城之内×海馬。
ちょっと大人になった二人の話。
ただ料理好きの城之内が書きたくて書いた話だともいう。
「お疲れ様でしたー!」
高校を出てから三年間、真面目に働いてきた会社での業務を本日も無事に終え、オレはタイムカードを押す。
業務員用出口を出ると、外はシトシトと春先の冷たい雨が降っていた。
オレはそれを見て軽く溜息をついてしまう。
こんな日は、必ずオレの家に客が来るからだ。
わざわざ雨の日を選んで訪問してくる卑怯者が。
そう言えば、前にアイツが来てから丁度一ヶ月が過ぎようとしていた。
どうせもうそろそろなんだろ? と思い、オレは覚悟を決める。
傘を広げながら、帰り際にスーパーに寄って何か食材を買い足すか…と色々考えてみる。
真面目に働いてきたお陰か、オレは貧乏という状況からの脱出に成功した。
昨年には貯まった金でアパートも借りて一人暮らしも始めている。
1DKと狭い部屋だが、オレにとっては初めて手に入れた自分だけの城だった。
その狭い部屋に来客が来るようになったのは、オレが部屋を借りてすぐの事だった。
ある日の夜、どこから嗅ぎつけたのか宿賃代わりの高級な洋酒を一本手に持って、黙って玄関に立っていた。
…ずぶ濡れで。
オレはアイツのそんな姿を見た事無かったから、最初は驚いてあれやこれやと世話を焼いていたんだけど、その内それがわざとなんだと気付いてしまった。
オレがその事に気付いた事実に向こうも気付いたくせに、アイツはそれでも一月に一回はオレの所にやって来る。
酷い時には二回とか三回とかあるけど、来訪する理由を知っているオレにとっては回数なんて問題じゃなかった。
スーパーに寄ったオレは、いつもじゃ買わないようなちょっと質がいい製品をポンポンとかごの中に入れまくる。
社会人になってオレもそれなりに舌が肥えたと思うけど、今から来る予定の奴の舌はそれどころじゃないからな。
冷蔵庫に残っている食材も考えつつ、まず野菜コーナーでレタスとフルーツトマトを購入する。
続いて肉コーナーに行って鳥のもも肉をかごに放り込み、次に乳製品のコーナーに行って奴の好きなチーズを物色する。
スモークチーズはまだ有った筈だからと、ブルーチーズとモッツァレラチーズを選んでそれも放り込む。
その足で保存食コーナーに行ってツナ缶とオリーブの瓶詰めもゲットすると、レジに行って精算を済まして外に出た。
外は相変わらず静かな雨が降っていて、オレは少し急ぎ足で自宅までの道を歩いた。そしてアパートの近くまで辿り着いた時、近くの街灯の下に長身の人影が佇んでいるのに気付く。
あぁ、やっぱりなぁ…と思いつつ、それに近付いて頭上に傘を差してやった。
「こんなところで何やってんだよ。またビショビショになりやがって…。オレを待つ時は部屋の前でいいっつったろ?」
オレの言葉に目の前の男は顔を上げて、その青い瞳でオレを見た。
「あまり…他の住民に迷惑になるような事はしたくない…」
普段から他人に迷惑かけまくってる奴が何を言うかという台詞を吐いて、海馬は寄りかかっていた街灯から身を起こした。
海馬の腕を引いて部屋のドアを開ける。まずオレだけ先に入って、バスタオルと何故か常備されている海馬の着替えをタンスから取り出して、それを纏めて玄関先で突っ立っている濡れ鼠に放り投げてやった。
「とにかくシャワー浴びてこい。湯の貯め方は分かるだろ? あ、コートはこっちに寄越せってば」
オレの言葉にコクリと頷いてコートを手渡し、海馬はそのまま風呂場に直行した。
玄関の土間には一本の高級白ワインがポツンと置いてある。どうやらこれが今日の宿賃らしい。
それを掴んでオレは台所に行く。
まず壁のハンガーにコートを掛けてやり、ワインクーラーに氷を入れて、掴んでいたワインを突っ込んでやった。
そして冷蔵庫の中を探っていくつかの食材を取り出し、今日買って来たものと一緒に流しの上に並べる。
まず常備してあったタマネギを千切りにして、冷たい水にさらした。
次に買ってきた鳥のもも肉を一口大に切って塩胡椒で軽く味付けをし耐熱容器に並べる。
その上にパン粉とパルメザンチーズと乾燥バジルを混ぜたものを振りかけて、そのままオーブンの中に入れてスイッチを入れる。
次にオレは海馬お気に入りのシーフードサラダを作る事にする。
鍋に水を張ってお湯を沸かしながら冷たく冷えたレタスを千切り、フルーツトマトも一口大に切ってしまう。
ツナ缶とオリーブの瓶詰めは予め油を抜きつつ、沸いたお湯の中に冷凍庫の中にあった冷凍イカと小エビを放り込んで茹でた。
レタスとトマトと辛みを抜いたタマネギをサラダボウルに入れ、油を抜いたツナとオリーブもその上に散らす。
茹で上がったイカとエビもザッとお湯を切って暖かいままサラダの中に放り込み、少し甘めのドレッシングを掛けて軽くかき混ぜる。
まだほんのりと温かいイカやエビが美味しいらしく、このサラダが無いと海馬の機嫌が悪くなる為これだけは忘れないようにしていた。
サラダで使わなかったフルーツトマトをスライスして、同じように買ってきたモッツァレラチーズもスライスしてトマトに挟む。
それを皿に並べて、オリーブオイルを垂らして上から岩塩を散らした。
ついでに買ってきたブルーチーズや、冷蔵庫に残ってたスモークチーズやスモークサーモンも綺麗にスライスして皿に並べる。
そうこうしている内に鶏肉が焼けて、皿ごとオーブンから取り出すとテーブルに並べた。
最後にバケットをスライスして、パン籠に入れておく。
テーブルの上にずらりと並んだ料理やワインに、オレは「どうだ!」と一人得意気になる。
元々料理は上手な方だったけど、海馬が泊まりに来るようになってからはより上手くなっていた。
小皿やワイングラスを用意して並べていると、丁度海馬が風呂から上がって来てキッチンに入ってきた。
雨に濡れて真っ青だった顔色は今やほんのりピンク色になって、いつもの白いパジャマを着込んでいる。
「ほら、いいからそこに座れよ」
オレの向かいの席を指さすと、海馬は黙ってそこに腰を下ろした。
ワインの栓を抜いて、目の前のグラスに冷たい白ワインを注いでやる。
自分のグラスにも同じように注いで席に着き「んじゃ、乾杯」とグラスを向けると、向かいの海馬も同じようにグラスを向けて軽く触れ合わせ「乾杯」と小さな声で言った。
ワインを一口飲んで焼きたての鶏肉を口に入れると、熱くてジューシーな旨味が口一杯に広がって、思い通りに出来たそれにオレは満足する。
前を見ると海馬がシーフードサラダを黙々と食べていたが、文句が出ないところをみると、どうやらそっちもちゃんと美味く出来たらしい。
お互い暫く無言でワインを飲みつつ料理を口に運んでいたが、海馬がちらちらとこっちを見てくるのでオレは仕方無く声をかける。
「んで、今回はどちらのお方にどのようにフラれたんですか?」
その問いに租借していたエビをワインで流し込んで、海馬がばつが悪そうに答えた。
「C社の営業部長だ…」
「C社っつったら結構いいとこの会社だよなぁ。年は?」
「44歳」
「まーたおっさんかよ。で、あちらは何て?」
「『僕は君に本命がいる事に気付いてしまった…。それを知ったからにはもう君を今までのようには愛せない。だから別れてくれないか』だと」
「はぁ…。またいつものパターンな訳ね」
そうなのだ。海馬はこうやって恋人にフラれる度にオレの所にやって来る。
しかもフラれた直後にそのまま来る事はない。いや、フラれた直後に来た事もあるんだろうけど、大抵はこういう雨の日を選んでやって来る。
雨に濡れて(冬なんかは雪に塗れて)ウチに来れば、そのまま風呂へ直行させられるのは必然的だろう。
風呂から上がって着替えてついでに夕食なんかも一緒に済ませてしまえば、時間も時間だし今日は泊まるか? …となる。
そして海馬はまんまとオレの家に泊まる事に成功する訳だ。
まったく卑怯な野郎だぜ!
オレがそれ以外のパターンを行使しないのを知ってやがるんだ。
それにしても…と思う。
こいつがこうやって中年や壮年のおっさんしか恋人にしないのには理由がある。
幼い頃に実父または義父に思いっきり甘えたり頼ったりする事が出来なかったトラウマによる一種のファザコンって奴なんだな、コレは。
と言っても、別にコイツの方から誰かに告白したなんて事は無い。
今までの恋人は皆向こうから「自分と付き合ってくれないか?」と告白してくるんだそうだ。
別に断わる義理もないし取りあえず恋人として付き合うも、一ヶ月も経つ頃には向こうの方が違和感に気付いてくる。
そして告白した方から別れの言葉を切り出し、海馬はフラれる形となる訳だ。
別に海馬が相手に対して冷たく当たってるという訳では無いらしい。
恋人として付き合っている期間は浮気もしないし、海馬は海馬なりに誠心誠意でお付合いをしているだそうだけど…。
でも、オレは知っている。コイツにちゃんと本命がいる事を。
しかも相手はおっさんじゃなくて同年代。高校時代からずっと変わらず好きで居続けている。
オレも高校を卒業するまでは全く気付かなかった。卒業後もコイツと関わり続けている内に何となくそんな気がしてきて、ここ一年はその予感は確実なものとなっている。
だけど海馬はその相手には自分の想いを告白しない。どうせフラれるだけだと思っているらしい。
こういうところもまた卑怯だとオレは思ってしまうのだ。
本当は待っててやろうと思っていた。そう思ってずっと我慢してきたけどオレはそろそろ限界で、今日こそは言ってやろうと静かに決心をする。
「お前さ、やっぱ卑怯だよな」
オレの言葉に海馬が顔を上げた。
「何だ? 突然…」
「突然じゃねーよ。オレはずっと思っていた。何で本命いるくせに他の奴と付き合ったりするんだよ」
「それは…お前には関係ないじゃないか」
「そうだな、関係無いな。でもフラれる度にこうやって泊まりに来られる方の身にもなってみろよ」
「迷惑…なのか?」
「別に迷惑って程じゃないけど。大体さ、好きな奴いるならなんで相手に告らないんだ?」
「それこそお前には関係が無い。思いを告げたところでどうせフラれるだけだ」
「そうだよなー。お前はそういう奴だよ。想いを受け止めてくれるかどうか分からない本命より、確実に自分を好きになってくれたおっさんを相手にする方が楽だもんな。だから卑怯だって言ってんだ、オレは」
「い…今更そんな事…」
「だから今更じゃ無いんだって。大体さぁ…。オレがホントに気付いてないと思ってんの? お前の本命にさ」
カチャンッ…とフォークが小皿に落ちた音がした。
オレの言葉に海馬が明らかに動揺してしまっているのが見える。
チャンスだと思った。今を置いてこの状況を打破する機会はない筈だと。
すかさずオレは畳みかける。
「お前がさ、フラれる度にオレの所に来るのも、それが都合の良い言い訳になってるからだろ? 何の理由も無いのに突然泊まりに来る訳にはいかないもんな」
「な…にを…」
「オレはさ…もう気付いてるぜ? お前がこうやって『本命』に会いに来てるって事をな」
オレの最後の言葉を聞いた瞬間海馬はサーッと真っ青になって、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がり壁に掛かっていたコートを羽織ると、そのまま真っ直ぐに玄関に向かってしまう。
「海馬! 待てよ!」
オレは慌ててそれを追って、玄関でアイツの腕を捕まえてやった。
「そんな格好でどこに行くんだ!」
「は…離せ凡骨!」
「離さねーよ! まだ話は終わってないだろ?」
「お前が気付いていたのなら尚更だ! 話はもう終わっている! 今まで迷惑を掛けてすまなかったな。もう泊まりには来ない!」
「ちょっ…! なんでそうなんのよ」
「どうせ今までオレの気持ちを馬鹿にして嘲笑ってたんだろ? 男が男を好きになるなんてオカシイってな!」
「そんな事思ってないってば!」
「オレは貴様がノーマルだからこそ安心して泊まりに来てたんだ! 何も進展する筈がないから、せめて友人として慰めて貰おうと…!」
「知ってるぜ。だから黙って泊めてやってたんじゃねーか!」
「それが…気持ちに気付いていただと!? 知っていて黙って泊めていただと!? どこまで貴様は…っ!」
海馬は突然言葉を途切れさせると、そのまま壁に沿ってずるずると滑り落ちて床に蹲ってしまった。
「どこまで…貴様は…オレに恥をかかすつもりなのだ…っ!」
ていうか、コイツはもう…。ほんっと馬鹿だねぇ…。
膝に顔を埋め震える声でそう言った海馬の頭を、オレは優しく撫でてやった。
ピクリとそれに反応したのを見て、オレは静かに言ってやった。
「恥だなんて思うなよ。まだ告白もしてねーのに分からないじゃないか」
「結果など…分かりきっている…」
「この卑怯者め。やる前から諦めてんじゃねーよ。いいから告ってみなって。相手も意外と待ってるかもしれねーぜ?」
オレの言葉に海馬がそろりと顔を上げた。
あーあ…涙でグショグショじゃねーか。なんだコレ、可愛いな。
濡れた青い瞳を見詰めて微笑んでやったら、途端に目の前の顔が真っ赤になる
その顔を見て「ほら、早く」と急かしてやったら、聞き取りにくいけど小さな声でボソリと呟いた。
「城之内…。す…好き…だ。もう…ずっと…前から…好きだった…んだ…」
「うん。オレもずっと待ってた」
答えてそのまま目の前の唇にかぶりついてやった。
ずっとずっとこうしてやりたかったんだと知らしめてやる為に、舌を押し込んで海馬の口内を無茶苦茶にかき回して、口の端から零れる唾液も全部勿体無いと思って吸い上げてやる。
海馬は小さく呻いて、何時の間にかオレの背に回した腕で力強くしがみついていた。
随分長い事唇を擦りつけ合って、オレ達は漸く満足して身体を離す。
目の前の顔は真っ赤だったが、もう泣いてはいなかった。
その耳元に唇を寄せて、わざと低く囁いてやる。
「で? 今日はもう帰るの? それとも泊まってく?」
オレの意地悪な問いかけに海馬はキッと睨み付け「お前の方がずっと卑怯ではないか!」と叫ぶ。
いいじゃん。卑怯者同士で丁度いいと思うぜ? オレは。
すっかり力の抜けた海馬の身体を支え、オレ達は再び部屋に戻っていった。