余りにも予想もしなかった事態が起こると、人はもれなく固まってしまう。
事実、今のオレ達の状況がまさにそれだった。
切っ掛けは朝のホームルーム。本鈴が鳴っていつものように担任の先生が教室に入ってきたのはいいが、その顔は普段とは違い困惑に満ちたものだった。
担任は冷や汗をダラダラ流しながらオレ達に向き直って口を開く。
「えー…、今日は皆に新しいクラスメイトを紹介しようと思う…」
その一言にクラス中がざわめき始め、女子の一人が「先生、転校生ですか-?」と質問するのに、担任は困った表情を深くした。
「転校生という訳ではなくて…今までこのクラスの一生徒だったんだが…、その…なんだ…、今までは性別を偽っていて漸く本来の性別に戻ったとか何とかで…、これからは対象性別が変わるというか何というか…」
額から溢れ出る冷や汗をハンカチで拭きながら辿々しく説明をしている担任を見ていると、突如クラス前方の扉が開け放たれ、一人の女子生徒がズカズカと入って来た。
そう…それはまさしく女子生徒だった…。我が校独特のピンクのブレザーと短いスカート。黒いハイソックスを履いた足は細長く、この姿をしていたのが普通の女の子だったらクラス中の男子は大いに騒ぎ立てただろう。
ただ残念な事に、そこに居たのは普通の女の子では無かった…。
「か、海馬ぁーっ!?」
「五月蠅いぞ凡骨。人に指を指すなんて下品な事をするな」
思わず指を指して椅子から立ち上がったオレに、海馬は涼しい顔で答えた。そして何時ものように偉そうに腕を組むと、呆気に取られているオレ達の前で勝手に自己紹介を始めたのだった。
「自己紹介が遅れたな! 諸処の理由で今まで男を名乗っていたが、今回とある目的で本来の性別である女に戻る事にした海馬瀬人だ! 一クラスメイトとしてこれからもよろしく頼む!」
そう高らかに宣言すると、海馬は己の腰に手を当て「ふははははは!!」といつもの高笑いを披露していた。
もうオレ達の頭は真っ白で、その後の一時限目の授業なんて全く頭に入ってくる筈もなく…。とてつもなく長く感じた授業が終わった後、オレや遊戯、漠良や本田といったいつもの面々は、クラス中から視線が集まっているのに気付いてしまう。
「早く本人に理由を問いただせ」という無言の圧力を感じ、オレ達は重い腰を上げて海馬の机の周りに集まった。
多分クラスの他の奴らも自分で聞き出したい気持ちで一杯なのだろうが、何しろ相手はあの天下の海馬瀬人様だ。とてもじゃないが直接口を訊く事なんか出来ないんだろう。それに対してオレ達は何だかんだと言ってヤツとは縁がある。まぁ一番大きな理由はM&Wのお陰だろうけど、最近はカードとは別に個別に親交を深めつつあるのは確かだった。
どう問いただそうかと悩んでいると、一番に口火を切ったのは何と杏子だった。
「ねーねー海馬君。何で女の子になっちゃったの?」
こういう時の女子の行動力って凄ぇよなぁ…と感心して見ていると、海馬はフンと鼻を鳴らした。
「女になったのではない。元々女だったのだ。海馬家の養子に入る時に欲しいのは跡取り息子だと言われ、今まで性別を偽って男として暮らしてきたに過ぎん」
「はい、僕質問があるんだけど!」
海馬の答えにツッコミ処が満載なのに気付いたオレが頭を抱えた時、隣で遊戯が手を挙げた。
「声は? 海馬君の声って完全に男の人の声じゃない。でもそれって女の子の声じゃないと思うんだけど…」
それだ、遊戯! オレがツッコもうと思っていた問題点の一つがそれだ!!
海馬の声は低いテノール。ドスの効いた声も出す事もあるし、それはまさしく男の声だった。
だがそれに関しても海馬はあっけらかんと言い放つ。
「今までは男性ホルモン剤を定期的に注入していたのだ。そのせいで声帯も男のように低くなってしまう。だがホルモン注射も止めてしまったので、これからは徐々に高くなっていくだろうな。では次の質問は?」
遊戯の問いかけに簡単に答えてしまうと、海馬は辺りを見渡した。
「じゃ、次オレ」と手を挙げた本田に、海馬は目線で先を促す。
「女にしちゃ背が高くないか?」
確かに海馬の慎重は186㎝もある。特別なスポーツをしている訳でもないのに、女にしてはちょっと高過ぎるだろう。
それに対しても海馬は全く動じなかった。
「先程言った男性ホルモン剤の作用だ。お陰で全く男である事を疑われた事は無かったがな。こればっかりは女に戻っても縮みはしないだろう。ま、仕方無いな」
そう言った海馬の表情はどこまでも飄々としていたが、どことなく寂しく見えたのはオレの気のせいだろうか…?
そんな海馬に何か話しかけたくて言葉を探していると、横にいた漠良が「はーい! 次僕ね~」と手を挙げて口を開いた。
「海馬君、おっぱいは? 女の子ならおっぱいあると思うんだけど、どう見ても胸真っ平らだよねー?」
漠良の突然の質問に海馬を除いた全員が吹き出してしまう。後ろを振り返るとこっちに注目してたクラスメイトも全員吹き出していた。
ば…漠良…お前なんて事訊くんだよ…。よりによっておっぱいとか無しだろう…。せめて胸とか言え…って違う!!
オレが頭を抱えて唸っていると、海馬は自分の胸に手を当て何てこと内容にしれっと答えた。
「あぁこれか? 成長期にサラシを強く巻いて成長を止めたのだ。その頃にはもう男性ホルモン剤の注射もしていたし、そのせいであまり成長する事が無かったな…」
海馬の言葉に周りが言葉を無くす。女なのにそうまでして男にならなくてはならなかったコイツの状況に、何も言えなくなってしまったのだ。
杏子なんて「海馬君…可哀想…」と呟き涙まで浮かべている。
「成長期なんてただでさえ乳腺張ってるのに…。それを無理矢理サラシで押さえつけたりしたら凄く痛かったんじゃない? 可哀想に…」
「まぁ…痛かった…かな。今はもう忘れてしまったが」
少し寂しそうな顔をした海馬の頭を、杏子がよしよしと撫でる。って、おい!! 杏子お前、海馬の頭を撫でるなんてそんな大胆な事を!!
どうなっても知らないぞ…と恐る恐る見守っていると、意外にも海馬は大人しくしていた。それどころか何だか気持ち良さそうにしている。
「海馬君、これからはいい友達になりましょう。私、貴女となら女の子同士のいい関係が結べそうな気がするの」
「そうか。オレも女に戻ったばかりで分からない事だらけなのだ。よろしくな真崎」
「うん! よろしくね海馬君! ところで女の子に戻っちゃったのならやっぱ海馬さんって呼ばなくちゃダメ? 海馬君の方が呼びやすいんだけど」
「勝手にするがいい。オレはどちらでも構わないが、慣れてる方がいいのなら今まで通りでいいんじゃないか?」
「あ、そうなの? 良かった-。じゃ、これからも海馬君って呼ぶね?」
すっかり周りを置き去りにして女同士でキャッキャっと盛り上がってしまった二人を、オレ達は呆然と眺めた。
打ち解けるの…早過ぎ。
女になるって、こんなとこまで変わっちゃうのかよ?
今まで何とか海馬に近付きたくてオレは頑張って来た。友人になるのは無理でも何とかオレの事を認めて貰いたくて、何よりその青い目でオレの事だけを見て欲しくて、その事だけに夢中になっていたのに。
何だかアホらしくなってガックリ肩を落とした時だった。その視線に気付いたのは。
いつの間に見られていたんだろう。その憧れていた青の瞳が真っ直ぐにオレを見つめていた。
「城之内…」
海馬の唇が何か言いたそうにオレの名前を呼ぶ。
「え? 何…」
それに答えようとしたが、無情にもその時二限目を告げるチャイムが鳴った。
皆で慌てて自分の席に戻っていきながら、オレは振り返ってもう一度海馬の顔を見た。
その顔は今まで見た事が無い、とても切ない表情をしていた。