違う世界から来た海馬の話を真面目に聞こうとしたけど、頭がズキズキと痛んで集中出来無かったので、オレは結局布団に横にならせて貰った。部屋の電気を付けて、オレが寝ている布団の脇に海馬と漠良の二人が座る。二人とも至極真剣な顔でオレを見ていた。
「まず…オレは、お前に一番重要な事を教えていなかった…」
海馬がそう口火を切ったのは、話をしようと決めて数十分経った頃だった。畳の上に正座をして、その上に拳を置いている。その手がギュッと強く握られるのを、オレは横目でしっかりと見ていた。
「こっちの世界に逃げて来た影…。その影に乗っ取られたオレの仲間というのは…実はオレ達の世界の…もう一人の…」
「オレ…なんだな?」
「………え?」
「オレなんだろ?」
海馬の言葉を遮って出した言葉に、海馬は本当に驚いた様に目を瞠ってオレの事を凝視した。
そりゃそうだよな。今までずっと黙って隠して来た事を、全く違う世界のオレが知っていたんだから。驚くのも無理は無い。
「実はさっき…夢で見たんだ」
「夢…?」
「そう…夢。前にも話したけど…、お前と一緒に暮らすようになってからオレは時々夢を見るようになった。夢の内容は、多分あっちのオレの夢なんだと思う。最初に見たのは、学校でお前も超能力者だという事に気付く夢だった。それは…話して聞かせたよな?」
「あぁ」
「実はそれ以外にも、色んな夢を見るんだよ。この間はお前から必死に逃げようとしている夢だった。空中に大きな穴を開けて…その中に逃げ込もうとしてた」
「………っ!?」
「それからついさっき見たのは…、影に取り込まれようとしているお前を助けて、逆に自分が乗っ取られる夢だった」
「城之内…っ!?」
「城之内君、それって…!」
オレの言葉に、海馬と漠良が同時に反応する。そんな二人を見ていて確信した。多分オレが見ていた夢はただの夢なんかじゃなくて、過去に実際に起こった事だったんだ。
影に染まった宿主にトドメを刺したのは海馬。だけど実際に乗っ取られたのはもう一人のオレの方だった。だから海馬は無茶しながらも、こっちの世界まで影を追って来たんだ。それが自分の失態であり…そして責任だったから。師匠であり恋人でもある…影に乗っ取られた『城之内克也』を殺す為に。
『やはりオレ達は…オレと城之内は、共に幸せにはなれないのかもしれないな…』
さっき思い出した海馬の台詞が、何度も脳裏に甦ってくる。悲しそうに辛そうに呟かれたその一言には、こんな重い意味があったんだ。
「やっぱり…オレが見た夢って、本当にあった事なんだな…?」
確認するように二人に問い掛けたら、海馬も漠良もしっかりと首を縦に振った。
「影に取り憑かれた城之内を追って、オレは奴と一緒にこの世界に来た。その時に何とかその場で決着を付けようとしたのだが、経験と力の差は歴然で…。結果は…お前の知っている通りだ」
「それであんな大怪我をしていたのか…」
「そうだ。オレは負傷し地面に落ちて、城之内はそのまま行方をくらませてしまった…。お前があの場にいたのは全くの偶然だったが、それにも何か意味があったのかもしれないな」
海馬の言葉に、オレもその場でコクリと頷いた。
あの公園でオレ達が出会ったのは、確かにただの偶然に過ぎなかったかも知れない。でもそれでも…間違い無く意味はあったんだ。だって現にこうして、オレは海馬から影響を受けている。
「そっか…。それでオレがお前の側にいるから影響されたって事で間違いないのかな」
話の流れ上そんな風に言うと、だけどオレの予想とは違って海馬は今度は首を横に振って否定した。その態度に「あれ?」って思う。
だってオレがそういう夢を見るのは自分が影響を与えている所為だと、海馬は以前ハッキリそう言っていた筈なのに…。
「お前の側にいるようになったから、オレがそういう夢を見るようになったんじゃないのか?」
「いや、それは違う」
「え…?」
「オレも最初はそう思っていた。オレの側にいるから、オレの記憶とシンクロしてしまったのだろうと。だがそれは間違いだという事に気付いたのだ」
「それ…どういう事…?」
海馬の台詞に首を捻る。オレが海馬に影響されてないんだとしたら、じゃあオレは一体誰に影響されてると言うんだろう。
そんな疑問が表情に出てしまっていたらしい。海馬はオレの目をじっと見詰め、そして小さく嘆息しながら口を開いた。
「お前は多分…こっちの世界に来た『城之内克也』とシンクロしてしまっていたのだろう」
「………はぁ?」
海馬の口から放たれた言葉に、オレは頭が痛むのも忘れてポカンと口を開けてしまった。そんな事を言われても、はいそうですかと簡単に納得出来る訳が無い。だってオレは、もう一人の『オレ』に出会っていないのだから…!
「オレ…もう一人のオレには会って無いぜ? 姿も見てないし」
「それでも…お前がシンクロしているのはオレでは無くて城之内だ。それは間違い無い」
「どうして…?」
「大体お前がオレにシンクロしているというのなら、お前が見る夢はオレの視点でなければおかしい」
「あっ…!!」
その一言に、オレは今まで見て来た自分の夢を思い出して唖然とした。
そういやそうだった…。今まで見た夢は全部、『城之内克也』としての視線であって、『海馬瀬人』としての視点で見た夢なんて一つもなかった。
「例え直接接触してなくてもね、波長がピッタリ合う人が近くにいるとシンクロする事もあるんだよ」
愕然としているオレに、漠良が助け船を出すように言葉を放つ。そして布団から出ていたオレの右手をそっと掴み、掌を合わせて来た。合わせられた掌が何だか熱い。まるでそこだけ激しく発熱しているようだ。
「な…何…?」
「怖がらないで。そこにある物を解放してごらん」
漠良の言っている言葉は何一つ理解出来ない。だけどオレは深く考えずに、そこにあるであろう物を解き放とうとしてみた。
上半身を布団から起こして、じっと自分の掌を見詰める。オレが意識を集中し出したのを見て、漠良がピッタリと合わせられた掌を少しずつ離していった。ゆっくりと掌が離れるに従ってその熱は強くなり、やがて完全に掌が離れた時、そこにはマッチを擦った直後のような…小さな小さな炎が生まれていた。
オレの掌の上でゆらゆらと揺らめく炎は確かに火そのものである筈なのに、その火を直に載せているオレ自身は熱さや痛みを何も感じていない。現に火の下の皮膚も火傷を負ったりせず、少しも赤くなったりはしていなかった。
「それは君の内側から生まれた炎。だから君が何かを燃やしたいとか攻撃したいと念じなければ、その炎は無害そのものなんだ。誰も傷付ける事は無いし、紙だって燃やせないよ。ちょっとやってみようか」
オレが掌の炎に注目していると、漠良はそんな事を言って枕元に置いてあるティッシュボックスからティッシュを一枚抜き取った。そしてそれを、揺らめく炎へ近付ける。普通だったらこんな薄い紙なんて即座に燃え上がる筈なのに、ティッシュには一向に火が付く気配が無かった。
「ね?」
ニコニコと微笑みながらオレに語りかける漠良に、オレは戸惑いつつもコクリと頷いた。頷いたはいいけど、どうして自分にこんな事が出来るのかが気になって仕方無い。
風に吹かれればすぐにでも消えてしまいそうな小さな火なのに、いつまでもチロチロと揺らめくそれをじっと凝視する。ふと、これを消すにはどうしたらいいんだ? という素朴な疑問が湧き上がって来た。すぐに海馬か漠良に尋ねようと思ったけど、ふいに頭に別のイメージ映像が浮かんで来たのに気付く。
それはアルコールランプだった。理科の実験の時によく使ったそのランプを消すのが、何故かオレは好きだった。キャップを横から近付けてカポッと嵌める。すると、それまで盛んに燃え盛っていた炎があっという間に消えてしまう。その炎が消える一瞬が、凄く楽しかったのだ。
試しに頭の中でアルコールランプを思い描いてみた。そして架空のキャップを掌の上の炎に被せてみる。するとその炎は、あっけない程簡単に消えてしまったのだ。
「あっ………!」
「凄い! もう消しちゃった! 消し方教えてあげようと思ってたのにー!」
オレの行動に、漠良が心底驚いた様に身を乗り出して叫ぶ。凄いねーと感心する漠良の横で、海馬は黙ってオレの事を見詰めていた。そしてふいに手を伸ばして来て、前髪を掻き上げてオレの額に掌を当てる。少し冷たい体温がヒンヤリとして気持ちが良かった。
「海馬…?」
「城之内…頭痛はどうだ?」
「え…? 頭…?」
「そうだ。さっきまで酷い頭痛がしていただろう」
そう言えば…と考えて、オレは自分の頭に手を載せる。さっきまでガンガンと痛んでいた頭痛は、今はもうスッカリ引いていた。まだ少し頭が重いような気はするけど、我慢出来無い程じゃ無い。
「痛く…無い…? 何で…?」
「やはりな…」
オレの答えに、海馬がふぅ…と大きく嘆息した。そしてきちんと座り直して、オレの顔を真っ直ぐに見詰めて来る。
「お前が先程まで感じていた頭痛はな…、お前の中の超能力が目覚め急激に成長した為に起こったのだ。普通はゆっくりと成長していくそれが、お前の場合は急に目覚めて、しかも成長が異常に早かった。多分オレ達の世界の城之内にシンクロしていた所為だと思うが…」
「え…? え? えぇっ!? これが超能力なの!?」
「そうだ。そしてお前の場合、超能力が余りに突然発露して成長した為に、脳がそれを留め置く事が出来無くなった所為で酷い頭痛を起こしていたのだ」
「ボクらの世界のランク的には、まだまだだけどねー。良くてEランク程度かな?」
「だがしかし、こちらの世界では超能力など有り得ない物だからな。本来だったら存在しない物に突然目覚めてしまったのだから、脳に負担が掛かりパニックを起こすのも仕方の無い事だ」
途中で会話に割り込んで来た漠良を少しキツク睨み付け、だけど海馬は冷静にそう言っていた。
「むしろこの程度で済んで良かったと思わねばな…。あちらの城之内並みの力を持ってしまったら、取り返しが付かない事になる」
「そうなるとさ、やっぱり心配なのはこちらの世界のもう一人の海馬君とボクだよね」
「そうだな」
「え…何で…?」
海馬の冷静な言葉に、今度は漠良も心配そうな声を出してそんな事を言い出した。何でそこで海馬と漠良の名前が出てくるんだ?
キョトンとしているオレの横で、海馬が漠良の方に視線を移す。
「まぁ…もう一人のボクの事は特に心配いらないけど」
「何故だ?」
「実はこっちに辿り着いたのは昨日の夜中だったんだよ。でも夜遅かったし疲れてたし、君に会うのはまた明日でいいかなって思って。でも野宿するのは嫌だったからどうしようかなーって思ってたら、偶然にもこっちのボクに出会ってしまったんだよね」
「こちらのお前に…?」
「うん。最初はビックリしてたみたいだけど、事情を話したらすんなり理解して貰えた。そこら辺は流石ボクだよねー」
「………」
「で、早速家に泊めて貰っちゃった。そういう事だから城之内君、ボクまでココに泊めてくれなくていいからねー」
ニコニコしながら明るく話す漠良の横で、海馬は真剣な表情を崩さない。そしてオレもまた一つの予感に縛られていた。
あの日…海馬が海外から一時帰国して、オレの部屋の前で待っていたあの時。オレの恋人の海馬と、この別世界から来た海馬は至極近距離に存在した。直接会う事は無かったけど、こちらの海馬は廊下でオレに組み敷かれ、目の前にいるこの海馬は奥の部屋で様子を伺っていた。
「それって…もしかして…」
一気に青冷めたオレに、海馬はコクリと一つ頷く。
「そうだ。『海馬瀬人』にも、オレとシンクロした可能性がある」
「っ………!!」
海馬の言葉に二の句が継げなくなったオレの横で、漠良が身体を乗り出して口を開いた。
「それからもう一つ、物凄く重要な事があるんだ」
「重要な事…?」
「うん、実はね…。影に乗っ取られた人物って意識は完全に影に明け渡してしまうんだけど、その人の好みや趣向が変わったりする事は無いんだよ。こっちに来る前に色々調べたんだけど、やっぱり例の影も例外じゃ無くてね。乗っ取られた人物は、自分の好きな物や人に惹かれる性質があったんだ」
「好きな…人?」
「そう。その影の犠牲者の多くは、乗っ取られた宿主と親しい関係を結んでいた人が多かった。家族とか友人とか恋人とかね。という事は…今あの影に乗っ取られているのは城之内君で、その城之内君が大好きな人物って誰かというと…」
「海馬…!!」
オレと漠良と、二人揃って海馬の顔を凝視する。だけど海馬はその話は事前に聞いていたらしく、特に驚く事は無かった。驚きはしなかったけど、何故かそれ以上に顔を強ばらせている。
「そうだ…。あの城之内が惹かれてやって来るとしたら、オレの筈なのだ。実際オレもこの世界にいるのだし」
「でも…お前はずっともう一人のオレを捜しているよな…? それってオレが見付からないって事だろ?」
「あぁ。だからオレは心配している。あの影に乗っ取られた城之内が、冷静な判断を下せるとは思えない。もしオレではなくて、別の人物を標的に選んでしまっていたら…。そしてその人物が、オレとシンクロして似たようなオーラを発してしまっていたら…」
「ま…まさか…っ。海馬…!!」
脳裏に海馬の姿が浮かぶ。
オレに廊下に押し倒されて、目を瞠って身動きが取れなかった海馬。耐えきれずに涙を流して、顔を背けて諦めた海馬。半ば放心状態のまま帰っていった海馬…。
「ねぇ、城之内君」
それまで浮かべていた笑顔を消して、漠良が真剣な表情でオレに迫る。
「今こっちの海馬君は…どこにいるか知ってる?」
漠良の言葉を聞きながら、オレは収まった筈の頭痛が再びガンガンと響き出すのを感じていた。