*STEP(完結) - 一歩ずつ… - すてっぷしっくす

 お盆のセックス未遂事件から半月。夏休みは終了し、学校は二学期に突入していた。久しぶりの登校にオレは酷く重苦しい気持ちで一杯で、廊下を歩きながら深く溜息を吐いた。


 あの日、オレの部屋から逃げ出して客室で一夜を過ごした城之内は、次の日の早朝には新聞配達のアルバイトの為に早々に邸を出ていった。まだ夜が明けきっていないのに門が開く音が外から聞こえてきて、余りのショックに眠れずにいたオレはそっとベッドから這い出して窓から覗き見てみた。丁度城之内が門を開けた守衛にお礼を言いながら外に出て行くのが見える。一瞬だけ後ろを振り返ったようだったが、こちらに気付いた様子はなかった。そして城之内は…そのまま去って行ってしまった。
 あの日から、オレ達の間は酷く疎遠になってしまった。オレの仕事や城之内のバイトが忙しくなった事もあるが、あの日の屈辱がどうしても忘れられず、オレは奴に連絡を取る事が出来なかったのだ。城之内もオレを傷付けたという自覚があったのだろう。あの日から数日後、一通だけオレを気遣うメールが届いたが、まだ怒りが収まらなかったオレはそれを無視してしまった。一度無視をすれば改めてこちらから連絡する事は難しくなる。城之内もメールの返事が届かなければ、オレがまだ怒っているのだとして再びメールを寄越す事も無い。
 こうしてオレ達は互いの声や姿を目や耳にする機会が全く無くなってしまったのだった。それは酷く重く…そして憂鬱な気持ちをオレに残す事になった。


 そんな重い気持ちを抱えたまま迎えた二学期。登校すれば同じクラスに在籍している城之内には、嫌でも会わなくてはならない。好きな人間に会うのにこんな酷い気持ちになるなんて思った事も無く、オレは少なからず動揺していた。その動揺を極力表に出さないように教室に入ると、案の定窓際の席に座している見慣れた金髪が目に入ってくる。だが奴は机に突っ伏したまま、こちらを向こうともしなかった。

「あ、海馬君だ! 久しぶりだね、元気だった?」
「あ…あぁ…」

 目聡くオレの姿を見付けた遊戯がそう言って近寄って来る。遊戯の明るい声に城之内の肩が一瞬ピクリと反応したが、結局奴は机に突っ伏したままだった。
 つまり…オレの存在に気付いているのに無視されたという…事である。
 途端に目の前が真っ暗になった。胸の内がザワザワして落ち着かない。頭の芯がじんわりと熱くなっていった。
 これは…きっともう…ダメなのだろう…。あの日を境に運命が変わってしまった。オレは…間違い無く道を誤ってしまったのだ。一度だけ送られてきたオレを気遣う城之内のメール。あれが間違った道を修正する為の最後のチャンスだったに違いない。なのにその最後のチャンスすらも、オレは自らの手で放棄してしまったのである。

「海馬君…?」

 耳元で心配そうに名を呼ぶ遊戯の声が聞こえてくる。だがそれに反応する気力は…最早オレには残されていなかった。


 結局そのまま城之内と目を合わせる事も無く放課後を迎え、オレは帰り支度を整え昇降口へと歩いていた。何となく胸の内ポケットに入っていたプライベート用の携帯電話を取りだして見てみるが、電話やメールの着信は無い。どんなに必死に弄ってみても、最後に届いたメールはあの時の城之内からのメールに過ぎなかった。

「ふぅ………」

 思わず立ち止まって溜息を一つ落とす。
 こういうのは…いつまでも有耶無耶にしていてはいけないな…。帰ったら城之内にメールを打とう。同じ男でありながら俺の気持ちを受け止めてくれた事と、短い間だったけど恋人として楽しい期間を過ごせた事を感謝する別れのメールを。
 オレがそう心に決めて携帯を再び内ポケットに収めた時、突如背中の下辺りを誰かにポンと叩かれた。慌てて振り返ると、そこには遊戯がニッコリと笑ってオレを見上げている。

「遊戯…?」
「海馬君、今帰り? たまには一緒に帰らない?」
「いや…オレは…」
「ね、時間があるんだったら、これから僕の家に遊びに来ない? お茶も出すよ」
「遊…戯…」

 ニコニコと笑ってはいるが、その顔には有無を言わせない強い意志が見え隠れしている。その表情に何だかムキになって拒絶するのも馬鹿らしくなって、オレは渋々頷いて遊戯と共に学校を出る事にした。


 特に何の話をする事も無くそのまま亀のゲーム屋に連れて行かれたオレは、相変わらずニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべている遊戯に促されて奴の部屋に上がり込んでいた。少し席を外した遊戯を待っていると、やがて紅茶と菓子が入った籠を載せた盆を持った遊戯が姿を現わした。「はい、どうぞ」と置かれたマグカップに手を伸ばして軽く礼を言い、まだ少し熱い紅茶に口を付ける。案の定安いティーパックの味だったが、それでも胃の中が温まって心地良く感じた。
 オレがマグカップを両手で包み込むように持って掌に伝わる熱を感じていると、向かい側に座った遊戯がクスリと笑みを零す。

「ちょっとは落ち着いた?」

 突如放たれた遊戯の言葉に、オレは顔を上げた。

「落ち着いた…とは?」
「何だ。海馬君ったら気付いてなかったんだ。あんなに思い詰めた顔してたっていうのに」
「は…? 何だと…?」
「ね、一つ聞いていい?」
「………?」
「もしかして城之内君と喧嘩でもしちゃったの?」
「………っ!!」

 遊戯の質問に危うく手に持っていたマグカップを落としそうになり、慌ててそれをテーブルの上に戻す。だが勢いをつけて置いた為に、中の紅茶が飛び上がってオレの手に掛かってしまった。

「あつっ!」
「か、海馬君! 大丈夫!?」

 慌てた遊戯がハンカチを取り出してオレの手に当てる。幸い紅茶が大分冷めていた事もあって火傷にはならなかった。そのまま借りたハンカチで濡れた袖口を拭きつつ、軽く遊戯を睨み付ける。だが目の前の小さな男は、全く怯える事無くオレの事を優しく見詰めていた。

「ゴメンね。ちょっと突然過ぎた?」

 まったく悪びれる事の無い言い様に、オレは呆れたように深く溜息を吐いた。

「何で貴様がそんな事を聞いてくるんだ…」
「あーうん、そうだよね。突然僕がこんな事を聞いてきたらびっくりしちゃうよね。でもね、僕はずっと気付いていたんだよ」
「気付いて…?」
「うん。はっきり言っちゃうけどさ。一学期からずっと…海馬君と城之内君って付き合ってたよね?」
「………っ!!」
「あぁ、やっぱり」
「な…な…っ! ま、まさか…っ! 凡骨が貴様に言ったのか!?」
「ううん。城之内君は何にも言ってないよ。僕が勝手に気付いただけ。気付いたのは一学期の終わり頃だったけどね」

 遊戯は自分のマグカップに手を伸ばして、中の紅茶を一口飲んだ。そして優しく微笑んで再び口を開く。

「知ってた? 海馬君がたまに学校に来るとね、まず最初に城之内君の方を見るんだよ。それも凄く幸せそうな顔で。二人とも学校では何でもないようにしてたけど、お昼休みとか一緒に屋上でお弁当食べてたのも知ってるし、あぁ…そういう事なんだなーっていつの間にか気付いちゃったんだよね。でも今日の海馬君はちょっと違ってた。城之内君を見る目が凄く悲しそうで、城之内君も全く海馬君を見ようとしてなかった。それで僕、二人は夏休み中に何かあったんじゃないかって…そう思って心配になったんだよ。本当は城之内君に最初に聞こうかなって思ってたんだけど、どうしてもそんな事聞ける雰囲気じゃ無かったしさ。だから海馬君に聞こうって…そう思ったんだ」

 遊戯の言葉に、オレはもう何も言う事が出来なくなっていた。余りに的を射過ぎてて、反論する余地が無かったからだ。
 すっかり俯いて黙りこくってしまったオレを遊戯は心配そうに見詰めてくる。そして優しい声で尋ねかけてきた。

「ねぇ、海馬君。良かったら君達に何が起こったのか…聞かせてくれないかな? 僕の力じゃ何も出来ないかもしれない。だけどもしかしたら何か出来るかもしれない。悩みがあるなら他人に打ち明けるだけでも楽になる事はあるんだよ」

 心配そうに、そして優しく微笑んでそう言う遊戯に、オレは思い切って顔を上げた。
 遊戯の言う通り、この悩みを打ち明けたとしても何にもならないかもしれない。だがもしかしたら、ほんの少しだけでも状況は変わるかもしれない。だとしたらそのほんの少しだけの可能性にかけてみる価値はあるのではないか…と、そう思った。


 その後、オレは恥を忍んでオレと城之内の関係を全て包み隠さず遊戯に話して聞かせた。オレの話が終わるまで遊戯は黙って何度も頷き、男同士の恋愛を馬鹿にする事も横やりを入れてくる事もせず真面目に話しを聞いてくれた。そしてあの夏休みの一件を話し、それ以来まったく会っても居ないし話もしていない事を伝えると、遊戯は「そっか」と一つ頷いてニッコリと微笑む。

「うん。それはちょっと気不味いかもね。でもね、そう思ってるのは海馬君だけじゃないと思うよ。きっと城之内君もそう思ってる。だから今日顔を合わせる事が出来なかったんだよ」
「そう…なのか…?」
「きっとそうだよ。だから大丈夫。少し時間が必要かもしれないけど…きっと城之内君は海馬君の事が嫌いになった訳じゃないと思うよ」
「だが…っ。もし城之内がとっくにオレに呆れてしまっていたら…」
「海馬君、そんな風に悪い方にばっかり考えない方がいいよ? 自信家でいつも胸を張って前に進む君はどこに行っちゃったの」
「それは…っ!」
「海馬君でも自信を無くしちゃう事ってあるんだね。でもあの海馬君がここまで本気で城之内君を好きになってくれただなんて…。城之内君の親友として何だか凄く嬉しいなって、そう思う」

 そう言って遊戯は、オレが今まで見た事が無い位の極上の笑顔で微笑んでいた。


 結局それからオレは一時間程遊戯を自分の悩み相談に付き合わせ、何となく胸が軽くなったオレは今日のところは帰る事にした。すっかり日が落ちて真っ暗になった表に遊戯と共に出る。外に出て夜空を見上げるオレを見て、遊戯が安心したように息を吐いた。

「良かった。少し楽になったみたいだね」
「あぁ、そうだな。ありがとう」
「海馬君に素直にお礼言われると、何だかくすぐったいな」
「オレだってたまには礼くらい言う」
「うん、分かってるよ。どういたしまして」

 肩を竦めつつクスッと笑って、遊戯が手に持っていたオレの学生鞄を手渡してくれた。

「それじゃ、今日は帰ったらちゃんと城之内君にメールするんだよ」
「分かっている」
「別れのメールじゃないよ? ちゃんと仲直りしたいってメールを送るんだよ?」
「分かっているというのに!」
「本当かなぁ…。僕、何だか心配だ」

 本気で心配しているような遊戯にオレは呆れたように笑ってみせ、そして身体を屈めてそっとその小さな身体を抱き締めた。別に深い意味は無いが、何となく感謝の気持ちを身体で示したかったのだ。遊戯もそれを分かっているらしく、クスクス笑いながらオレの背をポンポンと叩いてくれる。

「今日は本当に済まなかったな、遊戯。感謝している。仲直りのメールの件は約束しよう。別れのメールなぞ絶対に送らないから安心するがいい」
「うん、信じてるよ。海馬君の事も…それから城之内君の事も、両方僕は信じてる」

 一度ギュッと力を入れて抱き締め合って、そしてゆっくりと離れた。目を合わせてお互いにクスリと笑い合う。そして何気なく脇の小道に視線を移動させ…。その途端、オレは心臓が止まる程の衝撃を受けた。温かい気持ちに満たされていた体温が一気に下がり、背中に冷や汗が吹き出して流れ出す。
 オレが固まってしまったのに気付いて、遊戯もオレの視線に合わせてそちらを向いた。そして、直ぐさま同じように固まってしまう。
 日が沈んだとは言え、時間はまだ宵の口。すぐ側の幹線道路では何台もの車が走っており、そのエンジン音やブレーキ音が喧しく鳴り響いている。歩道を歩いている人の足音や話し声、背後の店で付けっぱなしになっているテレビから流れてくるニュース等、周りの世界は煩い程だ。それなのに…。

「お前等…。何してんの…?」

 城之内のその呟きだけは、妙にクリアにオレの耳に届いていた。