朧気な意識の中、城之内が何かを言っているのが耳に入ってきていた。
「残念だったな…海馬。お前はもうオレから逃げられない。これからずっとオレと一緒に夜を過ごしていくんだ。朝は来ない…。オレとお前の関係に夜明けが来る事は絶対にない。悪いけど、ここまで来たらもう引き返せ無いんだよ。だから精々頑張ってオレに付合ってくれ。オレの為に…犠牲になってくれ」
身体中痛くて辛くて指一本すら動かせず、瞼を開ける事さえ出来ない。
呼吸をするのもやっとの状況で、城之内の悲しそうな台詞だけははっきりと耳に届いていた。
また…泣いている…。
何故かそう思った。
誰の気配も無くなったのを確認してそっと目を開ける。
用具室は先程より薄暗くなっていた。
明かり取りの窓から見える空は、既に夕焼けで赤くなりつつある。
「つぅ…っ!!」
マットに手をついてそっと身体を起こしかけて、突如下半身から感じた激痛に動きが止まる。
ズキズキと感じる熱と痛みに、確かめなくても自分の身体がどうなっているのか嫌でも分かった。
ゆっくりと深く息を吐き出して、そろそろと身を起こす。
これがいくら自分の作り出した状況とはいえ、想像以上の辛さに冷や汗が滲んだ。
壁に手をついて立ち上がり一歩足を踏み出すと、身体の奥からドロリと何かが伝い落ちる感覚がして思わず身体の動きを止めてしまう。
それが何かなんて…考えなくても分かった。
伝い落ちる城之内の精液に小さく舌打ちをして、オレは用具室の隣のシャワールームに向かう。
この体育館の構造は既に下調べが済んでいた。
鍵の掛けられる用具室がある事も、その直ぐ隣に運動部員達が使うシャワールームがある事も。
ついでに言えばこの日は体育館を使う運動部が一切無いことも知っていた。
城之内の様子がおかしいのに気付いたのは、今から半月程前の事だった。
これがただのクラスメイトだったのなら、もしくは城之内と今までのような険悪な仲を貫き通していたら、些細な変化に全く気付かずにいたと思う。
だけどオレは気付いてしまった。
大分前から城之内への恋心を抱いていたオレにとっては、その変化は実に大きなものだったのだ。
城之内が…笑わなくなった。
いや、表情の上では笑っている。いつもの友人達と楽しそうに喋ったり遊んだりして、今までと同じように笑っていた。
だが心が笑っていない。
そしていつも何かに疲れたかのように表情に陰りが見え始め、気付いたら目に光が無くなっていた。
ふいに泣いている…と思ってしまった。
別に彼の涙を見た訳ではない。だがオレには城之内が泣いているようにしか見えなかった。
オレは…城之内の笑顔が好きだった。
あの太陽のような明るい笑顔にオレは救われていたのだ。
別にこの気持ちを城之内に知って貰わなくてもいい…。ただ遠くからその笑顔を見ているだけで良かったのに。
それが完全に失われてしまった事にオレは動揺してしまった。
心配の余り即座に部下に城之内の身辺を調べさせたオレは、提出された報告書に愕然とする事になる。
二ヶ月ほど前に父親が倒れて入院していた。
その入院費用を稼ぐ為だろう。城之内は朝早くの新聞配達から夜遅くのバイトまで、とにかく一日中働き詰めになっていたのだ。更に運が悪い事に、最近離れて暮らす母親までが入院したとの報せもあった。家の電話や携帯の通話記録を見ると、随分遅くまで誰かと電話しているのも分かった。相手は多分城之内の妹だろう。
兄妹間で親の具合を話し合うのは当然だろうとは思えたが、その通話記録が異常だった。ほぼ毎日通話している上に、一回の通話時間が最低でも一時間。酷い時だと三時間を超えている。
夜遅くまでそんなに電話していて、それでいて新聞配達のバイトにはきちんと行っているのだ。
これではいつ眠っているのか分からない。
城之内が壊れてしまった理由が分かったような気がした。
ここまで知ったからには、オレはもう黙って見ている事は出来なかった。
城之内の為に何かしてやりたかったが、だが何をすればいいと言うのだろう。
元々が険悪な仲だっただけに、オレはともかく城之内は未だにオレに対して苦手意識を持っている筈だ。そんな人間にいきなり好意や親切心を向けられても、すぐに信じられる訳がない。
そこまで考えて、オレは唐突に思い付いた。
好意を信じて貰える事が出来ないのなら、だったら怒りを向けさせればいいと…。
胸の内に溜め込んだ怒りをオレに向けてそれを爆発させて、少しでも城之内の心が軽くなればいいと…そう考えた。
そして男にとって、怒りを爆発させ衝動を解放させられる一番簡単で手っ取り早い手段が…レイプだった。
ここ最近、オレはずっと城之内にレイプされる夢ばかり見ていた。
シチュエーションは実に様々だった。
城之内に学校の屋上に呼び出されてその場で犯されたりとか。
夜道を一人で歩いていたらいつの間にか城之内に付けられていて、草むらに押し倒されて犯されたりとか。
城之内の家に誘われて遊びに行ったら、そのまま閉じ込められて犯されたりとか。
時や場所はその都度変わるものの、オレが城之内に無理矢理犯されるという状況だけは変わらなかった。
ただ城之内がどんなに酷くオレの事を犯してきても、彼を恨む気持ちは少しも湧いては来なかった。
夢の中の城之内は…オレを犯す度に泣いていたのだ。
オレの身体を無理矢理暴きながら、「ゴメン…ゴメン…」と泣きながら謝っていた。
それが酷く悲しくて、オレは最後はいつも奴の頬に手を伸ばしその流れてくる涙を拭いながら「泣くな…」と囁いてやっていた。
現実の城之内は泣いてはいなかった。
恐ろしい顔をして、微かに笑みさえ浮かべてオレを犯していた。
勿論涙なんて流してはいない。
だけどやっぱりオレは、彼が泣いているように見えてしまった。
乾いた頬に夢と同じように手を伸ばし、「泣くな…」と囁く。
ふいに一瞬。
ほんの一瞬だけその顔が歪んで、表情が本物の泣き顔になった。
次の瞬間には元の恐ろしげな笑みを浮かべている表情に戻ってしまったが、オレは薄れゆく意識の中で確信していた。
城之内は…やはり泣いていたのだ…と。
体育館のシャワールームでぬるい湯を浴びながら、オレは自分の下半身に手を伸ばした。
腫れて熱を持っているそこに指が触れると、引き攣ったような痛みが走る。
思わず「ひっ…!」と悲鳴を上げてしまうが、それでもオレはゆっくりとそこに指を埋め、中に溜まっていたものを絡み取って指を引き抜いた。指先には城之内の精液と自分の血液がたっぷりと絡みついていた。それをシャワーの湯で流してしまうと、もう一度同じように自分の体内に指を埋める。
何度も何度も繰り返して、漸く指先に何も付かなくなったのを確認してシャワーを止めた。
既に用意してあったタオルで身体を拭き、同じように用意済みだった着替えに袖を通す。
城之内を焚きつければ、こんな行動に出る事は何となく分かっていた。
だから呼び出す場所を、敢えて他に誰もいない所にしたのだ。
他にも色々候補はあったが、やはり行為後の処理が出来るシャワールームがあるという点で体育館が一番だった。
もし何も起こらなければ、それならそれで良かった。そこからだったらもっと容易に話が進められただろう。
だが城之内の状態は思った以上に悪化していたらしい。
こちらの話を聞いて貰う暇もなく、レイプを実行されてしまった。
本当だったら何の抵抗もせず、全てを任せるつもりだった。だけどやはり恐怖心に打ち勝つ事は出来ず、無理矢理暴かれる身体の痛みに耐えきれなくて、痛い、苦しい、やめてくれと涙ながらに訴え、責め苦から逃げようと必死で抵抗してしまった。
勿論そんな事で城之内が止まってくれる事は無かったが…。
「城之内…」
小さく名前を呟くと、途端に視界が歪んで来る。
流れ落ちる涙を何度も拭いながら、シャツのボタンを嵌めていった。
長い時間を掛けて着替えを終えて、大分暗くなってしまった用具室に戻ってきた。
電気を付けると思った以上に酷い惨状が目に入ってきて、額に手を当てて溜息をつく。それでもその場所をそのままにはしておけないので、破れたシャツでその辺に飛び散った精液や血液を綺麗に拭いておいた。マットの汚れも元々汚かった為かそんなに目立つ事は無く大丈夫そうで安心する。
他の衣服や鞄などを掻き集めていると、ふと足元に自分の携帯が落ちているのを発見した。
取り上げてみるとメール着信を知らせるランプが付いている。
二つ折りの携帯を広げてメールを確認して、目に入ってきた画像に目眩がした。
それは事後のオレを写したものだった。
先程は身体の処理をするので精一杯で自分がどうなっているのか大して確認もしなかったのだが、改めて画像で見せられると随分と酷い状態だったのがよく分かる。
メールの発送者は勿論城之内。
題名は無題。
ただ画像の下には『これでお前は逃げられないんだからな。覚悟しろよ』と短い文章が添えられていた。
それを見て、止まった涙がまた零れ落ちてくる。
怒りや悔しさは全く感じなかった。
感じるのは…ただ悲しさのみ。
城之内…。
オレはどうしたらお前を救える?
どうしたらお前の心を元に戻す事が出来る?
もうあんな泣き顔を見るのは嫌なんだ。
涙も流さず笑みさえ浮かべて、壊れたまま泣き続けるお前を見るのは辛過ぎる。
お前を救いたい。
お前が今陥っている状況から助け出したい。
そしてお前の心そのものを救いたい。
もう一度、あの明るい本物の笑顔が見たいんだ。
その為には、オレはどんな犠牲になろうとも耐えてみせよう。
お前の為ならば何でも出来る。
お前を救う為ならば、何でも我慢出来る。
だからオレにお前を救わせてくれ…。
頼む…城之内…。
携帯を閉じてそれを握りしめた。
先程、帰る間際の城之内の声が脳裏に甦ってくる。
彼は夜明けは来ないと言っていた。
だがオレは知っている。
夜明けは必ず来る。朝が来ない夜なんて無いという事を。
その事を…城之内に知って欲しかった。
「必ずお前に朝日を拝ませてやるぞ…、城之内…っ!!」
オレはそう心の中で強く誓った。
それが城之内の救いになると信じて。