「どういう事だ…?」
余りのショックで震える声を何とか抑えながら、瀬人はアイシスに向かって言葉を絞り出す。
それに対してアイシスはカルテを横目で見ながら、淡々と説明を続けていた。
「今私が言った通りでございます。皇后陛下の女性機能は余りに未熟でございます。この状態で男に抱かれると言うことは、まだ年端もいかない小さな少女が無理矢理犯されるのと同じでございます。医者としてもそれをお許しする訳には参りません」
「だが…オレはもう小さな子供ではない。歳も十七になっている」
「いくら御身は大きくなられましても、皇后陛下の女性としてのお身体はまだまだ未熟なのに変わりはございません。今のままでは無理なのです。お聞き届け下さいませ」
せっかく射した希望の光が、目の前で突如消えてしまったかのようだった。
瀬人の中では、診察が終われば身体に問題無い事が分かり、今夜にも克也と一緒になれる筈だった。だが、下された決断は瀬人の願いを全て裏切る結果となっている。
余りのショックに目の前が真っ暗になって身体が揺らぐ。
そのまま倒れる…っ! と思った時、その身体を力強く支えた腕があった。
「瀬人! 大丈夫か!?」
叫ばれた声に顔を上げると、そこには心底心配そうな顔をして瀬人を支える克也がいた。
大きな手で優しく頬を包み、瀬人の顔を覗き込む。
「顔色が真っ青だ…。アイシス!」
呼ばれたアイシスが慌てて瀬人を寝台に寝かせ、その脈を取る。
心配そうに自分を見ている克也に何か言いたかったが、突如襲った吐き気にそれも叶わない。
慌てて両手を口に当てて寝台から飛び起き浴室に向かおうとするが、診察を受けたばかりの下半身がツキリと痛んで思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
こんな場所で吐きたく無いのに、胃がひっくり返りそうになっているのが嫌でも分かる。
それでも必死に我慢していると、克也がその肩を抱き込んで背を撫でてきた。
「瀬人…っ? 気持ち悪いのか? 我慢出来ないならここで吐いてしまえ」
それにフルフルと首を振るが、身体はもう限界だった。
逆流してくるものを押さえる事が出来ず身体をくの字に曲げて、ついにそのまま吐瀉してしまう。
「うっ…ぇ! げぇ…っ! ゲホッ…!」
飛び散る吐瀉物に衣装が汚れるのも厭わず、克也は瀬人を支えその背を撫で続けていた。
呼吸が上手く出来ない辛さで涙が滲み、潤む視界の端にそれを見て取って、瀬人は苦しい息の下から何とか言葉を絞り出す。
「か…つ…や…。服が…汚れ…る…か…ら…、もう…」
「こんなもの気にしなくていい。いいから全部吐いてしまえ…っ!」
暖かい手で優しく優しく背を撫でられる。
そのお陰であらかた吐いて楽になった瀬人は、掠れる声で「もう…大丈夫…」とそれだけを口にした。
吐く為に身体全体に力を込めていた為、脱力した身体は微かに震えてしまっている。
「マナ!」
その身体を抱き寄せながら克也が強くマナを呼んだ。
「今すぐ湯の用意をしろ! それから着替えを! アイシスは引き続き瀬人を頼む。薬の用意もしてくれ」
克也の命令で周りが一斉に動き出す。
マナは急いで他の女官に声を掛け風呂の準備を始め、アイシスは「畏まりました」と答え薬剤が入った自分の鞄を取りに行った。
それを全身で感じながら瀬人は克也に全身を預け、そしてゆっくりと気を失っていった。
「慣れない環境に連れて来られた上、今の診断結果が相当ショックだったようです。多分許容量を超えたストレスに身体が耐えきれなかったんですわ」
診断を終えたアイシスが瀬人に掛布を掛けてやりながら、痛々しそうに呟く。
寝台の中で死んだように眠る瀬人の顔を見て、克也が辛そうに眉を寄せた。
栗色の髪をサラリと掻き上げ、未だ顔色の冴えないその頬をそっと包み撫でる。
汚れた身体を湯で綺麗にし清潔な夜着に着替えて今は眠っているその身体は、無理に吐いた為に体温が上がらず、その手に伝わる温度はヒンヤリと冷たかった。
「急に無理をさせ過ぎたな…。瀬人…済まなかった…」
心から済まなさそうに謝るその声は、今の瀬人には聞こえない。
克也にしてみれば今までの行動は全て瀬人の為に他ならなかった。だがその行動の一つ一つが、瀬人の心を傷付けていたのもまた事実である。
マナとアイシスを部屋から下がらせ、克也は一人瀬人の眠る寝台に腰掛け、ずっとその寝顔を見続けていた。
目覚めれば辛い現実に打ちのめされる。せめて眠っている間だけは優しい幸せな夢を見ていられるようにと、ただそれだけを願う。
冷たい頬にそっと唇を寄せると、その感触に瀬人が目覚めた。
睫をフルリと震わせて、ゆっくりと瞼を開いていく。青く輝く瞳が克也の視線と交わった。
「克…也…?」
「起きたか、瀬人。気分はどうだ…?」
「大丈夫…。もう悪くは無い…。部屋が暗いが今は何時だ…?」
「さっき日が落ちたところだ。疲れていたんだろう、随分とぐっすり眠っていたな」
優しく微笑んで克也は寝台から立ち上がろうとすると、瀬人にその手を強く掴まれてしまう。
驚き振り返って瀬人の顔を見ると、何も言わずとも瀬人が不安になっているのが見て取れた。
「大丈夫。どこにも行かない。何か温かい飲み物を貰って来るだけだ」
瀬人を安心させるように暖かな笑顔でそう告げると、掴まれた手をそっと外して克也は部屋から出て行った。
隣室に控えていたマナに瀬人の部屋に灯りを点すように命じ、他の女官に飲み物を持ってこさせる。
程なく女官の手によって運ばれてきた飲み物を受け取り、克也は瀬人の部屋に戻っていった。
明るくなった部屋の中でマナに肩から上着を掛けて貰いながら、瀬人は寝台の上で状態を起こしてこちらを見ていた。
「もう起きても大丈夫なのか?」
そう問いかけると、瀬人はしっかりと頷いて答える。
持って来た温かいレモネードを手渡しながら、克也は寝台ではなく側の椅子に腰掛け、未だ顔色の冴えない瀬人の顔を心配そうに眺めた。
「瀬人、アイシスが何日かしっかりと休めと言っていた。疲れが溜まっているらしいから暫くは何もせず休養に専念しろ。公務をこなすのはこの国に慣れてからでいいからな」
克也の言葉に「しかし…」と反論しようとすると「これは命令だ」と告げられ、逆に何も言えなくなってしまった。
本来の瀬人だったら頑固な性格故にこんな事を言われても簡単に諦める事は無いのだろうが、流石に自分の身体が予想以上に疲弊している事に気付いてしまい、仕方無くその好意を素直に受ける事にする。
貰ったレモネードを一口ずつ飲むと、冷えた胃がゆっくり暖かくなっていくのを感じる。
それに漸く一息ついて、横に控えている克也の顔を盗み見た。
相変わらず優しく微笑んでいるものの、その顔はずっと心配そうな表情が張り付いたままだ。
それを見て、瀬人はまた自責の念に駆られてしまう。
克也の為にこの国に嫁いで来たのに、自分は全く役に立っていない。それどころか障害は次々と壁となって、自分達の前に立ちはだかっていくばかりだった。
余りの情けなさに涙が溢れてきて、留められなかったそれがつーっと一本頬を伝う。
「瀬人…? どうした…っ! また苦しくなったのか…?」
慌てて自分を心配し背を擦る克也に首を振り、だが瀬人はその涙を止めることが出来なかった。