城之内+海馬。
恋人未満(つーか、恋愛未満)の二人の話です。
色々と複雑な感情で、重いテーマに挑戦してみました。
夜中の一時を過ぎて、海馬がそろそろ眠りにつこうと寝室に入った時だった。近場に置いてあった携帯が鳴って電話の着信を伝えて来る。設定してあるメロディーからそれが城之内からの電話である事を理解した海馬は、早速携帯を手にとって通話ボタンを押し耳に当てた。
「どうした?」
開口一番にそう聞くと、電話の向こうで一瞬息を飲む気配を感じ、そして大きく深呼吸を繰り返しているのが分かる。城之内はこちらに気付かれないようにしているらしかったが、城之内の気配に聡い海馬に取っては、例え目に見えなくても些細な動作まで手に取るように分かってしまうのだ。
とりあえず城之内が何か言うまで黙って待っていると、ややあって電話口の向こうから『ゴメンゴメン』という明るい声が聞こえてきた。その声が無理に作られた声である事さえ簡単に分かってしまって、海馬は小さく溜息を吐いた。
『こんな遅くにゴメンな。ちょっと今日…お世話になりたいんだけど…。いい?』
「いいも悪いも関係無くどうせ貴様は来るのだろう? こんな時間に電話が来た時点でもう分かっている。どうでもいいから早く来い」
『ちょ…っ。どうでもいいとか言うなよなー。こちとら結構シビアな事になってんだぜ』
「それもとっくの昔に了承済みだから、早く来いと言っているんだ。今どこにいる?」
『えーと…。お前ん家の前』
「だったら早く入って来い!」
少々乱暴に通話ボタンを切り、窓辺に近寄って外を見ると、確かに城之内は門の前に突っ立っていた。
それを確認すると同時に足早に寝室を出ると、すぐに内線を掛けて出て来た使用人に門を開けるように伝え、そして自分は棚の上に置いてある救急箱に手を伸ばす。それを持ってソファーまで戻って来ると、テーブルの上に置いた救急箱を開けてその中身を確認した。消毒液、傷薬、湿布、ガーゼ、絆創膏…とこれから使うであろうものを一つ一つ取り出してテーブルの上に並べて、次に部屋付きの浴室に向かい温かいお湯で濡らしたタオルを持ってくる。
ある程度の準備を終わらせて「こんなものか」と海馬が呟いた時だった。私室のドアがノックされ、少し開いたそこから明るい金髪がヒョイッと覗き込んできた。
それにつられてドアの方に視線を向けると、相変わらず酷い様相の城之内が黙ってそこに立っていた。最初は少し哀しげな表情をしていた城之内だったが、海馬と目が合うと途端にニッコリと嬉しそうに笑って近寄って来る。
「あ、パジャマ姿だ。もう寝るとこだったんだな。マジでゴメン」
「別にいい…。お前の突然の来訪にはもう慣れた」
「でもさー。明日も会社あるしな。悪いからもう寝ちゃっていいよ。後はオレ一人でも出来…」
「グダグダ言ってないで早くそこに座らんか。明日も会社だって分かっているなら、あまりオレに手間をかけさせるな」
相変わらず突っ立ったままの城之内の腕をひっ掴むと、海馬はそれをグイッと引っ張って無理矢理自分の脇に腰掛けさせた。そして薄汚れた頬に両手を当て、若干俯きがちのその顔を自分の方に向けさせる。
「とりあえず顔の汚れを拭くからな。大人しくしていろ」
タオルを取り上げながらそう言うと、城之内は「うん」と素直に返事をして大人しく目を閉じた。
男らしい彫りの深い顔を汚している血や埃などを、温かいタオルで丁寧に拭っていく。そうする事で傷の規模や位置が正確に把握出来たので、今度はガーゼと消毒液を取り出した。
額と眉の上に結構深い傷が出来ていて、そこをなるべく優しく消毒液を浸したガーゼで拭っていく。唇の脇にも同じような傷があるのを見て取って、そこにも軽くガーゼを押し当てると途端に「っ…!」と城之内が呻いて身体をビクリと跳ね上げさせた。
「いてーよ、海馬。もうちょっと優しくしてくんない?」
「黙れ凡骨。オレはこれでも最大限に優しくしてやっている。男なら少し我慢しろ」
「酷いなぁ…。男でも痛いものは痛いんですー」
口ではそう不平不満を言うものの、城之内はそれ以上の抵抗をしようとはしなかった。そこからはただ黙って海馬の治療を大人しく受け入れている。
傷口に薬を塗り、大きい傷にはガーゼを当ててテープで固定し、軽い傷には絆創膏を貼っておいた。そして次に湿布に手を伸ばすと、それに気付いた城之内が黙って目の前でTシャツを脱ぎ捨てた。そしてそのままクルリと後ろに振り返る。
二の腕や肩や肩胛骨の辺り、そして背中から腰にかけての酷い内出血の痕に眉を顰めつつも、海馬は何も言わずに痣の上に湿布を貼っていった。そして最後の湿布を貼りながら、「今回はまた随分と酷いな」と口に出す。
その言葉に城之内が肩越しに振り返り、少し困ったように笑いながら応えた。
「あぁ…まぁ…うん。随分ストレス溜まってたみたいだしなー。流石のオレも今回はちょっとキツかった」
「オレの記憶に間違いが無ければ、貴様の親父は今頃地方への出稼ぎに行っている筈だが?」
「そうなんだけどさー。何か向こうの上司と一悶着あったらしくて、そのまま帰ってきちゃったんだって。それで帰ってくるなり早々に酒を飲み始めちゃったらしくてな。オレは丁度バイトに行ってたから詳しくは分かんないんだけど、多分夕方くらいからずっと飲んでたんだと思うよ。帰ってきたらもうベロベロでさー。何してるんだって叫んだら、それがまた気にくわなかったらしくて、もういきなり拳が飛んできてな」
城之内はまるで面白いドラマか映画を観てきたかのように、その場の状況を海馬に説明しだした。苦笑しつつ「いやもう、参ったよ」なんて言い、一見全く困ってなさそうに見えるのだが、それがまた痛々しいと海馬は思う。
アルコール中毒の父親に殴られたり蹴られたり酷い言葉を投げ付けられたりと、そういう理不尽な暴力を受けている事は、こんなに面白オカシク話す内容ではないのだ。
だけどそれと同時に、面白い話として処理しなければとてもじゃないがやってられないという城之内の心境も理解出来る。相手が実父と養父という違いはあるものの、海馬もまた似たような経験をしているのだ。
だから海馬はこんな時はいつも同じ対応しか取らない。
ただ黙って城之内の話を聞いてやる。それだけなのだ。
「でさー、流石にあの状態の親父がいる家には帰れない訳だ。いくらオレでもコレばっかりは無理! だから悪いけど今回も泊めてくれる?」
「構わん。好きにするがいい」
「やった!」
まるで子供の様に喜ぶその姿を見て、海馬はまた一つ溜息を吐いた。
城之内が父親の暴力から逃げる為に海馬のところに転がり込むのは、これが初めてでは無かった。
切っ掛けは一年程前の事。たまたま夜遅くに帰宅した時の事。信号待ちで停車中だったリムジンの中から何となく外を見ていた海馬は、真夜中の歩道を見知った男が足を引きずりながら歩いているのに気付いた。その男はそのまま脇の公園の中へと入っていく。
どうしてあの男がこんな時間のこんな場所にいるのか興味が出て来た海馬は、そのままリムジンを道路脇に止めさせると、車から出て公園へと向かった。
すっかり闇に包まれた公園の中には誰もいない。ただ水飲み場の方からバシャバシャと音がするので近寄っていくと、案の定城之内がそこで顔や手足を洗っていた。「城之内」と声を掛けると、すっかりびしょ濡れになった城之内が凄い勢いで振り返り、そして心底驚いたような顔を海馬に見せる。
「うわ…っ! びっくりした!! 何だ…海馬かよ!! 何でお前こんなところにいんの!」
「今日は仕事が忙しかったのでな。今まで残業していて漸く帰ろうとしていた途中だったのだ。それより貴様こそどうしてこんな時間にこんな場所にいる」
「えーと…オレは…。べ、別にオレはどうだっていいじゃないか」
「貴様が五体満足ならオレもそう思ったんだろうがな。あちこち傷だらけで、しかも足まで引きずっていたではないか。こんな状態の人間を見てどうでもいいと思える程、オレも人間が出来ていない訳では無い」
そう言いつつポケットからハンカチを取り出して唇の脇にこびり付いていた血を拭ってやると、城之内は観念したのか随分と大人しくなった。
「何があった…とかは聞かないんだな」
「貴様が聞いて欲しいなら聞いてやる」
「何だよソレ。随分偉そうだな。まぁ…お前は実際に偉いからそんな事が言えるんだろうけど」
「こういう場面で偉いとかそうでないとかは、余り関係が無いだろう。で、どうなのだ? 聞いて欲しいのか?」
「………」
海馬の問いに対して返って来たのは、最初は無言だった。だがあちこちの傷から滲み出てくる血を拭いつつ黙って待っていると、やがて城之内の口からポツポツと自分がボロボロになった経緯が零れ落ちてきた。
定職に就かず、酒を飲んでは暴れる父親との二人暮らし。何かの拍子に切れてしまうと、こうして実の息子に対して酷い暴力をはたらくのだと言う。
「今日はこれから帰るのか?」と聞くと、城之内はフルフルと首を横に振った。
「まさか。あんな状態の親父のところに帰ったら、今度こそ殺されちまうぜ。だから今日はこの公園で寝泊まりしようかなーと思って、ココまで来たって訳」
「抵抗は…しないのか?」
「抵抗? 何の? 自分の身を守る事くらいはしてるぜ」
「そうではなくて。反対に相手の身体を押さえつける…とか」
「………っ。あぁ! その手があったか! オレ全然気が付かなかった」
そう言って城之内は「ばっかだなー、オレ」と自虐気味に呟いて、そしてケタケタとおかしそうに笑っていた。
結局その日は城之内を連れ帰って邸に泊める事になったのだが、それからというものの、城之内は父親から逃げる必要がある日はこうして海馬邸に泊まりに来る事になったのだ。
あの夜の公園で出会った日、海馬は確かに城之内に「抵抗しろ」と伝えた筈だった。それを聞いた城之内も「その手があったか」と言っていた事から、それは既に了承済みだと思われたのだが…。毎回やってくる城之内の傷の具合を見る限り、どうやらその『抵抗』は一度も行なわれていないらしい。
それを見る度に、海馬は自分の中に苛立ちが湧き上がって来るのを感じていた。
どうして半分狂っている相手に好き勝手にさせているのだろうとか、自分の身を本当に守りたいと思っているなら抵抗するしか無いではないかとか、そういう事をつい口に出して言ってしまいたくなる。
だけれども。『息子』は『父親』に対しては本気でそんな事は出来ないのだ…という事もよく知っていた為、海馬は結局黙っている事しか出来なかったのだ。
床に殴り倒された際に出来たであろう腕の擦り傷に傷薬を塗りガーゼを当て、丁寧に包帯を巻いていく。最後に留め金で包帯を固定すると、「サンキュ」と言って城之内がニッコリと微笑んだ。
「いつも思うけど、お前って傷の手当て上手いよな」
「そうか。それは良かったな」
「投げやりだなー。せっかくオレが褒めてやってるっていうのに、もっと喜べよ」
「別に貴様に褒められても嬉しくは無い」
「そう言うなって。海馬、お前…。オレの傷の手当てすると、いっつも不機嫌なるよな」
「そうか? そんなつもりは無いが?」
「ほら、やっぱり不機嫌じゃん。何? オレがそんなにやられっぱなしになってるのが、そんなに気になるの?」
城之内の言葉に驚いて顔を上げると、ソレに気付いた城之内が至極嬉しそうに「ビンゴ!」と言った。
そして妙に優しい顔をして海馬を見詰め、少し迷ったように口を開いた。
「海馬、お前がどう思ってるか知らないけど、オレは別に好きでやられっぱなしになってる訳じゃ無いんだぜ? マゾじゃねーしな」
「………」
「ただ、どうしても『抵抗』が出来ないんだ。あんなクソ親父、どうなろうが知ったこっちゃないんだけどなー」
「………」
「一度だけ本気で殺してやろうかと思って、酒飲んでグースカ寝ている親父の首に手を掛けた事あったんだけどさ。どうしても締め付ける事が出来なかったんだ」
「………」
「それでオレは思った訳。何だかんだ言ったって、結局オレは親父の事を必要としてるんだなーってさ。認めたくは無いけどな」
「お前はそれでいいのか?」
「うん、まぁ…。本当は良くは無いんだろうけど。でも今のオレにはいい逃げ場も出来たしな。とりあえずコレでいいんだって思ってる」
城之内の言う『いい逃げ場』が自分の事を指しているんだと気付いて、海馬はわざとらしく大きな溜息を吐く事で相手に応えた。
呆れた風にしてみせても、海馬には城之内の言葉に反論は出来ないのだ。何故ならばそれは、自分が亡くなった義父に対して抱いていた想い、そのものだったから。
城之内の心情が理解出来る。だからこそ海馬は黙って城之内を受け入れる事が出来ているのだ。
海馬にとって、城之内を救う事は自分を救う事と同意義だった。未だにあの頃のトラウマを抱えたままの自分にとっては、同じ状況で悩み苦しんでいる城之内に手を差し伸べる事で、同時に自分自身の心さえも癒す事に繋がっていたのだ。
海馬はそれに気付いている為、城之内のSOSを無視する事無くいつでも受け入れてやっている。
そして城之内もそんな海馬の状態に気付いていた為、どんな真夜中であろうと必ず海馬を頼るのだ。
城之内と海馬が自分の…そして相手の心を救う為に相互依存症になってしまってから早一年。この関係はもう暫く続くだろう。だけどその関係も、少しずつ綻びが生じてきている。二人ともまだその事には気付いてはいないが、確実にその綻びは大きくなってきているのだ。
相互依存症だった城之内と海馬。
その二人の間に生じた綻びによって、ただの相互依存症が恋愛関係に発展するのは…もう暫く後になってからの事である。