Text - 短編 - *Hypnotism(後編)

「ふぃ~! 助かったぜ、海馬」
 オレの部屋の風呂場からシャワーを浴びた城之内が頭を拭きながら出てくる。
 帰って来て早々オレがした事は、びしょ濡れの城之内を自分の部屋に連れ込んで、いの一番で風呂場に押し込んでやる事だった。
「とりあえずその泥水で濡れた身体を何とかしろ。服は風呂に入っている間にクリーニングに出してやるからそこに置いておけ」
 オレの言葉に城之内は少し困ったような顔をして言った。

「え…? でもオレ着替えとか持ってない…」
「風呂から上がったらそこのバスローブでも羽織ってろ。オレの部屋は冷暖房完備だから別に寒くは無い」

 風呂場の奥に消えていく城之内を見送って、オレは内線をかけ使用人を呼んだ。
 シャワーの音が聞こえて来た風呂場から奴の汚れた制服を持って来て渡し、直ぐにそれをクリーニングするように命じる。
 使用人が部屋を出て行くのを見て、背広を脱いでネクタイを解き、やれやれとソファに落ち着いた所でふと考えた。
 こんな風に城之内に親切にしているオレをみたら、きっと遊戯や漠良は「やっぱり催眠術が効いたんだね!」みたいな事を言って喜ぶんだろうなと。
 だが、別にこれはあの催眠術が効いたからこんな事をしている訳ではない。
 あんな催眠術など効く筈が無いのだ。
 城之内に好意を持つように…だと?
 そんなもの…そんなもの…。
 そんなもの、最初から持っている。
 だから今更あんな催眠術など効く筈が無いのだ。
 現に催眠術を受ける前と今じゃ、気持ちは全く変わっていない。
 ずっと…今までと同じように城之内を好きなままだ。
 だけどアイツとオレはとことん性格が違い過ぎて、仲良くなるなんて夢のまた夢だった。
 あの催眠術が効いて欲しいのはオレじゃない。
 城之内の方だ…っ!!
 なのにあの稚拙な催眠術は、オレはおろかあの単細胞のアイツにだって全然効いてなんかくれないじゃないか…っ!!
 ワイシャツの一番上のボタンを外して首元を楽にしながら、オレは深く溜息をつく。
 天井を見上げてやるせない思いに捕らわれていた時、丁度風呂から出てきた城之内が放った一言が先程のそれだった。


 オレの隣に腰掛けながらニッカリと笑う城之内に、オレは呆れたように苦笑する。
「あんな目に合ったのに、貴様は元気だな。何か飲むか?」
 立ち上がって自室に備え付けてある冷蔵庫に向かうオレに、「冷たいもの!」と城之内が元気に答えを返してきた。
 冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターのペットボトルを取り出して放り投げてやると、それをキャッチして笑顔で「サンキュ」と笑う。
 喉が渇いていたのだろう。ボトルのキャップを外して、そのまま一気に半分程まで飲んでしまっていた。
「プハ~! 水美味ぇ~!!」
 嬉しそうにそんな事を言われるからオレも嬉しくなって、思わず微笑んだら城之内に気付かれた。
 何だかジロジロと顔を見られて、途端に居心地が悪くなる。

「な…なんだ?」
「いや…お前でもそんな顔するんだなって思ってさ」
「悪かったな。こういう顔が似合わなくて」
「そんな事思ってねーよ。いいからこっち来いって。こっちこっち」

 パンパンとソファーの隣の席を手で叩いている。
 仕方無く側に近寄って隣に腰掛けると、ずいっとまるで密着するように近寄ってきた。
「じ…城之内…。近いぞ、何やってるんだ」
 思わず立ち上がろうとしても、伸ばした手に腰を掴まれて叶わない。
「海馬…。オレ…さ」
 城之内は何だか妙に熱っぽい目でオレを見詰めていた。
 その視線にオレは本能的な危機感を感じてしまう。
 この目は…この目は…。
「オレはさ…。この一週間、ずっと海馬とこんな風に二人きりになるチャンスを待ってたんだよ…」
 この目は…、ま…まさか…。
「今日で一週間経っちゃうから諦めてたんだけど。まさかこんな風にチャンスが来るとは思ってもみなかった」
 な…何て単純な男なんだ!!
 効いているじゃないか!! しかも思いっきり!!
 ソファの背にオレを押し付けるよう力を掛けられて、それに動揺している内に城之内の顔が近付いて来ていた。

「海馬…。オレ…さ。ずっとお前の事が好きだったんだよ…。急にこんな事言っても信じて貰えないかもしれないけど…」
「信じられる訳…ないだろう? 顔を合せれば喧嘩しかしていないような関係で…。大体お前はオレを嫌っていたんじゃないのか?」
「それは…っ! だってお前がオレに突っかかるような事ばっかり言うから…」
「人のせいにするな…っ! だから貴様は凡骨だと…っ」
「あー、もう煩い!! 少し黙ってろ!!」
「んぅ………っ!!」

 全てを吹っ切ったように叫んだ城之内が、オレに口付ける。
 冷たい水を飲んだばかりなのに妙に熱っぽい唇が、オレの唇に強く押し付けられていた。
 やめてくれ、やめてくれ、やめてくれ!
 手で奴の身体を押し返そうとしても、手首をギュッと掴まれてソファに押し付けられてしまう。
 城之内の舌がオレの唇を舐めてくるのが分かって、せめてもの抵抗に唇に力を入れて歯を食いしばった。
 だけどそれを全く気にしないように城之内はしつこくキスを続けて、やがて息が苦しくなったオレは呼吸をする為に思わず口を開いてしまい、その瞬間を見逃さずにぬるりと押し入ってきた熱い舌の感触にゾワリと肌が泡立ってしまう。
 口内の隅々まで城之内の舌に犯されて、オレは頭の芯がボーッとしてくるのを感じていた。

「催眠術が効いている内に…なんて卑怯だと思うけど…。ゴメンな、海馬」

 チュッと口の端に零れた唾液を吸い取りながら、城之内がそんな事を言って離れていった。
 いや、離れていったのでは無い。
 一旦離れた身体を再びオレに押し付けて、城之内はオレの首筋に吸い付きながらワイシャツのボタンを外していた。
 ボタンを全部外されて重力に従って肌蹴たシャツの中に熱を持った手が差し入れられて、胸や腹を撫で回される。
 その熱が余りに心地よくて、オレは何だかどうでもいい気分になってしまっていた。
 城之内の指先がオレの乳首に辿り着いて、キュッと捻られるように摘まれる。
「っ………!」
 微かに感じた痛みにビクリと反応すると、慌てた風な城之内に優しく頭を撫でられた。
「ゴメン。今のは痛かったよな。ちゃんと痛くないようにするから…」
 謝りつつ今度はオレの胸元に顔を寄せて、城之内は紅くなったオレの乳首に唇を寄せた。
 唾液でぬめる舌で先端をペロリと舐められて、オレはそれだけでジンッ…とした快感に襲われる。
「ぁっ…!」
 思わず小さく喘ぐと、城之内がフッと笑ってオレの乳首を口に含んだ。
 口中で唾液を塗り付けるように舐め回され、溢れた唾液ごとジュッと強く吸われる。
「ひぁっ…!」
 その途端、胸の奥から脳髄にかけて熱い刺激が走り抜けて、オレは耐えきれずに悲鳴を上げてしまった。
「ふぃっ…、ぁ…ん!」
 全身が甘い痺れに満たされて、気持ち良すぎて意識が遠くなる。
 あぁ…ダメだ…このままでは…、このままでは…流されてしまう…。
 城之内に触れられて、身体は歓喜に震え続ける。
 だけど、オレはどうしても嫌だった。
 オレを組み敷く単細胞のこの男は、見事に漠良の催眠術に脳を乗っ取られて、好きでもない男を好きだと思い込んで抱こうとしているのだ。
 催眠術に操られている今はいい。
 だけど明日になって正気に戻ったら…?
 正気に戻って、城之内がオレに対して施した全ての行為を思い返して、それに愕然としてしまったら…?
 それを考えたらオレは耐えきれなくなった。

「やめろ! 城之内…、貴様は漠良の催眠術に操られているだけだ…っ!!」

 力ずくで奴の身体を押し返すと、城之内は不満そうな顔でオレを見詰めた。

「操られてなんかいねーよ…っ」
「馬鹿が…っ! 実際に操られているじゃないか! いいから落ち着け、冷静になれ! 明日…催眠術が解けたらお前はきっと後悔する!!」
「後悔なんかしねーよ!! する訳がない!!」
「どうしてそんな自信満々に言えるんだ!?」
「催眠術なんか最初から効いてねーからだよ!!」

 城之内の叫びにオレは固まってしまう。
 一瞬城之内の言うことが理解出来なかった。
 催眠術が効いていない…? 何を言っているんだコイツは。現に今…効いているじゃないか…。
 オレの戸惑いを見て今までの積極さはどこかに行ったのか、城之内は項垂れてしまっていた。

「あんなもの…効く訳がない…。だって…だってオレは最初から…」

 何時もの城之内とは全く違う、小さなそして自信の無い声で、だけどはっきり。

「お前の事が好きなんだよ、海馬」

 オレの身体にのし掛かったままボソリと呟かれたその言葉を、オレは信じられない思いで聞いていた。

「本当に強い奴なんだなって思って憧れて。憧れて憧れて、気付いたら好きになってて。もうずっと好きだったんだよ…。なのにお前と顔を合せる度にオレ達は喧嘩しか出来なくて…。そんな事したく無いのに止められ無くって。だから漠良が催眠術の話をした時、これが最初で最後のチャンスだと思ったんだ」

 城之内の熱い手が、オレの頬に降りてきた。
 優しく包み込むように撫でて、そのままオレの髪を撫で上げて回り込んだ後頭部を包み込んで抱き寄せられる。
 大きくて熱い手は、少し震えていた。

「でも…、こんな風に催眠術にかけられてるお前を利用するのは…やっぱり卑怯だったよな。ゴメンな、海馬。もう…何もしないから」

 まるで泣いているかのようなか細い声に、オレは不安になる。

 そんな声を出さないでくれ。
 そんな顔をしないでくれ。
 そんなに震えないでくれ。

 すっかり意気消沈した城之内を安心させるように、オレはその背に自分の腕を回し強く抱き締めた。
「海馬…?」
 驚いて離れそうになる身体を離すまいと、オレは力を入れる。

「オレも同じだ、城之内」
「え…?」
「あんな催眠術なぞ、オレにだって効いてはいない」
「でも…お前…」
「そんな風に思っているのはお前だけではない。オレだって…お前の事が最初から好きだった。だから催眠術など意味が無いのだ」

 オレの告白に城之内が心底驚いたように目を丸くする。
 信じられないような顔をした城之内に、オレは微笑んでやった。

「だから…もうそんな顔をするな、城之内。オレ達の一週間は永遠なのだ」
「か…海馬…っ!」
「何だ? まだ信じられんのか? それとも不満なのか?」
「ま、まさか!!」

 慌てた城之内が強くオレを抱き締めてきた。

「どうしよう…!! オレ、今すっげー幸せだ…っ!!」
 本当に嬉しそうな声でそう言った城之内に「オレもだ」と小さく告げて、オレ達は強く抱き合った。
 何だか余りに幸せだったので、すっかり心が満たされてしまったオレ達は、結局その後行為の続きをする事はなかった。
 まぁ急いでいる訳ではないから別に構わない。
 オレ達の一週間は永遠に終わりそうにないのだからな。


 後日。
 オレ達の関係に見事催眠術が効いたと思い込んでいる遊戯と漠良に、オレ達はそんなものは最初から効いていないと告げてやった。
 だが、それに対して返って来た漠良の言葉に、オレ達はまた舌を巻くことになる。

「実は君達にかけた催眠術は相手に好意を持つ事だけじゃなくて、相手に素直になりますようにっていう願いも含まれていたんだよ。気付かなかった?」

 き…気付く訳なかろうが、この大馬鹿者共め!
 この催眠術が本当に効いていたのかそうでないのかは…かけた本人しか分からぬのだからな!!