*ヘルクリシリーズ - 読んでみる - *夜の帳に包まれて

ヘルモス×クリティウス
上の『草原の風に吹かれて』の続きです。
 
 




 精霊界の夜は静かで美しく、そして何より優しい。
 クリティウスは城のテラスから上空に浮かぶ真っ白な月を見上げていた。
 今自分達がいるこの古城は、昔まだ精霊界が平和であった頃にティマイオスとヘルモスと自分の三人で共に暮らしていた居城であった。
 ドーマの神を倒してこうして精霊界に戻って来てから暫くは、ここに三人で暮らしていたのだ。
 ところがつい最近になって突然ヘルモスが巨竜の姿に戻り、そしてこの城から遠く離れた草原や森で一人静かに暮らすようになってしまったのだ。
 最初は昼間だけどこか遠くに出掛けていただけだったのだが、その内夜も帰って来なくなってしまうのにそれ程時間はかからなかった。
 クリティウスはそんな彼に何度も接触を試みたのだが、いつも肝心なところではぐらかされてしまう。
 ヘルモス自身は自分が一人離れて行った理由についてバレていないと思っているのだろうが、クリティウスは何となく気付いてしまっていた。
 そして自分もまたその理由について悩み、こうして夜な夜な空を見上げる日々が続いている。


 月から視線を外し、遠くに見える黒い森を見つめる。
 最近ヘルモスは、あの森の中にある清らかな泉の脇に生える大樹を、気に入りの寝床としているようだった。
 ヘルモスが何を恐れて自分から離れていったのか、クリティウスにはもう分かっていた。
 ただそんな彼の気遣いを、クリティウスは少し寂しいと思ってしまう。
 もし自分の推理が間違っていなければ、今クリティウスが持っている悩みとヘルモスのそれは同じ類のものの筈なのだ。
 なのにクリティウスの胸の内にある覚悟は、ヘルモスが選択した答えとは全くの逆だったのだ。
 真の姿に戻り性欲を覚え、それから逃げ出したヘルモスと、逆に欲と向き合う事を決めたクリティウス。
 しばし目を瞑って何かを考え込んでいたクリティウスだったが、突如瞳を開くとテラスの手摺りを乗り越え空中に飛び出した。
 精霊の力を使い夜の冷たい空気を纏いながら、彼はただひたすら前方に見える黒い森を目指して一陣の風のように飛んでいった。


 森の空気は草原のと違ってじっとりと重く、それでいてどこか生き物を安心させるような気に満ちている。
 森の入り口に降り立ったクリティウスは、月明かりを頼りに森の中をひたすら進み続けた。ヘルモスがいる場所は、自分達にしか感じられない独特の気配で分かっている。精霊界の頂点に立つ存在の強い意志を感じたのであろう。森の木々がまるで生き物のようにヘルモスの居る場所へと小道を造ってくれていた。
「ありがとう。アイツのいる場所を教えてくれたのだな」
 そう言ってそっと樹皮を撫でると、風も無いのにさわりと枝葉が音を立てた。
 森の木々が導くまま進むと、やがて突然視界が開ける。
 そこはまるでそこだけ切り取られたかのような小さな広場で、下草を照らす上空からの月光が眩し過ぎる程だった。サラサラとした水音に視線を下げれば、そこに小さな小川が流れていた。それを辿っていくと、やがて地中から清廉な水を絶えず湧き続ける泉に出会う。そしてその傍らに生える大樹の根元に、探していた人物が眠っているのが見えた。


「ヘルモス…」
 小声で名を呼び、音を立てぬようにそっと近付くと、ヘルモスは全く気付く事なく安らかな寝息を立てている。
 最近気付いた事だが、昼間起きている時は赤い巨竜の姿でいるヘルモスも、夜眠る時だけは真の姿に戻っているようなのだ。
 それはやはりこっちが真の姿なのだという証拠で、安心したり気を抜いたりする時は人型の方が楽なのだ。
 クリティウスは月明かりに照らされているその精悍な顔をじっと見つめた。
 ヘルモスは大樹に上半身を預けるようにしてすっかり眠り込んでいる。ローブを纏った肩が規則正しく上下しているのを見て、クリティウスは口元に笑みを浮かべた。
 そっと側頭部に手を這わすと、サラリと自分のより幾分硬めの髪がクリティウスの白い指の間を通っていった。その感触が気持ち良くて何度も頭を撫でるが、一向に目覚める気配が無いのに気を良くし、今度はその顔に自らの顔を近付けていく。
 身体の中で心臓の音が煩い位に響いているのを自覚する。だが今更後に引く事など出来るはずもなく、ヘルモスの唇にそっと自分の唇を押し当てた。
 柔らかな唇の感触を直に感じて、たったそれだけの事なのに下半身がズクリと反応してしまう。
 元々性に淡泊な精霊としての気質と、おまけに一万年も竜の姿で封印されていた事もあって、クリティウスの身体(多分ヘルモスやティマイオスも同じであろう)は欲情に対して酷く不慣れであった。
 夜の冷ややかな空気など全く感じないほど顔がカーッと熱くなってしまう。このままキスを続けていれば、いずれヘルモスが目覚めてしまうだろう事は想像に難くないが、それでもクリティウスはその唇を離す事は出来なかった。
 やがて、漸く自らの異変に気付いたヘルモスがゆるりと目を開ける。その金色の瞳に驚き思わず身体を離すと、ヘルモスの方も目を丸くしたまま固まってしまっていた。

「ク…クリティウスッ!? お前何でここにいんの!? ていうか、今何してたのっ!?」
 驚きの余り幼い頃の言葉遣いで焦るヘルモスを見て、クリティウスは随分と懐かしいなと別の事を考えていた。
 精霊として卓越とした力を身に付けた今では、すっかり大人びた口調で話しているヘルモスだが、精霊界に誕生したばかりの頃はまるで人間の子供のような軽い話し方をしていた。そう言えば彼のマスターもこんな喋り方だったなと感心したように見つめていると、突如その肩を掴まれて揺さぶられる。
「クリティウス、聞いているのか? 何でお前こんな夜中にこんな場所へ来ているのだ。しかもお前さっき…俺に何をした…?」
 真っ赤な顔をして焦っているヘルモスに、クリティウスは「フンッ!」と鼻を鳴らすと胸を張って言い放つ。
「私が何をしようがお前には関係ない。ただ私はお前とは違って、自らの欲から逃げずそれを受け入れただけだ」
「よ…欲ってお前…。え? 何? どういう事…?」
「ヘルモス、お前は優しいからな…。どうせ私の為を思って逃げ出したのだろうが、そんな気遣いは最初から入らぬ世話なのだ。大体相手を欲しがっているのが自分だけと思い込んでいるところが気に食わぬ。その相手も同じ事を思っていると、何故考えられぬのだ」
 そう言うとクリティウスはヘルモスの右手を掴み、その手を自分のローブの隙間から差し入れた。
 最初にヘルモスの指が触れたのは、クリティウスの膝頭。その滑らかな肌にクラリと目眩がしたのも束の間、その手はクリティウスが導くままゆっくりと内股を上がっていく。
 やがて足の付け根にある熱い塊に触れた。そっと指を這わすと「はぁ…ぁ…」とクリティウスが熱い吐息を零す。その先端は既に滑る液体によって濡れそぼっていて、彼の欲望の深さを感じさせた。
「んっ………!」
 そのままその液体を塗りつけるように肉棒を擦っていると、やがてクリティウスが小さな悲鳴を漏らし身体をブルリと震わせて達する。掌に熱い液体がかかったのを感じローブの裾から手を引き抜くと、その手はクリティウスの欲望によって白く汚れていた。
 目の前で起こった事実にヘルモスは暫し呆然としていた。こめかみが痛くなるほどドクドクと強く血液が流れているのを感じる。何とか混乱した頭の中を整理しようとしたその時、突如意識が再び現実に戻される。
 何時の間にかクリティウスがヘルモスのローブの裾を割って、その白く細い指をヘルモス自身へと絡ませていたのだ。
「ク、クリティウスッ! やめろ…っ!!」
 何とか制止しようと腕を伸ばすが、柔らかい掌で根本から扱き上げられて思わず動きが止まってしまう。
 直ぐに先走りの液が溢れてきて、それに塗れた自分の肉棒は、クリティウスに扱かれる度にグチュグチュといやらしい水音をたてた。
 快楽に慣れていない身体はあっという間に限界を迎え、クリティウスの手に精液を放ってしまう。
「ふ…ぅ…」
 緊張から解き放たれて暫し呆然とし、深く息を付いてゆるりと顔を上げた。目の前には白い月明かりに照らされて、やはり呆然と座り込んでいるクリティウスの姿。そしてその白き手を汚しているものが何かを理解した時、漸くヘルモスは意識をはっきりと覚醒させた。
「クリティウス…ッ! 手を…!」
 慌ててクリティウスの腕を掴み泉まで引っ張ってくると、その清らかな水に手を浸す。
 小川の流れに沿うように自らの白い欲望が筋となって流れていくのを、ヘルモスは酷く情けない気持ちで見つめていた。そんな気持ちが表情にも表れていたのだろう、何時の間にかクリティウスがヘルモスの顔を覗き込んでいた。
「そんな顔をするな。お前の手とて私ので濡れているではないか」
 そう言って自分の手と同じように、ヘルモスの手を泉に浸す。
「ヘルモス…。お前が何を恐れているのか私には分からぬ。一体これの何がいけないのか、私には理解出来ない。好きな相手を欲しいと思うのは、生物としての本能では無いのか…?」
 放たれた言葉に驚いて目を向けると、クリティウスは一度ちらりとヘルモスを見遣り、そのまま言葉を続ける。
「欲を持つという事はそんなにいけないの事なのか? そんなに恐れなくてはならぬものなのか? 人間達が普通にやっている事を、同じ姿をした我々がしてはいけないという決まりでもあるのか?」
 泉の水にて清められた手を取り上げると、二人のそれはすっかり冷たくなっていた。その冷たい手をヘルモスの両頬に当て、クリティウスはその紫紺の瞳でヘルモスの金色の瞳を覗き込む。そこには欲情している己が映っていたが、その姿に全く嫌悪は感じなかった。
「ヘルモス、私はお前が好きだ…。だから欲など何も怖くはない。この欲が無ければ、お前を手に入れる事も出来ないからな。だから私はこの欲から逃げない。お前も…もう逃げる事を許さない」
 強い視線に絡まれて、ヘルモスは身動きする事が出来なかった。そんなヘルモスにクリティウスはゆっくりと顔を近付けていく。白い月明かりの中で二人分の影がやがて一つになった。



 そのまま共に抱き合って眠り朝を迎えた二人は、ある重大な問題に直面している事に漸く気付いていた。

「クリティウス…。俺はお前の事を抱きたいと思っているのだが…」
「あぁ。私もお前に抱かれたいと思っている」
「まぁそれはいいとして…。お前、やり方分かるか?」
「お前でも分からないものが、私に分かる訳が無かろうが」
「そうだよなぁ…。俺達は一万年以上もの長き間、欲とは無縁の生活をしてきたからなぁ…。よく考えればやり方なんて知っている訳がないんだよなぁ…」
「一体どうするのだ? 私はこれ以上待たされるのは、もう耐えられそうに無いんだが…」
「だよなぁ。やっぱここは…ねぇ? あの方達に…」
「そうだなぁ…。やはりあの方達に頼るのが一番か…」



 その後人間界では、夢の中で自分達のマスターに「交尾の仕方を教えて下さい!」としつこく頼み込んでくる二体の精霊の攻撃に、夜な夜な悩まされる二人の人間がいたようだが、それはまた別の話である。