*奇跡の証明(完結) - ページをめくる - 第六話

 呆然と事の成り行きを見届けることしか出来ない瀬人の前で、克也はバクラの用意した籠の中に脱いだ服をポイポイと入れてしまっていた。
 思わず一歩後ろに下がると、背後で控えていたマナにぶつかってしまう。
「いけません瀬人様。儀式はちゃんとなさって頂かなくては…」
 マナの言葉に瀬人はフルフルと首を横に振った。

「む…無理だ…。全裸なんて…っ! だって他の人間もいるというのに…っ!」
「陛下は瀬人様の旦那様で、私は瀬人様付きの女官に過ぎません。守り人は皇族の儀式を見守るのが務めなので、そこは我慢して下さいませ」
「いや…だって…オレの身体は…」
「瀬人様のお身体の事に付きましては、私もバクラも既に存じ上げております。とにかくお早くなさいませんと。殿…陛下はもう脱いでしまわれましたよ?」

 マナの言葉に思わず後ろを振り向くと、そこには全ての衣を取ってしまった克也の姿があった。
 後ろ向きであったが、その男らしい直線的な身体のラインやほどよく付いた筋肉などを直視してしまい、瀬人は慌てて視線を外した。
 まるで、昔美術の講習で見た時の彫像のようだと思ってしまう。
 自分自身の身体が中途半端な為、こんな間近で完成された男性の裸体など見たことは無かったのだ。
 戸惑っている内に「瀬人様」ともう一度マナに呼びかけられ、瀬人は仕方無く自らの衣装に手を掛けた。
 慣れない衣装を手間取りつつ全て脱いで現れた肉体に、目の前のマナが小さく息を飲む。
 その身体は余りに中途半端だった。
 上半身にあるのはまるで少女のような微かに膨らんだだけの乳房、そして下半身に付いているのはまるで少年のような小さな陰茎。身体のラインは男性の直線的なものでも無く、女性特有の曲線でも無い。
 身体全体が既に大人として成長している為、その小さな乳房や陰茎の付いた身体付きは実にアンバランスな印象を受けた。
 克也もその身体をじっと見ていたようだったが、顔色一つ変えず瀬人に手を差し出す。
「こっちへおいで、瀬人。今から一緒に泉を渡るから」
 緊張と羞恥で震える手を差し出して、その熱い手を握りしめた。


 克也と共に冷たい泉の中に入っていく。泉は結構深く、水は腰の上まであった。
「今からあの小島に渡って、あの黒水晶に名前を書く」
 克也の言葉を瀬人は黙って聞いている。
「名前を書くと言っても、ペンで書いたり表面を削ったりする訳じゃないぞ? あの黒水晶の尖った部分で指先を切って、その血文字で自分の名前を書くんだ。少し痛いだろうけど、すぐに傷口は塞がるから我慢してくれよな?」
 返事は何も返って来なかったが、水の中で繋いでいた手が強く握りかえされたのを感じて克也は安心する。

「こういう通常の儀式の他にもさ、『願いの儀』ってのがあるんだ。皇族の身の安全や国の行く末とか、そういう重要な願いに関してだけ出来る儀式なんだけどな。オレは余りオススメ出来ない。だって、一度儀式をやり始めたら願いが叶うまで何があっても毎日やんなきゃなんないんだぜ。一度でも止めてしまうとその願いは永久に叶わないんだとさ。無事願いが叶えば『感謝の儀』として最後にもう一度名前を書けば終了らしいけど、なるべくならやりたくないよなー」

 緊張して黙りこくってしまった瀬人を気遣って、克也はなるべく明るい声で話しかける。

「現にこの願いの儀は三百年前の皇后が試して成功させたきり、それ以来誰一人として成功させた奴がいないんだ。皆途中で諦めてしまって、祈りを止めてしまうんだってさ。それだけ大変な儀式だから別に気にしなくてもいいけど、まぁ、これからこの国で生きていくんだったら知識として覚えている程度でいいと思うぜ」

 ザバザバと水を掻き分けてやがて小島までやってくると、小さな石段を上がり小島に上陸する。
 柔らかな芝生の上に白い足を踏み出し、はぁ…と一つ大きく息を吐き出すと。瀬人は再び黒水晶を見上げてみた。
 見れば見るほど巨大な水晶だと感心する。
 黒く輝くその表面をじっくりと眺めていて、何か不自然な事に気付いてしまった。
 克也やマナの話しによればこの儀式は黒龍国創世記から脈々と続いているはずなのだ。それなのにその水晶の表面には名前一つ見つけ出すことが出来ない。
 何百年前、何十年間の名前ならまだ知らず、ついこの間『皇帝即位の儀』や『成人の儀』をやった克也の名前さえ見あたらない。

「克也…。書かれた名前が見あたらないんだが…」
「ん? あぁ。やってみればすぐに分かるよ」

 そう言うと克也は直ぐに水晶の角で人差し指の先を切ると、流れ出た血で『結婚の儀』という文字とその下に自分の名前を書き込んだ。
 同じようにやってと言われ、瀬人も指先を軽く切ると、その血で自分の名前を書き込む。
 二人の名前が並んで書き込まれた瞬間、その血文字はまるで黒水晶に飲み込まれるかのようにスーッと消えていった。それと同時に指の傷も消えていく。

「文字が…消えた…? それに傷も…」
「そう。こうやって文字が消えていく為に名前が残らない。何故かは知らないが名前が取り込まれれば傷も消える」

 克也の説明に瀬人はもう一度自分の指先を眺める。
 通常あれほど深く切った傷ならば、何日も傷口が塞がらず痛みも残るはずなのだ。それなのに今自分の指先には、まるで何の跡も残っていない。
「さて、儀式は終了だ。帰ろう瀬人」
 驚きの表情を隠せない瀬人に優しく微笑むと、克也は再びその手を取り泉へと向かう。
 そして向こうに顔を向けたままボソリと小さく囁いた。

「これで…お前はオレの妻なんだからな」

 聞こえるか聞こえないか微妙なほどのその小さな呟きは、だけど瀬人にはしっかり届いていた。


 儀式を終え皇宮に戻って来た瀬人は、マナにこれから夫婦で過ごす部屋に連れて来られ、新たに湯浴みをし夜着に着替えて克也を待っていた。
 夫婦として初めての夜を共に過ごすという事はどういう事か、瀬人にはそれが良く分かっていた。
 果たしてこの中途半端な身体で克也を満足させられるのか…と、そればかりが気になってしまう。
 だがそれと同時に期待も大きかった。
 克也と結婚した事により昔抱いた小さな恋心が再び芽を出し、克也に抱かれる事を嬉しいと思う自分がいる事に気付く。
 今瀬人の心は、不安と期待と緊張とで一杯になってしまっていた。
 窓際の椅子に座り手をギュッと強く握って襲い来るあらゆる感情と戦っていると、突如部屋の扉が開いてすっかり寛いだ格好の克也が入って来た。
 その姿に瀬人は慌てて膝を付き臣下の礼を取る。
 それを見て克也がまたクスリと笑った気配がした。
「瀬人、お前も頑固だな。いいから立ちなさい」
 克也が瀬人の腕を取って立ち上がらせる。
 目の前に立った克也の顔を、瀬人は改めてまじまじと見詰めた。
 精悍なその顔は見れば見るほど男らしく成長したと感じさせる。二年前に白龍国から帰って行った時の、まだ幼さの残った顔とは比べものにならなかった。
 克也の琥珀色の瞳がスッと細められて、その男らしい大きな手が瀬人の白い頬を包み込んだ。
「…っ」
 恥ずかしさに耐えきれなくて思わず眼を瞑ると、その唇に触れるだけのキスが振ってくる。
 だが克也が瀬人に施したのは、それだけだった。
「瀬人、これを」
 身を固くしている瀬人に安心させるように呼びかけ、克也は服の内側から何かを取り出す。
 それは銀色に輝く一つの鍵だった。

「これは…?」
「これはお前の寝室の鍵だ。この部屋を挟んで東がオレの寝室。そして反対側の西の部屋がお前の寝室だ。合い鍵は専属女官のマナしか持っていないし、内側から鍵が掛けられるようになっているから安心して眠るといい」
「え…?」

 瀬人には克也が何を言っているか分からなかった。
 先程『結婚の儀』を執り行なったからもう二人は夫婦の筈だ。それなのにこの結婚初夜に、目の前の男は夫婦の寝室を別にしようと言っているのだ。
「克也…? 寝室は一緒では…無いのか…?」
 恐る恐るそう訪ねると、克也は少し複雑そうな顔で笑うばかりで答えを返さない。
 それどころか西の寝室に瀬人を案内すると、自らその扉を閉めようとしていた。

「今日は長旅の末に色々あったし疲れただろう? ゆっくりお休み。明日は会わせたい人物がいるからそのつもりで…」

 それだけ言ってパタリと扉を閉めてしまった。


 瀬人の頭は混乱してしまっていた。
 自ら望んで瀬人を正妃にした癖に、克也はまるで瀬人に興味が無いように振る舞われたのだ。
 確かに幼馴染みとして奇跡の子である自分を心配してくれて、あの冷たい国から救い出してはくれたんだろう。
 だけど夫婦というのは友情の延長線上にある訳では無い。
 少なくても、克也に対しての小さな恋を思い出した瀬人は、先程の克也の態度にショックを受けていた。
 それと同時に、あの誓いの泉で自分の裸体をじっと見詰めていた克也の姿を思い出す。
 きっとあの時に自分の身体を改めて見て、その気持ち悪さに絶望したのだろう。何だかんだ言っていたって、結局克也もあの白龍国の大臣や神官達と一緒なのだ。中途半端な身体をした奇跡の子など、気持ち悪くて抱く気にはならないのだ。


 言われた通りに扉に鍵を掛け、天蓋付きの寝台に潜り込んで掛布を頭から被り身体を丸める。
 瀬人は余りの寂しさと悲しみに、白龍国を出てから初めて涙を流した。