気付いたら病院のベッドの上だった。
一瞬どこにいるのか理解出来なくてキョロキョロ周りを見渡したら、ベッド脇に泣き腫らした顔で海馬が座っているのが見えた。
「城之内…、目が覚めたか…?」
「海馬…? ここどこ…?」
「童実野病院の特別個室だ」
「個室って…? えぇっ!? オレ個室使うような金持ってねーよ!」
「安心しろ。この病院は我が海馬コーポレーションがバックについてるから、金の事は心配しなくていい」
慌てて起き上がろうとするけど、海馬に「もう少し寝てろ」と言われベッドに戻る。
そして改めて横にいる海馬の顔を見ると、本当に酷い顔をしていた。
泣き過ぎた為か目元は赤く瞼は腫れて、その顔色は真っ青だった。
顔も身体も砂と埃にまみれて酷く汚れている。
「大丈夫か? お前…」
思わずそう声をかけると、「何が?」と海馬が憮然とした表情をして答えた。
「何がって…。何か倒れそうに見えるから心配したんだけど」
「心配するなら自分の身体の事を心配しろ」
「あ、そっか。そういやオレの足どうなったの?」
「骨に異常は無い。ただ酷く捻ってしまっているらしいから、一週間は入院して安静が必要だそうだ」
「一週間か…。うっ…入院費どうしよう…」
「安心しろ。お前はオレのせいで怪我したんだから、治療費くらいは払ってやる」
海馬の言葉に「そっかー。そりゃ安心だ」なんて軽く言っていたら、突然目の前の顔が歪んでボロボロと涙を流し始めた。
オレはそれに驚いて思わず起き上がってしまう。
「すまない…城之内…。オレのせいでこんな…」
しゃっくり上げながらそんな事を言う海馬の頭を、オレはそっと優しく撫でた。
「オレが怪我したのはお前のせいじゃない。お前を危険な目に遭わせてる奴らがいけないんだ。だから海馬がそんな風に気に病む事はないんだぜ?」
「違う…っ! オレが…弱いから…っ」
オレの言葉に海馬はまたフルフルと首を横に振る。
その姿を見て「しょーがねーヤツ」と笑いながら、オレは起き上がってその細い身体を抱き寄せた。
海馬は両手を顔に当てて身体を震わせて静かに泣いている。何とかその涙を止めてやりたくて何度も背中を撫でてやった。
以前のコイツは例え自分のせいで誰かが怪我をしたとしても、こんな風に責任を感じて泣いたりなどしなかった。
やはり女に戻った事で感情面が特に影響を受けているらしい。
弱々しい海馬なんて見たくないけど、これは弱いから泣いているんじゃない。逆に自分やオレに対して強い気持ちを持っているから泣き出してしまっているんだ。
オレはそれが何だかとても嬉しかった。
やがてやっと泣き止んだのか、海馬がオレの胸から顔を上げた。
枕元に置いてあったティッシュで涙を拭い鼻をかんで、備え付けのパイプ椅子から立ち上がる。
「帰るのか?」というオレの問いに海馬は頷く事で答え、そして「今度…ちゃんと礼をするから…」と言い残し部屋を出て行った。
ドアが閉まる寸前、廊下に控えていた磯野さんの姿がちらりと見えて安心する。
やっぱり本物のボディガードは違うな…とオレは安心すると同時に胸に痛みを感じた。
怪我をした事は勿論ショックだったけど、それ以上に海馬を守りきれずあんな風に泣かしてしまった事が一番ショックだった。
丸々一週間入院して更にもう三日自宅安静にさせられて、オレが再び学校に来れるようになったのはあの事件から十日後の事だった。
海馬を執拗に付け狙っていたあのワゴンの正体については、オレが入院中に調査がなされてきっちり制裁を受けて貰ったらしい。
らしいというのは、あくまで見舞いに来てくれたモクバの口から語られた情報に過ぎなかったからだけど。
オレの怪我の事もどうやら海馬の方で情報操作がされていたらしく、帰宅途中に酔っぱらい運転の車に引っかけられた事になっていた。
そして今日、オレは久しぶりに学校に来たんだけど、放課後担任の教師に呼び出されて職員室にいた。
「大変だったな城之内。怪我の方はもういいのか?」
「はぁ、まぁもうすっかりいいですよ。ちょっと足捻っただけだったし」
「そうか。それは良かったな。ところでお前はただでさえ成績が悪くて落第しかかっているのに、こんなに休んで出席日数まで足りなくなるという事は…どういう事だかわかるな?」
「うっ…! そ、それは…!」
「という訳で、これだ。特に成績が最悪な数学と英語、それから古文。この三つのプリントを月曜までにやってこい」
「うげ…っ!」
「大丈夫だ、今日は金曜日。金土日の三日間あれば充分やれる量だからな。頑張れよ、城之内」
ポンと肩を叩かれ担任から渡されたプリントは、オレが最も苦手とする三教科で。ただでさえ教科書見ても暗号にしか見えない教科なのに、こんなのどうすんだよ…とオレが頭を抱えつつ職員室を出た時だった。そこで待っていた人物にオレは思わず足を止めた。
「海馬…?」
職員室前の廊下の壁に寄りかかってこちらを見ていた海馬は、その声で俺の前までやってくる。
そしていつもの調子で言った。
「プリントを貰ったのだろう?」
海馬の言葉にオレは苦笑してしまう。「何で知ってんだよ」と問いかけるオレに「プリント課題やる事でこの十日間の出席日数が足りないのを何とかしてやってくれと、オレから頼んだからだ」と事も無げに答えてみせた。
それにオレはハァ~と肩を落とす。
プリントだけで何とかして貰えるようにしてくれた海馬には感謝だが、そのプリントをやれる自信が全く無いのだ。
さてどうするか…と手の中のプリントを睨み付けていると、それを脇にいた海馬にヒョイと取られてしまう。取り上げたプリントにざっと目を通した海馬は、オレにとって魅力的な一言を放った。
「オレが教えてやろうか?」
「マジで!? いいの!?」
「構わない。これくらいだったら今日明日で簡単に終わるぞ」
「助かるぜ~! じゃ、これからお前ん家に行けばいっかな?」
「いや、貴様の家はどうだ?」
海馬の申し出にオレは目を丸くした。
まさか海馬の方からオレの家に来たいなんて言い出すなんて思わなかったんだ。
「何だ? 父親がいるのか?」
「いや…。親父は今丁度出稼ぎに出てて来月まで帰って来ないけど…」
「なら問題ない。すぐに帰るぞ」
そう言ってオレの手を掴んでスタスタと歩き出す海馬に、オレは翻弄されまくっていた。