*奇跡の証明(完結) - ページをめくる - 第一話

 今から約三百年前、山肌に国を構える法の国『白龍国』と土壌豊かな平地に国を構える武の国『黒龍国』との間に戦争が起こった。
 発端は後に愚皇(ぐこう)と呼ばれる事になる『白龍国』の時の法皇が、『黒龍国』の持つ豊かな土地を我が物にせんと突如『黒龍国』に攻撃を仕掛けた事から始まった。
 後に『七年戦争』と呼ばれるこの戦争は文字通り七年間もの長き間続き、兵士だけに他ならず両国の民間人にも多数の犠牲者を出す凄惨なものとなった。
 初めは『白龍国』の優勢と思われていた戦いだったが、後に武の国としての『黒龍国』が真価を発し、戦争はやがて『黒龍国』の勝利に終わる。
 戦争を起こした張本人の愚皇は捕らえられ、後に戦犯として処刑された。
 この戦争により戦勝国となった『黒龍国』の皇帝は、代々の正妃(皇后)を『白龍国』の人間から選び人質として自国に連れ帰る事で『白龍国』を戒める事とした。
 これに対し『白龍国』は拒否権を持たず…。


 そこまで読んで瀬人はパタリと歴史書を閉じた。
 そして目の前で呆けたような顔で自分をボーッと見ている少年の額をつつく。
「克也、ちゃんと聞いているのか?」
 額を指でつつかれた事により、目の前の『克也』と呼ばれた少年はビクッと身体を揺らして意識を取り戻す。

「き、聞いてるよ!」
「そうか? 何か呆けていたようだが?」
「歴史はさ-、苦手なんだよ。何だか眠くなるし…」
「法や規律だけでなく歴史を学ぶことも大事な務めだ。お前は何の為にこの国に留学してきてるんだ」
「瀬人に会う為」
「まだ巫山戯るか!!」

 克也の言い分に頭に来た瀬人は、手に持っていた分厚い歴史書で克也の頭をポカリと叩く。
 その行動に克也は「いてっ!」と大げさに痛がったが、次に瞬間にはまるで懲りていないようにニコニコと笑って瀬人を見詰めていた。


 ここは白龍国の法皇宮のとある部屋に取り付けられたテラス。
 そこに机と椅子を持ち込んで勉強しているのは、二人の少年だった。
 一人はこの白龍国の若き法皇で、名を瀬人といい齢十三になる。
 向かいに座る少年は黒龍国の皇太子で名を克也といい、十三の誕生日を一月後に控えていた。
 克也は今、黒龍国の皇太子として白龍国に留学中であった。
 黒龍国の皇太子は九歳から十五歳までの六年間、法や規律を学ぶ為にこの法の国である白龍国に留学に来ることが義務付けられている。
 勉学の為に留学しているのは確かだが、実際のところは将来の正妃を選ぶ為という理由が目的の半分を占めていた。
 瀬人もそれを分かっているのだろう。
 休憩の為に煎れたお茶を二人で飲みながら、唐突に話し出した。

「ところで克也。将来の正妃候補はもう決まったのか?」

 そう問うてきた瀬人を上目遣いでチラリと見て、克也は「いや」と言って首を横に振る。
「貴様は一体どんな女が好みなのだ…。この間の貴族の娘もダメ。神官の妹もダメ。前に紹介された大臣の娘もダメだったのだろう?」
 心底不思議そうに聞いてくる瀬人に、克也も軽い溜息をつきつつ答えた。

「だからオレはお前を正妃にするって、ずっとそう言ってるだろう?」
「いい加減巫山戯た答えで現実から逃げるのは止めたらどうだ?」
「巫山戯てねーよ。オレは本気だ!」
「いい加減にしろ! オレは女じゃない」
「知っている。でも男でも無い。だってお前は…」

 そこまで言ってから一旦区切って、克也は小さな声で呟いた。

「お前は…『奇跡の子』だ」


『奇跡の子』、それは半陰陽の奇形児達の隠語である。
 男でも無く女でも無い半陰陽は、黒龍国でもたまに見られる症例だが、白龍国の発生率は異常な数だった。
 原因は白龍国における初代法皇の血筋に対する異常なまでの神聖視だった。
 白龍国の守り神である『青眼の白龍』の化身とも言われている初代法皇は、それ自体が神聖なものとされ、その血筋を受け継いでいる白龍国の貴族達の間にはなるべくその血を色濃く残そうとする習慣があった。
 その為無理な近親婚を続けた結果、半陰陽の子供達が多く生まれるようになってしまったのである。
 次代に子孫を残せないそんな子供達を、貴族達は最初は『忌み子』として嫌っていたのだが、彼等の身体の中にも偉大なる初代法皇の血が間違い無く流れている事は紛れもない事実。
 更に初代法皇の血を尊ぶ余りに自分達がしてきた近親婚が生み出した結果だということを認められず、自分達のしてきた事は決して間違っていないと主張したいが為に、『忌み子』を『奇跡の子』として呼ぶことで、自らの罪に顔を背けて来たのである。


 今から五年前。前法皇が亡くなった時、白龍国の神官達の手によって託宣が行われた。
 白龍国の代々法皇は世襲制ではなく、初代法皇の血筋の中から託宣によって選ばれる。
 示された場所に向かった神官達は、少なからず動揺する事になった。
 その場所は孤児院。そこにいた沢山の子供達の中で、神官の法具に反応する子供が二人もいたのである。
 一人は八歳になったばかりの瀬人、そしてもう一人は瀬人の弟で僅か三歳のモクバだった。
 通常託宣によって選ばれ、法具に反応する人物は一人だけである。それなのに二人同時に反応された事に、神官達は戸惑いを見せた。
 最初神官達は、託宣で選ばれたのは兄の瀬人であろうと考えた。
 だが瀬人が奇跡の子だと分かると、神官達や大臣達は揃って反対した。
「奇跡の子が法皇に選ばれる筈が無い!」との声に、では託宣で本当に選ばれたのは弟のモクバだと言うことになったのだが、如何せん彼はまだ三つの子供だった。
 そこで瀬人自身が「弟が十五歳で成人するまで自分が代わりに法皇を務める」と進言すると、多少の物議は醸し出したもののその意見は認められた。
 よって今の瀬人は、あくまで仮の法皇なのである。


「お前さ、周りの神官や大臣達がどんな目をしてお前を見てるか知ってるか?」
 克也の言う言葉に瀬人は黙って頷く。
 八歳で法皇の任に就いてから、一度だって好意的な視線を向けられた事など無かった。
 いつだって冷たく蔑むような視線の中、ただ弟を守りたい一心で法皇を務め続けた。

「オレは十五になったら留学を終えて黒龍国に帰らなくちゃいけない。だけどその二年後、十七になったら成人して白龍国に正妃の要望をする事が出来る。そしたらお前を呼んでここから連れ出してやる。オレはお前をこんな冷たい場所に居させたく無いんだ…」

 克也の気持ちは嬉しかったが、瀬人にはそれが到底無理な事が分かっていた。
 託宣で次の法皇を選ぶ白龍国と違い、黒龍国はあくまで世襲制。
 子供を産めない『奇跡の子』を正妃に選ぶ訳にはいかないのだ。
 二人して押し黙って温くなった茶を啜っていると、突如部屋の扉が開き賑やかな声が入ってくる。
「兄サマ~!」
 初めに入って来たのは八歳になったばかりの瀬人の弟のモクバだった。
 駆け寄って大好きな兄の身体にぎゅっと抱きついてくる。そして、その後ろから可愛らしい女性が入って来た。
「皇太子殿下、法皇猊下、勉学中に突然申し訳ありません」
 礼儀正しくお辞儀をしたその女性はマナといい、黒龍国皇太子である克也の同い年の乳兄弟である。
 乳母の娘である彼女は克也と共に白龍国に六年間の留学に来ていた。

「モクバ様がどうしてもお兄様にお会いしたいとおっしゃられるもので…」
「構わぬ。丁度休憩していたところだ」
「むしろ助かったぜ、マナ。歴史の授業は退屈過ぎる…」

 机の上にくた~っと上半身を乗せる克也を見て、瀬人とマナは思わず視線を合わせクスリと笑ってしまう。
 真冬のような暗く冷たい法皇宮において、ここだけはまるで春の木漏れ日が射しているようだと瀬人は思った。


「猊下。法皇猊下」
 暫く優しい思い出に浸っていたのだろう。大臣に呼ばれた声に瀬人はハッと顔を上げた。
 今は大臣から他国の情勢や報告を聞く謁見の最中であったことを思い出す。
「すまぬ。続けてくれ」
 慌てて大臣に続きを促す。
 思い出に浸ってしまったのには訳があった。
 大臣からの報告の中に、隣国黒龍国でつい先頃、若き皇帝の成人式があったというものがあったのだ。
 十五歳で成人式を迎える白龍国と違い、黒龍国での成人式は十七歳でこちらより二年遅い。
 黒龍国皇太子はまだ成人してはいなかったが、前年に前皇帝が病気で崩御してしまい、まだ十六歳の皇太子がその後を継いだばかりだった。そして今年無事に十七歳を迎え、盛大な成人式を上げたのだという。
 黒龍国の若き皇帝とは言わずもがな、あの克也の事だ。
(もう…あれから随分経ってしまったな…)
 大臣の淡々とした報告を聞き流しながら、瀬人はまるで昨日の事のように感じる昔を思い出す。


 九歳で初めて白龍国にやって来た克也は、日々「黒龍国に帰りたい」と泣いてばかりだった。
 同年代ながら半分女性の血が入っているせいだろう、通常より成長が早かった瀬人はそんな克也をまるで兄か姉のように慰めていた。
 そんな彼が成長していって、やがて自分を正妃に欲しいと言い出すようになった。
 どんなに冷たく撥ね付けても、克也は決して諦めようとしなかった。
 十五歳になって黒龍国へ帰る際も、「オレは絶対お前を皇后にする」と言い残し自国へと帰っていった。
 どんなに彼が真面目に言っても瀬人は相手にはしなかったが、心の中ではとても嬉しかったのだ。
 日々男として成長していく克也に、瀬人の女性の部分が恋をさせた。
 だけど瀬人は自らの心に気付かないふりをした。
 奇跡の子である自分が黒龍国の皇帝の克也と結ばれるなど絶対に無理なのだ…と瀬人が自嘲気味に微笑んだ時、大臣が一通の書状を取り出した。

「猊下…。それでですね、黒龍国から例の書状が参っております」
「かまわん。名前を読み上げろ」

 例の書状とは、黒龍国の皇帝が成人した時に求める正妃の要望の件であろう。
 克也がどんな女性を選んだかは知らぬが、結局こちらには拒否権などは無いし、黙って人質として差し出さねばならぬのだ。
 二年も前に捨て去った筈の小さな恋心がチクチクと胸を射すのを感じながら、瀬人は書状に書かれた名前が読み上げられるのを黙って待っていた。
 ところがいつまでたっても大臣は名前を読み上げようとしない。
 それどころか少し焦っているような気もする。

「どうした? 早く読むが良い」
「そ…それが…。猊下…」
「もうよい! 自分で見る!」

 明らかに様子がおかしい大臣に痺れを切らして舌打ちをすると、瀬人は座していた椅子から勢いよく立ち上がりズカズカと大股で大臣に近付き、その手に握られていた書状を取り上げた。
 そして書状を開きざっと目を通すと、そこに書かれていた名前に思わず身体を固めてしまった。

「こ…これ…は…、オレの…っ!」

 そこに書かれていた名前は、まさしく瀬人の名前だったのだ。