城之内+海馬。城之内の一人称。
秋のお彼岸の時期に咲くあの赤い花の物語です。
ちょっと生命力の輝きが希薄な海馬が出て来ます。
今日は一緒に帰る? と聞いたオレに、海馬は口元に笑みを浮かべて黙って頷いた。
もう大分前からになるけど、オレと海馬はこうして時々一緒に下校したり、たまにお互いの家に入り浸ってみたりするようになっていた。切っ掛けはオレの方が海馬に近付いた事だったけど。
本当はずっと嫌な奴だと思っていた。けれど、バトルシティでのコイツの勇姿とか、三千年前のエジプトでの前世の姿とか(本人はこの事を言われると盛大に嫌がるが)、あとアテムを共に見送った時の事とか色々あって、気付いたら別に嫌でも何でも無くなっていた。それどころかオレは随分と海馬の事が気に掛かるようになっていたんだ。そういう風に気に掛けて好意的な目で見てみれば、今まで見えて来なかった海馬の側面が見えて来る。新しく見直した海馬の印象は、また何て言うか物凄く希薄な存在だった。
いや、存在感はバリバリにある。あんなに目立つ奴はいないと思うくらいだし、本人もかなりの目立ちたがり屋だしな。ただ何て言うんだろう。命が感じられない。他の人間が持っている生命の輝きって奴が感じられないんだ。
バトルシティで本格的に立ち直った海馬が、とんでも無く大きな夢を抱え世界に進出していったのは良く知っていた。その夢を実現させる為の行動力は本気で凄いと思っていたし、感心もしている。
でもさ、普通の人間ってまず命ありきだろ? 自分の命があって、そこで初めて夢が発生する。自分の命を抱えて、その上で自分の夢を実現させる為に頑張っていくもんだ。だけど海馬はそうじゃなかった。海馬にとってはまず最初に夢があって、命なんてその夢を実現させる為のただの付属品でしか無かったんだ。だから生命の輝きが感じられない。凄く…存在自体が希薄に感じられる。
オレはそんな海馬を放っておけなかった。
その頃になるとオレもかなり海馬を好きになっていたし、以前感じていたような嫌悪感は全く残っていなかった。だから自分から海馬に近付いたんだ。
最初は一方的にオレが喋り倒すだけだったこの関係も、やがてオレに心を許した海馬が応えるようになって大分様相が変わってきた。最近では向こうからコンタクトを取ってくる事も珍しくない。こうしてオレ達は時間があれば顔を付合わせ、お互いにとって重要な事から、何て事は無い下らない話まで色々するようになっていた。海馬がオレと一緒に下校する為にリムジンでの迎えを断わって、たまに徒歩で帰るようになったのもこの頃からだった。
秋の夕暮れの街を二人で歩く。もう大分日は短くなって、西日が長く二人分の影を背後に引っ張っていた。近道だと言う事で河原の土手に上がって歩いている為、前後左右遮るものが何も無い。真っ赤な西日を右斜め前から浴び、今日最後の陽光にきらきら光る川面を眺めながら黙々と歩く。いつもだったら何かしら喋りながら歩いているのに、何故か今日は何の話題も出て来なかった。
何となく気不味いなぁ…とオレが思った時だった。ふと、隣を歩いていた海馬が立ち止まって、じっと何かを見詰めていた。何かと思ってその青い視線の先を辿ると、河原の一角が真っ赤に染まっているのが目に入る。「なんだあれ」とオレが呟くと海馬は「ふむ…」と少し悩んで、そして急ぎ足で歩き出した。そして数メートル先にあった河原へと繋がっている階段を降りて、そのまま下に行ってしまう。赤い何かに誘われるように近付いて行っている海馬を見て、オレも慌ててその後を付いていった。そして近付いてみて、その赤い何かの正体が漸く分かった。
それは怪しいほどに美しく咲き誇る彼岸花の花畑だった。
こんな花、いつの間に出て来たんだろう? 何度もここを通っているのに全く気付かなかった。
「美しいな…」
呆然と真っ赤に咲く花々を見ているオレの横で、海馬が感心したようにボソリと呟いた。ただでさえ血のように真っ赤なその花は、秋の夕日に染められてますます赤く輝いている。
物凄く…幻想的な風景だった。
「これって、彼岸花…だっけ?」
語りかけるようにそう呟いたら、海馬はこちらを振り返ってコクリと一つ頷いた。
「そうだ。よく知っていたな」
「まぁ、いくらオレだってこのくらいは…」
「別名は曼珠沙華とも言う。仏教用語だがな。他には死人花とか地獄花とか幽霊花とか…」
「余り縁起が良くない名前ばっかだなー」
「彼岸の時期に突然現れて派手な花を咲かせたと思ったら、再び突然消えていくのが当時の人間にとっては気持ち悪かったんだろうな」
「確かにちょっと気味悪ぃ…」
「そうか? オレは結構好きだがな」
そう言うと海馬は穏やかな表情で足元の真っ赤な花々を見詰めていた。オレもそれに習って黙って彼岸花を見詰める。川から吹いてきた冷たい風が二人の間を通り抜けていった。
オレ達が今いる世界は、怖い程に赤い赤い世界だった。
西の地に落ちる寸前の太陽の赤い光、その光を受けて水面を赤く染め上げている大きな川、そしてその光に包まれてより赤い花を咲かす彼岸花の群れ。美しい世界だとは思ったけど、何だかちょっと恐ろしかった。ブルリと背筋を奮わせて、足元の彼岸花から目の前の海馬に視線を戻す。そしてオレは驚いた。
海馬が赤く染まっていた。真っ白な肌に西日を一杯に受けて、冷たい風に栗色の髪を靡かせている。夕日の赤と、川面からの反射光の赤と、そして足元の彼岸花からの赤と…。まるで海馬を包み込むように、全ての赤が飽和していた。
「海馬…っ!!」
「………っ!?」
足元の彼岸花を蹴散らすように走り寄って、慌ててその細い身体を抱き締めた。何故だか…どうしても今、コイツを抱き締めておかないとダメなような気がした。そうしないと不安で不安で仕方が無くて、我慢する事なんか出来なかった。
オレに抱き締められた海馬は驚いて暫く固まっていたが、やがてハッと気付いて腕の中で暴れ始める。
「き…貴様! 突然何だ!?」
「ゴメン! お前が消えちゃいそうな気がして…!!」
「は…?」
海馬には笑われるかもしれないけど、オレには本気で海馬が消えてしまうように見えた。あの赤い世界に包まれて、そのまま連れて行かれるかと思ってしまった。生命の輝きが感じられない海馬。存在が希薄な海馬。命ある者なら簡単に抗える彼岸への招待を、コイツが抗えるとは到底思えなかった…。
この手でその存在を抱き締めてもまだ安心出来ず、オレはそのまま海馬を強く抱き続ける。それに苦しそうに海馬が身体を捩るけど、腕の力を弛めることはしなかった。
「苦しいぞ…城之内」
「ゴメン…。だけどもう少しこのままで…」
「一体何だと言うのだ」
「お前が連れていかれると思って…」
「連れて…? 何にだ」
「分かんない…。分かんないけど、何か知らない何かに知らない場所へ連れて行かれるような気がしたんだ」
「何だそれは。相変わらず理解不能だな、お前は…」
呆れたように海馬がオレの肩口で溜息を吐く。だけどもう、それ以上の抵抗はしようとはしなかった。オレはそれに安心して、ほんの少しだけ腕の力を弛めた。せめて海馬が苦しくないようにするけど、それでもまだ抱き続ける。この身体を離そうとは…思えなかった。
「ずっと思ってた事なんだけど…。お前ってさ、存在が薄いよな」
完全に日が沈んで徐々に暗くなっていく世界をこの目で捉えながら、そう海馬の耳元に囁いた。オレのその言葉に、海馬は心底不思議そうに首を傾げてみせる。
「そうなのか? 結構派手に動いているつもりだが…」
「あぁ、うん。そういう意味では派手だしよく目立ってるよ。オレが言ってるのはそういう事じゃない」
「意味が分からんな。ではどういう意味だ?」
「それが…オレにも上手く説明出来ないんだよ。ただ何て言うか…命が感じられない」
「命だと? オレは普通に生きているつもりだが…」
「うん。海馬は間違い無く生きているよ。だけど生きていこうとする気力が感じられない。生命の輝きが全く感じられない。生きていく為に夢を実現するんじゃなくて、海馬の場合は夢を実現する為に命がある感じだ」
「………」
「そういうのってさ、見てて凄く不安になる。実際オレはずっと不安だった。いつかお前がパッタリ目の前から消えていってしまうんじゃないかって…不安だった」
そうだ。オレはずっと不安だった。
まるでこの彼岸花のように、突然目の前に現れた海馬。何の前触れも無く派手な花を開かせて、その強烈さに目を奪われた。だけど彼岸花の寿命は短い。今は間違い無くこの腕の中に存在している海馬だけれど、まるでこの花の運命のように突然オレの目の前から消えてしまったらどうしようって…ずっとそう思っていた。そう思って…凄く怖かった。
「好きだよ」
突然零れ落ちたオレの言葉に、腕の中の海馬が身体を硬くした。こんな事言うつもりなかったんだけど。何か今ここで言わなくちゃいけないような気がして、つい言葉にしてしまった。一瞬しまったって思ったけど、出てしまったものは仕方が無い。こういうのを後悔するのは好きじゃないんだ。
「オレ、お前の事が好きなんだ」
「………っ。それは…いつから…だ」
「分かんない。最初からはそうじゃなかったと思う。でも今それに気付いた」
「今か!?」
「今だろうが前からだろうが、そんなのは関係ねーよ。好きなもんは好きでいいじゃねーか」
「だが…お前…っ」
「好きなんだから仕方無いだろう? とにかく! オレはお前の事が好きなの! 好きだからお前がオレの目の前から消えるのが嫌なの!! だから抱き締めて捕まえた…それだけの事だ」
オレの言葉に海馬はすっかり黙り込んでしまった。ただ、相変わらず大人しくオレの腕に抱かれたままになっている。今コイツは男から愛の告白を受けて、その相手に抱き締められているって事をちゃんと分かっているのだろうか?
嫌なら逃げろよ…と思いつつ、少し身体を離して海馬の顔を覗き込んだ時だった。思いがけず海馬がクスリと笑みを零したのが目に入ってくる。
「ふっ…くくっ…。相変わらず…即物的な男だな…貴様は」
「海馬…?」
「好きだと思ったから即行動とは…。流石というか何というか、オレにはとても真似出来ん」
「えーと…? 海馬?」
「数週間悩んだ自分が馬鹿みたいだ」
心底面白そうにそう言い放った海馬を見詰めつつ、オレはその言葉の意味を理解するのに大分時間を要した。気付いた瞬間に顔が一気に熱くなっていったのが分かる。余りの衝撃にあわあわと意味不明な言葉しか出ないオレを見て、海馬がまた笑いながら口を開く。
「城之内、彼岸花みたいな色になってるぞ」
「へ? な、何が?」
「顔の色が…だ。真っ赤になっている」
もうとっくに日は落ちて辺りは真っ暗だというのに、海馬は土手の街灯の僅かな光を頼りにオレの顔色を見てそう言った。それにまた少し悔しくなって、もう一度今度はわざと力を入れて細い身体を抱き締める。さっきと同じように苦しいと文句を言われたけれど、これは仕返しだから力を弛めてやるなんて事はしない。ただ漸く…安心した事は確かだった。初めて海馬の存在をこの手で確かめられたような気がした。
「消えるなよ」
ギュッと愛しい人を抱き締めながらそう言った。それに対して海馬はオレの背に腕を回しながら「だから何がだ?」と問いかけて来る。
「オレの目の前から突然消えるなって言ってんだ」
「別にそんな事しようとは全く思っていないが?」
「思ってようが思ってなかろうが、そんな事は関係無いの。だってお前の希薄さは相変わらずで、今にも消えそうになってんだからさ…」
「だったら…お前が何とかしてくれ」
「え…?」
「オレに生命の輝きが感じられないと言ったな。だったら貴様がその手で、オレにそれをもたらせばいいだろう。オレに命を取り戻させるのは、城之内…貴様の役目だ」
海馬の余りの言いように一瞬呆れたけど、でもそれが一番良いと思ったのも事実だ。だからオレはその言葉に黙って頷いて、海馬の顔を引き寄せた。秋の夜風にすっかり冷たくなった唇に口付ける。オレの熱いくらいの温度が移って、冷たい唇が温かくなるまで…。
足元には彼岸花の花畑。だけどあれほど派手に赤々と輝いていた花々は、今は夜の闇に紛れて目に見えない。あの赤い世界から海馬を取り戻す事が出来たんだと、オレは心からそう感じながら愛しい身体を抱き締めた。
もう二度とこの男が攫われそうになる事が無いように、強く…強く…。