*奇跡の証明(完結) - ページをめくる - 第三話

 次の日の早朝、護衛の為の数人の兵士と荷物を背負う馬一頭だけを連れて、瀬人は白龍国を出た。
 白龍国は高山の中腹に位置する為、山を降りきるまでは徒歩で進むしかない。
「山を降りたら麓の町で一泊します。明日の朝には黒龍国の使者が来られるそうです。黒龍国の使者に貴女様をお渡しした後は、我々はそこから先には一緒には行けませんので、その事についてはご承知を」
 そう言う兵士に頷いて、瀬人は黙々と足を動かす。
 瀬人自身この山を降りるのは初めてだった為、標高が下がるにつれて背の丈が高くなる植物や鮮やかな花、見たことのない動物や昆虫、それに段々と濃くなる大気に目を奪われる。
 二年前、留学を終えてこの山を降りた克也も同じ風景をみたのかと思うと、悪い気はしなかった。
 最後に山裾に広がる森を抜けると小さな町が見えた。
 丁度その頃には日も暮れ始め、その町の宿屋で一泊することにする。
 小さな宿屋なのに妙に高貴な者に対しての接客に慣れていて、それが気になって理由を聞くと、瀬人はその答えに納得した。
 黒龍国から留学に来た皇太子や、逆に白龍国から黒龍国に嫁ぐ姫などが必ず立ち寄って泊る宿がここだというのだ。
「二年前には黒龍国の皇太子様が留学から帰られる際に、こちらの部屋にお泊まりになりましたよ」
 にこやかな顔でそう説明する女将に頷き、瀬人は通された部屋のベッドに腰を下ろした。
 ベッド脇から覗ける窓からは満点の星空が見える。
「克也も…この様に星空を眺めたのだろうか…」
 慣れない寝台に疲れた身を横たえながら、瀬人は静かに目を閉じた。


 翌朝、宿の朝食を食べ終わる頃には黒龍国の迎えの馬車が既に着いていた。
 馬車に乗り込みここまで着いてきてくれた兵士に別れを述べて、瀬人は一人で町を出る。
 町を出て直ぐ、一緒の馬車に乗り込んだ黒龍国の大臣と名乗る男から色々な説明を受けた。

「これからいくつかの町を経由して皇宮のある皇都へ参ります。馬車もその度に乗り換えますのでそのおつもりで」
「わかった」
「皇宮にお着きになりましたら直ぐにお召し物を取り替えて頂きます。少なくても貴女様は正妃としてこちらに参ったのですから、そのように男物の服を着たままで皇帝陛下にお会いする事は許されません」
「わかっている。ずっと男として暮らしていたから女物なんて持っていなかっただけなのだ」
「わかっていらっしゃるなら結構でございます。お着替えが済みましたら直ぐに皇帝陛下にお会いする事になります。そしてそのまま誓いの泉にて結婚の儀を執り行って頂きます。貴女様のご要望で派手な式は致しませんが、儀式はまた別でございますので。儀式についてのご説明は皇帝陛下御自らがなさるそうですので、私の口からは申し上げません」

 大臣の話す小難しい話を適当に流しながら、瀬人はずっと馬車の外を眺めていた。
 豊かな国だと思った。
 広い平野が広がり小川が流れ、青い葉を称えた穀物や野菜が育つ大きな田園が遠くまで広がっている。
 白龍国は高山の中腹に位置する為、まともな畑など作れる筈もなく、少しでも天候に恵まれないと直ぐに不作となり飢饉に見舞われた。
 昔の歴史書には小さな子供達や生まれたばかりの赤ん坊などが、食糧不足の為に何百人単位で餓死していった様子が切実に書かれていた。
 三百年前の白龍国の愚皇が豊かなこの国を欲し、戦争を起こしたのも致し方ないような気もしてくる。
ただし今はそんなに酷い状況にはならない。
 三百年前の七年戦争に負けて以来、白龍国は黒龍国の属国として、山から取れる豊富な鉱物資源を輸出しなければならなくなった。
 その代わり黒龍国からは豊かな大地から取れた穀物や野菜や果物等の食料が山ほど輸入されていて、それによって白龍国の民は飢餓に苦しむ事も無くなったのである。
 豊かさを手に入れた白龍国の民は、戦争を起こした法皇を愚皇と呼び蔑んだ。
 だけど彼は本当にただの愚皇に過ぎなかったのだろうか?
 飢餓に苦しむ自国の民を見て豊かな大地を手に入れたいと思うのは、国を統べる者として当然の考えではなかろうか?
 瀬人は自らの内に湧き上がってきた疑問を無視する事が出来ず、数年前に白龍国のとある有名な歴史家に質問をした。
 それに対しその歴史家は「かの愚皇も二人兄弟の兄であったという…。やはり貴方様は愚皇の再来なのか」と呆れたような目で瀬人を見て、結局その話はそれっきりになってしまった。
 白龍国の民は相変わらず時の法皇を愚皇と呼び、蔑む風潮は変わりはしない。だが、そんな彼の事を本当に理解している人達も確かにいたのだ。
 その証拠に愚皇の後を継ぎ次代の法皇となった彼の弟は、一度も兄を蔑むことは無かったという。
 それどころか戦犯として処刑された兄の墓に対して、深く臣下の礼を取ったという逸話もある。
 何が正しかったのかは後の歴史が語るに過ぎない。
 けれど一つ分かっていることがある。
 今の白龍国の平和と豊かさは、自分のように人質として黒龍国に嫁いでいった何人もの女の犠牲の上に成り立っているという事だ。
 そこまで考えて瀬人は軽く溜息を吐いた。
 少なくても昔恋をしていた男の元に嫁ぐ者の考える事では無いと、フッと一人自嘲気味に笑うのだった。



 黒龍国の皇宮に着いた頃には、すっかり日も沈んで夜になっていた。
 馬車から降りるとそこには何人もの女官がいて、皇宮内に案内される。
 湯を使わせて貰って身体を清めた後、女官達に女物の服に着替えさせて貰う。
 瀬人の中途半端な身体を見ても、女官達は何も言わず普通にてきぱきと自分達の仕事をこなしていた。
 馬車の中で大臣が「皇宮内におります者には既に瀬人様が奇跡の子である事の説明がなされております」と言っていたのを思い出す。
 気付かれないように嘆息し、表面上はそうは見えなくても心の中ではどんなにか奇跡の子である自分を蔑んでいるのだろうと勘ぐってみるが、女官達の誰一人としてそんな思惑を持った人物はいないようだった。
 そういえば昔、まだ克也が白龍国に留学中だった頃、黒龍国は白龍国に比べて奇跡の子への偏見が少ないとの話を聞いた事があった。


「四代前の皇帝の末の子供が奇跡の子だったんだ」
 克也が明るい声で話す光景が甦ってくる。
「その皇帝は前々からずっと不思議に思ってたんだってさ。何で奇跡の子のような子供が生まれて来るのかってね。だから自分の主治医にその事を調べさせたんだ」
 標高が高い地域独特の澄んだ青空を見上げ、高原の風に吹かれながら克也は話を続けた。

「その主治医ってのが黒龍国でも有名な医学博士だったらしくてさ。やがてその原因を突き止めることに成功した。奇跡の子が生まれる背景には、常に近親婚が付きものだって事に気付いたんだ」
「………? オレの記憶に間違いが無ければ、確か黒龍国では近親婚は禁じられていた筈だったが?」
「うん。だからそれまではしても良かったんだよ。その皇帝の末の子供は側室との間に出来た子供だったんだけど、その側室ってのが皇帝の腹違いの妹だったんだ」
「自分の妹との間に子供を作ったのか?」
「何か小さい頃から仲が良かったんだって。その頃はまだ近親婚がどんなに危険な事か分かってなかったし、別に何の問題も無かった。末の子が生まれるまではね」

 克也は喋り疲れたのか、新しく茶を煎れて一口飲み、また口を開いた。
「奇跡の子が生まれる原因が分かった皇帝は、直ぐに奇跡の子に対する保護令を発し、医師達にその研究を命じた。あ、研究って言っても人体実験とかじゃねーぜ? お前も自分の事だからよく知ってるだろうけど、奇跡の子って総じて身体が少し弱いんだ。だからそんな子供達を護る為の研究って意味ね」
 克也の言葉に、自分も幼い頃はよく熱を出して何日も寝込んでいた事を思い出す。
「そうやって皇帝自らが奇跡の子の保護に積極的に関わり始めてから、黒龍国では徐々に偏見や差別が無くなっていったんだ。今じゃ殆どの人間が奇跡の子を普通の一般人と同じに扱ってるぜ。ちょっと身体が弱くて子供が作れないだけで、普通の人間と大して変わらないって考え方なんだ」
 その話を聞いて、瀬人はますます閉鎖的な白龍国と、精神的にも進んでいる黒龍国の差を見せつけられた様な気がした。
 深く考え込んだ瀬人に、克也は優し気に笑って最後にこう言って締めくくった。
「だからオレはお前に、正妃として黒龍国に来て欲しいって思っているんだよ」


 昔の思い出に浸っている内に、全ての用意が終わったらしい。
 瀬人は滑らかな上等の絹の衣装に身を包み、謁見の間まで連れられていった。
 本当だったら緊張する場面なのだろうが、瀬人はどこか冷静にこの事柄を見詰めていた。
 謁見の広場にて膝を付き頭を下げると、奥に立っていた兵士から「皇帝陛下がおなりになります」と声がかかった。
 頭を下げている為前方は見えないが、奥の扉が開き誰かが歩いてくるのが分かる。足音は目の前の玉座の前で止まり、やがてドサッと大胆に座り込んだ音がした。
「皇帝陛下、白龍国から正妃様がおみえになりました」
 脇に控えていた大臣の言葉に「あぁ」と答える声が聞こえる。
 その声を聞いて瀬人は初めて心臓が高鳴るほどの緊張を覚えた。
 克也が白龍国での留学期間を終え黒龍国に帰って行ってから二年が経つが、未だにその声を鮮明に覚えていたことに自分自身で驚いてしまう。
 記憶にある声よりも若干低くなったその声は、一人前の男の声を思わせた。

「皇帝陛下には…ご機嫌麗しく…」
「苦しゅうない。面を上げよ」

 形式通りの挨拶を口にすると、それに答える声が聞こえた。その声にそろそろと顔を上げて玉座を見上げる。
 そこにいたのは男としてすっかり逞しく成長し、立派な皇帝として玉座に腰を下ろしている克也の姿だった。