Text - 短編 - 七年目の桜吹雪

城之内×海馬
ちょっと切ない系。
ボカロの『S/T/E/P T/O Y/O/U』という曲に触発されて書いてしまいました。

そして青年は旅に出る。

 




「本当に行くの? 城之内君」
 スーツケースにせっせと着慣れた服をしまっているオレに、遊びに来ていた遊戯がそう聞いてきた。
 それにオレは「当たり前だろ」と笑顔で答える。
「もう七年も待たせてるんだ。流石にこれ以上は向こうも限界だろうしさ」
 そう言ってオレは一旦手を止める。
 目を瞑って天井を仰ぎ、あの時のアイツの顔を思い浮かべる。
 後にも先にもアイツのあんな泣き顔を見たのは、あの日のあの時だけだった。
「いきなり行ったらびっくりするだろうね」
「そうだなぁ。会って突然罵声浴びせられるのだけは勘弁だけど、アイツならマジでやりそうだから怖い。そんなんなったら、オレ本気で傷付くぜ…」
「あはは。でも…それでも城之内君は行くって決めたんでしょ?」
「勿論。こんな気持ちを抱え続けるくらいだったら、直接会って傷つく方がまだマシだ」
 オレが煎れてやったコーヒーを飲みながら優しく笑ってる遊戯に笑顔で答え、オレはスーツケースに服を入れる作業を再開した。




 苦い恋をしたと思う。
 あの頃のオレ達は、本当に子供だった。
 自分の事で手一杯で、相手を受け止められる度量が無かったんだ。


 海馬と再会したのは高校二年の終わりだった。
 突然アメリカから帰って来たヤツは、何事も無かったかのように再び学生生活に勤しむようになった。
 あっという間に春が来てオレ達が三年に進級しても、何故かヤツとはクラスが一緒だった。
 まぁ、こういうのを腐れ縁って言うんだろうか? 周りのメンバーもあんまり変わっていなかったけど。
 きっと前々から海馬の事は気になってたんだろう。再び身近に感じるようになって、唐突にオレは海馬の事が好きなんだと自覚した。
 五月の連休明けにそう本人に告げたら、向こうも同じ気持ちだったらしく、オレ達は目出度く恋人として付き合う事になった。
 それから先は、オレも海馬も普通に恋人として楽しんでいたと思う。
 一月後には初めてのキスをして、夏休みに入ってセックスをしたのも、極々普通の流れだった。
 特に何を意識した訳じゃなくて、恋人同士としての余りに普通の流れに、オレ達は自分達が最高の恋人である事に何の疑問も持たなかった。
 ところが海馬が誕生日を迎える秋の終わり頃、その流れは急に方向を変え始めた。
 長く続く不況に追い打ちをかけるように海馬コーポレーションにトラブルが続発し、アイツはその対応に追われ学校に来れる状況じゃなくなった。
 別に子供じゃないから毎日会えない事に不満があった訳じゃないけど、その内電話やメールでさえも反応しなくなってくる。
 海馬が置かれている状況を考えればそれは当然の事なんだけど、オレは何だかそれに少し苛つく毎日が続いた。
 そしてそんなオレにも不幸は突如やってくる。
 年が明けて暫くした頃、突然親父の体調が悪くなって病院に運ばれる騒ぎがあった。
 医師の診断が下った後、親父は即入院となり、オレは担当医に親父の病状と余命を聞かされる事になる。
 突然の親父の入院で、オレはちょっとしたパニックに陥った。
 保険には入っていたけど、借金もまだ完済していないこの状態での突然の出費に頭を抱える毎日。
 幸い高校を卒業した後は就職する予定だったオレは内定も貰っていて、春からの生活費には悩まなくて良さそうだったけど、それでも残り少ない貯金と睨めっこを続けていた。
 朝起きたら新聞配達に行って、朝飯を食べたら学校へ行く。学校が終わったら急いで病院に行き、新しいパジャマや下着を渡して汚れたのを代わりに受け取る。その足でバイトに行って夜遅くまで働く。帰って来たら洗濯をしてピンチに干して、遅い夕食を済まし風呂に入って寝る。
 ただそれだけの毎日を延々と繰り返した。
 そうなってくると流石のオレも疲れて来て、海馬の事を思い出す暇さえ無くなっていった。
 オレの頭の中は何時の間にか、これからの生活と金と親父の事ばかりになっていたのだ。


 そんなこんなでオレと海馬はついに全く会わなくなった。
 そして、あの日を迎える。
 あれは卒業式の前日の夕方だった。
 その日はたまたまバイトが無く、さっさと病院から家に帰って来ていたオレは家でゆっくりしていた。そこへ突然海馬から『いつもの場所で待っている』とメールが入って、オレは慌てて家を飛び出した。


『いつもの場所』とは、海馬のお気に入りの桜の木の事だ。
 海馬とオレの家の丁度中間点にある寂れた小さな公園。遊具なんかも錆付いてしまって、近所の子供達は誰もこの公園には遊びに来ていなかった。
 海馬がまだ小さい頃、よくその公園でモクバと一緒に遊んでいたらしいが、その面影は今は無い。
 その公園の奥の方、椿や夾竹桃に隠れるようにして一本の桜の木が生えていた。
 海馬のお気に入りはこの桜。
 実の父が生きていた頃はよく三人でここへ花見に来たものだと、最初に連れて来て貰った時に教えてくれたのを覚えている。
 季節は夏の終わりで、桜の木はまだ青い葉を沢山茂らせていた。
「春になったらお前と二人で花見に来たいな」
 そう言ったら海馬は優しく微笑んで頷いていた。


 自転車を漕いでその公園まで行き、冬でも葉を付けている椿や夾竹桃を間を潜って奥に行くと、葉も何も付けていない桜の木の下にアイツは佇んでいた。
 オレが来た事に気付いている癖に、海馬はただ頭上の桜の枝をずっと見つめていた。
 三月に入り大分蕾も膨らんできていたが、それでもまだまだ花は開きそうにない固い蕾ばかりだ。それなのに海馬はそれを愛おしそうに見つめている。
 やがて視線を落としオレを見た海馬が「城之内」とオレを呼んだ。
 その声に導かれるように近付くと、海馬の手に何か細長い筒が握られている事に気付く。
「何ソレ?」
 首を傾げて訪ねるオレに、海馬は笑みを浮かべてその筒を見せつけるように言った。
「卒業証書だ」
「卒業証書って…。卒業式は明日なんですけど?」
「明日は式に出られそうにないから、一足先に卒業させて貰った」
「ふーん。また仕事?」
「あぁ。明日からまたアメリカに戻る」
 海馬の最後の言葉にオレは驚いて思わず顔を上げる。とんでも無い爆弾を落としてくれた本人は、それでもにこやかな笑みを崩さなかった。そしてその笑顔のまま呟いた。
「城之内…。別れよう…」
 その言葉自体には別に驚かなかった。何となく、海馬がそう言うであろう事が予想出来ていたから。
 黙ったまま海馬を見つめるオレに、アイツは言葉を続ける。
「オレには…抱えるものが多すぎる。会社の事も弟の事も…。最近は特にそればかりで、気付いたらお前の事などすっかり忘れてしまっていたのだ。そんな自分に焦って、慌てて頭の中で大事なものの整理をしてみても、どうしてもお前は一番最後になってしまう。恋人なのに…好きなのに…お前を大事にする事が出来ない…。それはお前に対してとても失礼な事だと気付いたのだ」
 海馬は何時の間にか俯いてしまっていた。その白い頬に涙が幾筋も辿っているのが見える。
「オレが…立場も責任も何も無い只の人間だったなら、間違いなくお前を選んでいただろう。だけど今のオレにはそれが出来ない。お前より大事だと思うものが多すぎて、どうしてもお前を蔑ろにしてしまう。オレはそれが…我慢出来ない。そんな自分が許せない…っ!」
 オレが海馬の肩に手をかけると、アイツはゆっくりとその顔を上げた。
 その顔を見てオレは驚きを隠せなかった。
 三月の夕日に照らされたその顔は、涙で濡れそぼっているにも関わらず眩しいほどの笑顔を浮かべていた。
 オレは海馬のこんな綺麗な笑顔を今まで見た事が無い。
 間違いなくその顔はオレが今まで見た海馬の顔の中で、一番最高の笑顔だった。
 泣きながら微笑む海馬を思いっきり抱き締め、オレも別れを告げる決心をした。
「オレの親父さ…、年明けに倒れて入院したんだ。元からアル中だったから大分肝臓に負担掛かってたらしくて…。肝臓がんで余命一年なんだってよ。転移もしてるからもう手術も無理なんだって。オレは春から社会人になって働いて働いて金稼いで、親父と自分の生活を支えなくちゃなんねぇんだ。だから今のオレにお前は支えられない…。オレも…もうお前とは一緒にいられない」
 海馬がオレの言葉にコクリと頷く。
 たったそれだけの事で、オレ達の恋人関係は解消された。
「なぁ、海馬…。一つだけいい?」
「何だ?」
「もしオレが今よりずっと大人になって、生活も安定して、心もデカくなって…。お前の全てを受け止められると自信を持って言えるようになったら、お前を迎えに行ってもいいか?」
 オレの申し出に海馬は「期待しないで待っていよう」と言ってクスリと笑った。
 日が落ちて薄暗くなってきた公園を、オレ達は真逆に歩き始める。公園を出る直前に一度だけ振り返ると、海馬が角を曲がって消えていくのが見えた。
 それが七年前にオレが見た、最後の海馬の姿だった…。


 次の日の卒業式。オレはずっと体育館の窓から空ばかり見ていた。
 今、あの空のどこら辺を海馬が飛んでいるのかと、そればかりが気になって仕方無かった。
 四月に入ってオレは働き始めた。慣れない仕事に最初は戸惑っていたけど、持ち前の要領の良さであっという間に場に馴染んだと思う。
 会社に行く前に一度だけ、あの桜の木に寄った事がある。
 海馬と別れた時はまだ固い蕾だったそれらが、今は一斉に花開かせ美しいピンク色に染まっていた。
 ザッと強い風が吹いてピンクの花びらが一斉に散らばる。
 オレはそれを海馬と一緒に見たかったと思った。
 だけどオレ達の恋はもう終わってしまった。
 アイツはアメリカで、オレはこの日本で新しい一歩を歩み出している。
 オレは桜吹雪に背を向けて、現実へと踏み出した。


 一年目はとにかくがむしゃらに働きまくった。
 慣れない仕事に手一杯だったし、会社と親父が入院している病院を往復する毎日で、他の事を考える余裕が無かった。

 二年目に親父が死んだ。大分もった方だと思う。
 貯めてた金で何とか葬儀を出して遺品整理をし、オレはあの団地を引っ越した。
 あんな親父でも思い出は一杯あって、二人で過ごした記憶が詰まっているあの場所に住み続けるのは辛かった。
 親父の死亡保険で1DKのマンションを借りて、本格的な一人暮らしを始める。

 三年目もとにかく働いた。
 仕事をするのは好きだったし身体も丈夫だったから、休むことなく働き続けた。
 まだ何となく親父の事が頭の隅に引っかかっていて、それを忘れたかったってのもあるかもしれない。

 四年目に漸く心に余裕が生まれてきた。
 親父の死もやっと受け止められた。何だかんだ言ってたった一人しかいない父親を失って、オレはやっぱり悲しんでいたらしい。
 だがその悲しみも何時の間にか浄化されていた。
 そして気付くとふと、アイツの事を思い出すようになってきていた。

 五年目に入って、オレはよく海馬を思い出すようになっていた。
 仕事している時は忘れているが、一人で食事をしている時、風呂に入っている時、会社からの帰り道など、気がつくとアイツの影を追っている。
 そして、その度によく考えてみる。
 あの時のアイツの涙、そして笑顔。
 あの頃、まだガキだったオレはそれを受け止める事が出来なかった。
 でも今ならそれが出来そうな気がしていた。

 六年目、オレはついに我慢出来なくなっていた。
 本格的に海馬に会いに行きたくて、アメリカに行く為の貯金を始める。
 苦手だった英会話も会社の帰りに習って、まだ辿々しいが何とかなる程度にはなった。
 毎日毎日を海馬の事を考えて過ごす。
 そこまで来て、オレは自分がどれだけ海馬の事を愛していたか気付かされた。
 決心は…固まっていた。

 そして七年目…。


 オレは駅に向かう途中で、あの公園に寄る事にした。

 会社の方は今までのオレの真面目な働き具合が評価されて、今日から約半月の長期休暇を貰う事が出来た。
 そりゃ七年近く働いて有給を使ったのがたった二回しかないし、それぐらいして貰っても罰は当たらないだろう。
 リュックを背負い更に重いスーツケースをゴロゴロと引き吊りながら、オレはあの公園に着いた。
 あの寂れた公園は海馬と別れた次の年、リニューアルされて小綺麗な公園に生まれ変わっていた。錆付いていた遊具も新しいものに取り替えられて、最近では近所の子供もよく遊びに来ているそうだ。
 古い木も伐採されてあの桜も無くなってしまったかと思ったら、どうやら近所のお母さん達の要望でそれは残ったらしい。
 あの頃と変わらない椿と夾竹桃の間を抜けて、あの桜の木の正面に立つ。
 今はまだ三月の半ば。あの頃と同じようにまだ蕾は固いが、あと半月もすれば綺麗に花開く事だろう。
 七年前、一人で見た桜吹雪。
 あれほど悲しく見えた桜は無かった。
 半月後、この桜はあの時と変わらない美しいピンク色の花を咲かしているのだろう。
 その桜吹雪の下にいるのは、あの時のようにオレ一人なのか。
 それとも海馬と二人で見上げているのか。
 今のオレにはそれは分からない。
 だけど何となくオレは、半月後に海馬と二人でこの桜を眺めている予感がした。
 どうか、七年目の桜吹雪がオレ達二人の上に降り注ぎますように…。


 そしてオレはお前に会いに行く。