バタバタと派手な足音を立てて寝室から飛び出す城之内の背中を、オレは無様に伸ばした手もそのままに半裸の姿で呆然とベッドに座り込んで、ただ見送る事しか出来なかった…。
ベッドの上から逃げる城之内を見送った時から遡ること数時間前、オレは自室の窓から夕日が沈むのをじっと見ていた。次いで壁の時計を確認する。時計はそろそろ十八時半を指そうとしている。それを睨み付けるように暫く見詰めたあと、腕を組んで部屋の中をウロウロと歩き始めた。そうでもしないと心臓がドキドキし過ぎて耐え切れそうになかったから。
世間が盆休みに入るこの時期。バイト先が盆休みに入ったとかで暇になったと城之内から連絡が入ったのは、昨日の夜の事だった。
我が海馬コーポレーションには特に盆休みは設けてはいないものの、周りの会社がこぞって休みになるこの時期は特別暇な時期で、希望があれば社員にも休みを与えていた。勿論そんな中でオレ一人が忙しく働く事も無く(というより何より、するべき仕事が無い)、こうして邸でのんびりしているという訳だ。
そんな中で降って湧いた城之内からの連絡に、オレが諸手を挙げて喜んだのは言うまでもないだろう。
………まぁ、こんな姿は誰にも見せられないがな。
こうして二人で色々話し合った結果、城之内は今日我が邸に泊りに来る事になったのだ。
恋人の初めてのお泊まりにオレは少なからず緊張したが、それ以上に期待に胸を沸かせていた。
先日、あの神社の裏手のベンチで意識した事。オレが城之内を欲しがっているという事実。それが今夜にでも達成させられそうで、思わず口元に笑みを浮かべてしまう。
約束の時間は十八時半。城之内が来たら夕食を一緒に食べて、その後は一緒にDVDでも見て過ごすというスケジュールになっていた。それから先の予定は決まってはいないが、そんな事敢えて口に出して言うまでもない。
恋人同士が一緒に眠るといったら…アレだ! アレしかないだろう!!
それを想像した途端に顔が熱くなって堪らなくなったので、思わずソファーに置いてあったクッションに突っ伏した。ボフッボフッと顔を叩き付けていると、ドアの外からメイドが呼ぶ声がする。「何だ?」と問うと「城之内様がいらっしゃいました」と答えられたので、慌ててその場で立ち上がった。乱れた髪を手櫛で直して舞い上がって服についた埃をパッパッと払うと、なるべく冷静な声で「今行く」と答えた。
ギクシャクしながら部屋を出る。途中で右手と右足が一緒に出ているのに気付いて、慌てて直した。緊張し過ぎだろう…と自分で呆れてしまう。
オレはその時、自分の気持ちがそこまで辿り着いた事に有頂天になっていて忘れていたのだ。
オレと城之内の関係は、いつも自分の気持ちが先行していたという事を…。
夕食を食べ終わった後、オレと城之内は暫く部屋でゆっくり寛いでいた。メイドに煎れて貰ったコーヒーを飲みながら城之内が「そろそろDVDでも見ないか?」と言って来たのに「そうだな」と軽く答え、予め用意していたDVDソフトを取りに行く。
実はオレには作戦があった。今日オレが用意していたのはホラー映画のDVDだ。しかも暴力的な表現が多い洋物では無くて、精神的な怖さが売りの和製ホラーだ。別にオレはホラーが苦手という訳ではなかったが、コレを一緒に見て要所要所で怖がるふりをすれば城之内に自然に引っ付く事も可能だろう。
見終わった後も怖がっているふりをすれば、きっと城之内もオレを心配して「一緒に寝ようか?」と言ってくれるに違いない!! 一緒にベッドに入ってしまえば、アイツだって男だ。後はやる事は一つだけって訳だ。
完璧だ! 完璧過ぎる!!
余りにも完璧な作戦に思わずフフフ…と笑ってしまう。背後から城之内が「おーい! 海馬ー! まだかー?」と叫んでいるのが聞こえて、オレはにこやかな笑顔で振り返った。そして「夏と来ればコレだろう!!」と自信満々に城之内に持っていたDVDソフトを突きつける。
その途端、城之内の顔が盛大に引き攣った…。
その顔をオレは、一生忘れる事はないだろう…。
「っ…ひっ! ちょ…ちょっと待って!! ヤバイヤバイ! ヤバイってば!!」
何故…こんな事になってしまったのだろうか…?
本来の予定ではオレが城之内に引っ付いて悲鳴を上げている筈だったのに、今現在、状況は完璧に逆転してしまっている。
ソファーに並んでホラー映画を見ているのだが、城之内は隣に座った俺をギュウギュウに抱き締めてチラチラとTV画面を覗いている。そんなに怖ければ見なければいいのに、どうやら内容は気になって仕方無いらしい。
そんなに怖いのならもう見るの止めるか…と尋ねるも、城之内はオレにピッタリくっついたままフルフルと首を横に振った。
「嫌だ…」
「何故だ? 怖いのだろう?」
「いや、怖いけど…。でも先が気になるし…」
「いっその事早送りして結末だけ見てしまうか?」
「それはダメだ!! それだけはしちゃいけない!! そんな事をしたら、コレを作った人に対して失礼だ!!」
恐がりな癖に変なところにこだわりがあるらしい。結局城之内はオレに引っ付いたまま最後までホラー映画を鑑賞してしまった。本気でガクガクと震えたり、ビクッと身体を揺らしたり、ギャーッ!! と悲鳴を上げたりするのは…まぁ可愛いとは思ったがな。
「ひぃ…やっと終わった…。マジで怖かった…」
見終わったDVDをデッキから取り出してケースに仕舞っていると、ソファーにぐったりと項垂れた城之内が疲れ果てたように呟いたのが聞こえた。その言葉に心底苦笑して、オレは城之内の側へと近付いていく。そして荒れた金髪をそっと撫でながら、彼の隣に座り込んだ。
「お前は…本当に怖がりだったんだな」
苦笑しつつそう言うと、すっかり窶れた顔を上げて城之内が恨みがましく睨んで来る。
「仕方ねーだろ…。オレお化けとか幽霊とか、そういうホラー系の奴って大っ嫌いなんだよ…」
「あぁ、だから貴様のデッキにはアンデッド系モンスターが一枚も入っていないのか」
「余計なお世話だよ。それにしても…今日どうしよう…。怖くて一人で眠れねーじゃねーか!!」
ただの八つ当たりに過ぎないその言葉を聞いて、だがオレは心の中でガッツポーズを繰り出した。少々計画がズレた事は否めないが、結果が一緒なら別に構う事は無い。むしろこれは好都合だ…と思い、オレは城之内の身体に体重を掛けて凭れ掛かった。
「そうか…。では一緒に寝るか?」
「は?」
「貴様には客室を用意してあったのだが、一人で眠れないとなれば一大事だ。大事な客を寝不足にする訳にはいかないからな。どうだ? オレの寝室で一緒に眠らないか?」
身体の位置をズラしてなるべく城之内の視線の下から見上げるように覗き込む。なるべくオレが本当に伝えたい事を表情に載せてじっと見詰めていると、ふいに城之内の喉がゴクリと鳴った。そして赤くなった顔でコクリと頷いてみせる。
その表情を確認した瞬間、オレは心の中で二度目のガッツポーズを繰り出した。
そして今、オレのベッドの上でパジャマ姿の男二人が向かい合っていた。お互いに風呂はもう済ませてしまったので、後はやる事をやるだけだろう。部屋の明かりは既に消してあり、ベッドサイドの明かりだけが仄かに辺りを照らしていた。状況もムードも完璧だとオレは本日三度目のガッツポーズを繰り出して、そしてそっと城之内に手を伸ばした。城之内の肩に手を掛けて、誘うようにその場にゆっくりと寝転がる。それに伴って上にのし掛かってきた城之内は、オレの顔の横に手を付いて熱い瞳でじっと見つめてきた。
「城之内…」
小さく名前を囁くと、城之内が動いてその顔が近付いてくる。そして唇を重ね合わされた。
熱い唇がまるでオレの唇を食べるように挟み込み、やがて口内に熱い舌がぬるりと入り込んでくる。口内を好き勝手に嬲る城之内の舌にこちらも必死になって自分の舌を絡めてやった。
「ふっ…んっ…!」
頭の芯がジンジンと痺れる。気持ちが良くて仕方が無かった。たったこれだけの刺激でこんなに気持ち良いなんて、実際にセックスなんてしたらどうなるのか全く検討も付かない。果たしてオレは耐えられるのだろうか…と不安になりつつも、決して止めようとはしなかった。それだけ自分が城之内を求めているのを知っていたから。
オレの両頬に当ててあった城之内の手がそっと離れて、オレのパジャマのボタンにかかった。一つ二つと外していき、やがて前面のボタンが全て取り外され、パラリと脇に肌蹴られる。露わになったオレの胸を、城之内の熱を持った掌が優しく撫で回してきた。まるでマッサージをされているかのような優しい刺激にウットリしていたら、突然ビリッとした強い刺激が伝わってきて、オレは大きく身体を跳ねさせた。
「あっ…んっ!」
城之内の指先がオレの乳首に引っかかって、そこから強烈な快感が湧き上がる。その刺激に思わず声を上げたら、城之内が小さく喉を鳴らして再びオレの乳首に手を伸ばしてきた。そしてそのまま乳首を指先でキュッと摘まれて、オレはまた身体を奮わせながら声を上げてしまった。
「ひゃっ…!」
「ここ…気持ちいいんだ?」
「ふっ…んっ…。あ…気持ち…いい…と思う…」
「何だか女の子みたいだな。そっか…男でもここって感じるんだ」
何だかとても嬉しそうな顔をした城之内が、より身体を密着させるようにオレにのし掛かってくる。そして顔を寄せてオレの乳首をペロリと舐めてきた。
「あっ…!」
濡れた感触に思わず高い声を出すと、城之内はますます嬉しそうな顔して今度は完全に乳首に吸い付いてきた。ジュッジュッと濡れた音を起てながらまるで赤ん坊のように乳首を吸われる感触に、オレは身体を捩りながら身悶える。身体が熱くなって頭の芯がジンジンと痺れて、もう何も考える事が出来なかった。ただ城之内が与えてくる快感に酔いしれる事しか出来ない。城之内の身体の下でゴソゴソと動いていると、ふと自分の膝に城之内の欲望が当ったのを感じた。そこはもうすっかり固く張り詰めていて、城之内がオレの身体で欲情してくれているのが分かって、それがとても嬉しかった。
余りの嬉しさに感極まって、オレは自分の胸に吸い付く城之内の頭を抱きかかえて甘い声で城之内の名前を呼んだ。
「あっ…んっ! 城之…内…っ!」
まさか…ただ名前を呼んだその一言が、城之内に正気を取り戻させたとは誰が考えたであろうか。
オレに名前を呼ばれた城之内は、突然そこでガバリと上体を起こした。そして眼下に広がっていたオレの身体をマジマジと見詰めて目を丸くする。
「城之内…?」
突然の城之内の行動にこちらも驚いてそう問い掛けると、城之内は「ダ…ダメだ!」と声をあげて頭を抱えてしまった。
「城之内…? どうしたのだ一体…」
「ゴメ…ン…」
「………? 何を謝っているのだ?」
「オ…オレ…、今日はこんな事するつもりじゃ…」
「こんな事…? セックスの事か? 別にいいじゃないか…。オレ達は恋人同士だろう?」
「そうなんだけど…。そうなんだけどさ…」
城之内はどこか苦虫を噛み潰したような顔をして悩み込んでしまっている。そこでオレも漸く城之内が何に悩んでいるのか思い当たってしまった。城之内と身体を繋げたいと…一つになりたいと盛り上がっていたのはまだ俺一人だった事に…気付いてしまったのだ。
だが城之内は確かにオレに対して欲情していた。それは間違い無い。だったらそれでも良いと思ったのだが、どうやら城之内の考えはそうでは無いようだった。
「城之内…。お前、欲情していたじゃないか」
そう問い掛けると、城之内は少し悲しそうな顔をしてオレを見た。
「うん…。だけど今のオレのこの状態は、決してお前自身に欲情してた…という事じゃ無いと思う…。お前はよくオレの事を犬に例えるけどさ、それに習えば目の前に最高級の肉を置かれてコレを食べていいって言われた犬と同じなんだ。その肉は確かに凄い魅力的だけど、オレは人間だ。お前の身体だけに満足しちゃいけないんだ。お前の心も…身体も…魂も…その全てを愛する事が出来たら、初めてそこでお前に触れる事が出来るんだと思う」
「城…之…内…」
「今のままじゃ…オレの愛が足りないんだ…。こんな状態でお前を抱く事は、お前に対して失礼な事だ。だから今は抱けない。本当にゴメンな…」
城之内の言葉に、オレは何も言えなくなった。ゆっくりと上体を起こしてみるが、肌蹴たパジャマを直す気力さえ無い。ただ呆然と座り込んでいると、城之内が寂しそうに微笑んでオレを優しく抱き締めた。そして「ゴメン…」と小さく呟くと、頬にそっと唇を押し当てて身体を離す。
「待っ………!!」
慌てて手を伸ばしてもその手は届かず、城之内はバタバタと派手な足音を立てて寝室から飛び出してしまった。一応客室の位置は教えてあったので、そっちに向かっていったのだろう。やがて遠く廊下の奥の方でバタン! と客室の扉が閉まる音がした。
取り残されたのは中途半端な熱を持て余したオレ一人だけ…。伸ばした手を降ろして、ベッドの上で膝を抱えて丸くなった。
「巫山戯るな…」
考えれば考えるほど、悔しい気持ちが胸を占める。未だ冷めやらぬ熱を押さえ込むように、オレはギュッと力を入れて自らの身体をかき抱いた。
「巫山戯るな…、巫山戯るな…っ! ここまでしておいて、何が愛が足りないだ! 何が今は抱けないだ!! 巫山戯るな!!」
それが城之内の真摯な気持ちだという事には気付いていた。それが城之内なりの愛情だという事にも気付いている。そしてこの関係は、いつだって自分の気持ちが先行していた事も…思い出した。
だからとても…やるせなかった。悔しくて…情けなくて…みっともなくて…恥ずかしかった。
「オレばっかり愛して…っ。馬鹿みたいじゃないか…っ!!」
知らず流れ出てきた涙もそのままに、その日オレは、そのまま眠れない夜を過ごした…。