Text - 短編 - Hypnotism(前編)

城之内×海馬。
海馬の一人称です。

 




「ねぇねぇ、海馬君~!」

 久しぶりに学校に来てみれば、遊戯を中心とした例のお友達連中が何やらまたくだらない事をやっていた。
 窓際の席でわいわいと騒いでいるのを横目に、オレは何時も通り鞄に入れてきた書類に目を通す。
 重要な案件とそうでないものとに分けながら、この後の自分の予定にも頭に張り巡らす。
 今日は午後から会議があるから学校には最後までいられない。
 昼休みに入ったら速攻下校して、そのまま会社に行って会議の準備だ…とオレが考えていた時だった。
 遊戯のお友達連中の一人で、あの漠良とかいうオカルト男がオレに向かって話しかけてきた。
 返事をするのも鬱陶しいので無視していたら、それでも漠良は「ねぇ~、海馬君ったら~」としつこく話しかけて来ていた。
「何だ? オレは今忙しいのだが」
 余りにしつこいのでついそう反応してしまったら、漠良はオレの目の前で嬉しそうに顔を綻ばせた。

「ねぇねぇ、今みんなで催眠術やってるんだけどさ。海馬君も混ざらない?」
「催眠術…? ふん、くだらん」

 流石オカルト男。やる事が本当にくだらない。
 オレはそんなものには興味も何も無いし、ましてや信じてもいない。
 プロの精神科医がそういう手を使って患者を治療するという話もあるから、この世に催眠術というものが無いとは言い切れないが、少なくてもオレはそんなものには引っかからない。
 あんなものは頭の構造が単純な人間がかかるものであって、オレには何の関係も無い筈だ。
 ましてやそういう人間の精神に深く関わるような術は卓越した精神科医や精神学者がやるべきものであって、こんな一介の高校生が出来るような簡単なものでもない。

「オレは貴様等のごっこ遊びに付き合っているような暇なぞ無い。あっちへ行け」
「そう言わないで、ちょっと付き合ってよ~。僕結構上手なんだよ~」
「しつこいぞ、漠良!」
「あ、やっと僕の名前呼んでくれたね~。ありがと、海馬君」
「っ………」
「ねぇ、五分だけでいいんだよ~。お願い、海馬君!」

 笑顔で手を合わせて深く頭を下げる漠良を見て、オレは深く溜息をついた。
 どうあってもこのオカルト男は諦めるつもりは無いらしい。
 どうせ手元の書類を見るのにも飽き始めていた頃だったし、仕方無くオレは書類を机の上に放り出して立ち上がった。
「五分でいいんだな?」
 そう言ったオレに、漠良は至極嬉しそうに微笑んで頷いた。


 漠良に連れられて窓際まで連れて来られたオレは、まるでそれを待っていたかのような遊戯に椅子を勧められそこに座った。
「協力ありがとうね、海馬君」
 ニコニコと笑いながらそう言う遊戯を軽く睨み付ける。
 だが奴はオレの睨みなどまるで意に関せず、オレの椅子と向かい合うように置かれた椅子に城之内を座らせていた。
 ん………? 城之内だと…?
 何故城之内なのだ?
 ていうか、何故城之内と向かい合わせに座ってなどいるのだ?
 奴らのやっている事の意味が分からずに頭に疑問符を浮かべて眉を顰めたオレに気付き、遊戯がゆっくりと説明を始めた。

「実はね~。漠良君が最近催眠術に凝ってるって話を聞いた時からやろうと思ってたんだけどね。君達って凄く仲悪いでしょ? だから催眠術でもやって無理矢理にでも好意を持って貰えば、その内本当に仲良くなってくれるかな~って思って」

 ゴメンね海馬君などと言いながら、遊戯はエヘヘと笑っていた。
 エヘヘではないわ、この馬鹿者が!!
 このオレが凡骨と仲良くなるだと!?
 夢物語もいい加減にしろ!!
 憤慨して立ち上がろうとしたオレの肩を、遊戯が上から押さえつけてもう一度椅子に座らせられてしまった。
 くっ…! コイツ…小さい癖して結構力がある…っ!
 それでもこんな茶番劇には付き合いきれないと、せめてオレと同じように思っているであろう目の前の人物に助けを求めた。
 凡骨に同意を求めるなど癪だが、奴だってきっとオレと仲良くしたいなんて思ってないに決まっている。
 だが意外にも、凡骨は渋い表情をしたまま大人しく椅子に座っているだけだった。

「おい、どうした凡骨! 貴様も何とか言え!!」
「別に…」
「別に…?」
「別にオレは構わない」
「何を言っている? 貴様はオレの事なんぞ嫌いな筈だろう? 嫌いな相手と無理矢理仲良くさせるなんて、馬鹿げていると思わんのか!?」
「あのな、何を勘違いしているか知らねーけど、オレは別にお前の事嫌いな訳じゃないんだぜ? ただちょっと気にくわないだけでさ…」
「それを嫌いと言うのではないのか!?」
「嫌いじゃない! 気にくわないだけ!! あとちょっとムカつくだけだ!!」
「だからそれが嫌いなのだ!! 貴様も分からないヤツだな!! 自分の感情すら理解出来ないのか、この凡骨が!!」
「凡骨って言うなよ!! 分かってないのは海馬の方だろ!? 大体オレの感情をお前が勝手に解析するなよな!!」

 いつもの通りギャーギャーと言い争いを始めてしまったオレ達を、遊戯と漠良が慌てて止めに入った。
 こんな調子で顔を付き合わせれば喧嘩ばかりしてしまって、こんなオレ達が仲良くなんてなれる筈が無いじゃないか。
 この関係性に関しては、オレはもう諦めてしまっている。
 多分オレと城之内は、根本的に合わないのだ。
 オレが白と言えば城之内は黒と言い、オレが右と言えば城之内は左と言う。
 合う筈が無いのだ、最初から。
 すっかりむくれて睨み合っているオレ達を呆れたように見ながら、遊戯が口を開いた。
「まったく…。そんな君達だから僕らは催眠術を使ってでも仲良くなって貰いたかったんだよ。はい、手貸して」
 そしてオレと城之内の手を取って、お互いに両手で握手させるような形に触れ合わせた。
「これで少しでも喧嘩が減れば、僕達も安心するんだよ。だからちょっとだけ協力して。ね?」
 こちらの方の遊戯にこう言われてしまうと、断わるに断れない。
 コイツはそれを知っていてわざと利用してくるのだから、始末に負えないのだ。
「んじゃ、二人とも目を瞑って~。黙って僕の言葉を聞いてね?」
 漠良の暢気な声にチッと小さく舌打ちをして、オレは渋々目を瞑った。


 瞳を閉じた闇の中に、漠良の声が深く響いてくる。
 コイツの声は不思議と脳内に響くような不思議な性質を持っていた。

 海馬君。城之内君。
 一週間だよ。この効き目があるのは今から一週間だけ。
 一週間だけ君達は互いに好意を持つ事が出来る。
 僕が植え付けたこの偽物の好意を足場に、一週間過ぎたら君達は本当の好意を相手に持つ事が出来るんだよ。
 それは絶対に不可能じゃない。
 今握り合っている手から伝わる体温の様に、きっと気持ちも伝わる事が出来るよ。
 次に目を開けたら、目の前にいる相手に好意を持ってる筈。
 だからその気持ちを忘れないで。
 一週間過ぎてもきっと好きでいる筈だから。
 自分の持っている本当の気持ちを相手に伝えてあげて…。

 ゆらゆらと重い水を掻き回すような言葉の羅列に、オレは次第に意識を捕らわれていく。
 あぁ、確かにこのオカルト男には催眠術の才能があるようだな…と、オレはどこか冷静な気持ちでそんな事を考えていた。
 城之内の手と絡み合っている己の手が熱い。
 これは、普段他の人間より体温が低いオレの熱ではない。
 この熱は…城之内の体温だ。
 じわりじわりと浸透してくる熱に、奴の脈動まで聞こえて来そうだった。
 その熱にこのまま意識が持って行かれそうになったその時、突然『パンッ!!』という音がしてオレは思わず目を開けた。
 目の前には同じように驚いた表情のまま固まっている城之内の姿。
 目を強く瞑っていた為に世界が若干青みがかって見えて、その青い世界に鮮やかな金髪の男が黙ってオレを見詰めていた。

「どう? 少しは効いたかな?」

 両手を合掌した時のように合せている漠良を見て、さっきの音はコイツが手を打ち鳴らしたんだと気付く。
 漠良にそう言われて改めて城之内を見てみるが、どうやらオレの気持ちは先程と全く変わってはいないようだった。

「別に。何も変わっておらん」
「え~? ちょっとだけでも変わってたりしない?」
「しないな」

 呆れたように言い捨てて、オレは椅子から立ち上がった。
 丁度それを待っていたかのように始業のチャイムが鳴ったので、オレはそのまま振り返ることもなく自分の席へと帰って行く。
 くだらん。本当にくだらない事に貴重な時間を潰してしまった。
 オレは机の上に放り出したままだった書類の束を鞄に突っ込むと、授業の為に入ってきた教師と入れ替わりに教室を出て行く。
 本当は午前中はきちんと授業に出るつもりだったが、あの連中のせいで興が削がれてしまったので、もう授業を受ける気持ちは無くなってしまっていた。
 携帯電話で運転手を呼び出しながら、オレは先程の漠良の言葉を思い出す。
 何が一週間だ。
 丁度良いことに今日から一週間、オレは凄く忙しいのだ。それこそこの先の一週間は学校にすら来られない程に。
 それが分かっていたからせめて今日だけは…と学校に来てみたのに、それがあんなくだらない事に付き合わされて。
 踏んだり蹴ったりとはまさにこの事だ。
 大体あんな稚拙な催眠術でこのオレの心を動かそうなどと、おこがましいにも程がある。
 オレには催眠術など効きはしないし、大体あんなもので長い時間を掛けて今の今まで培ってきたオレの気持ちが変わる筈なかろうが。
 くだらない、くだらない、くだらない。

 オレがその時感じた微かな苛立ちは、一週間の間消え去る事は無かった。


 あのくだらない催眠術を施された日から丁度一週間目。
 オレは漸く忙しい日々から解放され、珍しく定時で会社を上がり屋敷へと向かっていた。
 外はこの季節には珍しい強い雨が降っていて、リムジンのワイパーが忙しなく水滴を払っている。
 そのワイパーの動きを何となく目で追っていると、ふと前方に見知っている人物が歩いているのが見えた。
 透明のビニール傘から透けて見える髪の色は鮮やかな金色。
 あんな分かりやすい髪をしている奴なんて、オレは一人しか知らない。
 城之内だ。
 ふと一週間前のあの出来事を思い出すが、残念ながらオレの気持ちは些かも変わってはいないようだった。
 いくら才能があろうとも、所詮高校生の施すごっこ遊びに過ぎなかったらしい。
 徒歩で下校している城之内と、道路を走るリムジンとの差は確実に近付いている。
 だが、突如目の前の信号が青から黄色になって、ゴールド免許を取得している真面目な運転手は静かにブレーキを踏みゆっくりと停車した。
 そうする事でまた城之内との距離が離れていく。
 奴はこちらには全く気付かずに一人で歩いて行ってしまった。
 離れて行く金髪を何とは無しに見ていたら、突然隣の車線から派手な外車が猛スピードで通り抜けていった。
 多分信号で止まりたくなかったのだろう。信号が黄色から赤に変わる直前に交差点をありえない速さで走り去って行く。
 ふん、愚か者が。
 あぁいう馬鹿は人様の迷惑にならない所で勝手に壁にでも激突して一人で死ぬがいいと思った時だった。
 馬鹿の運転する派手な外車が、道路際を歩いていた城之内に思いっきり泥水を掛けて行ったのは。
 離れた場所にいる為に声は聞こえないが、驚いた表情の城之内が「げっ!!」と言っているのが聞こえたような気がした。
「おい」
 信号が赤から青に変わって走り出した運転手に、オレは身を乗り出して告げる。
「あの金髪の学生の脇で車を止めろ」
 オレの言葉に運転手は「畏まりました」と頷いて、リムジンを歩道に寄せつつスピードを落としていった。


「げ~!! さいっあく!!」
 リムジンを降りてまず最初に聞こえて来たのは、そんな城之内の悪態だった。
 後ろから近付いて来たオレにはまだ気付いていないらしい。
 泥水でビショビショになった制服を指先で摘んでいる城之内に、オレは声をかけた。

「おい、城之内」
「ん…? げっ! 海馬…っ!!」
「見ていたぞ。災難だったな」

 ニヤリと笑ってそう告げると、城之内は心底嫌そうな顔をした。

「ったく…。嫌なところを嫌な奴に見られたもんだぜ…」
「これはもうダメだな。早く家に帰ってクリーニングにでも出すがいい」
「それが出来れば苦労しないっつーの。今は月末で余分な金なんてないし、大体このオレに代わりの制服なんかあるわけないじゃん」
「では、これを着て明日も学校に行くのか?」
「それしか無ぇだろうなぁ…。まぁ拭けば何とかなるか」

 ふむ…と唸って、改めて城之内の制服を眺めてみる。
 すっかり泥水を吸って汚れた制服は、ちょっと拭いただけで何とかなるような代物ではなかった。
「仕方無いな」
 オレは城之内の手を取って引っ張る。
 それにギョッとした顔をされたが、そんな事を気にしている場合ではなかった。
「オレの屋敷に来い。クリーニングくらいすぐにしてやる」
 オレの言葉に城之内の顔が途端に明るくなった。
 何故そこでそんな表情が出来るのだ…? 理解出来ん。

「マジで?」
「冗談で言っていると思うか?」
「え? マジで海馬ん家行っていいの?」
「しつこいぞ。来るのか来ないのか」
「行く!! 行くってば!! あ、でもこれで車乗ったら汚しちゃうぜ?」
「構わん。いいから早くしろ」

 うだうだ言っている城之内をリムジンに押し込み、オレもその隣に乗り込んで運転手に出発するように告げる。
 そろそろと走りだしたリムジンの中で、隣にいる城之内が妙に嬉しそうな顔をしていたのが印象的だった。