*僕らシリーズ - 青春の1ページへ… - 現金な僕ら

城之内×海馬。
『アンニュイな僕ら』の続きになります。
城之内の一人称ですが、一番下におまけとして海馬の心情が少しだけあります。

 




 サァ…サァ…サァ…。

 窓の外から地面に向かって降り続ける静かな雨の音が聞こえる。
 雨音が外の雑音を全て覆い隠して、外界は異様な程の静けさだ。この冷たい雨から逃れてどこかに身を隠しているのか、鳥の声すら聞こえない。
 聞こえるのは静かな静かな雨音ばかり。
 暦の上ではもう夏だというのに、剥き出しの肩にヒヤリと触れるこの時期独特の湿気と冷たい空気にブルリと震えてしまう。
 暖かい掛布の中でオレは身体を横にして丸まった。
 そして半覚醒状態の頭の中で小さく舌打ちをする。
 あー…だから嫌なんだよ、この雰囲気は…。
 重たい瞼をそろりと開けると部屋の中は薄暗く、分厚い遮光カーテンの隙間から漏れてくる陽光は実に頼りない明るさだった。
 だけどそのカーテンが自分の部屋のとは明らかに違うのを見て、オレは一気に覚醒する。
 え? あれ? 何で? ここ誰の部屋?
 寝惚けた頭で何とか昨夜の事を思い出そうと努力していると、背後で何か温かいものがモゾモゾと動いて、そのままオレの背中にピタリとくっついてきた。
「ぅ…ん…」
 微かに呟かれた声で、オレは自分の背中にくっついているモノが何なのか思い出した。

 海馬だ! コレ海馬だ! オレ海馬の部屋に泊りに来たんだった!!


 昨日のあの屋上での会話の後、オレは海馬の邸に泊りに行く事を了承していた。
 その日の夜は一応バイトが入ってたから、一度家に帰り着替えやら何やらを持ってからバイトへ行き、バイトが終わった後はそのまま家には帰らず海馬の邸に直帰したのだ。
 もう夜の十時も過ぎていたのに、海馬は腹が減ったオレの為に夜食を用意して待っていてくれて、しかも客のオレがいつでも入れるように風呂の準備まで完璧にしていてくれた。
 そういう何気ない心遣いを素直に嬉しいと思う。
 あの屋上での会話から始まって、今日一日だけでオレの中の海馬のイメージは随分変わっていた。
 風呂に入ってサッパリした後は、海馬の自室でコーヒーを飲みながら何気ない話をずっとしていた。
 学校の事とか仕事の事とかデュエルの事とか。
 ソファに向かい合わせに座って色んな話をする度、海馬は相槌を打ったり自分の意見を言ったりオレの話に笑ったりしてくれた。
 オレはずっと海馬とこんな風に普通の会話を楽しみたいと思っていたから、それが何だか嬉しくて仕方が無かった。
 しかも海馬は今、白いパジャマ姿だ。
 当たり前だがオレは海馬のこんな格好なんて見た事無くて、普段と違うシチュエーションに興奮していたのも事実だ。
 だからちょっと事を急いでしまったのは認める。
 飲み終わったコーヒーをガラステーブルに置いて立ち上がったオレを、海馬は不思議なものを見るような目付きで見詰めていた。
 そのまま何も言わずに近付いて、奴が持っていたカップを優しく取り上げて同じようにテーブルに置いてしまう。
「何だ?」
 首を傾げてそう言う海馬の唇を、オレは自分の唇で覆ってしまう。
 フワリと上品なコーヒーの香りが広がっていく。
 顔が近付いていってもまさかいきなりキスされるとは思っていなかったんだろう。海馬は無抵抗だった。
 薄目を開けて海馬の表情を見ていたら、パチパチと何度も瞬きを繰り返している。
 コイツ…ちゃんと自分がキスされてるんだって分かってんだろうな…?
 オレが心配になってきたその時、漸くキスの事実に気付いたらしく、慌ててオレの胸に両手を当ててグイッと押し返してきた。
「な…何をするんだ!」
 顔を真っ赤にしてそんな事を言うから、オレは平然と言い返してやった。

「何って…キス?」
「キ、キスって…貴様…っ」
「何だよ。そういうつもりでオレを呼んだんじゃないの? オレはてっきりそうなんだとばっかり思ってたけど」
「そ…それは…そうだが…。でも突然過ぎる…」
「突然も何も、もう寝る時間なんですけどね」

 オレの言葉に海馬が慌てて壁に掛かった時計に目を向けた。
 時間は夜中の一時。
 やる事やるなら、そろそろベッドに入らなきゃいけない時間だ。

「するんでしょ? セックス」

 確認するようにわざと直接的な単語を使ってそう言うと、海馬は相変わらず真っ赤な顔をこちらに向けたまま暫く固まって、だけどはっきりと首を縦に振った。
 微かに震える海馬の身体を抱き寄せて寄り添うようにベッドルームへと向かう。
 ドアを開けた途端に目に入ってくる、薄暗い部屋の中で一際自己主張している天蓋付のキングサイズのベッド。
 あの上でこれから海馬とセックスするんだと思うと、途端にそれが卑猥なものに見えてくるから不思議だ。
 海馬の腰を片手で支えてベッドまでエスコートして、白いシーツの上にその細い身体を押し倒した。
 真っ赤に染まった頬や細い首筋に優しく唇を落としながらパジャマのボタンに手を掛けると、その手を強く掴まれてしまう。

「何?」
「ふ…服…」
「あぁ。服脱がないとセックス出来ないだろ?」
「ち…違う…。服…自分で脱ぐから…」

 そう言うと海馬は上半身を起こして、自分でパジャマのボタンを外し始めた。
 ボタンを全部外して肩から白いパジャマをスルリと脱ぐ。ついでにズボンにも手を掛け、一瞬考えた後思い切って下着ごと脱いでしまう。
 おぉ…、大胆な脱ぎっぷり。
 オレもパジャマ代わりに着ていたTシャツやスウェットを手早く脱いでしまうと、ベッドに座っていた白い身体に抱きついた。
 何だかどうしようもなく海馬の事が愛しく感じられて、温かな身体をぎゅうっと抱き締める。
 そのままもう一度ベッドに押し倒そうと思った時、オレは余計な事に気付いてしまった。

 あれ? 震えてる?
 そういやさっきから震えていたよな…。
 コレって緊張の震えなのかな。
 だけど何かちょっと違うような気がする。
 え…? ま…まさか…そんな…。まさかとは思うけど…っ。
 こ、怖がってる!? 怖がってるの、コイツ!? オレの事怖がってるの!?
 う、嘘だろ!?
 だってコイツ、自分からオレを誘ってきたんだぜ!?
 なのに今更オレの事を怖いとか…無しだろそれ!!

 自分の脳裏に浮かんだ考えを信じる事が出来なくて、オレは恐る恐る海馬の顔を覗き込んだ。
 さっきまで真っ赤だったその顔はいつの間にか真っ青になっていて、海馬が恐怖を感じている事が確定的となる。
「海馬…。もしかして、オレの事…怖いのか?」
 あんまり怖そうにしてるから可哀想になってそう聞くと、オレの予想に反して海馬は首を横に振った。
「ち…違う…。別にお前の事が怖い訳じゃない…」
 恐怖の為震える声でボソリと呟いて、海馬はそろりと視線を上げてオレを見た。

「け、経験が…無いのだ。だから…その…余りガッつかないで欲しい…」

 海馬の告白にオレは心底仰天した。
 マジでか!!
 学校の屋上ではあんなに魅惑的に誘ってみせた癖に、初めてってマジですか!!
 それは流石のオレも予想していなかった。
「何で経験も無いのにあんな誘い方したの」
 海馬の態度に少しだけ呆れてそう問いかけると、真っ青だった顔を再び赤くして海馬が俯く。

「誘っては…いけなかったのか…?」
「いや、別にいけなくはないけどね。初めてなんだったらさ…もっとお前が大事に思ってる相手の方がいいんじゃないか?」
「だ…だから…っ! だから貴様を誘ったのだ!!」

 俯いていた顔をバッと上げて、海馬が真剣な顔でオレを見詰めてくる。
 海馬が今胸に抱いている感情には、オレにも覚えがあった。
 それは学校の屋上でオレが気付いたあの感情だ。
 あぁ、何だ。そうだったのか。
 オレ達ってホント馬鹿だよなぁ…。
 初めから言葉で言えばいいものを、いきなり身体を繋ごうとするからこんな事になるんだ。
 オレは海馬が好きだって事に気付いてそれに満足してしまい、コイツの気持ちを確認せずにいきなり抱こうとしてしまっていた。
 海馬は俺の気持ちを確かめもせずに、オレの事を好きだってだけで身体を許そうとしてしまった。
 相手の気持ちがどこにあるのか分からなければ、そりゃ海馬だって不安にもなるさ。当たり前だ。
 不安そうな海馬の頬を優しく撫でて、オレは顔を近付ける。
 ビクリと反応して思わず離れそうになるのを、オレは海馬の後頭部に回した手に力を入れて逃げを許さなかった。
 緊張と不安で戦慄く紅い唇に、そっと触れるだけのキスをする。
 何度も何度も、震えが治まるまで何度も。
 やがて触れていた唇からフゥ…と熱い吐息が漏れたのに気付いて、オレはそっと身体を離す。
 海馬の震えはいつの間にか止まっていた。
「すまない…。戸惑わせてしまったな。もう大丈夫だから続きを…」
 オレの目をじっと見詰めてそう言う海馬に、オレは首を横に振ることで答えを返す。

「いや、今日はもういいよ」
「何だと…?」
「今日はお前がオレの事を好きでいてくれたって事を知っただけで充分」
「い、いや、だがしかし…っ!!」
「だがもしかしも無いから。ほら、もう反応してねーし」

 指先を自分の股間に向けると、そこを見た海馬が目を丸くして驚いていた。
 まぁ…さっきまではやる気満々だったんだけどね。
 何か心が満たされたお陰で、良い意味で身体もやる気を無くしてしまったらしい。
 今日はもう幸せなこの気分のまま眠りにつきたかった。
「なぁ海馬。お前、オレの事が好きなんだよな?」
 確認の為もう一度そう聞くと、海馬は何とも言えぬ顔をして頷いた。
 てか、何でそんな顔してんのよ。
 何故だか知らないが、コイツは今凄く残念に思っているらしい。
 さっきまであんなに怖がっていた癖に、いざ続きが出来ないとなるとそれはそれで気になるようだ。
 たくっ…。仕方の無い奴だなぁ…。
 仕方が無くて…すっげー可愛い奴だ。

「あのな、こういうのはちゃんと言葉で言っておかないとダメだと思うんだ。だからオレもちゃんと言う。オレさ、今までお前への気持ちに全然気付いて無かったんだ」

 海馬は黙ってオレの言葉を聞いていた。
 途中で余計な言葉を挟むつもりは無いらしい。

「今日の…あ、もう昨日か。ま、いいや。学校の屋上でさ、色々話したじゃん?」
「あぁ」
「あの時にさ、唐突に気付いちまったんだよ。オレ、お前の事が好きだったんだなってさ」
「………っ!?」
「だから今両思いだって分かって、すっげー幸せな気分になっちゃったの。今はそれで充分だって感じちゃったんだよ」

 オレの言葉に驚いて何も言えなくなっている海馬の腕を引っ張って、共にシーツの上に転がった。
 そしてさっさとブランケットを身体の上に掛けてしまうと、そのまま細い身体を抱き締めて大きく息をつく。

「という訳で、今日はこの気分のまま眠ろうと思います。おやすみなさい」
「い、いや…ちょっと待て城之内!!」
「待たないよ。もう眠たいし。大体お前、すげー怖がってたじゃん」
「それは確かにそうだが…っ! 貴様はそれでいいのか!?」
「だからいいって言ってんじゃん。よく考えたらさ、両思いって事はオレ達はもう恋人みたいなもんだろ? 恋人ならセックスなんていつでも出来るしな。別に今夜しなきゃいけない訳じゃないし。また今度にしよーぜ」
「だが…。じ…城之内…」
「それにこうやって裸で引っ付いてるだけでも気持ちいいし。温かいし、お前肌すべすべだし。な? 今日はこれでいいじゃん」

 オレの台詞に、海馬が漸く抵抗を止めた。
 腕の中で大人しくなった身体を抱え直して、オレはゆっくり目を瞑る。
「おやすみ」と声をかけたら「お…おやすみ…」と小さな声が返ってきた。
 己の腕の中にあるその存在は、温かな体温と確かな鼓動と小さな呼吸音をオレに伝えてくる。
 それが溜まらなく愛しくて、オレは幸せ一杯な気分で至極満足だった。
 最後にもう一度だけ力を入れて海馬を抱き締めて、そしてオレはそのまま眠りに落ちていった。


 背中から伝わる愛しい熱に昨夜の事を思いだして、オレはにやついた笑みを止める事が出来なかった。
 今、オレの背中に引っ付いて眠っているのは、紛れも無いオレの恋人だ。
 朝だからか何なのか知らないが、昨夜は治まっていた筈の熱がぶり返してくる。
 いやいや、流石に寝込みを襲うなんて卑怯な真似はしませんよ?
 でも、もしこの存在が目覚めたら。
 目覚めて瞼を開いて、あの澄んだ青い瞳でオレを見詰めたら。
 どうなるかは分からないな。


 窓の外からは相変わらず静かな雨音。
 分厚い雲の向こうからの陽光は頼りなくて、部屋の中も薄暗くてほんのり寒い。
 だけど何故なんだろうな?
 もうあの孤独感は感じない。
 海馬が隣で眠っているだけで、こんなに心が満たされるなんて思いもしなかった。
 こんな幸せな思いが出来るのなら、雨の朝もそんなに悪いものじゃないのかも知れない…。
 そんな事を思いながら、オレはやっぱり自分を現金な奴だと感じていた。
「まだ六時か…。もう少し眠れるな」
 壁に掛かった時計をチラリと確認して、オレはもう一眠りする為に目を閉じた。
 次に目覚めた時には、あの青い瞳に出会える事を期待して。

 



 おまけ


 サァ…サァ…サァ…。

 窓の外からは地面に向かって降り続ける静かな雨音が響いている。
 そっと目を開ければ、雨の日独特の薄暗い室内。
 必然的に襲ってくる孤独感に嫌だな…と感じながら、ふと何かの気配を感じて横を見た。
 そしてそこに居た存在に心から驚いた。

 城之内だ…っ! 城之内がいる…っ!!

 自分の目に入って来たのは、オレの方に背を向けて眠っている城之内の姿だった。
 途端に脳裏に昨夜の記憶が甦ってくる。
 何という醜態を晒してしまったのだろうか…。
 恥ずかしくて堪らなくて居たたまれない気分になる。
 だけど…それ以上にオレは幸せだった。
 自分の隣に寝ていた城之内の存在に気付いただけで、幸せで嬉しくて胸が一杯になる。
 雨の朝の孤独感なぞ、気付いたらどこかに行ってしまっていた。
「ぅ…ん…」
 気恥ずかしさを誤魔化すようにわざとらしくそんな声を上げながら、オレは城之内の背中に縋り付く。
 裸で眠っていた為にすっかり冷えてしまっていた肌に、オレより幾分高い城之内の体温が心地良かった。
 じんわりと伝わってくる熱に満足して、オレはもう少し眠る為に目を瞑る。
 城之内の存在一つで、雨の朝もこんなに幸せな気分で迎えることが出来るとは…。
 オレはそんな事を考える自分を、本当に現金な奴だと思った。
 だけどそれも悪くないと思う。

 次に目が覚めた時は、あの明るい琥珀色の瞳を見せてくれ。
 そうしたらきっと昨夜より落ち着いた対応が出来る筈だから。

 幸せな予感に満たされながら、やがてオレの意識は眠りの世界へと入っていった。