飛び込んだ瞬間、何か気持ちの悪い電流のようなものが身体に流れたような気がしたが、次の瞬間にはもうその感触は無くなる。
地面に足がついた感触に恐る恐る目を開けると、そこはよく見慣れた光景だった。前に何度か遊戯と一緒に訪問した事のあるそこは…。
「ここは…海馬邸…?」
目の前にあるのは紛れも無い海馬邸。
周りを見渡してみるが、空間が歪んでいて気持ちが悪い。妙に現実感の無い世界に、海馬邸だけがしっかりと存在していた。
とりあえず呼び鈴を押してみるが、もちろん誰も出ない。早々に諦めて今度は表門に触れると、それはまるで誰かが来るのを待っていたかのように簡単に内側に開かれた。
ごくりと生唾を飲んで、城之内は一歩一歩中へ進んでいく。玄関のドアを捻ると、それも簡単に開いた。
「おじゃましま~…す」
恐る恐る中に入ると、正面の大階段のところに子供が一人居るのが見えた。今よりずっと小さいけど、城之内が見間違える筈はない。それは間違いなく子供の頃の海馬の姿だったからだ。
「海馬…!」
慌てて近寄ろうとすると、子供の海馬はそのまま階段を登って行ってしまう。
追いかけると、海馬はそのまま二階の自室に入っていった。
城之内は海馬の自室の前で立ち止まり暫く中の様子などを伺っていたが、何も聞こえないので意を決してゆっくりどドアを開けた。
中を覗くと部屋は暗く、ベッドの中には疲れたような顔をして眠る子供の海馬の姿。
「そういえばコイツ、何か無茶な教育受けてたんだっけな…。可哀想にな…、まだ子供なのにこんなに疲れた顔をして…」
ぐっすり眠る子供の頭を撫でようと手を伸ばした瞬間だった。
突然強い力で跳ね飛ばされ、ドア付近の壁に叩きつけられる。
「いっ…ってー!!」
すぐさま起き上がって何が起こったか確かめようとするが、身体がまるで金縛りにあったかのように動かなくなっていた。
「な…んだよ、これ…っ!」
何とか動こうともがくが身体は全く動けそうにない。
城之内が四苦八苦していると、突然横のドアが開いて誰かが入ってきた。
その人物を城之内はよく知っていた。
先代海馬コーポレーションの社長で海馬の養父の海馬剛三郎だった。
剛三郎はまるで城之内に気付いていないかのように真っ直ぐ海馬のベッドに近づくと、彼が纏っていた上掛けを乱暴に剥いでしまう。
『義父…さん?』
『起きなさい瀬人。これからお前には新しい仕事をしてもらう為に、教育を施さなくてはならん』
まだ眠りから覚めたばかりで自体が把握できない海馬に、剛三郎が手を伸ばす。
「何…だよ…。やめ…ろ…」
『義父さん…何…? やだ…やめて…』
『大人しくしていろ、瀬人。モクバに迷惑はかけたくないだろう?』
「やめろ…っ!」
『やめて義父さん!! い…嫌だ! 嫌だー!!』
『無駄だ瀬人。いい加減諦めなさい』
「やめろっ…! やめろよ!!」
『やめて…ひっ…! 怖い…! い…やだ…! 義父さん…助けて…!』
『ワシを受け入れろ瀬人。もうお前にはこうする道しか無いのだよ』
「やめろよっ!! やめろってばっ!!」
『痛い…! 痛ぁ…い! 義父さんや…めて…! 痛いよ…怖い…よ…! うっ…! あっ…! あぁぁーーー!!』
『いい子だ瀬人…。それでこそワシの息子だ…』
「もう…やめてくれっ…!!! 海馬を許してやってくれよっ…!!!」
城之内は目の前で行われた惨劇に無力だった。
何とかしてやりたくて懸命に叫ぶもその声は届かず、身体は固まってしまっていて指先一つ動かす事は出来なかった。
脳裏に先日の会話が甦る。そして自分は汚れていると言った海馬の声も…。
目の前で泣き叫ぶ海馬に何もしてやれなくて、城之内は悔しさの余り涙が零れた。
これが過去の映像だと分かっていても、助けてやりたかった。汚い大人の手から救ってやりたかったのに、自分は何もする事が出来ないのだ…。
やがて事が終わり剛三郎の姿が消える。
残されたのはベッドの上で放心状態のままの子供の姿の海馬だけ。
幼い顔に残った涙の跡が居た堪れなかった。
それでもようやく開放された海馬に安堵の表情が浮かんだのも束の間、ドアからはまた別の男が入ってきた。
その人間もまた何も出来ない幼い海馬を陵辱し、全てが終わると消えていく。
同じように何人も何人も入れ替わり立ち代り部屋に入って来ては、ベッドの上の幼い海馬を蹂躙していった。
その中には、暴れる海馬に薬を飲ませて無理矢理大人しくさせたり逆に昂らせたりしていた者や、鎖の付いた首輪や手錠などを使い拘束する者、時には鞭や卑猥な道具等を使い暴力じみた行為を強いている者もいた。
そんな行為の連続に、最初は泣いて暴れていた海馬もやがて何の反応も返さなくなっていく。
虚ろな青い目を天井に一点に向けて、自分を陵辱する男の動きに合わせてただ揺さぶられているだけなのだ。
ただ最後に、海馬に覆いかぶさった男がその幼い身体の中で達したであろうその瞬間だけは、ホロリと一筋だけ涙を流すのだった。
城之内の身体は相変わらずピクリとも動かず、その目を背けたくなるような酷い光景を延々と見せられ続ける。
「海馬…。ひでぇよ…こんなの…」
悔しさの余りに滲む涙を拭う事も出来ずその光景を見ていると、やがて全ての男達の姿が消えた。
そこで漸く子供の海馬はベッドからそろそろと降り、ベッドサイドの引き出しの中から剃刀を取り出すとぺたりと床に座り込んだ。そして剃刀の刃をゆっくりと自分の左腕の内側に当てる。
「海馬っ…!! やめろ! 何するんだ!!」
城之内が叫んでも、どうやらその声は聞こえてないようだった。
スーッと薄く剃刀を引く。
すると真っ白な子供の腕に、赤い線が一本引かれた。
『あぁ…よかった…。僕はまだ生きてる…。まだ痛みも感じる…。僕はまだ正常だ…狂ってなんかない…。僕はまだ大丈夫なんだ…』
蒼白な顔で乾いた笑いを浮かべる子供の腕には、同じような横一線の傷跡がいくつも残っていた。
「海馬っ…!」
城之内はそっと手を伸ばす。いつの間にか身体の拘束は解かれていた。
目の前で虚ろな表情で笑っている子供をただ抱きしめてあげたくて両手を伸ばすが、海馬に触れる寸前でその姿は消えてしまった。
暫く黙って立ち尽くしていた城之内は、突如後ろの壁を思いっきり殴りつけた。
「くそ…! くそっ…!! くっそぉーーー!!」
今見せられた映像が過去のものだと言う事は理解していた。だからもしここで助ける事が出来てもそれは全くの無駄だと言う事も。
だけどそれでも、何も出来なかった自分が悔しかった。
海馬が何故あそこまで頑なに自分自身を否定してたのか、嫌でも分かってしまった。
それでも…それでも…。
「海馬を…助け出さねーと…。海馬…俺の…。俺の海馬を!」
顔を上げ気持ちを切り替える。
もう城之内の中では何があっても、海馬への気持ちが変わる事はなかった。