城之内×海馬。
海馬の一人称。
何かモヤモヤっとしたイメージの不思議な話です。
「なぁ…。本当に行くのかよ」
オレが旅支度をしていると、目の前の男がブスッとした表情でそう尋ねてきた。それに「あぁ、勿論だ」と答えると、眉根を寄せてますます不機嫌そうな顔になる。
だって仕方無いじゃないか。
いくらお前がそんな顔をしても、決定事項はもう覆される事は無い。
オレは、ここを出て行く事に決めたのだ。
「あっちに行ったって、幸せになれるとは限らねーぜ」
余りな言いぐさに思わず振り返った。
せっかく人が新天地への期待に胸を膨らませているというのに、酷い言い様だ。「そんな事を言うな」と注意すると、唇を尖らせて睨み付けてきた。
そんな顔したって怖くなんてない。お前の拗ねた顔なんて、もう見飽きているんだ。
「何が起こるかなんて分からないじゃないか」
「そんな事ないぜ。チラッと見た限り、あんま良い事書いてなかった」
「お、お前…っ! まさか管理官のデータを盗み見たんじゃないだろうな!?」
「盗み見ようと思ったら途中で見付かって追い出された。だからチラッとしか見てないんだけど」
全く反省していない顔に盛大に溜息を吐いてしまう。
コイツのこういう悪戯癖は昔からちっとも変わっていない。以前からこの手の悪戯をする度に酷く叱られているというのに、本当にどうしようも無い奴だ。
叱るつもりで腰に手を当て睨み付けても、目の前の男はオレをチラッと見ただけで、次の瞬間にはフイッとそっぽを向いてしまった。
本当だったらいつもの様にわざと耳元でガミガミと怒鳴り散らすところだが、コイツの気持ちも分からなくもないので、オレもこれ以上はもう何も言えなかったのだ。
今だって凄く寂しそうな顔をしている。
少し前までは、オレ達の周りにはもっと沢山の仲間がいた。それが時が経つにつれて、皆がそれぞれの居場所を求めて去って行った。一人減り、二人減り、三人減り…、そして今ここにはオレ達二人だけしか残されていない。その二人の内の一人までもが旅支度をしているのだ。そりゃ、いつも脳天気なコイツだって寂しくなってふて腐れるというものだ。
気持ちは良く分かるのだ。
だが…オレは自分の気持ちを変える事はしなかった。
ここで踏み出さなければ、何も変わらない日々が続いていくだけ。新しい人生を切り開く事が出来ないのだ。
「お前が何と言おうと、オレは行くからな」
いつの間にかその場に足を抱えて座り込んで顔を俯せているアイツにそう声を掛ける。
オレの言葉にピクリと身体を揺らしたが、顔を上げる事は無かった。
「………たら………が………っても…か…?」
「ん? 何だ?」
何か言っているようだが声が籠もって良く聞こえない。ブツブツ言っているアイツに「もっとはっきり言え」と言い放つと、それまで俯いていた顔をガバッと上げた。
みっともないな…。涙でグシャグシャじゃないか…。
ただその顔は至極真剣で、流石のオレもそれを茶化す事は出来ない。
黙って見詰めてやったら、震える声で目の前の男が叫んだ。
「向こうに行ったら…オレと険悪な仲になるとしてもか…っ!?」
「何だと…?」
思いがけない言葉に思わず目を剥いた。
驚いたオレに奴は次々と言葉をぶつけてくる。
「あっちに行ったら今までのように仲良くはなれない! お前はオレを憎むし、オレだってお前を憎む! 絶対にもう…こんな風には喋れなくなるんだ!!」
「ちょっと待て…。何でそんな事が分かるんだ」
「データに書いてあったんだよ…。このままで行くと、オレとお前は『天敵』になるんだとさ…」
「お前…」
「オレ…嫌だよ…。そんなのは嫌だ…っ!! お前とそんな風にはなりたくないよ…っ!!」
本格的に涙をボロボロ流して泣き始めた男を、オレはもう無視する事は出来なかった。丸まった身体をそっと抱き締めて、震える背を優しく撫でてやる。そうすると腕の中の男も手を伸ばしてきて、オレの身体にギュッとしがみついてくる。そのままオレの肩口に顔を埋めて、しゃっくりあげながら号泣していた。
「オレ…オレ…、お前が好きだ…っ! お前が大好きなんだよ…っ! 嫌いになるなんて嫌なんだよぉ…っ!!」
涙混じりの必死な声に、オレは「あぁ…」と小さく答える。
先程のコイツの言葉が、やはり少しショックだった。
オレだってコイツが好きだった。大好きだった。オレはコイツを憎みたくないし、コイツにだってオレを憎んで欲しくない。そんなのは…オレだって嫌だ!!
だけど…、やっぱりココに居続けてはいけないのだ。
不確定な未来を恐れて立ち止まっていては、更にその先にある希望に満ちた世界にも辿り着けない。
勇気を出さなければ…。
新しい人生を…歩む為の勇気を。
「一つ…約束をしよう」
オレが思い切ったようにそう告げると、腕の中の男はオレの肩口から顔を上げて、涙と鼻水でグシャグシャのまま首を傾げた。それに苦笑しながらポケットからハンカチを出して汚れた顔を拭いてやる。
綺麗になった顔に微笑みかけて、拗ねた唇にキスを一つ落とした。
「約束…?」
「そう。約束」
未だ不安そうなコイツに、オレは安心させるようにその手をとって小指を絡めた。それをキュッと力を入れて繋ぎ止める。
小指の先からコイツの熱い体温が伝わってくる。
いつもオレより少し高いその体温が、オレは大好きだった。心地良かったし、何より凄く安心出来たから。
だから…この体温を繋ぎ止めたまま、大事な約束をしよう。
「例えどんなに憎み合っても、オレは最後はきっとお前を好きになると誓う。だから安心しろ」
オレがそう告げると、目の前の男は心底驚いた顔を見せて何度も瞬きをした。
「好きに…? 本当に…?」
「あぁ、本当だ。嘘は吐かない。約束する」
「ちゃんと…今までと同じように好きになってくれる?」
「勿論だ。いや、今まで以上に好きになってみせる」
「………っ!」
「だから…、だからお前も誓ってくれ。お前もオレを憎むだろうが、その後はちゃんとオレを好きになってくれると…誓ってくれ」
「うん…。うん…誓うよ。オレもお前を好きになる。絶対だ…っ!」
「絶対だな?」
「絶対だ! 絶対お前を好きになってみせる!! 約束だ!!」
「あぁ、約束だ」
「約束だからな!! 絶対に守れよ!! 約束は破ったら針千本飲まなくちゃならないんだからな!!」
「そんなものは飲まない。守れない約束なんかしないからな」
「お前な…」
「大丈夫。そんな不安そうな顔をするな。お前との約束は絶対に守ってみせるから」
だから安心しろと囁きながら抱き締めると、向こうも同じように抱き返してきた。その身体はもう、震えてはいなかった。
暫くそのまま抱き合っていると、遠くからベルが鳴るのが聞こえて来る。
それは今日の出発を告げる合図。オレはもう、出発しなければならなかった。
「時間だ。もう行かなければ」
そう告げると、目の前の男は一瞬泣きそうに顔を歪めた。だが先程のように涙がボロボロ落ちてくる事は無い。
歪んだ顔を自分の両手でパンパンと叩くと、目の前の男は顔を上げて爽やかな笑顔を見せてくれた。
その顔はオレが一番好きだったコイツの顔。
どんな時でもオレを安心させてくれた、最高の笑顔だった。
「三ヶ月後だ」
「何が…?」
「実はオレもこの間出発が決まってさ。今日から丁度三ヶ月後なんだって。三ヶ月後にはオレもそっち行くから」
「お前…」
「だから先に行って待っててくれよ。必ず追いかけて行くから。いつまでもどこまでも、オレはお前を追い続けるから」
「………」
「だからさ。約束…忘れないでくれよな? オレ、信じてるからな?」
「あぁ、勿論だ」
最後にもう一度小指を絡ませて、そしてオレは踵を返した。
目の前には白いドア。これを開けて一歩踏み出せば、そこはもう新しい世界だ。
さようならは言わない。再び会えると信じているから。
後ろに突っ立っている男もそれを分かっているんだろう。いつまで経ってもさようならとは言わなかった。
「じゃぁ…行くから」
「うん。またな」
「あぁ、またな」
またな…と声を掛け合って、オレは扉を潜った。
そこに待っていた漆黒の世界の中で、意識がどんどん遠くなる。あちらの世界での記憶が少しずつ解けて消えていく。
アイツと一緒に過ごした日々。どこまでも広く続く花畑で走り回って遊んだ事も、青い空を眺めて交わした会話も、あの爽やかな笑顔も、優しい優しい記憶が全て消えていく。
だけどオレは感じていた。
最後にアイツと交わした約束だけは…絶対に消えない事を。
「約束だ…。絶対に好きになるから…」
消えゆく意識の中。ポツリとそう呟いてオレは全てを手放した。
代わりに見えたのは…明るい明るい光だった。
「オレ、お前の事が好きだ…!」
青い空が広がる学校の屋上。爽やかな風が吹く中、城之内はオレに対して真剣な目をしてそう言った。
余りに突然の告白に反応出来ずに戸惑っていると、城之内はズカズカとオレに近付いて来てオレの手を取りギュッと握りしめてくる。
その時、何だか妙にハッとした。
城之内とは今まで何度も下らない言い争いをしたが、これだけ近くに来られた事は初めてだったし、何よりその体温を直接感じたのも初めてだったのだ。
なのに…何故だろう?
その体温に馴染みがあるのは。その熱さに不思議な程安心してしまうのは。
「なぁ…。やっぱダメ…かな。お前…オレの事嫌いだもんなぁ…」
心から落ち込んだ顔をしてそう言う城之内にオレは首を横に振った。
そうだ、最初は嫌いだった。憎たらしいとさえ思っていた。
それなのに何故なのだろうか。いつの間にか心から愛しいと思うようになっていたのだ。
まるで最初から約束されていたかのように、その感情は当たり前に存在した。
「いや。オレも貴様が好きだ」
はっきりとそう告げると城之内は一瞬驚いた顔をしたものの、次の瞬間には本当に嬉しそうな顔をして笑った。
その爽やかな笑顔に胸がドキッと高鳴る。まるでずっと以前から知っていたかのような笑顔だった。
不思議な感覚に苛まれていると、突然身体が拘束される。それが城之内に抱き締められているんだと気付くのに少し時間がかかったが、身体を包み込む体温に安心してしまい、その腕を振り解こうとは少しも思わない。
そのまま大人しくしているとますます強く抱き締められる。それが本当に気持ち良かった。
「何だか不思議だな…。海馬がこうして大人しくオレに抱き締められているなんて」
「そうか?」
「うん。何だか随分前からこうなる事が約束されていたような…そんな気分だ」
「奇遇だな。オレもそう思っていた」
そっと腕を伸ばして城之内の背に絡ませる。
あんなに憎んでいた相手だったのに、今はもう、そんな気持ちは微塵も無い。
ただ腕の中にいる男が、愛しくて愛しくて堪らなかった。
そう…。まるで約束されていたかのように。