさ-、恐ろしい程百合の花が似合うよな。綺麗だとは思うけど、ちょっと嫌だ」
言われたことが理解出来ず思わずその顔を見上げると、城之内は少し複雑そうな顔をして笑っていた。
その視線がちらりとガラステーブルの上に移るのを見て、海馬もその後を追った。
そこにあったのは一冊の文庫本。先程まで城之内が読んでいた本だ。
その本のタイトルと著者名を見て、海馬は漸く合点がいったと顔を綻ばせた。
「夏目漱石の『夢十夜』か。貴様が気にしてるのは『夢一夜』の事だろう?」
「あー、やっぱり知ってるのね」
「当たり前だ。オレとお前じゃ情報量が桁外れに違う」
「ひでー言い方…」
がっくりと項垂れる城之内を見て、海馬はクスリと笑った。
夢一夜とは、死んだ女性を墓の前で百年待ち続ける男の話である。
『百年待ってて下さい。必ず会いに行きますから』という言葉を信じて男はひたすら百年間待ち続けるのだが、やがて騙されたんじゃないだろうか…と疑いだした頃、墓から百合の花が生えて約束通り女性が会いに来てくれた事が分かるという内容だ。
悲しい話だと思う。
それでいて美しい話だと思う。
海馬は幼い頃この話を読んだ時、その儚い美しさに泣いた。
その頃既に海馬家に養子に来ていて、この小説に出てくる男のような人間には一生出会えることなど無いと、どこかで諦めてしまっていた。
けれど何の因果か、今自分の目の前にはそれを成し遂げてくれそうな男がいるのだ。
「待っていてくれるのだろう?」
突然発せられた一言に、城之内が驚いたように目を剥いた。
「もしオレが先に死んだら、お前は百年待っていてくれるのだろう?」
「そりゃ…、お前が待っててくれって言うなら待っててやらないでも無いけどさぁ…。百年だぜ? オレ自信ねーなぁ…」
後頭部をガシガシ掻きながらそう呟く城之内に、けれど海馬は自信を持って言い放った。
「いや、貴様は待っててくれる筈だ。百年どころか二百年でも三百年でも…。下手したら一千年でもな」
海馬の言葉に城之内が「勘弁してくれよ」と反論する。
「お前、『百』年で『合』いに来るから『百合』なんだろ? だったらちゃんと百年で会いに来いよな!」
言外に「百年ちゃんと待っててやるから約束は守れ」と言われているような気がして、海馬は嬉し過ぎてまた笑ってしまう。
でも海馬には、本気で城之内を百年も待たせる気は無かった。
「出来れば一緒に死にたいな」
「そうだなぁ。それが出来れば一番いいけど」
少し感傷的になった自分の唇に、城之内がキスを落とす。
先程より少し深いキスをして、そしてそのままベッドへと誘われた。
美しい話だと思う。
それでいて悲しい話だと思う。
好きな相手を百年も待たすなんて、自分にはとてもじゃないけど無理だと思った。
出来れば手に手を取って最後まで共にいきたいと思うのは、果たして後ろ向きな考え方なのだろうか…と海馬は悩んでしまう。
今は答えが出ずともいずれ時が教えてくれると、海馬は今だけは頭の中を空っぽにして、城之内の手に自らの身体を預けることにした。