Text - 短編 - 鎮魂歌(前編)

城之内×海馬。
城之内の一人称。
普通に恋愛して普通に二人で暮らしている城之内と海馬の元に舞い込んできた、ちょっとした非日常の物語。

 




 人間ってさ、長く生きると何が起こるか分からないよな。
 長くって言ってもまだ二十四歳だけど。
 それでもオレの二十四年の人生は、結構波瀾万丈だっと思う。
 今から考えれば両親の離婚とか、酒乱の親父に殴られ続けた日々とか、今のこの状況を考えれば結構普通の事だったんじゃないだろうか…なんて思ったりもするんだ。
 だってさー、金髪巨乳好きの根っからの女好きのこのオレがだぜ?
 今現在男と結婚して一緒に住んでいるなんて、誰が考えるんだよ。
 結婚って言っても籍を入れている訳じゃ無い。
 日本じゃ同性同士の結婚は認められてないしな。
 でもオレ達は本気で恋愛していた。
 オレが必死の努力の末に一浪して入った大学を卒業して、立派な社会人になったその歳に、二人で同棲することを決めたんだ。
 2LDKのマンションを折半で借りて、半年後には金出し合って揃いの指輪を買ったりしてさ。
 それを尤もらしくお互いの左手薬指に嵌めてみたりして、オレ達は凄く幸せだった。
 アイツは立派な実家があるというのに、それを捨ててオレと一緒に暮らすことを選んでくれた。
 ただし向こうにはまだ学生の弟がいるから、週に一~二回くらいは実家に帰っているけどな。
 だけどそれもあと一年くらいでいいらしい。
 弟が成人したら、それからは完全にこちらで生活するんだとさ。
 オレは別に今のままでもいいんだけどね。


 で、人生って不思議なもんでさー。
 そういう本人でさえビックリするような出会いもあれば、別れも勿論あるんだよ。
 ある日真面目に会社で働いていたら、中学時代に一緒に悪さしてた友達からメールが来たんだよ。
 何でもオレの昔の彼女が病気で長く入院しているっていう事と、その彼女がいよいよ危険な状態になってきたって知らせだった。
 オレはすぐさま中学時代に半年間だけ付合った彼女の事を思い出した。
 身長が百五十㎝も無い小柄な可愛い女の子で、中学一年生のバレンタインの時にチョコレートと一緒に告白されたんだ。
 同じ学年内じゃ結構可愛い事で有名で、性格も明るくてまさにオレ好みだった。
 一も二もなくOK出して付き合い出したんだけど、その頃のオレを取り巻く状況はどんどん悪くなっていって…。
 親父の酒乱は止まらないどころかどんどん加速していって、オレが中学二年になる頃には生傷が絶えない日常になっていった。
 そんな日常にグレるなっていう方が無理な話で、その頃からオレは普通の道から足を踏み外して行ったんだと思う。
 毎日のように痣や傷を増やしていくオレに彼女は怯えていたようだった。
 そしてある日オレに向かってこう言ったんだ。

「城之内君…最近凄く怖いよ…。私…もう付き合えない」

 丁度このくらいの季節だった。
 梅雨が明けたばかりの初夏の太陽が眩しい屋上で、彼女は風にスカートをはためかしながら俯いて震えていた。
 怖がっていたのかもしれないし怒っていたのかもしれない。もしかしたら泣いていたのかもしれない。
 だけど、彼女はそれ以上何も言わなかった。
 オレもその頃には自分が抑えきれなくなってるのに気付いていたから「そうか。分かったよ」とだけ言って、それっきり彼女との関係は無くなった。
 淡い恋の破局はオレの非行に拍車をかけて、やがてオレの名前を聞いたら震え上がらないヤツはいないくらいに有名になっていた。
 高校に入ってもそのまんま非行街道まっしぐらでいこうと思ったらさ、意外な出会いがあってオレは元の自分を取り戻した。
 遊戯や杏子や漠良といったかけがいの無い友人に恵まれて(本田は元から友達だったからな)、心から楽しいと思える高校生活を送る事が出来たんだ。
 そして海馬…。
 お互いに性格が真逆で、当たり前のように犬猿の仲をやっていたオレ達が、まさか恋人同士になるだなんて誰が思っただろうか。
 オレだって思わなかったし、海馬だって思わなかっただろう。
 だけどさっきも言ったけど人生って不思議なもんなんだぜ。
 気がついたらお互いにお互いを本気で好きになっていて、そのままの勢いで告白したら簡単に受け入れて貰えて、で…今がある訳だ。


 オレは携帯を取り出して海馬に対してメールを打った。
『元カノが病気で入院してるって、昔の友人から連絡が来た。会社終わったら見舞いに行ってくるから』
 それに対しての返事は無い。
 自分に何か不都合があれば逆に直ぐにでも返事が返ってくるから、オレはそれを了承だと受け止めた。
 そんなに忙しい時期でも無かったからさっさと退社して、オレは友人に教えて貰った病院へと急いでいた。
 途中の花屋さんでお見舞い用の花を買って、ついでに近くのケーキ屋でプリンとゼリーを購入してそれも持っていく事にする。
 病院に着いて教えて貰った病室の前まで行くと、そこには四つのネームプレートが掲げられていた。
 その内三人は知らない名前だったけど、一番下のネームプレートには間違い無くオレの知っている名前が刻まれている。
 部屋の中を覗き込むと、窓際の奥のベッドに見知った顔がいるのが見えた。
 オレにメールをくれた昔の友人だった。
「よぉ!」とお互いに手を挙げて奥のベッドに近付くと、引かれていたカーテンの向こうが少しずつ見えてくる。
 白いベッドの上に寝ていたのは、まさしく彼女だった。
 顔立ちは大分大人になっていたけど、一目で彼女だって分かった。
 病院に来る前に電話していた友人の話によると、もう随分と長い間闘病生活を続けているらしい。
 すっかり痩せてしまっていて、小さな身体がより小さく見えて可哀想だった。
 彼女はカーテンの影から現れた男が、一瞬誰だか分からなかったのだろう。
 首を捻って何度か瞬きを繰り返し、そして唐突に記憶が結びついたような顔をした。

「もしかして…城之内君?」

 彼女の疑問詞にオレはニッコリ笑って頷く事で答える。
 友人は「オレが連絡したんだ」と笑って言って、そして気を利かせて外へ出て行った。
 残されたのは彼女とオレだけ。
 とりあえず持って来た花籠とケーキ箱をサイドテーブルの上に置いて、側にあったパイプ椅子に腰掛けた。

「これ…。プリンとゼリーだから、後で食べて」
「ありがとう。お花も綺麗ね」
「久しぶり」
「本当に…久しぶりね、城之内君。ちょっと大人っぽくなったけど…全然変わってなくて安心したわ」
「悪い事はもうしてないんだけど?」
「そういう意味じゃないわ」

 痩せこけた頬で彼女がクスクスと笑った。
 その優しい笑みが中学生時代と全く変わってなくて、むしろオレの方が安心した。

「私の事…もう聞いた?」
「うん。アイツが話してくれた」
「スキルス性の胃がんなんですって。この若さで嫌になっちゃうわ」

 寂しそうに微笑みながら彼女がオレの左手に手を伸ばした。
 痩せた手をそっと重ねてきて、薬指に嵌めていた銀色の指輪をそっと撫でる。
 ヒヤリと感じる程の冷たい体温が、彼女の命がそんなに長くない事を知らしめていた。

「指輪…してるのね」
「うん」
「奥さんいるんだ」
「まぁね」
「可愛い?」
「いや、美人系。怒るとすっげー怖い」
「意外だわ。城之内君の好みは可愛い系だと思ってた」
「やっぱり? オレもそう思ってた」

 オレの言葉に心底おかしそうに笑って、銀色の指輪をちょっと引っ張ってきた。

「ねぇ、これ外してみせて?」
「なんで?」
「今だけ…。ね、ちょっとだけ浮気しない?」

 覗き込んでくる彼女の寂しげな笑みに、それでもオレは首を横に振った。
 中学生の時、彼女の事が大好きだった。
 その気持ちに嘘は無い。
 だけど今はそれ以上に、海馬の事を愛している。
 例え死の間際の彼女の願いでも、海馬を裏切る行為だけは出来なかった。
 彼女は諦めた様にスッと手を引っ込めて言った。

「やっぱりダメかー。その人を…愛してるのね?」
「うん。滅茶苦茶愛してる」
「少し…寂しいかな」
「………。ゴメン」
「いいのよ。貴方のそういう一途なところが好きだったの。変わって無くて嬉しかったわ。その人も幸せね…。大事にしてあげてね」

 彼女はそう言って、心の底から嬉しそうにニッコリと笑っていた。
 病気を患っている彼女の体調を考慮して、その日は三十分程で帰る事となった。
 帰った時、オレを出迎えた海馬は特に何も言わなかった。
 だけど余程酷い顔をしていたんだろうな。
 少し落ち込んだオレを黙ってギュッと強く抱き締めてくれた。
 その時の温かな体温と健康な海馬の身体が、どれだけオレの心を慰めてくれたかしれない。
 それが一ヶ月前の出来事。
 実はもう一回くらい見舞いに行こうと思っていた。
 だけど仕事が忙しくなったり、彼女が浮かべたあの寂しげな微笑みが胸に引っかかってなかなか会いに行けなかったのだ。
 そして今日、一ヶ月ぶりにあの友人から連絡が来た。
 彼女の通夜・葬儀に関するメールだった。