「よぉ乃亜、久しぶりだな~」
世の学生達曰く『期末テスト期間』が終了した次の日の午後、城之内は久しぶりに乃亜の前に姿を現した。
「久しぶりだね城之内。テストはどうだったんだい? 苦手科目は瀬人が教えてくれてたんだろ? ちゃんと出来たのか?」
「うっ…! うるせぇよ…」
ドッカリと据え置きの椅子に腰を下ろしながら、乃亜の遠慮の無い質問に城之内が言葉を濁す。それに思わず吹き出しながらも、ばつが悪そうな顔をしている城之内を微笑ましく眺めた。
海馬がヴァーチャル空間に捕われたあの事件からもう二ヶ月が過ぎようとしていた。
城之内が突然海馬の元にやって来たあの夜。二人の間にどんな会話がなされたかは知らないが、その後城之内と海馬の関係は極めて良好であった。最初の内はまだどことなくギクシャクしているように見えた関係も、最近はすっかり自然な形で収まっている。
そう、自然なのだ。城之内と海馬が共にいる光景がすっかり自然になってしまっているのである。
それは二人の間で交わされる会話であったり、交わる視線であったり、またはそこに流れる空気そのものの雰囲気であった。
「多分出来たと思うんだけどなぁ…」とブツクサ言いながら頭をガリガリ掻いている城之内に乃亜は問いかける。
「今日は? 瀬人と一緒に帰るんだろ?」
「あぁ、うん。思ったより急な仕事が無かったお陰で八時には終わるって言ってたぜ。まだ七時だから時間余っててさー。だから暇つぶしに来た」
「城之内…。僕は暇つぶしの道具じゃ無いんだけどね…」
少し恨みがましく睨み付けると、「悪い悪い」と言いながらも城之内は全然悪いと思っていない顔で笑っていた。
睨み付けていても乃亜とて本気で怒っている訳ではなかったので、直ぐにその表情を緩めてしまう。
「幸せそうだね、城之内」
不意にそうポツリと呟くと、城之内が振り返って微笑んだ。
「あ、やっぱわかる?」
「そりゃわかるさ。表情が全然違うしね。何より瀬人が随分と変わったから」
乃亜はここ最近の海馬の様子を脳裏に浮かべる。そこに居るのは随分と柔らかな雰囲気と優しい笑みを身に纏った海馬の姿だった。発する言葉も常に前向きで、もうあの見ているこっちが辛くなるような悲壮感を漂わせた海馬はどこにもいなかった。
直接訪ねた事は無かったが、きっと彼は今もの凄く幸せなんだろうと確信していた。
「ありがとうな、城之内。瀬人の事は僕も心配してたんだ。だけど最近はそんな心配全くする必要が無くってね。それも全部君のお陰なんだよな」
「礼を言われるような事は何もしてないぜ。俺はただ自分の気持ちを突き通しただけだしな」
礼を言った乃亜に城之内は満面の笑みを浮かべて得意そうに言った。
そんな笑顔を見ている内に乃亜も何だか可笑しくなって二人で笑っていると、突然入り口辺りの壁がコンコンと叩かれる音が響く。振り返るとそこにいたのは、すっかり帰り支度を終えた海馬だった。
「あれ? 海馬お前、仕事はどうしたんだよ?」
手元の時計を見るとまだ七時半を回ったところで予定の時刻ではない。時計と海馬を交互に見ている城之内に、海馬は憮然とした表情を崩さずに口を開いた。
「貴様が来ると言うから早めに終わらしたのだ。邪魔したようで悪かったな」
「いや、別に悪くは無いよ。後で社長室まで迎えに行こうと思ってたのに拍子抜けしただけ。んじゃ帰るかー」
城之内はそう言うと、鞄を持って椅子から立ち上がる。そして乃亜の方に振り返り、幸せ一杯な笑顔で手を振った。
「それじゃ俺等帰るから、またな乃亜!」
「あぁ、またな城之内。瀬人も気をつけて帰りなよ」
「余計な心配をするな。どうせ車だ」
フンと鼻を鳴らして踵を返す海馬の後を追って、城之内がその隣に並んで歩き始めた。城之内が嬉しそうに何かを海馬に話しかけると海馬もそれに答えたようだったが、やがてその姿は自動扉により見えなくなってしまった。
廊下から響き段々遠くなる二人の話し声に、静かな部屋に残った乃亜は一人優しく微笑む。
あぁ、どうか。
彼等がこれからも幸せでありますように。
ただのデータである自分には、神などという存在に頼るなどおこがましいが。
それでも僕は願わずにはいられない。
瀬人に言わせればこの世に永遠などという物は存在しないらしいが、それでも僕は思うんだ。
君達の絆はきっと永遠なんだろうなと。
その絆を勝ち取る為に、ありったけの勇気を振り絞った城之内に大いなる賞賛を。
その絆を得る為に、無い勇気を必死で掻き集めた瀬人に心からの抱擁を。
自動電源オフがはたらき暗くなる部屋の中で、満足気な笑みを浮かべると乃亜はヴァーチャル空間に戻っていく。
間違いなく、今ある絆はきっと二人の『勇気の証明』。
その絆はきっとこの先誰にも破られる事は無いだろうと密かに確信し、乃亜は電脳を休ませる為のしばしの眠りについたのだった。