*真実の証明♀(完結) - それでも読んでみる! - 来訪

 海馬の送り迎えをするようになって二ヶ月ほどが経った。
 早朝新聞配達を終えたオレは、その足で海馬邸に向かう。海馬の朝は早く、その頃には丁度目覚めてメールのチェックをしているので、とりあえず部屋に入って挨拶をする。その後モクバと一緒に三人で朝食を取って歩いて学校に向かうのだ。
 そして帰りはどちらかが用事を済ますまで教室で待っていて、帰り支度が済むとオレが海馬邸まで歩いて送ってやった。
 この頃になると海馬はちゃんとした一人の女の子になっていた。
 女の子にしてはやや低いアルトも体格から考えればよく似合っている声だったし、背は高いが丸みを帯びた身体は如何にも健康そうな女性らしく、街ですれ違った男達が思わず振り返る程で。確実に元の姿に戻りつつある海馬に、オレは少々複雑な気分を抱いていた。
 全てが順調のように見える。
 だけどやっぱり海馬の周りには危険が付き纏っていた。
 学校の行き帰りはまだオレがいるからいいにしても、流石に会社の行き帰りや視察の時まで一緒にいる事は出来ない。以前に比べて大分減ったにしろ、相変わらず海馬の身体には生傷が絶えなかった。
 最近では登下校中でも気は抜けなくて。途中細い道を歩いていると、後ろから猛スピードの車がやって来る事も度々あった。
 慌てて海馬の手を引き寄せ事なきを得るのだが、そういう車に限って窓にスモーク用のシールを貼ってあったりするのを見る度オレはゾッとする。
 腕の中に抱き込んだ海馬も、その時ばかりは青ざめて小さく震えていた。


 そう言えば海馬は最近、感情表現がとても豊かになった。
 前はポーカーフェイスも上手く一体何を考えているのかよく分からない部分が多かったが、最近ではころころとよく表情を変える。
 笑ったり怒ったり拗ねてみたりと、それはどこから見てもごく普通の女の子だった。
 男に比べて女の方が感情の起伏が激しいと聞いた事があるけど、まさかここまでとは思わなかった。
 笑っていたと思っていたら次の瞬間には怒ったり、拗ねていると思ったら実はただ照れていただけだったり、前の海馬に比べたら次の一手が全く読めない。
 だけどそれがメチャクチャ可愛くて、オレはなんだか嬉しくなってしまう。
 海馬がここまで感情豊かに接してくれているのは、オレを信頼してくれているからだってのが分かるからだ。
 今日もこうして放課後の教室で海馬を待っている間、その事を思いだして一人でニヤニヤしていた。
 海馬は帰る前に職員室に行くと行って教室を出て行った。多分もうすぐ帰ってくるだろうから、そしたらまた二人で仲良く帰ろうと考えていた時だった。突然制服のポケットに入れてあった携帯電話が震えて、オレは慌ててそれを取り出した。
 オレが海馬と通学を一緒にすると決めた次の日、携帯を持っていなかったオレに海馬が突然コレをくれたのだ。
 確かに一緒に帰るのにお互いの場所が分からないと不便だなと思ったオレは、ありがたくそれを貰う事にした。
 それ以来、お互い別々の場所に居る時などは大いに役に立ってくれてる携帯だけど、今海馬が電話してきた意味が分からない。だって、オレはさっき「ここで待ってる」ってちゃんと言ったのに。
 何か嫌な予感がして、震える携帯を取り出し通話ボタンを押して耳に当てる。
 聞こえてきたのは…泣き声だった。

「っ…! ふっ…く。えっ…く」
「ちょ…。え? 海馬? どうした?」
「じ…じょ…の…ちっ…。ぅっ…く」
「どうした!? 落ち着け海馬! 何があった!?」
「ふぇ…っく。うっ…ぅっ…」
「海馬? 聞いてんのか海馬!? 今どこにいるんだ!?」
「さ…んか…いの…トイレま…え…。ぇっく…」

 それは何となくだ。
 どうして分かったのかって聞かれても、何となくとしか言いようがない。だけどオレは海馬の身の上に何が起こったのか分かってしまった。
 もう高校生だから子供じゃないし、離れて暮らしているけど年頃の妹もいるからだと思うけど。
「今行くから! そこで待ってろ!」
 電話口で叫んでオレは教室を出て廊下を全速力で走った。階段を一段飛ばしで駆け下りて、四階から三階へ下りる。そのまま廊下の端にあるトイレまで走り抜けた。
 案の定、そこには座り込んでしまっている海馬がいた。
「海馬!」
 オレが叫ぶと海馬は顔を上げる。その表情は困惑に満ちて、涙でグショグショだった。
 慌てて近寄って抱き寄せると、海馬は強い力でしがみついてくる。
「ひっく…。ど…したら…わ…か…なくて…。んっく…。オレは…ど…したら…」
「大丈夫だから。今杏子呼ぶからな」
 パニックに陥る海馬の頭を優しく撫でて落ち着かせる。片手で携帯を弄って杏子の番号を呼び出した。
数コールで電話が繋がる。
『城之内?』と電話の向こうで不思議そうな声でオレの名前を呼ぶ杏子に、なるべく落ち着いて今の状況を話す。

「杏子、今どこにいる?」
『今? まだ学校よ。図書室で調べ物してたから』
「悪いけど今すぐ三階の女子トイレの前まで来てくれないか? 海馬が…その…」
『わかった。直ぐ行くから!』

 流石に少し言いよどんだオレの言葉に何かを察したのか、杏子はそう答えて直ぐに通話を切ってきた。
 多分直ぐにここに来るだろう。
 その間オレは胸に顔を埋めて泣き続ける海馬を、ただ抱き締めてやる事しか出来なかった。


「お待たせ、海馬君」
 本当に直ぐに駆けつけてくれた杏子は海馬の側に膝を突くと、持っていた学生鞄から小さな袋を取り出した。
「いつか…こんな日が来るんじゃないかって思ってたの。だから私ずっと用意してたんだよ。もう大丈夫だからね」
 海馬を安心させるように優しく微笑んで、杏子はオレの代わりに海馬を抱き締める。そしてそのまま海馬を抱き抱えるようにしてトイレの中に入っていった。
 オレはこのままここで待っていようと思ったけれど、トイレの中から杏子が「城之内は教室で待っててだって」という声が聞こえて、素直に教室に戻る事にした。


 海馬の身体に何が起こったのかなんて、男のオレでもよく分かる。
 今まで摂取していた男性ホルモンが抜けて身体が女性に戻り、そして多分…月経が来たのだ。
 初潮かどうかは分からない。だけど今までずっと男性ホルモンの注射を続けて男で居続けた海馬にとって、それは青天の霹靂だった筈だ。
 夕暮れの教室でそんな事を考えながら一人で待っていると、ガラリと教室の扉が開く音がした。
 振り返るとそこには海馬の姿。
「大丈夫か?」
 心なしか沈んでいるその姿に、敢えて笑顔で呼びかける。
 それにコクリと頷いてオレの側まで寄ってきた。泣き腫らした目元が夕日に染まってより赤く見え、それが痛々しいと思った。
「お前…には…迷惑をかけてばかり…だな…」
 掠れた声で言ってくる海馬に、オレは「そんな事ないぜ」となるべく明るく答えた。
 本気で落ち込んでいるらしい相手にそんな事しか言えない自分が情けなかったが、オレは男だしあまりこの事には触れない方がいいと思ったんだ。
 海馬は俯いてしまっていてその表情がよく見えなかったが、オレはその頭を優しくポンポンと叩くと鞄を持って椅子から立ち上がる。
「もう平気か? なら帰ろうか」
 そう言って歩き出し振り返ると、海馬がそのままそこから動かず、オレを見て首を横に振った。
「海馬?」
「悪いが…今日は一人で…帰る…」
 驚いて呼びかけると海馬は突然そんな事を言い出した。

「一人でって…。お前、狙われてるんだぞ? 危険じゃないのか」
「分かっている。今日は迎えを呼ぶからお前は心配しなくていい」
「それならいいけど…。ホントに大丈夫か?」
「大丈夫…だ。頼むから…今日はもう一人にしてくれ…っ!」

 オレはそれ以上言葉を紡ぐ事が出来なかった。海馬がオレの予想以上に混乱しているのが分かってしまったから。
 こういう時は無理をさせちゃいけないと、今回はオレの方が引く事にする。
「分かった。じゃオレ帰るから、連絡してちゃんと迎えが来てから帰るんだぞ」
 オレの言葉に海馬はまた無言で頷いた。それを見届けて教室を出る。
 校門を出た辺りで一度教室の方を振り返る。
 今回の事で落ち込んでしまっている海馬を何とか慰めたいと思ったけど、男のオレじゃ上手くはいかない。きっとこういう場合はオレよりも杏子の方がいいんだろうなと思い、オレは軽く溜息を吐いて校門を出た。