『Friend…?』の瀬人子ヴァージョンです。
まずは克美ヴァージョンを読まれた方が分かり易いと思いますので、まだの方は先に克美の方の話を読んで下さいませ~。
「城之内!!」
元彼と共にホテル街へと歩いて行く克美に、瀬人子は必死になって彼女の名前を叫んで呼んだ。
オレを置いて行くな! 振り返れ…戻って来い! そいつを捨ててオレと共にいてくれ…!!
克美に対する想いを強く胸に抱いて名を呼んだというのに、それなのに彼女は振り返らない。それどころか、そのまま元彼と一緒に雑踏の中に紛れて消えてしまう。
一人残されたその場所で、瀬人子はまた少し…自分の心が黒く染まっていくのを感じていた。
一体いつからこんなに克美に執着するようになってしまったのだろう…と、瀬人子は深く考え込む。
高校に入学してからずっと、瀬人子と克美は親友だった。だがいくら親友と言っても常に一緒にいた訳では無い。瀬人子には瀬人子の、克美には克美の生活があったのだ。
特に瀬人子は海馬コーポレーションの社長という役職を負っている為、克美のようにしょっちゅう登校する事が出来ずにいる。だから克美が自分以外の人間と交友を深めてしまうのは致し方無い事だった。
そう…。その事はよく分かっているのだ。自分には自分の、克美には克美の付き合いがあるのだと頭では理解している。
だが、いつの頃からか…。克美が自分以外の誰かと仲良さそうに喋っていたり、自分には分からない話題で盛り上がっていたりするのを見る度に、瀬人子は自分の胸の内に何かよく分からないムカムカとしたものが湧き上がって来るのに気が付いていた。
それを遠目に見るだけならまだしも、自分という存在がそこにいるのにも関わらず、急に横から入り込んできた友人が克美と共有している秘密について話しているのを見た時なんかは、自分の腸が煮えくりかえるような思いをした事もある。
更にこの想いを強めたのは、数週間前のお泊まり会での出来事だった。
ずっと親友として信じてきた克美が、実は中学時代には彼氏がいたのだという事実を知ってしまったのである。普通に中学生らしい付き合いをしていたならまだしも、既にセックスまで経験していると打ち明けて来たのだ。
克美が既にヴァージンでは無いという事だけでも十分過ぎる程ショックだったというのに、更に後日、克美から彼女の男関係は一人だけでは無かったとまで告げられてしまったのである。
瀬人子には、その事実は強烈過ぎてすぐには受け入れられなかった。
だから咄嗟に拒絶してしまった。
克美に対して「不潔だ」「淫乱だ」と口汚く罵ってしまったのである。
本当はこんな事を言うつもりなんてなかった。だが…どうしても克美を許せなかった。
例え過去の出来事であろうとも、瀬人子は克美に裏切られたように感じてしまったのである。
言ってしまった後で「しまった」とは思ったが後の祭りとはこの事で、出てしまった言葉はもう取り返す事は出来ない。
一瞬怒られるかと思って身構えたが、克美は一向に瀬人子に怒りをぶつける事はしてこなかった。それどころか「だって…仕方無いだろ…」と力無く呟き、落ち込んで俯いてしまう。
その姿に瀬人子の胸がズキリと痛んだ。慌てて彼女の側に近付き、自分とは違って綺麗な小麦色に焼けた健康そうな肩に手を置いて「スマン…」と謝ったのである。
その一件以来、瀬人子はなるべく克美の交友関係について口出す事を止めたのだ。
克美が誰とどう付合おうとそれは彼女の勝手であって、決して自分が口出す事では無いと理解したからだった。
友人との関係もそうだが、特に男関係については本気で自分は何の関係も無い。克美が誰を好きになってどんな男と付合おうと、そしてその相手とどんな事をしようと、それはあくまで克美自身が決めた事であり、自分が口を出す事では無いのだ。
そのように頭ではキチンと理解している筈なのに…心はそれに付いては来ない。
相変わらず自分以外の友人と克美が仲良さそうに喋っていれば胸がムカムカするし、昔の性行為の話を聞く度に吐き気を催す程の嫌悪感を感じてしまう事も少なくなかった。
だが一旦もう『気にしない』と決めたからには、瀬人子はその感情に気付かないふりを続けるしか道は残っていなかったのである。
そう…。もう『気にしない』と強く心に決めたのだ。
確かに自分は克美の親友ではあるが、克美は自分だけのものでは無いのだ。克美は克美だけのもの。彼女がどんな交友関係を持って、それを楽しもうと。彼女がどんな男を好きになって、その人と幸せになろうとも。それは克美が選択した結果であって、自分の出る幕では無い。
むしろ『親友』という位置を独占出来ているだけでも幸せというものだ。克美がどんなに他の友人と仲良くしようと、その中に『親友』は誰一人としていないのだ。
『親友は』あくまで自分ただ一人。海馬瀬人子という人間ただ一人だけが、城之内克美の『親友』なのである。
そうだ…。克美にとって自分は特別な存在の筈だ。克美の『親友』という特別枠の中にいる…。だから自分はきっと幸せなのだ…。
なのに…。それなのに…どうしてなのだろう。どうしてこんなに酷く暗い気持ちに陥ったりしてしまうのだろうか…。
瀬人子は気付いていなかったのだ。
その感情が『嫉妬』だという事に。
知らず知らずの内に抱えてしまった『嫉妬』という感情に苦しんで、それでもそれに気付かないふりをして、瀬人子は克美の『親友』を続けていた。どんなに心が醜く歪んでも、涼しい表情をして何食わぬ顔で振る舞い続ける。
それは時間が経つにつれて、確実に瀬人子の心を黒く染め上げていった。
黒く黒く醜くなっていく自分の心に、瀬人子は打ちのめされる。だが…もうどうしようも無かった。
自分の心を解放する為には克美から離れる事しか無い。けれど、瀬人子の選択肢の中にそれは入っていなかったのだ。
克美から離れる事も出来ず、だからといって『嫉妬』の感情から解放される事も無く、ただただ黒くなっていく心を見詰め続ける日々。
それは酷く瀬人子の精神を疲弊させた。
克美に置いて行かれた路上で、瀬人子はトボトボと手芸屋に向かって足を進める。どんなに歩みを遅くしても店が遠くなる事は無く、あっという間に目的の場所に着いてしまった。
店の中からはオルゴール系の有線がかかっていて、それが入り口から流れ出て瀬人子の耳にも届いていた。
客が落ち着いて買い物出来るようにとの店側の配慮なのか、その店は決して流行のポップス等は流さず、いつもオルゴールのメロディーが静かに流れている。
克美とこの店に買い物に来ようと決めた時、瀬人子は一回だけ下見に来た事があった。そしてそんな店の雰囲気と品揃えに至極感心して即気に入ってしまい、今度は絶対克美と共に来ようと強く決めたのだった。
こうして今日は克美と一緒にここまで来たというのに、何故か今、瀬人子の隣に克美は存在しない。一人で買い物しろとは言われたが、どうしてもそんな気にはなれず、瀬人子は店の脇の街灯に身を寄りかからせて俯いた。
「城之内…」
思わずポツリと名前を零す。
名前を呼んだからといって克美が来てくれる訳でも無い。現に目の前の通りを行き交う人々は、皆瀬人子の知らない人間ばかりだった。
ザワザワという街の中独特の雑音の中、全ての人が右へ左へと瀬人子の前を急ぎ足で通り過ぎて行く。まるで瀬人子一人だけがこの世界の中で、ポツンとそこに取り残されているように思えてならなかった。
日は傾き、辺りは暗くなっていく。気温が下がり肌寒いと感じたが、瀬人子はそこから動く事は出来なかった。ずっと立ち尽くしていた為にローファーを履いている足が痛みを訴える。それでもそこから動けない。
ここに居れば克美が来るとは限らなかった。生地を買う事自体を諦めて、そのまま真っ直ぐ自宅に帰ってしまう事も考えられる。
それなのに、瀬人子はそこから動けなかった。どうしても今克美に会いたかった。会って黒く染まってしまった心から解放されたかった。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
手芸屋のシャッターがガラガラと閉まる音で瀬人子は我に返った。思わずそちらの方を見ると、店の従業員らしき女性と目が合ってしまう。ずっと同じ場所で立ち尽くしていた女子高生に向こうも心配していたのだろう。「買い物するの?」と優しく声をかけてきた。
だが瀬人子はそれにフルフルと首を横に振って答え、再び俯いて黙り込んでしまった。女性の心配そうな視線はまだ感じてはいたが、敢えてそれに気付かないふりをする。
そんな自分に瀬人子は自嘲気味に笑った。
また気付かないふりをする自分がとても情けなく感じる。どれだけの事に気付かないふりをし続けていれば、この心は楽になるのだろうか。
本当は苦しくて苦しくて仕方が無いというのに…。
「助けて…」
雑踏のざわめきを聞きながら、瀬人子は小さく呟いた。
「苦しい…。助けてくれ…城之内…っ」
ふいに泣きそうになって肩を落とした時だった。
「海…馬…?」
突如聞き慣れた声が瀬人子の耳に入ってきた。その声に慌てて顔を上げると、今の今まで心から待ち望んでいた人物がそこにいるのが見える。
その姿に心から安心して…そしてずっと抱えていた感情がグチャグチャに湧き上がって、瀬人子はつい泣きそうになって顔を歪めてしまった。
そんな瀬人子に驚いたのだろう。克美が慌てて近寄って来て、肩を強く掴まれる。
「お前…何でこんなところに…。ていうか、買い物しなかったのかよ」
克美の問い掛けに瀬人子はフルフルと首を横に振る事で答える。
そうだ…、約束していた。一緒に買い物をすると約束していたのだ。
その約束を克美は破った。一方的に破って、自分の知らない男とどこかへ消えてしまった。
ずっと我慢していた怒りがふつふつと湧き上がるのを感じて、それでも何とかそれを押さえつけながら瀬人子は小さく声を出す。
「約束した…」
「え…?」
「一緒に買い物するって…。一緒に生地を選ぶって…約束した。だから…待ってた」
「待ってたって…。でもお前、もう店閉まっちゃってんじゃん。一人で買い物しろって言ったじゃないか」
「………」
「明日どうすんだよ。お前までオレと一緒に怒られちゃうじゃん…」
「それでも…約束だから…」
爆発しそうな感情を無理矢理抑えつけ、瀬人子は俯いて身体を震わせた。こんな醜い感情を抱いている自分の顔を見せたくないと思い、深く俯いていたのだが、突然克美に抱き寄せられて驚いてビクリと跳ね上がってしまう。だけど抱き締めてくる腕の中が至極温かくて…。冷えた身体に熱が戻るようで、瀬人子はそのまま克美に抱かれたままじっとしていた。
そして大人しくしている瀬人子に対して、克美が心から済まなさそうに謝ってきた。
「ゴメン…。オレが悪かったな…」
「あぁ、そうだ」
「全肯定かよ」
「当たり前だ。全部貴様が悪い」
「う…うん…。まぁ…そうだよな…」
「貴様が約束を破ったから、オレは生地を買えなかった。貴様が勝手にどこかに行ってしまったから、オレは明日教師に怒られるんだ。反省しろ。そして責任を取れ」
「わ…分かったよ…。どうすればいい?」
「今度の連休は初日の朝から邸に来い。今日オレが一人ぽっちでいさせられた分、連休中はずっと側にいろ。ずっとだ。離れる事は許さないぞ」
「あ…う…っ」
「返事は?」
「はい…。分かりました…」
「あと」
「うん?」
「もう二度と約束は破るな。それからむやみやたらに性行為したりするのも、オレは好きじゃない。オレと親友でいたいのなら、もう他の男に抱かれたりするな…っ!!」
本当は…最後まで我慢しようと思っていた。だがもう我慢出来なかった。
数時間前、元彼と一緒に雑踏に消えていった克美の背中が脳裏に甦る。
それを見て、どれだけ自分がショックだったか。どれだけ自分が悲しかったか。どれだけ自分が怒りを覚えたか。
抑えきれない感情の正体を、瀬人子は漸くこの場で理解した。
そうか…。自分は『嫉妬』していたのだ…。
克美の元彼。克美の友人。自分の知らない克美を知っていて、尚かつその克美から愛情を貰える人々。
それらの人々に対して自分が『嫉妬』している事に、瀬人子は漸く気付いたのである。
だから瀬人子は、わざと克美に対して『オレと親友でいたいのなら』という表現を使ったのだ。克美に、自分との関係を一番に考えて欲しいと…そう思って。
それがどんなに醜く卑怯な感情であるか、瀬人子にはよく分かっていた。
だけど…止められなかった。止められる術を持たなかった。
「うん…分かった。約束するよ」
瀬人子の自分勝手な言い分に、だが克美は何も言い訳する事も無く真摯にそう約束してくれる。そして再び強く身体を抱いてくれた。
済まない…、城之内…。本当に…済まない…っ!
醜く真っ黒に染まった自らの心に自己嫌悪しつつ、瀬人子はそれでも克美の熱を拒絶出来なかった。
その熱が余りに甘美で優しく気持ち良かったから。そして彼女の熱に心から安心してしまったから。
自分が何故そんな心を持つに至ったのか…。
瀬人子がその真実に気付くのは、それから間もなくの事であった。