「いつでも遊びに来て」と乃亜とモクバに見送られ外に出ると、辺りはもう真っ暗だった。
「車で自宅まで送ろうか?」と海馬が提案したのだが、遊戯は「大丈夫だよ。僕子供でも女の子でもないんだよー」と頬を膨らまして反論する。
「いや、十分子供みたいだし」とは口が裂けても言えなかったが、遊戯は城之内の思惑に気付いたようにじっと睨み付けてきた。
「ところで海馬君は、これからはちゃんと学校に来れるの?」
睨み付けられた城之内が「悪い悪い」と謝ったのを聞いて気を良くしたのか、遊戯は今度は海馬に向かって質問をする。
自分達の背後で腕を組んで立っていた海馬は、その言葉に幾分表情を緩めた。
「あぁ。しばらくは学業に専念しようと思っている。アメリカに行っていた分のブランクもあるしな。とは言っても社長業を放棄するわけには行かないから、仕事が入ったら急に休んだり早退や遅延したりする事はあるだろうな。まぁ今までと余り変わらんということだ」
海馬の答えに満足したのか、遊戯がにっこりと笑う。
「それでも良かったよ。これからは今まで以上に海馬君と会える様になるんだね。僕やっぱり嬉しいな。これからもよろしくね海馬君」
そう言うと遊戯は「じゃーねー、海馬君城之内君! また明日学校でねー!」と大きく手を振って帰っていった。
「おう! またな遊戯ー!」
城之内は遊戯に手を振り返し、そして隣に立つ海馬を見た。
海馬はちらりとこちらに眼を向けるが、気不味そうにまた視線を外してしまう。
そんな海馬の様子に城之内はニッと笑うと、あえて視線を合わせるように海馬の正面に立つ。
「そういや海馬。俺さ、お前に大事な事言ってなかったの思い出した」
「なんだ?」と表情だけで問うてくる海馬の目の前に立ち、城之内は笑顔を深くして言った。
「海馬、おかえり!」
その言葉を聞いた途端、海馬の顔がまるで泣く一歩手前のようにくしゃりと歪む。
一瞬本当に泣いてしまうのではないかと城之内は慌てたが、結局海馬が泣くことは無かった。
だが顔を俯けてしまいその表情を隠してしまう。
「…う…して…」
「え?」
海馬が何か言ってるのを聞いて、でも良く聞こえなくて、城之内は思わず聞き返してしまう。
「どうして…貴様は…さっきからそんな…平気な顔で笑って…話しかけてくるんだ…っ!」
「どうしてって?」
「三ヶ月前のエジプトのでの事、貴様は忘れた訳ではあるまい!」
「うん。よく覚えてる」
「だったら何故俺に構う? 俺に何を言われたか覚えているんだろう? 俺を憎み…恨みこそすれ、そんな顔で話しかけてくる理由なんて無い筈だ!」
「うーん…。そう言われても…なぁ? 好きだから仕方無いじゃん」
「な…!?」
「俺さ、お前にあんな風に振られちゃったけど、正直お前が帰ってきてくれて、今すっげー嬉しくて仕方ないんだ。本当だぜ? だって好きだからさ」
「お…俺は…ダメだと言っただろう!?」
人差し指で自分の頬を掻きながら安易に答えると、海馬は顔を上げてキッと睨んできた。
よく見るとその青い瞳が熱っぽく潤んでいるのが分かる。
「いやその、ダメって言われてもねぇ。俺はさ、すぐにお前を忘れられるほど諦め良くないしな。つか好きなモンは好きだし? 悪いけどいくらお前でも、他人の気持ちばっかりは変えようが無いぜ?」
最後の方は幾分真剣みを含ませて言い聞かせる。
一瞬激高した表情になった海馬は、だがまた泣きそうな顔に戻っていた。
城之内は思わず海馬の頬に手を伸ばしかけるが、その手は後から伸びてきた海馬の手によってパシンと払われてしまう。
「とにかく…ダメなものはダメだ」
あの時と同じように、海馬はクルリと城之内に背を向けて去っていこうとする。
「海馬…!」
「貴様も早く帰れ! 俺はまだ仕事がある。邪魔をするな!」
そのまま足早にビル内に戻っていく海馬を、城之内は黙って見つめる事しか出来なかった。
それから数日間、暇を見つけては学校帰りやバイト帰りに海馬コーポレーションのビルに寄り、乃亜やモクバと談笑するのが城之内の楽しみになっていた。
遊戯や杏子や本田や御伽はもちろん、あの体験をしていない漠良にも事情を話して一緒に遊びに行ったりもした。
友人達と一緒の時もあったが、バイト帰りなどは一人で遊びに行くこともあった。
乃亜は『外の世界』の話を本当に真剣に聞いてくれる。
城之内の知っている世界など『学校』や『バイト』や『荒れた家庭の事情』等本当に狭い範囲なのに、乃亜はそれでも全く興味が尽きないようだった。
海馬とそっくりな顔でだんだんと自分に懐いてくれるようになった乃亜を見るたび、城之内は嬉しくもあり少し複雑な気持ちになったりもした。
乃亜の顔を見ていると、嫌でも海馬の事を考えてしまう。
『暫く学業に専念する』と言った言葉に嘘は無かったようで、その後海馬はよく学校に来るようにあった。
相変わらず休んだり遅れてきたり、途中で携帯で呼び出されて早退したりと忙しそうだったが、それでも以前よりはずっと学生らしい生活を送っているようだった。
更に言えば昔の海馬が嘘のように、遊戯や他のメンバー達と仲良く(以前と比べての印象であって、通常の感覚で言えば仲が良いとは言えない様な距離だが)過ごしていた。
城之内もそんな海馬を見るのは嬉しかったが、それと同時に海馬が何となく自分を避けているのも気付いてしまう。
自分の胸の中にはずっと海馬が言った言葉が突き刺さっていて、それが余計に城之内を苛立たせていた。
乃亜の嬉しそうな笑顔を見てそれを思い出してしまって、城之内は思わず自らの唇をギリッと噛んでしまう。
無邪気な話し声が突然止まって慌てて顔を上げると、まるでそれを見越したかのように乃亜が笑顔で城之内に告げた。
「あまり心配するなよ城之内。お前が悩んでいるのって瀬人の事だろう? アレも昔のように荒れてはいないから、いつかはちゃんといい方向へ行くさ」
乃亜が自分達の何を知ってそう言っているのかは分からなかったが、その言葉が城之内を勇気付けたのは確かだった。
一ヶ月後、しばらくは学校のテスト期間や集中して入れたバイトのシフトのせいで身動きが取れなかった城之内だったが、その日は久々に時間が出来て海馬コーポレーションに足を向ける事にした。
ただし今日は乃亜に会うつもりはなかった。
この間の乃亜の言葉を聞いて再び海馬と直面して対話する勇気を出した城之内は、いつもの専用通路の方ではなく普通に受付窓口に向かう。
ここ暫く頻繁にKCに姿を現していた城之内はすっかり面が割れているらしく、受付嬢はいつものように屈託の無い笑顔を見せてくれた。
「こんにちは城之内様。本日も乃亜様ですか?」
「あ、いえ、違うんですスミマセン。今日はちょっと海馬本人に用事があって…」
「申し訳ありません。本日社長は外出なさっており今は社におられません。戻られるのは夜になると思いますが…お待ち致しますか?」
受付嬢が手元のスケジュールメモを確認しながら尋ねてくるのに、少し考えて城之内は頷いた。
「はい、待ちます」
「それでは少々お待ち下さい」
受付嬢は城之内にニッコリ笑いかけると、手元の電話機から受話器を取り上げた。
すぐに誰かと話し終えると「唯今秘書の者が参りますので少々お待ち下さい」と頭を下げる。
時間にして1~2分くらいだろうか、時々見かける海馬の秘書のお姉さんがエレベーターから降りてきた。
「城之内様、どうぞこちらへ」
慣れない待遇におどおどしながら通常の方のエレベーターに乗り込む。
最上階に着くと真っ先に社長室に通され、更に社長室内からしか行けないプライベートルームに案内される。
そこは海馬がちょっとした仮眠や休憩につかっているのだろう。まるでホテルの一室のようにソファーや机やベッドなどが置かれているのが目に入った。
「え…!? ちょ…! ココ? いいの!?」
「はい。社長が御自分の御学友の方がいらしたら、応接室ではなくこちらでお待ち頂く様にと伺っております」
海馬の秘書は微笑みながらそう言うと「お飲み物などはそちらの冷蔵庫に入っておりますのでご自由にどうぞ。暖かいものでしたらそちらのポットから。接客の方も特にせず、お客様の自由にさせろとのご命令ですので。では、ごゆっくりどうぞ」とたたみ掛け、深く一礼をして去って行った。
海馬のプライベートルームにポツンと一人残された城之内は、困ったように頭を掻いた。
だが単純な頭のこと、すぐに切り替えて冷蔵庫から炭酸飲料を取り出すと、柔らかなソファーにドサリと座り込んだ。
「ま、考えても仕方ないってね。とりあえず待ってりゃいいんだから」
キャップを開けて中身を一口飲むと、自分の鞄から買ってきた週刊誌を取り出してページをめくる。
時間はまだ一杯ある、焦ることは無い。
城之内はそう自分に言い聞かせていた。