Text - 短編 - 許される場所

城之内×海馬。
強い海馬と弱い城之内のお話。

 




 城之内が笑っている。
 今日も友人達に囲まれて、嬉しそうに楽しそうに笑っている。
 だけどオレは知っていた。
 その笑顔が少し歪んでいるのを。
 そのいつもと少し違う笑顔に、奴のお友達連中は誰一人として気付かない。
 本田と漠良はとうにクリアしたみたいだ。
 だけどあの本田って奴は、確か城之内とは中学生時代からの友人ではなかったか?
 それなのにあの笑顔に気付かないとは、随分と大した友人だな。
 いつも遊戯と一緒にいる真崎という女が城之内と話をしている。
 女って奴は結構敏感だから城之内の異変に気付くかと思われたが、どうやらそれも心配する事は無かったらしい。
 いつものように明るく笑って離れて行ったので、真崎もクリアだ。
 一番の問題は親友の遊戯だ。
 あのボケッとした方の遊戯は意外と人の心の変化に敏感だ。
 ほら見ろ。案の定掴まってしまっている。
 手元にある洋書を読んでいるふりをして二人の会話を盗み聞きしてみる。

「ねぇ…城之内君。何だか今日疲れてない?」
「んぁ? そうか?」
「うん。だって…いつもとどこか違うみたいな気がする」
「遊戯…。気のせいだって。昨日遅くまで漫画読んでてちょっと寝不足なんだ。それで朝の新聞配達がいつも以上に辛くってさー」

 遊戯の肩をバンバン叩きながら明るく笑う城之内に、心配そうにしていた遊戯も漸く笑顔を見せた。
「そうなんだ! 良かった~。僕一瞬城之内君が何かを我慢してるみたいに見えちゃって…。城之内君が元気ならそれでいいんだよ」
 心底ホッとしたような顔をして遊戯が微笑む。
 そしてそのまま二人してデュエルの事について話し始めてしまった。
 どうやら遊戯もクリアのようだ。
 やれやれ、どうやら城之内の異変に気付いたのはオレだけのようだ。
 まぁ、これもいつもの事だけどな。
 だがどうやら、アイツはオレに対してもクリアしようとしている。
 久しぶりにオレが学校に来ているというのに、警戒してちっとも絡んでこないのがいい証拠だ。
 無駄だと何度も言っているというのに…。学習能力の無い男はこれだから困るのだ。
 チラチラとこちらを伺う視線に軽く溜息を吐いて、オレは何も気付いていないふりをし続けた。


 城之内は結局そのまま一日中へらへらとした笑顔でお友達連中を騙しきって、帰りのHRが終わったのと同時に鞄を掴み早々に教室を出て行こうとした。
 まぁその笑顔を浮かべられる時間にも限度というものがあるから、ある意味仕方が無い事なんだがな。
 だが、オレはそんな城之内を逃がさない。
 オレの横をスルリと通り抜けようとしたその腕を掴んで引き留めた。
 驚いて振り返ってオレの顔を見る城之内に、わざといつもの表情を留めたままオレは尋ねる。

「城之内。今日の予定は?」
「は? 予定?」
「バイトはあるのかと聞いている」
「あ…あぁ、バイトね。今日は特に何も無いから真っ直ぐ家に帰ろうかと思ってたんだけど…」

 それを聞いてオレは掴んでいた腕に更に力を込めて、否定を許さないように強く城之内に告げた。

「そうか。ならば少しオレに付き合え。夕食くらいなら奢ってやる」
「え…? あ、おい! 海馬っ! ちょっと待てよ!!」

 耳元でぎゃぁぎゃぁ騒ぐ声を無視してオレは片手で携帯を弄り、電話口に出てきた専属の運転手に迎えの車を寄越すように命令する。
 そのまま鞄を持ち、もう片方の手で城之内の腕を掴んだままオレは教室を出た。
 昇降口に着く頃にはあれだけ騒いでいた城之内も大人しくなっていた。
 どうやらオレにあの笑顔は通用しないと漸く悟ったらしい。
 オレに引き摺られるようにして丁度校門の前に来たリムジンに共に乗り込み、一緒にオレの屋敷まで帰る。
 車の中の城之内はすっかり静かになっていて、更にその顔には昼間の笑顔など一片たりとも残ってはいなかった。
 屋敷に着いてからもオレはその腕を放すことは無く、そのまま自分の部屋へと引っ張り込む。
 重厚な扉が音を立ててしまったのを見て、オレは漸くその腕を放してやった。

「もういいぞ、城之内」

 オレがいつもの調子でそう言うと、少し陰りのある表情で俯いていた城之内が顔を上げた。

「何で…わかった…?」
「オレには無意味だと何度も伝えた筈だが?」
「そうだよな…。お前には無理だよな…。やっぱお前がラスボスだよ。しかも最強過ぎてクリア出来やしねぇ…」

 先程まで浮かべていた笑顔には程遠い自嘲気味な笑みを浮かべて、城之内はゆっくりとオレに近付いてくる。
 そして目の前まで来て、そのままオレに強く抱きついてきた。
 力強い腕でぎゅうぎゅうと抱き締められ肩口に顔を埋められる。
 少し苦しかったが、オレはそれを拒絶しない。
 やがて金色の髪の向こうに見える広い背中や肩幅が細かく震え始め、肩口からは嗚咽が聞こえて来る。
 その声を聞いてオレも城之内の身体に腕を回し、ギュッと力を込めて抱き締めてやった。
 崩れ落ちる身体を支えてやって、二人して床に座り込む。
 そこまで来ると城之内はもう声を耐える事もせず、オレに縋り付きながらわぁわぁと大声で泣いてしまっていた。
 城之内の泣き声を黙って聞きながら、オレはただゆっくりとその背を撫で続けた。


 城之内がこの状態に入るのは、何も今回が初めてでは無い。
 複雑な家庭環境の中で育ったオレ達は、互いが互いをよく似ていると思っていた。
 それは性格的なものではなく、もっと本質的なものだ。
 その事実に二人で触れた時、オレ達の気持ちは一つになった。
 その日以来、世界で唯一のパートナーとしてオレ達は恋人同士になった。
 まぁ、厳密に言えばそんな単純なものなんかではなく、もっと深い関係なんだろうとは思うが。
 ただ『恋人』以上にぴったり当て嵌る関係の枠が無かったのだ。
 オレは養父の死によってそれまで自分が居た『複雑な家庭環境』を脱する事に成功した。
 だが、城之内は未だにその罠にかかったままだ。
 天性の明るさで自らの背負う影を常にカバーしているようだが、本人が感じているストレスは相当なものだろう。
 現にこうして突然負荷に耐えきれなくなり、爆発寸前にまで追い込まれる事がある。
 城之内は自分のそんな状態を周りの人間に悟られることを何より嫌っている。
 だから偽物の笑顔を浮かべてまで周りを騙すのだ。
 本人に言わせれば決して友人達を信用していない訳じゃないらしいが、それでももう一つの自分の姿を見せるのは気が引けるのだそうだ。
 オレもそれはそれでいいと思う。
 城之内の印象はあくまで『いつも明るい』というイメージであればいい。
 それでコイツの友人関係がこの先も円滑に進めば問題無い。
 だがオレに対してはそれは効かない。
 城之内がどんなに自分の状態を隠そうとしても、オレはそれを見破ってしまう。
 最初それに気付いた時、コイツは最後までそれを否定しようとした。
 だが…頑なに否定し続ける城之内にこの両腕を差し出した時、それは実に脆く崩れ去った。
 それ以来、オレは城之内がこの状態に陥った時は黙って腕と胸を貸すことにしている。
 多分コイツには泣く場所が無いのだ。
 泣く場所を求めて偽物の笑顔を浮かべて、自分自身を騙し続ける城之内を見るのはオレも辛いと思った。
 だからオレ自身が城之内が泣くことを許される場所になりたいと思ったのだ。


「サンキューな…」
 鼻をグスグス言わせながら漸く落ち着いた城之内が顔を上げる。
 その酷い顔に苦笑して、ポケットからハンカチを出して目元を拭ってやった。
 ついでに近くにあったティッシュボックスを持って来て手渡してやると、自分で何枚かティッシュを抜き取って盛大に鼻をかんだ。
「どうだ? 気が済んだか?」
 丸めたティッシュをゴミ箱に放り込んでいる城之内にそう尋ねると、「おかげさまで」と鼻声で返事が返ってくる。

「これでまた暫く普通に過ごせそうだ」
「そうか。それは良かったな」
「お前だけなんだよな、海馬」
「何が?」
「オレが泣くことを許してくれる奴はさ、お前だけなんだよ。他の人間も許してはくれるだろうけど、多分お前だけが無条件で黙って泣かしてくれる。お前の腕の中だけがオレが安心して泣くことを許される場所なんだ」

 そう言って先程よりずっと優しい力で抱き締められた。
 甘えるように擦り寄ってくる荒れた金髪をそっと撫でて、オレは城之内の耳元で小さく囁く。

「お前が望むなら、オレはいつでもお前の許される場所でいたいと思っている」

 オレの言葉に城之内が顔を上げて、柔らかく微笑んだ。
 やっと見られた本物の笑顔にオレも嬉しくなる。
 この笑顔が見られるのならばオレはいつでも城之内の『許される場所』でありたい。
 城之内の熱を感じながら、オレは心の奥底でそう願い続けた…。