呆然と立ち竦んでいるオレと遊戯を、城之内はどこか遠い目で見詰めている。だが、その眦が吊り上がって、口元に引き攣った笑みを浮かべるのにそう時間は掛からなかった。はぁ…と大きく息を吐き出すと、城之内はオレを睨み付けて恐ろしい程の低い声で言葉を発する。
「へぇ…。暫く連絡が無いと思ったら…、こういう事だった訳ね」
城之内の言葉に含まれている意味に気付いて、オレは慌てて首を横に振る。城之内の身体から迸る怒りのオーラが、この目にも見えるようだった。もし自分が本当に間違いを犯していたなら、ここまで怒られても仕方が無いと思う。だがオレ自身は間違い無く潔白であったし、ただの誤解で最悪の結果など迎えたくは無かったのだ。
「違う!!」
叫ぶように言い放った反論に、だが城之内は疑いの目しか向けない。
「何が違うの? どう見たってそういう事じゃん」
「だから違うと言っている! オレと遊戯とは何でも無い」
「本気で言ってんの? 悪いけどオレ、今日お前等が一緒に帰ってんのも教室の窓から見てたんだよ。それでこんな時間まで遊戯ん家で何してた訳? しかも玄関先で仲良く抱き合っちゃったりなんかして、どう見たって出来てるとしか思えないだろ?」
「それが誤解だと言うのだ…っ! オレはただ遊戯に悩み事の相談にのって貰っていただけだ。やましい事なんて何もしていない! おい、遊戯! お前からも何とか言ってやってくれ!」
オレの隣で呆然と成り行きを見ていた遊戯に声をかける。オレ一人の言葉では届かなくても、親友の遊戯の言葉なら城之内に届くと思ったからだ。だが遊戯はそんなオレの言葉に、肩を竦めて呆れたように溜息を一つ吐く。そして小さな身体を真っ直ぐに伸ばして腰に両手を当て、そして凛とした声ではっきりと言い放った。
「城之内君。僕と海馬君が、君が思わず誤解するような形でいた事は、僕らが浅はかだったとは思ってるよ。だけど海馬君の言う通り、僕達は別に何もしていない。ただ普通に話しをしていただけだ。それでも城之内君が僕の事を信じられないというのなら、それはそれで仕方が無い。だけど、海馬君に対してのさっきの言葉だけは凄く失礼だと思う。海馬君の言っている事は本当だよ。だからさっきの言葉は訂正して、海馬君にだけは謝って」
遊戯の強い言葉に、城之内は一瞬怯んだようだった。だがその瞳からはまだ疑惑の色が抜けていない。強気の遊戯に対して驚いた表情をしていたが、またすぐに引き攣った笑みを浮かべて言葉を放つ。
「それを…信じろってか…?」
「信じて貰うしか無いね」
怒りと疑惑に震える声で放たれた問いに対しても、遊戯はキッパリと答える。先程オレに対して睨み付けられていた城之内の鋭い視線は、今や遊戯に向かっていた。暫く二人で睨み合っていたが、突如城之内の瞳がこちらを向いた。そして何かを決心したようにツカツカと歩み寄ると、グイッとオレの腕を掴んで引っ張っていく。
「な、何…!?」
「いいから来い」
怒りを静かにはらんだその声に怯えつつ、力強い腕に引っ張られて引き摺られるように歩くしか出来ない。慌てて遊戯の方を振り返ると、先程までの威勢の良さはどこにいったのか。眉を下げて酷く心配した顔でオレの方を見ていた。だが、城之内に無理矢理連れて行かれるオレを助けだそうという様子も無い。そして心配そうな表情の中に薄く笑みを浮かべて、口の形だけで「頑張って!」と言っていた。
おい、待ってくれ…っ! 何が頑張ってなのだ!! 城之内が今どれ程怒っているのか分からないのか!!
普段城之内がギャーギャー騒がしく怒っている時は、彼が本気で怒っている時では無いのだ。怖いのは、むしろ今のように静かに低い声で落ち着いている時だった。城之内が静かに見えるのは、自分の怒りを爆発させないように我慢しているから。逆に言えば我慢しなければならない程の怒りを身の内に溜め込んでいるという事で、オレはそれが何よりも恐ろしかった。
遊戯も少なからず城之内の親友であるならば、その意味は十分に分かりきっている筈だろう。なのに遊戯はオレの事を助けようとはしなかった。それはただ単に本気で怒った城之内が怖いからなのか…。それとも別の意図があるのかは…、今のオレには判断が付かなかった。
酷く熱を持った熱い手で腕を引かれ、オレ達は特に何かを話す事も無く、そのまま城之内の住んでいる団地の部屋へと連れて来られる。ポケットから鍵を取り出し扉を開けている城之内を呆然と見ていると、そのまま真っ暗な部屋の中に押し込まれてしまった。パチンと音がして玄関が明るくなる。戸惑ったように壁を背にして立っているオレを余所目に、城之内はさっさとスニーカーを脱ぎ捨てると部屋に上がり込んで、あちこちの電気を点け始めた。そして部屋の向こうから「早く上がってこい」と声が掛けられる。
本当は…怖かった。今すぐにでも逃げ出したかった。だが城之内に誤解されたままにする訳にはいかないと、オレは革靴を脱いで恐る恐る部屋に上がり込む。居間を抜け奥の部屋に視線を移すと、どうやらそこが城之内の私室らしく、既に上着を脱いだ城之内が敷きっ放しの布団の上に胡座をかいていた。手招きをされ「こっちに」と言われたので、オレはゆっくりとその部屋に足を踏み入れ、布団の脇の畳の上に正座で座り込む。オレを見詰める城之内の視線は相変わらず鋭い。未だに誤解が解けてないんだと理解して、オレは冷や汗で濡れる掌をギュッと握り込み膝の上に置いた。
お互いに俯いて何も話さない時間が無意味に過ぎていく。だが突如、顔を上げた城之内が口を開いた。
「今日はウチの親父帰って来ないから。だからゆっくり話し合いたい」
城之内の言葉にオレはコクリと頷く。今はただ城之内の誤解を解く事さえ出来ればどうなろうと構わなかった。
「証拠は?」
「え…?」
突然放たれた城之内の問いが理解出来なくて、オレは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。だがその直後に、それがオレと遊戯の事にかかっているんだと知って、慌てて首を振る。
「無い…。だけど、本当にオレと遊戯は何もしていない…っ!」
「証拠が無いのに、どうやって信じればいいんだよ」
「それでも信じてくれ! 何にも無かったんだ! 遊戯に対して特別な感情なんてこれっぽっちも無い! 何故ならば…オレが…オレが好きなのは…!!」
まるで初めて城之内に告白した時のように心臓がドキドキした。だけれども、これだけはしっかり伝えなければいけないと、本能がオレに語りかける。
「オレが好きなのは…、城之内! お前だけだ!!」
余りに大声で叫んだ為、城之内は一瞬驚いたようだった。だが暫くしてまた表情を歪めてしまう。こんなに心の底から絞り出して告白したのに、それが城之内に届いていない事が…悲しかった。
これ以上どうすればいいのか分からなくて、再び俯いて黙りこくっていると、城之内が歪んだ表情のままボソリと言葉を放つ。
「お前の言いたい事は良く分かった。だけどオレはやっぱり信じられない。半月もの間、オレはずっと海馬からの連絡を待ち続けた。なのに二学期が始まるまで、ついにお前からの電話もメールも一度も無いままだった。だからオレはもう諦めようと思っていたんだ。きっと他に別に好きな奴が出来て、オレの事なんて無かった事にしちまったんだろう…って」
「そ、そんな事は…無い!」
「お前はそう言うけど、何の連絡も無かったのにどうしてそれを信じられると言うんだ? 現に諦めようと心に決めた途端に見ちまったのがアレだ」
「っ………!」
「これでお前と遊戯の間に何も無かったと? そんな事を…簡単に信じられる訳が無いだろう!?」
まるで泣き叫ぶように放たれた一言。その城之内の叫びでオレは理解してしまった。
城之内は怒っていたんじゃない。本当は泣きたかっただけなんだ…と。
それを理解した途端、オレは城之内の事を怖くも何とも無くなってしまった。ただ愛しさだけが胸の内に溢れてくる。
あぁ…。オレは本当にコイツの事を愛しているのだなぁ…と、心から感じて安心した。
「城之内…」
オレはその場でスッと立ち上がって、自分の制服のボタンに手を掛けた。そして上着を脱ぎ捨て、更に中に着ていたYシャツのボタンも外しながらニッコリと微笑みかける。
「オレの…。オレの身体を見れば納得出来るか? もし今遊戯と何かをしてきたばかりだったのなら、オレの身体に何かしらの痕がある筈だ。男同士でしていたのなら尚更、普通の男女の営みのように何の証拠も残さず抱き合う事は不可能だ。その痕が何一つ見付からなければ…お前はオレを信じる事が出来るのか?」
「え………?」
驚いたように見上げる城之内に優しく微笑みつつ、オレはベルトに手を掛け下着毎ズボンも降ろしてしまう。煌々とした電気の下、オレは一糸纏わぬ姿になって城之内の目の前に立ち尽くした。そして城之内の目の前に座り込み、そっと両手を差し伸べる。
もう恐ろしくは無い。あるのは城之内に対する愛しさだけだ。
「さぁ、お前の手で隅々まで調べてくれ。それでお前の誤解が解ければ、オレはそれで本望だ…」
ただ微笑んで城之内を待っていると、驚愕した表情のまま城之内の手がこちらに向かって伸びてきた。そして肩を押されて布団の上に押し倒される。肩を押さえつけていた手が、そろそろと肌の上を辿っていった。指先が少し震えている。明るい光の下、城之内に全てを見られている事に今更ながらに羞恥心が芽生え、熱い指先の熱を感じる度にゾワリと肌が粟立った。けれどオレはそのまま瞳を閉じて、全てを任せる事にする。瞼の向こう側で電気の光がボンヤリと見えていた…。
城之内はその後、オレの腕や足を持ち上げたり身体を引っ繰り返したりして、あちこちを確認しているようだった。最初は黙って城之内のする事に任せていたオレも、流石に俯せにされ双丘を割られた時は身体を固くしてしまう。一度は自分の裸を全て見せた事があるとは言え、あの時は薄暗い部屋の中での出来事だった。こんなに明るい部屋の中で、しかもそんな場所をじっくりと見られた事は無い。途端に羞恥で身体が細かく震え出す。だけど抵抗する気は全く無くて、オレは瞳をギュッと閉じながら布団のシーツを強く握って何とか耐えていた。
やがて納得出来たのか、城之内の身体がオレから離れる気配がする。恐る恐る肩越しに振り返ると、城之内は酷く泣きそうな顔でオレを見詰めていた。「納得…出来たのか?」そう尋ねると、コクリと小さく頷いてみせる。
「海馬…。ゴメン…海馬。オレ…オレ…」
先程までの恐ろしさはもう既に何も感じられない。鋭い視線もどこかに行ってしまったようだった。ただ今は、泣きそうに震える声で小さく謝る城之内の声が聞こえるばかりだ。
胸に愛しさが込み上げる。ゆっくりと起き上がって、震える城之内をそっと抱き締めた。
「もういいから…」
「でも…オレ、お前に酷い事を…」
「いや、オレも悪かったのだ。お前が一度オレを気遣うメールを送ってくれたと言うのに、つまらないプライドに邪魔されて返事を返す事が出来なかった。それで何の連絡も無かったのに、突然遊戯とあんな風に抱き合っていれば…お前が誤解するのも仕方が無い。すまなかった…」
「海馬…」
「悲しかったのだ…。あの時…オレは悲しかったのだ。お前の事が好きで…大好きで…、なのにお前には何も伝わって無かったんだと思い込んで…悲しかった」
黙ってオレに抱き締められていた城之内の腕が、オレの背に廻ってギュッと抱き締め返してきた。その熱を直に感じながら、オレはポツリポツリと口を開く。
「あの時…オレはお前と一つになりたかった。なのにお前が逃げ出してしまって、それが酷く悲しかったのだ。まるで自分一人が恋をして、空回りしているようだと…そう思って。だから凄く悲しくて…悔しくて…辛かったのだ。お前の気遣いを無視してしまう程に…」
いつの間にか涙が零れ落ちていた。それを城之内のTシャツに擦り付けるように肩口に顔を埋める。
「でも…本当は…会いたかった…。会ってちゃんと話しがしたかった…。お前の気持ちがオレの後から付いて来ている事なんて、もうとっくに知っていた筈なのに。それでちゃんと納得していた筈だったのに…。だけど…オレの気持ちはもうとっくにそこを乗り越えてしまっていて、それが何より辛かった…。お前の事が好きだから…辛かった」
あの日からずっと胸の内にあった言葉を城之内に直接告げる。重くて悲しくて辛かった想いが、少しずつ消えていくようだった。そして城之内は、そんなオレを更に力を入れてギュッと抱き締めてくれた。温かな掌が剥き出しのオレの背を撫で擦る。それがとても心地良くて、何だか妙に安心した。
「うん…ゴメンな…。オレも意気地無しだった」
やがて、オレの話しを全て聞き終わった城之内が耳元でそう囁いた。
「自分の気持ちがまだそこまで辿り着いていないと気付いていたのに、急に海馬を抱く機会が目の前に降りてきて…焦ったんだ。本当は凄く海馬の事を抱きたかった。だけどこんな中途半端な気持ちを抱いたまま海馬を手に入れる事なんて…どうしても出来ないと思った。あの時も言ったけど、それはお前に対して凄く失礼な事だと思ったから」
城之内がオレの身体をゆっくりと引き剥がす。そして畳みの上に落ちていたオレのYシャツを手にとって、それを肩に羽織らせてくれた。城之内に促されてしぶしぶ腕を通すと、今度は一つ一つボタンを留めてくれる。
「この半月間、こんなオレでも自分なりにじっくり考えてみたんだよ。でも出てくる結論はいつも一つだけ。それはオレもお前の事が好きだって事だけだった。考えれば考える程、お前の事が好きになる。そして気が付いたら、死ぬ程お前の事が欲しくなっていた」
「な…んだ…と…?」
「だからお前がいつまで経っても連絡一つ寄越さない事が、凄く悲しかった。もしかしたらあの時に呆れられちゃって、もうダメなのかもしれないって諦めかけてた。今日だって学校に来てたのに全然話しかけてもくれなかったし、目も合わせてくれなかっただろ? だからいよいよ覚悟しなきゃいけないんだなーって…そう思ってたら…。そしたら偶然お前と遊戯が抱き合ってるのを見ちゃって…」
最後のボタンを留め終わって、今度は腕を取られた。Yシャツの袖をピッと伸ばしつつ、袖のボタンを留め始める。
「それ見た途端、頭にカーッて血が昇っちゃってさ。お前と会えなかった半月間、オレはこんなに悩んでいたというのに、お前は遊戯と一体何してたんだって思ったら歯止めが効かなくなっちゃった。お前や遊戯がどんなに『違う』と言っても、どうしても信じられなくて…。それが悲しくて辛かった」
片側のボタンを留め終わった城之内は、もう片方の腕も取って同じようにボタンを留め始めた。
「いや…本当は、心の底ではちゃんとお前の事を信じていたんだ。だけどオレも意地っ張りだから、自分の本心すらも素直に認められなくて…。それで結局お前にも遊戯にも酷い事言っちまって…。本当に…悪かったと思ってる」
袖のボタンを留め終わった城之内はオレの腕をそっと放し、そして目の前にいるオレと真っ直ぐに視線を合わせてニッコリと微笑んだ。
「好きだよ、海馬。オレ…お前の事を心底欲しいって思ってる」
「城之内…っ。ならば…」
「でも、今日はダメ」
「何故だ? 今日は貴様の父親は帰って来ないのだろう? だったら邪魔は入らないではないか」
「うん、まぁそうなんだけど。でも今オレが言ってるダメってのは、そう言う意味じゃ無いの」
「………は?」
「こんな事があった後に、済し崩しにセックスとかしたくない。やっぱりちゃんと気持ちが完璧に通じ合った状態でしたい」
「だ…だが…、気持ちならもう十分に通じ合っているではないか…」
「うん。でもオレ、セックスして仲直りとかってしたくないんだ。分かってよ…海馬」
「………っ」
「そんなに落ち込まないで。あのさ、それで相談なんだけど…。来月ってお前の誕生日があるだろ? 十月二十五日」
「そうだが…。それが?」
「だからお前の誕生日に…とかどう?」
城之内のその言葉に、オレは慌てて顔を上げた。目の前には優しい笑顔を浮かべた城之内の顔があって、その琥珀の瞳が余りにも愛しげにオレを見詰めているのに、思わず赤面してしまう。
「オレの…誕生日に…?」
「うん、そう」
「抱いて…くれるの…か…?」
「うん」
「本当に…?」
「嘘は吐かないよ。もう逃げたりもしない。約束する」
そのはっきりとした答えにオレは嬉しさの余りにじわりと涙を滲ませつつ、目の前の愛しい男に力強く抱きついた。
次の日、オレは仕事の関係で学校には行けなかったが、城之内はちゃんと遊戯に謝って無事に仲直りしたらしい。城之内と遊戯の両方から報告のメールが来ていたから、間違い無いだろう。
そしてオレはというと、とても他人には見せられないような笑顔を浮かべながら、卓上カレンダーに赤ペンで×を一つ書き足した。赤い×印はまだ一つ。けれどもこれは日が経つに連れていくつも増えていくだろう。そしてこの×印が十月の二十四日を消した時…。その日がオレにとって真の幸せが訪れる日なのだ。
その日を密かに楽しみにしつつ、オレは今日の分の仕事をさっさと終わらせてしまう為、目の前の書類に取り掛かる事にした。