*STEP(完結) - 一歩ずつ… - すてっぷわん

 同じ男である城之内にあり得ない気持ちを抱いてしまってから数ヶ月。
 そして遂にその気持ちを我慢出来なくなってしまって、思い切って城之内に告白してから約一ヶ月。
 オレ達は『一応』恋人同士という事になっているらしい。
 らしい…というのは、これが所謂一つの『お試し期間』というヤツだからだ。
 今から一ヶ月前の事。
 テストで赤点を取った城之内と出席日数が足りないオレは、揃って放課後の教室で補習を受けていた。
 補習と言ってもそこに教師はおらず、ただ課題として出された数枚のプリントを片付けるだけなのだったが。
 当然の如くさっさと終了させてしまって帰り支度をしているオレに、まだ一枚目のプリントも埋められずに苦しんでいた城之内が助けを求めて来るのは、必然と言えば必然だったのかもしれない。
 内心で密かに想いを抱いている相手から「頼む! この通り!」と手を合わせられれば、いくら非情なオレでも手を貸さずにはいられないではないか。
 そんな訳でプリントの回答を殆どオレの手解きで埋める事が出来た城之内は、「サンキュー! 助かったぜ-!!」等と叫びながらオレに抱きついてきた。
 無論、城之内のその行動に深い意味は無い。
 多分他の友人達に普段やっているような事を、無意識にオレにもやってしまっただけなのだ。
 だが、城之内に恋心を抱いているオレがそれを全く気にせずに受け流すことなど、果たして出来たのであろうか。
 いや、出来ない。というか…出来なかった。
 ちょっとしたパニックになってしまったオレは、そのままいらん事をベラベラと喋りまくり、結果として城之内に自分の想いを打ち明けてしまったのだ。
 オレの告白を聞いた城之内は、目を丸くして長時間固まってしまっていた。
 そりゃそうだろう…。
 いきなり同じ男から、しかもつい最近まで会えば触れれば喧嘩ばかりしていた相手からそんな事を告げられれば、オレだって固まってしまうに違いない。
 数分後に正常な意識を取り戻した城之内は、腕を組んで「う~ん」と考え込んでいた。
 別にいい返事を貰えることを期待していた訳ではない。
 むしろ振られるのを前提とした告白であった。
 こんな気持ちを抱えたまま悶々と毎日を過ごさなければならないくらいだったら、さっさと振られてスッキリしたいという気持ちだったのだ。
 だけど城之内はオレの意に反して、暫く考え込んだ後こう言ったのだ。

「分かった。じゃ、恋人として付き合ってみようか?」

 その返答に今度はオレが驚いた。
 まさかそんな都合の良い返事が返ってくるとは思わなかったのだ。

「貴様…、本気か…?」
「うん。本気」
「恋人って…、相手はこのオレだぞ? 嫌では無かったのか?」
「それが別に嫌じゃなかったんだよねー。あんなに喧嘩とかしてたのに不思議なんだけどさ。色々考えたんだけど、お前と恋人同士になる事に何の不快感も不都合も無いというか何というか…。むしろそれが自然なような気がしたんだよね」

 唖然としたオレに城之内はそう言い聞かせ、結局その場の雰囲気でオレ達は付き合うことになった。
 それ以来オレ達は恋人同士として過ごしている筈なのだが…、どうにもオレはそれがただの『お試し期間』にしか感じられないのだ。
 この『お試し期間』というのは、別に城之内がそう言った訳ではない。
 オレが勝手にそう思っているだけなのだ。
 だけど、そう思ってしまうのも仕方無いじゃないか。
 一ヶ月間恋人として過ごして来て、オレ達の間に少しでも変化があったのかと尋ねられれば、はっきり「無い!」と断言出来るであろう。
 仕事が忙しくない日はたまに途中まで一緒に帰ったりはしたが、変化と言えばそれくらいなものだ。
 果たしてこれは恋人同士と言えるのだろうか?
 恋人っていうのはもっと…、そう例えば抱き締め合ったりキスをしたり愛を語ったりするものなんじゃないのか?
 相手を好きだという告白も結局あの日以来していないし、城之内から同等の言葉を貰った事もない。
 キスなんてとんでも無い事で、、抱き締め合う事はおろか手を握った事すら無い。
 元々オレに何て興味も何も無かった城之内が、嫌だと感じなかっただけで不自然に恋人という位置に納まってしまったのだ。
 そんな状態でオレとの間に何かが起こる事など、最初からある筈無かったのだ。
 一ヶ月かかって漸くそこまで答えを導き出す事が出来て、オレは深く深く息を吐いた。
 この不自然な状況は早々に打破しなければならない。
 例えそれで城之内との関係が元に戻ってしまうとも。
 長引かせれば長引かせるだけ自分の傷が大きくなる事に、オレはもう疾うに気付いていた。
 まだ一ヶ月しか経っていない。
 終わらせるなら今だ…と決意せざるを得なかった。


 そして今日、オレと城之内は再び教室に二人で残っていた。
 城之内は今日の英語の小テストで赤点を取った為、そしてオレは何時もの通りに出席日数の補助の為。
 まるで一ヶ月前に戻ったかのような同じシチュエーションに、オレは少なからず緊張してしまう。
 このままこの時間を過ごしたいと思ってしまう。
 例えこの先何も進展が無くても、今のままで過ごせるならそれはそれでいいんじゃないかと。
 だがオレは、自らの考えに首を振って否定した。
 こんな不自然な状態がいつまでも続くとは思えない。
 終わらせるなら早めの方が良い。
 そう…、出来れば今日中に。
 放課後の教室に城之内と二人っきりのこの状態は、別れるにはまさに打って付けの状況じゃないか。
 さっさと自分の分のプリントを終わらせてしまったオレは、あの時と同じように城之内に問題を教えていた。
 このプリントが終わったら、城之内に別れを言い出そう。
 きっぱりと「恋人を止める」と言えば、城之内だってきっと安心する。
 本当はもっと側にいたかった。
 側に居て、もっと城之内の体温を感じていたかった。
 手を握って欲しかった。抱き締めて欲しかった。キスを…して欲しかった。
 だがそれは夢に過ぎず、今日オレは自らの手でその夢を放棄する。

「海馬…?」

 突然訝しげに名前を呼ばれて、オレは顔を上げる。
 目の前の城之内が驚いた顔でこちらを見ていた。というより、その城之内の顔もぶれて見えて、オレは何事かと首を捻る。
 首を傾げたその拍子に目の前の机の上にポタリと水滴が落ちてくる。
 水? 何だこの水は? まさか雨漏りでもしているのか?
 ちらりと窓の外を見遣ったが、雨は降っていなかった。

「海馬。お前…気付いていないのか?」
「何をだ?」

 城之内が何を言っているのか理解出来ずパチパチと瞬きを繰り返すと、また水滴がどこからかパタリパタリと落ちてくる。
 そんなオレに城之内は苦笑すると、すっ…とその大きな手をオレの顔に伸ばしてきた。
 そして目尻を優しく拭われる。

「泣いてんじゃん…。どうしたの? 何かあったのか?」

 思いがけない事を言われて城之内の指先を見ると、そこが濡れているのを見て取って、オレは漸く自分が泣いている事に気がついた。
 慌てて掌で涙を拭いながら、オレは城之内から顔を背ける。
 こんなみっともない顔を、大好きな城之内に見られたくはなかった。

「海馬…、どうしたんだ…?」

 心配そうな顔で尋ねてくる城之内に、オレは顔を向ける事が出来なかった。
 だがこれはまたとないチャンスではないのか?
 嗚咽で震える喉を何とか押さえ込んで、オレは一言一言ゆっくりと言葉を吐き出した。

「城之内…。オレ達は…恋人同士なのか?」
「なのか…って…。一ヶ月前にお前が告ってから付き合うって決めたんだから、恋人だろ?」
「果たして本当にそうなのだろうか…。オレにはどうしてもそうは思えない」
「海馬、今日は本当にどうしたんだ」
「だってお前はオレの事なんか好きでも何でもないじゃないか…っ! 恋人になったって以前と何も変わらない…っ! こんな事なら前の関係に戻った方が良いではないか…っ! 最初から…何も無かった方が…マシだった…っ!!」

 オレの叫びに城之内はキョトンとしていた。
 こんなに分かりやすく言っているのに何も分かっていないのか。
 もともと頭の悪い奴だとは思っていたが、その理解力の無さにはいい加減苛ついてしまう。
 自分の感情が悲しみを通り越して怒りになっていくのを嫌と言うほど感じていたが、それでも目の前の城之内は表情を一切変えなかった。
 それどころか間抜けな声で「海馬…。お前、何言ってるの?」と聞いてきたのだ。

「何言ってるって…っ。だからオレは別れ話をしているのだ!」
「別れるって…何でよ? オレの事嫌いになったの?」
「オ…オレは嫌いにはなっていないが…。だがお前がオレの事なんか好きでも何でもないだろう?」
「好きだよ」
「………。は…?」
「だから好きだよ。海馬の事ちゃんと好きだって思ってる」

 城之内の言葉に今度はこちらがキョトンとする番だった。
 驚きの余りいつの間にか涙まで止まっている。
 オレの事を好きだって…、コイツは一体何を言っているんだ。
 この一ヶ月間、一度だってそんな素振りを見せた事など無かったではないか。
 そう伝えると、城之内は申し訳無さそうに頭を下げた。

「ゴメン…。実は最初の頃はお前の事好きかどうかってのが…よく分かってなかったんだ。でも告白されて嫌じゃなかったのは本当だし、むしろ嬉しいって思ってた。だから最初はプラトニックな付合いをして、後からお前の気持ちに追いつけばいいって…勝手に思ってたんだ。ゴメンな、本当に…。オレ…狡かったよな…」

 そこまで言って、涙に濡れて震える俺の手を城之内が握ってくる。
 体温が余りに熱くて思わずビクッとしてしまったけど、その感触が気持ち良くて振り払う気にはなれなかった。
ギュッと力を入れて握りしめられて、真摯な瞳で見つめられる。
 琥珀の瞳が…綺麗だと思った。

「この一ヶ月間、ずっとお前と恋人として付き合ってきて、自分の気持ちがどんどん変わるのに気付いたんだ。気が付いたらもの凄く好きになっていた。一ヶ月かかって漸くお前の気持ちに追いついて…。だから今日はこの後、その事をお前に伝えようと思っていたんだよ。でも、お前があんな事言い出して…」

 城之内は真剣な光を称えた琥珀の瞳をスッと細める。
 そして悲しそうな表情でオレの事を見詰めていた。

「なぁ…。もう…ダメなのか? オレ、遅かったのかな? そりゃ一ヶ月もの間、何のリアクションも起こさなければお前が呆れちまうのも仕方無いと思うけど…。でも、もう一度だけチャンス…くれないかな?」
「チャンス…?」
「そう。一ヶ月間待たせたお詫びに、オレ何でもやるよ! お前の為なら何だって出来る! だからやって欲しい事言ってくれ…っ! それでもう一度オレと恋人として付き合ってくれ…っ!!」

 本当に真剣な表情と声色だった。
 熱い掌で痛いほど手を握られて、それが嬉しくてオレはまた涙を流してしまう。
 諦め掛けていた恋がまだ終わってなかった事に、心の底から感謝した。
 無理矢理飲み込んだ涙が喉に引っかかって声が出しにくかったが、それでもオレは何とか言葉を紡ぐ。
 今度こそちゃんと伝えないとダメだと思ったから。

「…め…て…、…スを…て…しい…」
「え? 何…?」
「抱き…締め…て…、キス…を…して…欲しい…」
「キス…していいの…?」

 城之内の問いかけにオレはコクリと頷く。

「好き…だから…っ。キスして…欲しい…っ」

 必死で紡ぎ出した叫びに、城之内が机を避けて握っていた手をグイッと強く引っ張った。
 それに逆らわずにそのまま城之内の胸に飛び込むと、今度は力強くオレの事を抱き締めてくれた。
 夢にまで見た城之内の体温と、抱き締められた事によって包まれる城之内の匂いにオレは夢中になる。
 ギュッと同じように強く抱き締め返したら、肩口でふぅ…と熱い息が吐き出されたのを感じた。

「うん。オレやっぱお前の事大好きだわ…。抱き締めてるだけなのに、今すげードキドキしてる。お前の体温とか匂いとかが、物凄く気持ちがいい…」
「じ…城之内…っ」
「海馬…こっち向いて…」

 そっと身体を離して頬に手を当てられ、城之内が熱っぽい瞳でオレの事を見つめてきた。
 そのままその顔が近付くのをオレは黙って見ることしか出来ない。
 唇が触れる直前になって、城之内が耐えきれないようにふっと笑った。

「海馬。あんまりガン見しないでくれないか? 照れるじゃないか」

 その一言でオレは漸く自分がキスされそうになっているんだと気付くことが出来た。
 慌てて目を閉じると、唇に柔らかい感触が伝わってくる。
 触れるだけの優しいキスに、オレは天にも昇る気持ちになった。
 何度も何度も触れ合わせるだけのキスをして、城之内が離れる気配にそっと目を開けた。
 自分の気持ちと同じように、嬉しそうな顔をしている城之内の姿が目に入ってくる。
 さっきまでキスをしていたオレの唇に指先を当てて、愛しそうに撫でながら城之内は微笑んだ。

「今は…これだけ…。だけどもっとお前の事好きになったら、これ以上の事もしたい。少し時間かかると思うけど…それまで待っててくれるか?」

 城之内の言葉にオレは首を縦に振る。

「あぁ。オレももっとお前を好きになれるように努力する」
「ちょ…っ! 勘弁してくれ。それじゃオレは一生お前に追いつけないじゃないか」
「追いつけなくてもいい…。それで一生オレの事を追いかけてくれれば…それでいい」

 オレの発言に城之内は暫く考えて、次の瞬間に爆笑した。
 失礼だな。そんなに笑う事は無いではないか。
 笑い過ぎて滲む涙を指先で拭いながら、だが城之内はまんざらでも無さそうだった。

「分かった分かった。それじゃぁ、オレとお前はこれから一生の付き合いになるんだな」

 嬉しそうにそう言う城之内にオレも同じように微笑みで返して、もう一度その広い胸に飛び込んだ。
 城之内はそんなオレを黙って受け入れてくれる。
 一ヶ月かかって漸く最初のステップに進むことが出来た。
 次のステップはもう少し先になりそうだが、もう焦る事は無いだろう。
 何せ城之内は一生オレを追いかけてくれるそうだからな。
 愛しい城之内の体臭に包まれながら、オレは初めて心から幸せだと感じていた。