*無限の黄昏 幽玄の月(完結) - 黄昏の入り口 - 第一夜

 今から約千年前。
 哀しい哀しい出来事があった。
 村と村人を守る為に、深い傷を負いながらも黒炎を纏う神刀を振るい、勇敢にも食人鬼と闘った神官と。
 自分達の命を守る為に、神官を裏切り彼の恋人を食人鬼に差し出した村人と。
 全ての悲劇を目の前で見ておきながら、結局何も出来なかったと今も後悔している巫女と…。
 今もこの地に伝わる哀しい哀しい物語。
 けれどもこれはただのお伽噺では無く、実際に起こった出来事だったのだ…。

 




 海馬瀬人が『見届けの巫女』と呼ばれる少女と初めて面と向かって出会ったのは、彼が十三歳になったばかりの冬の事だった。
 幼い時分から度々出会っては声をかけて貰ってはいたが、前もって約束して出会ったのはこの時が初めてだったのである。
 この時は自分だけでは無く、『贄の巫女』候補と呼ばれていた武藤家の遊戯と、漠良家の了も一緒だった。
 本家の奥の座敷で対面し真向かいに座っている女性の見た目は、どう見ても自分達と同じくらいの年齢にしか見えなかった。だがこの女性こそが見届けの巫女と呼ばれ、実は千年以上もの長い刻を生きているのだという。
 とてもじゃないが信じられる事では無かったが、彼女の醸し出す雰囲気が確かに僅か十三~四歳の少女が出せるものではなく、否応なく信じる他は無かったのである。

「今日はよくいらっしゃいましたね」

 一族の間では一番有名な見届けの巫女に優しく微笑まれて、海馬と遊戯そして了は緊張で身体を硬くしながらも、その場で深く頭を垂れた。

「あぁ、頭を上げて。そんなに緊張しないで下さい。今日は貴方たちにお教えしたい事があるだけなのです」
「僕達に…教えたい事?」

 見届けの巫女の言葉に頭を上げた遊戯が、不思議そうにそう聞き返した。その言葉に目の前に座っていた少女は少し哀しそうに微笑んで、コクリと頷く事で答える。

「今日…貴方達に教えたい事とは、今から約千年前にこの地で起きた、忌まわしくも哀しい出来事についてのお話です。貴方達ももう十三歳ですから、そろそろ真実をお話しておいても良いと判断致しました」

 少女の口から発せられた『千年前』の一言で、そこに座っていた三人に嫌な緊張が走った。
 詳しい話はその内見届けの巫女様直々にお伝え下さると言われ、今まで千年前の哀しい事件の詳細等は聞いては来なかったのである。だが、幼い頃から贄の巫女としての修行をしてきた三人にとっとは、『千年前』という言葉が一体何を指しているのかが嫌でも分かってしまったのだった。
 背筋を伸ばし真っ直ぐに見届けの巫女を見詰める三人全てに視線を走らせて、少女はゆっくりと口を開いた。

「今から約千年前…。この地がまだ黒龍村と呼ばれ、百人程の人間で構成されていた小さな村落であった頃。突然この地に、西の方から悪質な食人鬼がやって来ました。食人鬼とは…どういう人間がなるか…知っていますね?」

 見届けの巫女の質問に、三人は揃って首を縦に振った。そして真ん中に座っていた遊戯が、おずおずと手を挙げて口を開く。

「確か…、一晩で百人の人間を自らの手で殺して、その返り血を全身に浴びた者がなると教わりました」
「その通りです。千年前に西からこの地へやってきた食人鬼も、まさにそのような悪党でした。当時自分が住んでいた村で百人以上の人間を殺し食人鬼になり果てたその鬼は、行く先々で人を食べながらこの地まで移動してきたのでした」

 少女は当時を思い出すかのように空を仰いで、小さく溜息を吐いた。

「食人鬼が来るまでの黒龍村は平和そのものでした。黒龍神社を中心として、その神社と祭られている『真紅眼の黒龍』を守る巫女・神官の一族と、その黒龍を信心する慎み深い村人達…。当時はまだ三大分家は無く、本家である城之内家だけが黒龍神社を守っている状況でした。そんなある日の事、黒龍に愛された兄妹が城之内家に生まれる事になります」

 用意されていたお茶を口に含み当時を懐かしむように微笑んだ少女に、「兄妹…ですか?」と了が質問をする。
 見届けの巫女はその質問に笑顔で頷き、湯飲みを茶請けに戻しながら視線を元に戻した。

「妹とはこの私の事です。私は物覚えがついた頃から、一族の誰も聞く事が出来なかった真紅眼の黒龍神の御言葉を直接聞く事が出来ました。黒龍神が告げる御言葉を私は巫女としてそのまま周りの人間に伝える事によって、村は今まで以上に発展する事が可能となったのです。そしてもう一人…黒龍神に愛される子として生まれてきた兄は、城之内家の初代以外は誰も扱えなかった御神刀を扱う事が出来たのです」
「神刀『黒炎刀』をですか…っ!?」

 見届けの巫女の言葉に、いつも本殿の祭壇の奥に飾られている美しい刀を思い出し、海馬は思わず身を乗り出して口を挟んでしまった。
 そんな海馬に対しても少女は少しも焦る事無く、海馬の方に顔を向けて微笑んだままコクリと頷いて答える。

「そうです。あの黒炎刀を…です」
「あの刀は確か…黒龍神に選ばれた者が扱えば、あの美しい刃に黒炎を纏わせて異形の者を祓う事が出来ると言われている伝説の刀なんですよね?」
「えぇ、その通りです。兄はこの黒龍神社の神官でもありましたが、黒炎刀を使える事によって、主に剣術によって異形の者達をこの村から退ける役目を負っていました。そう…あの時も…西の地からやってきたあの食人鬼を追い払う為に立ち向かっていったのです」

 浮かべていた微笑みを一転して悲しみの表情に変えた見届けの巫女は、膝の上に置いた手をギュッと強く握りしめて続きを口にする。

「闘いは三日三晩に及びました。初めは互角に見えた勝負も、やがて黒龍神の御力を授かっている兄の方に分が傾いて参りました。瀕死の重傷を負い自分の負けを悟った食人鬼は、三日目の夜にその場で土下座して兄に命乞いを始めたのです」
「命乞い…をしたと? 鬼がですか?」

 海馬と同じように身を乗り出して聞いていた遊戯が、訝しげに聞き返す。遊戯の質問には、隣に座って話を聞いていた了や海馬も同意見であった。
 自らの手で百人の人間を殺し食人鬼となり、この地にやって来るまでに幾人もの人間を食い荒らしてきた鬼がそんなに簡単に命乞いをする事を、狡猾な罠だと思ったのである。
 三人が三人とも睨み付けるように見詰めてくる視線に、だが少女は真っ直ぐにそれを捉えて、首を縦に振った。

「そうです、命乞いをしたのです。もう二度と人は食わない、故郷に帰って大人しく暮らすと何度も頭を下げたのです。勿論今聞けばそれはただの罠であると理解出来るのですが、兄は優しい心根の持ち主でした。無駄に命を奪う事を良しとしなかったのです。悩んだ末に結局食人鬼を許す事に決めた兄は、村の外に鬼を追い出してすっかり満足してしまいました。それが自らの悲劇を招く事になるとも知らずに…」

 少女は悲痛な顔をしながらも、溢れ出そうになる涙をぐっと堪えて、口を開いて続きを話し始めた。

「当時、兄には恋人がいました。村では比較的裕福な家の跡取りとして生まれた方でした。名を…せと様といわれます」
「え………?」

 突然、自らの名前が出て来て海馬は瞠目した。
 驚いている海馬に気付いている筈なのに、少女はそのまま話を続ける為に口を開いて言葉を紡ぎ出す。

「村と村に住む人々を守る為に決死の覚悟で三日三晩闘い抜いた兄は深い傷を負い、次の日からはまるで死んだように眠ったまま床から起き上がる事さえ出来ませんでした。その隙を突いて一旦村の外に追い出された食人鬼がこっそりと戻って来て、村人達を甘言で惑わし始めたのです。酷い怪我をしているように見えるが、本当は自分はこんな傷は大した事は無い。食おうと思えば今すぐにでもお前達を全員食ってやる事が出来る…と」

 当時の悲劇を思い出したのか、ついに耐えきれなくなった涙に頬を濡らしつつも、少女は気丈に背筋を伸ばしたまま続きを口にした。

「そして食人鬼は、食われたくなければ兄の恋人をここに連れて来いと村人達に命じました。自らの命の危機に村人達は震え上がり、直ぐさま総出でせと様を誘拐し食人鬼の元へと連れていってしまいました。それから丸二日後、漸く目を覚ました兄が異変に気付きせと様を助けに向かいましたが、食人鬼はまるでそれを待っていたかのように…」

 そこまで話して、見届けの巫女の口から突然言葉が途切れてしまった。少女の握り拳も、桜色の唇も、細い肩も、怒りと悲しみで小さく震えてしまっている。
 黙って話を聞いていた三人は、その様相だけで当時の悲劇が直接伝わってくるような感じに苛まれていた。
 やがて覚悟が決まったのか、涙に濡れた目元をグイッと手の甲で拭い取ると、見届けの巫女は再びその口を開いて言葉を発した。

「兄がせと様の救出に向かった時…、食人鬼はまるで兄に見せつけるようにせと様を辱めている最中だったそうです。その状況をその目で見てしまった兄の気持ちを思うと…今も胸が痛んで仕方ありません。目の前で異形の者に犯されている自分の恋人と、そして食人鬼の口から告げられた…今まで自分が必死に守って来た村人達の裏切りという行為に…兄はついに自らの理性を手放してしまったのです…」

 見届けの巫女が告げた最後の一言で、本当の悲劇はここからなんだと、三人は否応なく思い知らされたのだった。