城之内の家の風呂場で温かいシャワーを頭から浴びる。深く息を吐き出して体内の処理をする為に、未だズクズクと痛みを訴えている場所に指を伸ばした。
あの体育館の用具室で城之内に犯されてから丁度二週間。
オレはあの携帯の画像をネタに、この狭い団地の一室に呼ばれては酷く犯される日が続いていた。
バイトや父親の見舞い等、城之内自身の予定もあるから毎日では無かったが、それでも既に何度も身体を貫かれている。
城之内のやっている事は決してセックスでは無い。
そこには愛の言葉も優しい気遣いも相手を思いやる気持ちも、何も無いからだ。あくまで合意の上での行為であるが、それでもレイプの一種である事は否めない。
風呂場に備え付けられている鏡を見上げる。頭上から降り注ぐシャワーの湯に全身びしょ濡れになっている己の姿が映っていた。その首には真っ赤な痣になってしまっている、城之内の指の痕。
くっきりと残っているその痕が、オレにはまるで助けを求めて必死に手を伸ばした城之内の深層心理そのものであるかのように感じられた。
そっとその痕を撫でながら瞳を閉じる。
モクバをアメリカに送り出しておいて良かったと心底思った。
一番最初に城之内に犯されたあの日、携帯に送られてきた画像を見てこんな事になるだろう事は既に予想が付いていた。
その日は何とか誤魔化しが聞いたが、聡いモクバの事だ。何度もこんな事になるようなら、いつかオレが置かれている状況を見破ってしまうに違いない。
この事がモクバにバレたらと思うと、オレは恐怖で身体が震えた。
オレが男に犯されている事実を知られる事が怖いんじゃない。それによってオレ自身が軽蔑される事も別に怖くは無い。むしろモクバの事だ…。オレの為を思って、オレを犯した相手を憎み、この状況を打破しようとするだろう。
オレが怖いのはそれだった。
モクバに…城之内を恨ませたくなかった。
オレと城之内がまだ犬猿の仲だった頃から、モクバは妙に城之内に懐いていた。当時のオレはそれを決して快く思って無かったのだが、今ならモクバの気持ちが分かる。
城之内の笑顔は…本当に救いだったのだ。
オレと同じ『兄』という視点でモクバを見ながらも、オレとは違う優しさと温もりと明るさでモクバの相手をしてくれていたのだ。
それがどんなにありがたかったか…。思えば城之内に対して恋愛感情を持つようになったのも、その頃からだったと思う。
オレとモクバに太陽をくれた城之内。
だからこそ、モクバにはこの事を知られる訳にはいかなかった。
丁度アメリカ支社で滞っていた業務があった為、その指揮を執る事を名目にモクバには一ヶ月間アメリカに行ってて貰う事にしたのだ。
小学校にはいつもの通りに長期の休学届を出し、信頼出来る部下とメイドを何名か付けてアメリカに送り出したのが十日前。お陰で今の状況をモクバに知られる事は無い。
それだけが今のオレの救いだった。
体内の処理を終えて、もう一度鏡を見る。
紅い指の痕は未だ首に残っている。
苦しかった。まさかあんな事をされるとは…思わなかった。
城之内の指が気道を締め付けるにつれ、頭の中心に流れ込む血流が大きくなる。
まるで全身の血管が破裂するかのように脈がドクドクと強く鳴り響き、こめかみが痙攣して自分の鼓動が煩く感じられた。
苦しくて、止めて欲しくて、思わず腕に爪を立てた時、城之内が何か言ったのが聞こえてきた。
「あぁ…締まってきた…っ。首を絞めるとアッチも締まるって本当だったんだな。ほら、もっと締め付けてみろよ。オレを気持ち良くさせてみろ…っ!!」
琥珀の瞳に狂気の色を浮かべて、城之内は笑ってそう言いオレの首を絞め続ける。だけど…何故なのだろうか…。彼の最後の叫びが必死に聞こえるのは…。
その叫びを聞いて、オレは抵抗する事を止めた。
どんなに口を大きく開けても酸素は入って来ず、頭の芯も指先も痺れ、激しい耳鳴りが不快だったけれど。
それでも霞む視界で自分を見下ろす城之内を精一杯に見詰めていた。
馬鹿だな…。
オレを殺しても何もいい事なんかありはしないのに。
お前を殺人犯にだけは…したくなかったんだがな。
大体この部屋はお前ん家だろう。
死体の処理とかどうするんだ。
オレは別にお前に殺されても構わない。
だが…それじゃダメだろう。
それじゃお前は救われない。
救いたい、救いたい、救いたい。
お前を…救いたい。
そう思ってずっと視線を外さずにいたら、城之内の顔がふいにグシャリと歪んだ。まるで泣き出す一歩手前のような顔で、必死な形相でオレを見て叫ぶ。
「そ…そんな…っ。そんな目で見るな…っ! そんな目でオレを見るなよ…っ!!」
あぁ…まただ…。また泣いている。
大丈夫だ…、そんなに怖がるな。
オレはお前を救いたいだけだ。
そう伝えたくて。でも言葉を発する事が出来なくて。
それでも涙も無く泣き続ける城之内を安心させたくて、口元に笑みを浮かべた。
メッセージが通じたのかどうか分からないが、城之内の手がオレの首からゆっくりと離れて行った。
喉を押さえつけていた圧迫感が無くなったというのに、オレの気道は呼吸の仕方を忘れてしまったかのようにそのままだった。
身体は既に酸素不足で痙攣を起こしているというのに、肺には一向に空気は送られて来ない。
苦しくて思わず口を開け閉めしていたら、城之内に顎を掴まれた。喉を開くようにグイッと上に向けられ、そして顔が近付いて来て唇が合わさる。
次の瞬間に肺に大量の気体が送られてきて、途端に麻痺した気道が己の役割を思い出した。
「グッ…! ガハッ…!! ッ…ゲホッ…!! ゲホゴホッ!!」
身体の要求に従って大量の酸素を一気に肺に取り入れた為、その衝撃に耐えきれなくて激しく咳き込んでしまう。
体内に城之内のペニスを入れたままだったので身体を丸める訳にもいかず、布団の上で身を捩りながら何とか衝動をやり過ごそうとした。
喉に手を当てて、敢えて意識的な呼吸を繰り返す。
そうする事で漸く落ち着いて来たオレを、城之内が呆れたような目で見ているのに気付いた。
「馬鹿だな…お前。ホント…何やってんだよ…」
城之内が小さく呟く。
だけどオレには分かっている。
この言葉はオレに向けられたものじゃない。
城之内自身に向けられた言葉だ。
城之内は自分が何をやっているのか、きちんと理解していた。ただ…その衝動が止められないだけだ。
誰にもぶつけられず、心の内に溜め込むだけだった怒りをオレに向ける事。それは今の城之内にとっては、何よりも必要な行為だった。
その事は…よく分かっている。
だが、一体どこまで耐えられるだろう?
現に今日、殺されかけたというのに…。
城之内を救えないまま、この役割を放り出す事だけはしたくなかった。
風呂から出てタオルで身体を拭き、脱ぎ捨ててあったシャツに袖を通す。洗面所の鏡を見れば、喉元に残った指型の痣が嫌でも目に入ってくる。鏡の中の自分に手を伸ばし、その紅い痣を指先で撫でた。そしてそのまま指を上に移動させ引き結んだ唇に辿りつき、左から右にかけてつっとなぞる。
あの時…初めて唇を合せた…。
厳密に言えばキスでは無かったが、その事に喜びを隠せない自分がいた。
「情けない…。あんな…事で…」
震えながら小さく呟く。
それでも嬉しかったのだ。
これから先も、何をされようと城之内の側を離れない自信が湧き出て来る程に。
洗面所から居間の方を覗き込むと。城之内が携帯で電話している姿が目に入ってくる。相手は多分アイツの妹だろう。
「うん。大丈夫だから」とか「お前も休めよ」とか「いつでも電話して来い」とか聞こえて来る。
何がいつでも電話して来いだ。そのせいで自分が参ってしまっては元も子も無いではないか。
未だ城之内に安らぎはやって来ない。彼を取り巻く状況は最悪なままだ。
救いは与えられず、このままでは城之内はまた壊れていくだけ。
だったら…。
「だったらオレが支えるまで」
携帯を片手に話を続けている丸まった背中に、誰にも聞かれる事の無い誓いを立てた。
城之内の明るい笑顔を、再び見られる事だけを信じて。