城之内×海馬
城之内の一人称。
基本シリアスモードで。
今日も何事も無くバイトを終えて、オレはその足で海馬邸へとやって来た。
顔馴染みのメイドさんに連れられて海馬の私室の前まで行きノックをすると、中から入室の許可が下りる。
重厚なドアを開けて中に入るとソファーで洋書を読みながら寛いでいた海馬と目が合い、オレはにっかり笑って「よぉ」と右手を挙げる。
それに頷き返して、海馬は薄く微笑んだ。
オレが海馬に想いを告白して、こうして海馬邸に足を運ぶようになって数ヶ月が経つ。
こうやって毎日海馬の所に通い詰めて会っているからか、遊戯達にはオレ達が付き合っていると思われているみたいだが、残念ながらオレと海馬の関係は未だ恋人ではない。
その原因は海馬の心にある。
告白してオレの恋人になってくれと頼んだ時、コイツは何とも言えない複雑な表情をした。
「城之内、オレは他人を愛するという事が分からない」
一体どんな罵詈雑言で振られるのかと身構えたオレに海馬が放った言葉は、余りにも意外なものだった。
遊戯との決闘に負け一度心を砕かれた海馬は、自らの心を何とか組み直し今に至る。
昔の過激な頃に比べたら一応マシになった海馬は遊戯の周りのメンバーとも徐々に打ち解け、人間らしい表情も見せるようになってきた。
そのメンバーの中には勿論オレも含まれていて、ギャップに弱いオレがそんな海馬に恋をするのも必然といえば必然だった。
海馬の見せる表情は相変わらず怒りや蔑みなどが多かったが、時折ふいに見せる優しさがオレを惑わせた。
心を組み直した後に絆を深めた弟のモクバとは、見ているこっちが羨ましくなるくらい日々仲良く過ごしていて、だからオレは海馬の口からそんな言葉が出てくるなんて思いもしなかったんだ。
海馬曰く、弟を愛するという事は分かるらしい。
だが肉親以外の他人となると、途端にその気持ちが全く理解出来なくなるのだそうだ。
「理屈では無い。本当に分からなくなるんだ」
「それってさ。どういう風に愛したらいいのか分からないって事じゃなくて?」
「違う。気持ち自体が分からないのだ。相手がどんな気持ちなのか、それに対して自分の気持ちがどうなのか。どうしても理解する事が出来ない」
オレの脳の中では他人の愛を信じる回路がプッツリと切れてしまっているのだと、海馬はどこか寂しそうに呟く。
そんな海馬にオレは一つの提案をした。
「そんなに他人の愛が分からないのなら、理解出来るまでオレと一緒に過ごしてみない?」
オレの提案に、海馬はまた少し困った顔をする。
それでもオレがいつか絶対に分からせてやると力説すると、海馬は渋々ながらその提案を受け入れてくれた。
それ以来オレはこうして毎日のように海馬邸に来るようになった。
最初は俺が来る度眉根を寄せて渋い顔をしていた海馬だったが、最近はそれもすっかり慣れて、オレが来れば口元を緩めて微笑んでくれる。
残念ながらまだ恋愛感情にまでは到達していないみたいだけど、オレはそれでも充分だった。
海馬が座っていたソファの隣に腰掛けて、「ほら、もっとこっちにおいで」と両手を広げてみせる。
すると海馬は存外素直にオレに身体を寄せて体重を預けてくる。
ゆっくりと凭れてくる身体を後ろに回した手で抱き留めながら、オレはまた少し幸せな気分になった。
海馬がこうして素直に身体を預けてくれるっていう事は、それだけオレが信頼されているって事だ。オレの近くに来るのでさえおどおどしてた当初に比べれば、それは格段の進歩だった。
だけど、何となく感じる違和感は拭い切れない。
オレに全てを委ねる海馬は、まるで大きな人形のようだ。
そう感じるのは多分、海馬のその行動にオレに対する気持ちが少しも入っていないからだと思う。
オレの事を信頼しているのは分かる。だけどオレの気持ちを理解していない為、その行為に何の感情も付随していない。
本当にただ身体を預けているだけなのだ。
意志の無い行動は無意味なだけだ。
だからオレは今の海馬に人間らしさは感じられず、どちらかと言えば人形みたいな印象を受けるんだと思う。
それでもいつかはきっとオレの事を理解してくれると信じて、オレは凭れ掛かってきた海馬の頭を優しく撫でた。
「なぁ…城之内」
暫く静かな時間を楽しんでいたオレ達だったが、突然海馬に呼びかけられてオレは少し驚いた。
今までこういう時を過ごしていた時に、海馬の方から話しかけられると言う事は無かった。だから思わずビクリと身体を揺らして、マジマジと腕の中の顔を見つめた。
そんなオレに真っ直ぐな視線を向けて、海馬は静かに話し始めた。
「城之内、オレは少し捜し物をしに行きたいと思っているのだ。だから明日からこんな時間を過ごす事は出来ないかもしれない」
「捜し物って何? どこまで行くの?」
「近くて遠い場所…、遠くて近い場所だ。少しの間会えなくなると思うが…待っててくれるか?」
「お前が待ってろって言うんなら、オレはいくらでも待っててやるけどよ。ていうか、ホントにどこ行くんだよ。ちょっと心配になってきた」
「お前は何も心配する事は無い。なるべく直ぐ戻るから…信じて待っててくれ」
またあの複雑そうな顔で微笑む海馬に、オレはただ頷く事しか出来なかった。
だって、その時はそれ以外に何が言えたっていうんだ…。
その時は分からなかったけど、後でオレはそれを激しく後悔する事になった。
「城之内君、ちょっと一緒に来てくれないか?」
次の日の放課後、オレは突然遊戯に呼び止められた。
オレを誘ってきたのはいつもの遊戯じゃない。あの決闘王の方の遊戯だ。
何だか目の前の遊戯が妙に真剣な顔をしているから、オレも茶化す事が出来なくて黙って後を付いて行った。
黙々と二人で連れ添って歩いていると、オレはふと周りの景色に気付く。そして遊戯がどこに行こうとしているのか理解出来た。
「なぁ遊戯。海馬ん家行くのかよ」
「あぁ」
「何か海馬に用事? アイツに用事なら今日は居ないかもしれないぜ? 何か捜し物行くって言ってたから」
「そうだな」
「何だ、知ってたのか。んじゃモクバに用事か」
「いや、海馬に用事…というよりは城之内君を海馬に会わせるのが目的だ。海馬に対する用事はもう済ませてしまったから」
遊戯の言葉にオレは首を捻る。目の前を黙って歩いている男が、一体何を言いたいのか分からなかった。
だけどオレの疑問は、海馬の私室に入った瞬間に解けてしまった。
いつもの天蓋付きのベッドに虚ろな表情で横たわっている海馬を見た瞬間から。
「海馬…?」
その姿を見た時、身体に震えが走った。
頭の中が熱くなって心臓がヤバイ位にドクドクと鳴った。足がガクガクと震えてそれ以上近付く事が出来ない。
そんなオレを遊戯と、そしてベッド脇に座っていたモクバが黙って見ていた。
「何コレ? どういう事? 何で海馬こんな事になってんの?」
震える声でなんとかそれだけを絞り出したオレに、遊戯がまるで言い聞かせるようにゆっくりと答えた。
「俺が…マインドクラッシュした…」
その言葉を聞いた途端オレの頭にカッと血が昇って、気が付いたら遊戯の胸ぐらを掴んで床に押し倒していた。
「何でだよ!! コイツが何かしたっていうのかよ!!」
「じ…城之内君…っ!」
「そりゃ昔は色々あっただろうけど、今は何にもやってねーじゃねーかよ!! お前も海馬の事認めてたんじゃねーのかよ!!」
「城之内君…! 落ち着いてくれ…っ!」
「ふざけんな!! 遊戯、お前何でこんな酷い事…っ!」
「やめろよ城之内!! いいから落ち着けって!!」
「モクバ…!?」
慌てて止めに入ったモクバのお陰で、オレは漸く息を吐けた。怒りの余り呼吸をするのも忘れていたのだ。
まだ頭に昇った血が下がらず怒りで震えるオレの身体を抱き締めて、モクバが涙目でオレを見つめた。
「城之内…いいから落ち着いて聞いてくれ…。これは兄サマが自分で望んだ事なんだ…」
モクバの言葉にオレは信じられない気持ちで二人を見る。
そして遊戯とモクバの口から真相が語られ出した。
「兄サマはずっと、辛い…苦しい…って言ってたよ」
モクバがポツリと呟く。
「城之内の気持ちを理解したいのに理解出来ない、分からない。城之内と一緒にいると安心して気持ちがいいのに、自分の真意がどこにあるのか分からない。胸に引っかかるその気持ちを手探りで探すけれど、目の前は常に真っ暗で何も見つからない。それが辛くて苦しい…って、そう言ってた…」
「海馬は俺にもそう言ってた」
モクバの言葉を受けて遊戯も口を開く。
「城之内君を愛したいのに愛する事が出来ないと…。それが何より辛いとよく零していた」
遊戯は海馬に近付くと、虚ろな瞳のまま寝ている海馬の髪をそっと撫でた。
優しく優しく撫でつけるその行為に、海馬を思いやる気持ちはあれど憎しみ等は感じられなかった。
「昨夜遅く…海馬から突然連絡があった。どうしても頼みたい事があると。何事かと来てみれば、自分にマインドクラッシュをかけて欲しいと頼まれた」
「その場にはオレも居たんだ。あんまり突然の事でオレも遊戯もすげー驚いて、何とか兄サマを止めようと反対したけど、兄サマは絶対自分の意見を曲げる事は無かったんだよ…」
オレは二人の話を愕然とした気持ちで聞いていた。
意味がよく分からなかった。
海馬が自分の気持ちが分からなくて悩んでたってのは分かる。だけど何故それが自分にマインドクラッシュをかけて欲しいって事になるのかが分からない。
オレの疑問に気付いたように遊戯が答えを出した。
「城之内君、海馬はもう一度心のパズルを組み立て直すと…言っていた」
「え…? どういう事…?」
「海馬は一度俺にマインドクラッシュを食らって、バラバラになった心のパズルを組み立て直した事がある。その時に肉親…モクバに対する愛情のピースはちゃんと組み込んだものの、その他の人間に対するピースを組み込まないで完成させてしまったらしい。らしいというのは海馬が自分でそう言っていたからだが、俺もその説には同意した」
遊戯の言葉に、オレにも何となく海馬の言いたい事が見えてくる。
「何だ…? つまりその組み忘れたピースをちゃんと組み込む為に、もう一度心のパズルをバラバラにして一からやり直すって…そう言う事か?」
何となく怒りが収まってきて、オレは力を無くしてその場に座り込む。
そんなオレの側に膝を付いて、モクバが安心させるように微笑んでくれた。
「兄サマは…直ぐに戻るって言ってた。一度組んだ事のあるパズルだから、もう一度やり直すのなんて簡単だって。だからオレは最後は兄さまの意見に賛成したんだ。だって兄サマは嘘をつかないから。いつだってやるって言った事は絶対やり遂げてみせるから」
オレが目の前のモクバの顔を見ると、やっぱりじわりと涙ぐんでいた。
だけどその顔に絶望は見られない。兄を絶対的に信じている顔だった。
「だから城之内も兄サマを信じてあげて…。信じて待っててあげてくれよ。兄サマは絶対帰ってくるから…。オレと約束したんだから。城之内とだって約束したんだろう?」
モクバの言葉にオレは黙って頷く。
漸く冷えたオレの頭に、昨夜の海馬との会話が浮かんできた。
『お前は何も心配する事は無い。なるべく直ぐ戻るから…信じて待っててくれ』
今は海馬のその言葉に縋るしか出来なかった。