Text - 短編 - 寂しがり屋の黒兎(前編)

城之内×海馬。
中秋の名月に合わせて、月と兎の童話っぽいお話を書いてみました。

 




 昔々ある小さな森の中に、一匹の黒兎が住んでいました。黒兎は最初家族と一緒に暮らしていましたが、お父さん兎が酷く乱暴者だった為に、ある日お母さん兎は身体の弱かった妹兎を連れてこの森から出ていってしまいました。残されたのは黒兎とお父さん兎の二羽だけ。乱暴者のお父さん兎に辟易としながらも、黒兎は頑張って家族の為にきょうもせっせと餌を集めていました。
 この小さな森の中には黒兎の他にもう一羽、とても綺麗な白兎がいました。お互いに縄張りを持っていた為に二羽は出会えば喧嘩ばかりしていましたが、それでも黒兎はその白兎の事を嫌いではありませんでした。それどころか、いつか一緒に暮らせたらいいなぁ…とまで思っていたのです。


 本格的に秋の空気が深まってきたある日の事。
 その日は少し肌寒い日でした。東の空には今昇って来たばかりの大きな中秋の名月が真っ赤に輝いており、西の空にはまるで紺色のキャンバスに筆でサッと掃いたような濃い茜色が今にも消え去ろうとしていました。
 黒兎の足元には、もう冷たくなったお父さん兎の身体が横たわっています。随分前から身体を壊していたお父さん兎は、黒兎が餌を探しに行っている間に遂にその命を終わらせてしまったのでした。
 余りに突然の事に泣く事も出来ず、黒兎は呆然とするばかりです。だけどこのままにしておいたら野犬や狐なんかにお父さん兎の身体を食べられてしまうので、仕方無く森の外れに深く穴を掘り、そしてそこにお父さん兎を埋めました。
 突然一人になってしまった黒兎は寂しくて仕方有りません。元々兎は寂しくなると死んでしまう生き物です。そこで黒兎は思い立ちました。次の日、森の反対側に住んでいる白兎を尋ねる事にしたのです。自分の縄張りを超えて白兎の縄張りに入り暫く歩いていると、やがて目の前に捜していた白兎が現れました。「よぉ!」と挨拶すると「こんなところまで何の用だ。ココはオレの縄張りだぞ」と冷たく言い返されます。黒兎はそれにもめげずに白兎に一緒に住まないかと提案しました。

「なぁお前。こんな森の中に一人でいて寂しくないのか?」
「なんだと…?」
「オレは寂しいと思ってる。だから一緒に住まないか? そうすれば縄張りも広がって一石二鳥だぜ?」

 お父さん兎の事を引き合いに出すのは何となく嫌だった為、黒兎はただ純粋に寂しいからという理由で白兎と一緒に住みたいんだと訴えました。ところが白兎は少し考え込んで、そして首を横に振ったのです。

「悪いがそんなに広い縄張りはいらない。オレは今のままも十分食べていけるからな」
「でも…一人ぽっちで寂しいだろ?」
「別に寂しくは無いし、オレは一人ぽっちでは無い。オレには弟がいるからな」
「え………?」

 白兎は驚いている黒兎に目配せをして、静かに藪の中へと入って行きます。黒兎もそれに習って付いていくと、やがて目の前に白兎の巣が見えてきました。白兎が「静かに」と言うのでなるべく物音を立てないように覗き込むと、柔らかな下草の上でスヤスヤと安らかな寝息を立てて眠っている小さな白兎の姿が見えました。お兄さん兎よりも毛並みがずっとボサボサしていましたが、良く見ると二羽は確かにそっくりです。振り返るとそこには慈愛に満ちた目で小兎を見ている白兎がいて、黒兎はこの白兎が本当に寂しくは無いんだという事を知ってしまいました。もし自分にも、今は遠く離れている妹兎が側にいれば、きっと毎日楽しく過ごせるだろうと思ったからです。

「お前…弟がいたのか」
「あぁ」
「それじゃ寂しくは無いよな」
「あぁ」
「良かったな」
「あぁ、そうだな」
「そっか…。そうだったんだ…」

 頷く白兎を見て、黒兎はまた静かに藪の外に這い出ます。そして見送りに来た白兎に、元気一杯に手を振りました。

「お前が寂しくなくて良かった。じゃ、オレはこれで自分の縄張りに戻るよ」
「おい…」
「ん? 何?」
「お前は…寂しいのか?」
「え………?」
「もしかして…お前は一人ぽっちなのか?」

 心配そうな白兎の質問に、黒兎はどう答えようか一瞬戸惑いました。だけどせっかく幸せに暮らしている白兎に変な心配を掛けさせるのはいけないと思い、黒兎はわざとニッカリと大きく笑って首を横に振って答えました。

「いや全然。オレも親父と一緒だから」

 黒兎の答えに白兎が安心したように微笑んだのを見て、黒兎はクルリと振り返って自分の縄張りへと戻って行きます。そして今日からは自分一人でしっかり生きていこうと心に決めたのでした。


 それからすぐに寒い冬が来て、やがて雪が解けて温かい春が来て、長い梅雨の後に暑い夏が来て、そしてまた秋がやってきました。
 小さな森の中で、黒兎は未だに一人ぽっちでした。この一年は何とか生きてきたものの、心の奥にポッカリと穴が空いてしまい、やっぱり寂しくて仕方ありません。一度だけ、遠くの森に去って行ってしまったお母さん兎と妹兎のところに行こうと思った事がありました。でもお父さん兎が残してくれたこの縄張りを捨てて行くのは忍びなくて、結局黒兎はこの場に居続ける事を選んだのです。優しいお母さん兎の顔も、まだ小さかった妹兎の顔も、今はもう朧気にしか思い出せません。東の空を見上げれば、あの時と同じ中秋の名月が赤く輝いています。

「疲れた…な…」

 藪の中から満月を見上げ、黒兎はポツリと呟きました。正直心がもう折れてしまいそうです。一人ぽっちで生きて行くのはもう限界でした。その時頭上で「ピーヒョロロー」と澄んだ鳥の鳴き声が聞こえてきました。高い空の上で上昇気流に乗りながら、鳶が今日最後の獲物を探し回って旋回しています。とっさに身の危険を感じ、黒兎は本能の命じるままに藪の中でじっと身を固くしました。だけれども…何を思ったか、黒兎は次の瞬間にその場ですっくと立ち上がってしまったのです。
 別に黒兎は死のうと思った訳ではありません。ただ凄く寂しかっただけです。寂しくて寂しくて仕方が無くて、だからこの寂しさから逃れる道を選んだに過ぎませんでした。
 あの鳶のお腹に入ったら少しは寂しくないだろうか。少なくても鳶の一部になれるなら、もう一人ぽっちにならなくて済む。痛いのは一瞬だけ。少しだけ痛いのを我慢すれば…もう寂しくない。
 ヨロヨロと藪の中から這い出て、見晴らしの良い広場に出ます。上空で旋回していた鳶が姿を現わした黒兎にいち早く気付き、やがてひらりと空中で一回転すると、そのまま黒兎に向かって急降下してきました。
 ちょっとだけ…。ほんのちょっとだけ我慢すれば…きっともう寂しくない。
 黒兎はそう思って強く目を閉じ、来るべき衝撃に備えました。


「それで!? まさか黒兎、そのまま食われちゃったのかよ!!」

 モクバに腕を掴まれてガクガクと前後左右に揺さぶられながら、城之内は「いや、ちょ、ちょっと待って。落ち着けって! まだ続きがあるんだから」と何とか宥めようとしていた。
 本日は日曜日。たまには休日をゆっくり過ごそうと城之内は恋人である海馬の邸にやって来ていたのだが、やっぱりというか何というか、海馬に突然の呼び出しが入り、そのまま会社に出向いて行ってしまったのだ。仕方無く残されたモクバと二人で色々なゲームをやって過ごしていたのだが、やがてゲームをする事にも飽きてしまったモクバが突然城之内に向かい「何か話して」と強請ってきたのだった。

「はい? 話? 何でオレが…」
「そんな事言って…オレは知ってるんだぜぃ。お前、創作話得意なんだってな」
「うえぇっ!? な、何でそれを…!!」
「実はこの間静香ちゃんに会ったんだぜぃ」

 得意そうに言い放つモクバを、城之内はただポカーンと見ている事しか出来ない。

「静香に…? 何でお前が…?」
「仕事の関係である会社に商談に行ったんだけどな。その会社がある街ってお前の妹が住んでる街だったんだよ。商談終わって会社から出て来たら、丁度病院の帰りだった静香ちゃんとバッタリ出会ってさ。で、せっかくだからってその後二人でお茶したんだ」

 モクバの誘いで近場の喫茶店に入った二人は、それから一時間程仲良くお喋りを楽しんでいた。そして静香の口から城之内の秘密が語られる事になったのである。


『お兄ちゃんってね、意外とお話し上手なのよ』

 信じられないように目を丸くするモクバにクスクスと笑い、静香は話し始めた。

『昔ね…まだ子供の頃、お兄ちゃんは寝る前によく私に絵本を読んでくれたの。その頃から目はもう悪かったから、余り字が読めなくて…。だから私の代わりにお兄ちゃんがいつも絵本を読んでくれてた。絵本の物語を聞きながら眠るのが凄く好きだったんだけど、家にある絵本なんてすぐに全部読み終わっちゃってね。しかもウチって余りお金が無かったから、新しい絵本なんてすぐに買える訳なくて…。でも元からある絵本はもう飽きちゃってたし…ね。思わず「新しい絵本が読みたいなぁ…」なんて言ってたら、ある日お兄ちゃんが自分でお話を作って、そしてそれを私が寝る前に話してくれたの』

 カラカラとアイスティーの中の氷をストローでかき混ぜながら、静香は当時を思い出しているのか、幸せそうな笑顔で口を開いた。

『そのお話が本当に面白くてね。もっとって強請ったら、それから色んなお話をしてくれるようになったの。本当に色んなお話だったわ。楽しいお話もあれば悲しいお話もあったし、最後はビックリするようなお話もあれば感動して思わず泣いちゃうようなものもあったっけ。ただ怖いお話だけは一度も聞いた事がなかったけれど』

 ニッコリと優しそうに微笑みながら当時の思い出をモクバに語って聞かせ、静香は最後に『絵が上手だったら絵本作家になれたのにね』と言って締めくくった。モクバは静香のその話をよく覚えていて、いつか城之内に創作話をして貰おうと心に決めていたのだ。そして上手い具合にチャンスが巡って来て今に至ると…そういう訳だった。
 急に創作話をせがまれた城之内は一瞬焦ったが、モクバの真剣な瞳を見て決心をし「十分! いや十五分待ってくれ!!」と叫び、腕を組みつつ真剣に考え始める。そして脳裏に浮かんだ『あの時』の事をデフォルメ化して童話にし、モクバに語る事に決めたのだった。


「それで? 黒兎はどうなったんだ…?」

 何とか落ち着いたモクバに苦笑しつつ、それでも自分の稚拙な創作話を真剣に聞いてくれている事に嬉しくなって、城之内は続きを話す為に口を開いた。


 カン、カン、カン、カン、カン、カン………。

 城之内の脳裏に『あの時』響いていた音が甦ってくる。あの時…あの場所で聞こえていた音は、高い空から響いてくる鳶の澄んだ鳴き声なんかでは無く、人工的で酷く耳障りな…踏切の警告音だった。