*子連れ城海シリーズ - 短編集 - 再熱(前編)

城之内、海馬共に33歳。
瀬衣名が家出した『遊園地騒動』の後に、再び恋人としてやり直す事にした城海の物語です。

 




『この間は娘が世話になったな。お礼がしたいから、今度一緒に食事でもどうだ?』


 城之内から海馬の元に、そういう旨の連絡が入ったのは数日前の事だった。家出した城之内の娘を海馬ランドで保護した時から、いつかこのような展開になるとは思っていたものの、余りにアッサリと連絡が来た事に海馬は拍子抜けしてしまう。だがその連絡を無意識に待っていたのも確かで…。結局海馬は二つ返事で、城之内の申し出を了承して電話を切った。


 数日後の夜七時。約束していたホテルに海馬が姿を現わしたとき、既にロビーで待っていた城之内が立ち上がってにこやかな笑顔で近付いて来た。目の前に立って、改めて十三年ぶりにお互いの姿を確認する。
 十三年前に別れた時、二人はまだ二十歳になったばかりの若々しい青年だった。だが今お互いの目の前にいるのは、三十三歳になって分別のついた大人である。互いに仕事を持ち、子供を抱えて、すっかり落ち着いてしまっていた。二人揃って上質のスーツを身に纏い、大人の男の色香というものが目に見えるように感じる。

「久しぶり」

 スッと大人の男らしい笑みを浮かべて、城之内がそう海馬に告げる。海馬もそれに「あぁ、本当に」と笑顔で答える。

「子供は?」
「お前の言う通り、今日はモクバに預けてきた。アレの妻がかなりの子供好きなのでオレも安心なのだ。お前の娘はどうした?」
「オレも静香に預けてきたから大丈夫」
「そうか」
「それより腹減っただろ? このホテルの五階にちょっと良い和食の店があるんだ。酒も料理も美味しいし、石版の上でステーキ焼いてくれたりするんだぜ。お前、肉好きだっただろ?」
「まぁな。そんな事、よく覚えていたな」
「馬鹿にすんなよ。お前の事ならオレは全部覚えている。忘れた事なんて、一度たりとも無かった」

 それまで笑顔で受け答えしていた城之内が、一瞬笑みを収めて真剣な顔でそう海馬に告げた。その表情に、海馬はコクリと喉を鳴らす。
 お前の事なら全て覚えている。忘れた事が無いのはオレも同じだ…。
 そう思いつつ、海馬はそれを口に出す事は出来なかった。
 娘がいるという事は、城之内はもう既に結婚しているという事。妻がいる男に、海馬はそんな事を言う事はどうしても出来なかったのだ。


 城之内が紹介してくれた店は品の良い落ち着いた感じで、海馬はこんな上等な店を知っていた城之内に素直に感心した。しかも城之内はこの店の常連らしく、城之内が店に顔を出した瞬間に入り口に立っていた従業員が奥から女将を呼び出し、現れた女将は城之内に対して深々とお辞儀をする。そして上品な笑みを浮かべつつ「城之内様、いつもありがとうございます」と城之内に告げると、そのまま奥の個室へと連れて行かれた。
 一連の店の対応に驚きつつ、通された個室でテーブルに着き、海馬は思った事をそのまま口にする。

「凄いな、VIP対応じゃないか。ここには良く来るのか?」
「ん? あぁ、よく大事な商談とかで使ったりするんだ。品の良い店だから、向こうも大概気に入ってくれるしな」
「商談…?」
「あれ? 知らなかったっけ? オレ今ウェブデザイナーやってて、数年前から独立してんだよ。これでも結構人気デザイナーで、引く手あまたっていうの? お陰様で年末までオレのスケジュールはギュウギュウだ」
「本当か…? 信じられないな」
「いやいや、そこは信じとけよ。お前んとこの仕事だって色々やってんだからさ」
「何だと…!?」
「一番最近の仕事だと…半年前かな? この間海馬ランドで新しい水上コースターが出来ただろ? ブルーアイズとレッドアイズの。アレの公式ポスターと宣伝用のウェブページ作ったの、オレだぜ?」
「は………?」

 海馬は広報の仕事には一切関わっていない。そこは自分よりずっとその手の才能がある弟に一任しているからだった。だからあのポスターやウェブページを作ったのが誰なのかは知らなかったが、その見事な出来映えに感心していた事を思い出す。
 そしてその事を思い出すと同時に、十三年という年月が思った以上に長かった事を海馬に知らしめた。自分が知っている城之内は未だ人生経験が未熟な二十歳の青年で、別れた当時は貧乏学生だった。その後学校を卒業後、どこかの中小企業に就職したとの連絡を遊戯から一度貰ったきり、城之内に関する情報は全て途絶えてしまっていた。調べようとすれば調べられた筈だが、その頃にはもう自分も結婚していたし、何しろ形式的には自分から城之内を『捨てた』事になっていた為、自分が知りたい為だけに一方的に城之内を調べるのは間違いだと気付いていたのだ。

「オレは…今のお前の事を何一つ知らない…」

 俯いて静かにそう告げると、だが城之内はあっけらかんとした顔で運ばれて来た酒に手を付けながらニッコリと優しく微笑んだ。そしてまるで十三年前に戻ったかのような若々しい声で、海馬にこう告げる。

「それじゃ、今から知ればいいんじゃないの?」

 城之内の言葉に海馬は素直にコクリと頷き、差し出された酒を受ける為に杯を持ち上げた。


 出された料理はどれも美味だった。高級な酒を酌み交わしつつ、上品な料理を楽しむ。そして少しずつ互いの事を知っていく。その度に心が温かくなっていくのを、城之内も海馬も感じていた。十三年の間に凍り付いてしまった大事な何かが、少しずつ解けていくようだった。

「もう何年前だったかな? 海馬コーポレーションの社長が電撃離婚っつーニュースを見た時は、オレも驚いた」
「そんな事もあったな。もう三年…いや四年経ったか」
「もうそんなに経つのか。元奥さんは? 今何してんの?」
「さぁ? 再婚した相手とでも上手くやっているのでは無いか?」
「あ、もう再婚してるんだ」
「もうというか…。離婚した原因が、オレの部下との駆け落ちだったからな」
「えぇぇーーーーっ!? マジで!? お前…奥さんに逃げられてたの!? しかもお前の部下と!?」
「まぁな。そういう貴様はどうなんだ? 娘がいるって事は、奥さんもいるのだろう?」
「うん…まぁ…いるっつーか、いた…だけどね。もう七年も前に死んでる」
「え…?」
「癌だったんだ。気付いた時にはもう手遅れだった」
「それは…何というか…。辛い事を聞いてしまったな…」
「別に、そんなに気にしなくていいよ。オレも娘も、もうとっくに立ち直ってるしな」
「でも大変だったんじゃないか? 七年前といったらあの娘さんもまだ小さかっただろうし」


 海馬の脳裏に、小さな少女の姿が浮かび上がる。
 息子の克人と共に現れたその少女は、意志の強そうな大きなアーモンド型の目をして海馬の事を見上げていた。そのキツイ瞳とフワフワの茶色の髪が、誰かを思い起こさせて思わずドキリと胸が高鳴る。子供特有の柔らかな白い頬が、海馬ランドの閉園前の花火に彩られて美しかった。

「名前は?」

 身体を屈めて努めて優しく尋ねると、一瞬の迷いの後に少女は桜色の唇を動かして自分の名を名乗った。

「せいな…」
「名字は? 上の名前は言えるか?」
「えーと…その…。じょうのうち…です」
「………っ!?」

 小さな少女の口から漏れ出たその名前に、海馬がどれ程驚いたか。海馬はあれ程の衝撃を、今までの人生で一度も感じた事は無かった。自分の妻が部下と駆け落ちした時でさえも、ここまでの衝撃は無かったと思う。それ程までに目の前の少女の正体は、海馬の理解の範疇を超えていたのだ。
 だがそこに『運命』というものを感じてしまったのも確かである。目で見られず手で確かめる事も出来ない、自分が尤も嫌っている筈の不確かなもの。それでも嫌と言う程それを感じて、心臓が高鳴ってしまうのをどうしても止められなかったのだ…。


 城之内という名前だけでは、本当に彼女があの城之内の娘かどうかは分からない。だが海馬はどこかで確信していた。何よりその少女の容貌が、あの城之内を強く思わせていたから。

「運命…かな?」

 長く考え込んでいた海馬の耳に、突然城之内の声が入り込んでくる。それにハッとして顔を上げると、視線が合わさった城之内が柔らかに微笑んで口を開いた。

「やっぱ運命なのかなーって思って」
「運…命…?」
「そう、運命。別れてから十三年も経つのに、お互いに結婚して子供までもうけたっていうのに。二人揃ってこうして独り身に戻って、そして再び出会う事が出来た…。これが運命じゃ無いなら一体何が運命だというんだ?」
「そ…それは…オレには良く分からないが…」
「あぁ、お前はずっとそうだったよな。自分自身の目や耳や手で確かめる事が出来ない物は、認める事が出来ないんだったっけ。でもオレはそういうのも信じてる。だからこの運命をもう逃したくは無いと思った」

そう言って城之内はスーツの内ポケットから何かを取り出した。そしてそれをテーブルの上に置いてスッと海馬の方へ差し出してくる。城之内の指が離れていってその場に残されていたのは…一枚のカードキーだった。

「これは…?」
「これ? ここのホテルの部屋のキーだよ」
「1207号室…。十二階!? スイートがある階じゃないか!!」
「流石にオレはお前程金は持ってないから、残念ながらスイートじゃなくてセミスイートの方だけどな」
「それで…。このキーが何か…」
「分からないの? マジで?」
「だから何…っ!?」

 カードキーを持ったまま訝しげに城之内を見詰めていた海馬は、だが次の瞬間、驚きの表情を顔に浮かべてしまう。カードキーを持った方の手を、大きくて熱い手が強く握り込んだからだった。城之内は掌に力を込めて、白くて細い、そして相変わらずヒヤリと冷たい海馬の手をキーごと握り込んでしまう。そして驚く海馬に視線を合わせ、低い声で自分の想いを告げた。

「海馬、二択だ。今ここで決めろ」
「な…、何…を…?」
「このままこのオレの手を振り払って自宅に帰るか、それともこのキーを持ってオレと共に今夜はここに泊まるか。今ここで、はっきりと決めてくれ」
「………っ!?」

 今日はこのまま平穏無事には帰れないだろう事を、海馬は何となくだが予想していた。だが余りに突然の、そして余りに計算され尽くした城之内の行動に、驚いて二の句が継げなくなる。カードキーを持った自分の手は未だに城之内の熱い掌に包まれたままで、その熱がじんわりと自分の中に染み込んでくるように錯覚してしまう。
 今ここでこのキーを捨てて、店を飛び出して帰る事は、至極簡単に出来るであろう。だが、海馬はそれが出来なかった。自分の手を包み込むその大きな手が、微かに震えているのを感じ取ってしまったから。そしてキーを持っている自分の手も、同じように震えてしまっているのを知っていたから。

「オレの言っている意味が分かるな…? 海馬?」

 低く告げられる城之内の言葉に、海馬はただ黙ってコクリと頷く。

「オレは…ずっとこうする事を夢見ていた。結婚して娘が産まれて、好きだった女が死んでも…。それでもお前の事が忘れられなかった。ずっと…ずっとだ…海馬」
「………っ」
「オレはお前とやり直したいと思っている。間違った道を元に戻したい。もうオレ達の間を遮るものは、何一つ無い筈だ」
「城之…内…っ」
「お前を帰したくは無い。本当だったら無理矢理にでも部屋に連れて行きたい。だけどオレ達はもう子供じゃないから、そこまでは出来ない。そんな思い切った事をするには…オレもお前も大人になり過ぎた」
「………」
「だから今お前に聞いているんだ。さぁ…海馬、答えてくれ。帰るか。それともオレと再びやり直すか」

 城之内の言葉が深く深く心に突き刺さる。この甘い誘惑を振り切る術を、海馬は全く持っていなかった。
 何故ならば…、この誘惑を待っていたのは自分の方だったから…。
 手の中にあるカードキーを再び強く掴んで、海馬はスッと顔を上げる。その表情にもう迷いの色は見られなかった。

「オレも…オレもそう思っていたんだ、城之内。もう一度…お前と共に歩きたいと…」

 それが海馬が出した答えだった。