誰もいない夜の公園。その一角で青白い光がまるで蛍のようにポワッと揺らめいていた。ゆっくりと時間を掛けながらも確実に傷を治していく不思議な光はこの…別の世界から来たと言い張る海馬の右手から発せられている。この海馬を拾ってから一時間後には、左腕の火傷も、足や顔に負った擦り傷や切り傷も、ほぼ分からない程度にまで回復していた。
「すげぇ…っ!」
感嘆して思わず素直に感想を言ったら、海馬は驚いたような顔をしてオレの事を見返した。そしてフワリと微笑んでくれる。
今までお目に掛かったことがない綺麗な海馬の笑顔についつい凝視してしまい、オレはゴクリと生唾を飲んでしまった。その音に目の前の海馬はクスクスと笑い出す。
「お前は本当に度胸があるというか何というか…。不可思議な現象でも簡単に受け入れられてしまうのだな」
「え?」
「そういうところは…オレの世界の城之内と何一つ変わらない」
そんな事をやけに嬉しそうに話しながら、海馬はじっとオレの事を見詰めていた。そして二本目のペットボトルのキャップを外して中の水を一口飲み、ふぅ…と大きく嘆息する。反り返った白い喉がコクリと上下に動く様を目の当たりにしながら、オレの心は半分興奮、そしてもう半分は疑問だらけになっていた。
一体この海馬は何者なんだ…? さっき自分で『海馬瀬人』だと名乗ったけど、それは本当の事なんだろうか…? そりゃ外見も雰囲気も全てに置いて海馬にそっくりだから、オレもつい納得しちまったんだけどさぁ…。でも年が違う。海馬はまだ十七歳の筈なのに、目の前のこの海馬はどう見ても二十代半ばくらいだ…。
頭の中で悶々と考えていた疑問がどうやら顔にも出ちまっていたらしい。一口ずつゆっくりと水を飲んでいた海馬がオレの顔を見て、ニヤリと笑って口を開いた。
「ときに城之内。オレに尋ねたい事があるのでは無いか?」
発せられた言葉にビクッと身体を固めて…次の瞬間に激しく首を上下に振る。そんなオレの態度に、目の前の海馬は本当に面白そうに微笑んでいた。
「それで? 何から聞きたい?」
「な…何からって言うか…。お前が本当に海馬なのかとか…どうして年上っぽいのかとか…。あと、その超能力? みたいなのも何なんだろうとか…。色々有り過ぎて困るくらいだ」
頭の中が大混乱して、思わず両手で髪をガシガシと掻き毟る。けれど、不思議な事に精神的には驚くほど落ち着いていた。それは目の前にいるのが全く知らない人物じゃなくて、海馬にそっくりだからなのかもしれないな…と、頭の片隅で考えてみたりする。
そんな事を足りない脳みそで必死に考えながらウンウン呻っているオレを見て、海馬は「そうだな…」とボソリと呟いた。そしてスッと右手を挙げて、公園の中心に植えられている桜の木を指差す。
「木が…あるだろう? 一本の幹から先に伸びるに連れて沢山枝分かれしていく木だ」
「う、うん」
「世界はああいう姿をしている」
「はい?」
「お前はパラレルワールドという言葉を聞いた事があるか?」
海馬の言葉にオレはコクリと頷いた。
詳しくは知らないけど、そういう設定をSF小説とかで読んだ事はある。
「えーと、要するに自分達が住んでいる世界とは違う世界の事だよな。良く似てるけど何か違う…みたいな」
「そうだ。それがパラレルワールドだ」
「当たり? 小説とかゲームとかで見た事あるぜ」
「そのパラレルワールドが実際にあったとしたら…貴様はどうする?」
「………へ?」
多分物凄く間抜けな顔をして固まってしまっていたんだと思う。海馬はオレを見てクスリと笑い、そして自分が座っているベンチの板を叩いた。意味が分からなくて首を捻ったら「話が長くなりそうだから、ここに座れ」と言われ、恐る恐る海馬の隣に腰掛ける。
「どうやらこの世界では、パラレルワールドの概念はただの空想上の産物にしか過ぎないようだな…」
三分の一ほど水の残ったペットボトルを弄りながら、海馬はそんな事を言った。
「オレ達の世界ではな、もう随分昔にパラレルワールドの存在を科学的に認識していたのだ。先程も言ったが、世界はあのような姿をしている」
「木…?」
「そうだ」
海馬の言葉に、オレはもう一度公園の中央に目を向けた。そこには立派な桜の木が青々とした葉を茂らせている。
「元は多分世界は一つしか無かったのだろう。だがその内、選択の違いで次々と違う世界が生まれていった。それは時間が経てば経つ程増えていって、今では無限に近い世界がこの世に存在するようになっている」
違う世界から来たという海馬から放たれる言葉は、まるで夢物語の様だった。きっといつもの海馬がこんな話を聞いたら、即座に「非ィ科学的だ!」とムキになって否定するだろう。でも何故かオレは、それを否定する気にはなれなかった。それどころか、耳に入ってくる言葉を本気で信じ始めていたんだ。
「選択の…違い?」
「あぁ、そうだ」
オレのちょっとした疑問にも、この海馬は丁寧に答えてくれる。
「そうだな…例えばオレの話だ。この世界がオレのいた世界とどこまで同じかは分からないが、オレと弟のモクバは元孤児だった。二人で世話になっていた孤児院に、ある日海馬剛三郎が養子探しに来てな。オレ達はそれをチャンスだと睨んだのだ。そしてオレは奴にチェス勝負を仕掛けて、結果オレとモクバは海馬家の養子となった…」
「うん。それは知ってる」
海馬の過去の話は、オレも良く知っている。海馬家に養子に入った所為で酷い虐待を受けて、あいつが壊れてしまった事も…知っていた。
「そうか、そこら辺は同じか。それならば話は早いな。ではそこで少し考えてみよう。もしオレが海馬剛三郎にチェス勝負を挑まなかったら? あのままモクバと二人で孤児院で暮らしていたとしたら…一体どうなっていただろうか?」
「あ………」
「もしくはチェス勝負を挑んだとしても、その勝負に負けていたら? 無事に勝ったとしても剛三郎に気に入られなかったとしたら? そう考えると未来の可能性は無限大だ」
「そ、それは…そうだよな。全部が全部上手くいく訳無いもんな…」
「そうだ。そういう選択の違いがパラレルワールドを形作っていく」
「木の枝って事か」
オレの出した答えに、海馬は満足そうに笑ってコクリと頷いてくれた。
「そうやって作られていった無数の世界の事を、オレのいた世界の科学者はきちんと証明してくれたのだ。そして同時に、パラレルワールドの性質もある程度突き止める事に成功した」
「性質?」
「そう。例えば世界と世界が近い…、つまり枝と枝が近い程その世界同士の性質は似てるとかな」
そう言って海馬はもう一度桜の木を指差す。そして枝の先の方を示しながら「世界は近い程よく似ていて、離れる程変わっていく」と教えてくれた。
「例えば立場が違っていたり、性別が違っていたり、名前が違っていたり、人種が違っていたりと、違う点は世界によって様々だ。それなんかはまだマシな方で、酷い時には時代が違っていたり、姿形も全く別人だったりもする。オレの世界とお前の世界のように、世界を構成する理自体が違ったりもするしな」
得意げにそんな事を言い放ちながら、海馬はニヤリと笑って右手を青白く光らせた。
漫画やアニメやゲームでならこういう力を見た事はあるけど、流石にリアルにそんな物を見た覚えは無い。きっと誰かに話しても、夢を見ていたんだろうと失笑されて終わりだろう。
「お前の世界って、みんなそんな風に超能力使えるの?」
「まさか」
ふと疑問に思った事を口に出せば、海馬は鼻で笑いながらそれを否定した。こういう小憎たらしいけど何か可愛いと感じる態度は、本当にこっちの海馬そっくりだと思う。
「オレの世界だって殆どが何の力も持たない普通の人間だ。ただ約一万人に一人の割合で、先天的に超能力を持った人間が生まれて来る」
「一万人に一人…? 結構少ないんだな」
「そうだ。オレのいた世界でも、超能力を使える人間は希少価値が高いのだ。更に言えば全員が同じ力量という訳でも無く、力の強さに限っても個人差がある」
「力量?」
オレの問い掛けに海馬は頷いて見せて、そして懐を探って何かカードのような物を取り出した。スッと差し出されるそれを受け取りながら、プレートに記載されている文字に目を通す。病院の診察券や保険証みたいなプラスチックカードには海馬の顔写真と、そして妙な英字が書かれていた。
NAME:Seto Kaiba
Blood type:A(RH+)
Birthday:10/25
Age:24
Ability: first/Light ・ second/Lightning ・ third/heal
Rank:AAA+
名前と血液型と誕生日は分かる。あと年齢も。二十四歳か…どうりで年上に見えた筈だ。
でも最後の二つがよく分からない。「………ん?」と呟いて首を捻ったら、横から白くて細い綺麗な指が伸びてきた。そして書かれている事を辿りながら、低い声で説明してくれる。
「アビリティというのは能力の事だ。ここに書かれているのはオレの能力の詳細で、一番目と二番目と三番目が書かれている。一番目と二番目はオレが先天的に持って生まれた能力だ。その内メインにしているのが一番目」
「ライト…光?」
「そう、オレは光を使った能力が得意なのだ。二番目が雷属性。三番目は後に人工的に付加し、練習する事によって使えるようにした能力だ。これがヒーリング能力…つまり先程怪我を治した力だな」
「へぇーなるほどなー」
海馬に説明を受けながら、オレは何となく『青眼の白龍』の事を思い出していた。そういやあのモンスターも光属性だったっけ。海馬と光って実は相性が良いのかもしれないなんて思って、思わずにやついてしまった。
気持ち悪くニヤニヤと笑うオレに、隣の海馬は訝しげな顔をして「どうした?」なんて訊いて来る。それにオレは首を振って応え、カードに視線を戻して説明の続きを求めた。
「なぁ。この最後のランクって…要は能力の強さって事?」
「そうだ。能力には個人差があって、下はHから上はSまである。HからBまでは基本的にそのままで、後はプラスやマイナスが付く位だ。それに対してAからSは、Bまでとは比べものにならない程に細かく区切られている。オレのAAA+(トリプルAプラス)はSの直前に位置するランクだな」
「へー! お前って凄ぇんだなーっ!」
「本当はSクラスらしいが、能力に目覚めたのが遅くてな…。実戦が足りなくて未だAクラス止まりなのだ」
「実戦…?」
海馬の口から出た「実戦」という言葉に、オレはつい反応してしまった。実戦というくらいなのだから、海馬や他の超能力者達は何かと戦っているという事になる。そんなオレの考えを見透かしたように、海馬は黙って夜空を見上げて小さく嘆息した。そして「影がな…いるのだ」とボソリと口に出す。
「影…?」
「そう、影だ。オレ達はそう呼んでいる」
オレは少し思い詰めたような顔になった海馬を見ながら、その『影』と呼ばれる物がこの海馬の大怪我に繋がっているんだろうと…何となく理解した。