*奇跡の証明(完結) - ページをめくる - 第十九話

 静かに眠り込んでいる瀬人の身体を抱き込み、克也は闇夜の中で目を開いた。
 聞こえるのは窓の外で吹いている風の音と、傍らで眠っている瀬人の規則正しい吐息だけ。
「静かだ…」
 思わず声に出してそう呟くと、すっかり眠っていると思っていた瀬人がスッと瞳を開き克也に擦り寄って来た。
「克也…? どうした…、眠れないのか?」
 心配そうに尋ねて来る瀬人に、克也は安心させるように微笑んで答える。

「いや、大丈夫。もう眠るよ」
「だが…。さっきからずっと起きていただろう」
「あぁ、ちょっと静けさに慣れなくてな。戦場では深夜でも常に何かの音がしていたから…。こんな風に安心して夜を過ごせるなんて無かったからさ」

 三年という長い時間を戦場で過ごして来て、すっかり普通の静けさを忘れてしまっていた事に、克也は自嘲気味に笑った。
 克也の答えに瀬人は何も言わなかったが、ギュッと力を入れて抱き締めてくる。
 それを同じように強く抱き締め返し、優しく栗色の髪を撫でて現れた白い額にキスをした。
「さぁ、もう夜も遅い。眠ろう」
 そう言って共に眠る為に肌蹴けた掛布を掛け直すと、突然瀬人が起き上がって横になっている克也を見下ろした。
 黙って見詰めるその視線は至極真剣で、克也は瀬人が何かを言いたがっていることを悟って、黙って瀬人が口を開くのを待つ事にする。
 やがて小さく嘆息した瀬人が何かを決心し、ついに口を開いた。

「克也…。側室を取れ」

 突然思いもしなかった事を言われて、克也は目を丸くした。
 三年越しの愛が実ってやっと結ばれる事が出来たその夜に、まさかそんな事を言われるとは思ってもみなかったのだ。

「お前…。何を突然…」
「突然ではない。オレは…この三年間…ずっと考えていたのだ。お前が帰って来たら側室の事を言おうと、そう決めていた。黒龍国は世襲制だ。お前には跡取りが必要なのだ。だけどオレには子供を産むことが出来ない。だから側室を取れ」

 余りの事に呆然とする克也を気にせず、瀬人はただ淡々と自分の考えを述べた。

「側室にするのだったら、なるべく性格が良くて健康そうな女性がいいと思うぞ」
「瀬人」
「そうだな…。マナはどうだ? あの子なら可愛いし性格も良いし、何しろとびきり健康だ。お前の子供も沢山産んでくれるだろう」
「おい、瀬人」
「オレもマナだったら安心してお前を任せられる。あとアイシスもどうだ? きっと彼女との間の子供だったら、頭の良い子が生まれるだろう」
「瀬人、いい加減にしないか。それに…」

 優しく言葉を遮った克也が、そっと瀬人の眦を指先で拭う。
 その指先が濡れているのを見て、瀬人は初めて自分が涙を流していたのを知った。
「泣きながら提案する位だったら、初めからそんな事言うな」
 困ったように笑う克也に瀬人は「だが…っ」と言い募る。
 それに対して静かに首を横に振って克也は答えた。

「オレの事を考えてくれたお前には悪いけど、オレは側室を取るつもりは無いよ。オレはお前がこの国に来てくれた時に、一生お前だけを愛すると決めてあるからな」
「だが…っ! せっかく代々続いてきた皇帝の血を、オレのせいで途切れさせる訳には…いかない…っ! お前は直系なのに…っ!」
「ん? あぁ、そうか。お前知らなかったんだっけ」

 突然克也が間抜けな声を出した為、それまで心を痛めて叫ぶように訴えていた瀬人も言葉を途切れさせてしまう。

「オレ、実は養子なんだよ」
「…? 養…子…? お前が…っ!?」
「あぁ。前皇帝の皇后は身体が弱い人でさ、子供が出来なかったんだ。ちなみにオレは皇帝の姉の子供な」
「姉の子供…。皇帝の甥だったのか…。あ…だが側室は…?」
「いなかった。前皇帝は皇后の事を深く愛していて、白龍国から皇后を貰い受けた時に生涯その人だけを愛し続けると誓ったらしい。まぁ、その気持ちは良く分かるけどな」

 そう言って克也は瀬人に微笑みかけた。
 その笑みを素直に受け取れず、瀬人は少し困った顔をしてしまう。
 その様子に苦笑して何も言えなくなった瀬人の肩に手を掛け、克也は自らの胸に瀬人の頭を優しく抱き寄せた。

「やがて皇后が不治の病にかかっちまって、子供のいなかった皇帝は養子を取ることにした。そして何人もいた自分の甥の中からオレを見出してくれたんだ。何でも皇帝の素質が見えたとか何とか言っていたけど、当時まだ五つだったオレには何の事か良く分からなかったなぁ…」
「皇帝はいいとして…、その時の皇后は? それで良かったのか?」
「それで良かったらしいよ。二人で話し合って決めたんだと。現に皇帝も皇后もオレに優しくしてくれた。血は繋がっていなくてもオレ達は紛れも無く本物の家族だった。まぁ皇后の方はオレが七つの時に病死しちまったけどな」
「………。そ…うだった…のか…」
「後はお前も知ってる通りだよ。皇帝はオレの事を父親らしく厳しく育ててくれたけど、結局急病で早世してしまった。でもオレは感謝してるぜ? あの義父と義母がいてくれたお陰で今のオレがあるんだ」

 自信の籠もった笑顔で瀬人に笑いかけると、克也はそっと身を起こす。
 自らの胸に寄りかかっていた瀬人の身体を優しく起こし寝台に寝かせると、床に落ちていたローブを取り上げ身体に羽織り寝台から足を降ろした。
 そしてそのまま傍らの本棚に近付き何かを探し始める。

「大体子供のいなかった皇帝が養子を貰って跡取りにするなんて、今までの歴史の中で何度もあったことだ。それについでだからいい事を教えてやろう。三百年前の七年戦争で活躍した皇帝の子孫なんか、誰一人としていないんだ」
「なんだと…? それは一体どういう事だ!? 白龍国の歴史書にはあの戦争の後、一人目の皇后がちゃんと嫁いで行ったと書かれていたぞ…?」
「そうだな。だけどその一人目の皇后について、どこの誰かという明確な資料はあったか? 無かっただろ?」
「そ…それは確かに…。そう言えば一人目の皇后に関してだけ、出自が不明となっていたな…。だが…それと皇帝の子孫に一体何の関係が…」
「えーと、確かこの辺に…歴史書の写しがあったんだけどな…。あぁ、あった。コレだ」

 瀬人の質問に答えず克也は本棚の中から一冊の資料本を取り出した。
 そしてそれを持って寝台に戻り、枕元に燭台を近付ける。
「瀬人、これはオレが皇帝になったばかりの頃に神殿で見付けた古い歴史書の写しだ。これにはいくつか興味深い事が記載されている」
 持っている資料本に瀬人が興味を示し、シーツを身体に巻き付けて覗き込んで来たのを見て、克也はページを捲り始めた。

「まずは白龍国からやって来た一人目の皇后の話だ。時の皇帝も皇后を溺愛して側室は持たなかったんだが、問題の皇后が皇宮に籠もりきりで殆ど表に出てこなかったらしい。よって当時の皇后の姿を描写した資料が何一つ残っていない。皇帝のは山程残っているのにな」
「資料としての文字も…肖像画もか?」
「あぁ、何も無い。だから誰も当時の皇后がどんな人だったか知る人間はいないんだ。はっきり分かっているのは皇帝との間に子供を残さなかった事と、誓いの泉での描写だ。戦争が終わって数年後、難病にかかった皇帝の為に皇后が願いの儀を行ない、見事それを成し遂げて皇帝の病を治したって奴だ」

 克也の言葉を聞いて、瀬人の脳裏には誓いの泉で真紅眼の黒龍が言っていた言葉が甦ってきた。
 確かにあの時黒龍は、一人目の皇后が願いの儀を行なったと言っていた。
 突如考え込んでしまった瀬人を不思議そうに見ながらも、克也は更にページを捲る。

「次はこれだ。これは戦争が終わった直後の資料で、犯罪人を収容していた牢屋の看守の日記だ。当時その牢屋の中には二十件以上もの盗みと放火、更に殺人を犯した極悪人が入れられていたらしいんだけどな。黒龍国に七年戦争の勝利の報が届いた翌日に、何故かその囚人が白龍国に移送されている」
「何故わざわざ白龍国に…? しかもそんな囚人が…?」
「それが問題なんだ。この看守の日記では、まず焼けた鉄の棒で喉を焼いて声を出せなくさせてから、髪を染料で染め更に綺麗に切り揃えて『誰かに似せて』から移送したと書いてある」
「………? 誰かに似せて…? 何の為にそんな事をしたんだ…、意味が分からない…」

 首を捻る瀬人に克也は微笑み、次のページを捲った。
 数年前に自分が出した核心に、資料は確実に近付いていっている。

「次の資料は神殿ではなく皇宮の資料庫で見つかったものだ。これは当時の女官の付けていた記録だ。この中にたった一行だけ『皇后陛下は私たちとは性別が違う為、風呂や着替えの世話をされるのが苦手なようだ』という描写があるんだ」
「性別が違う…? 何だ…? これは女官の記録なんだよな…?」
「そうだ」
「女官と性別が違うと言うことは…まさか…皇后は男だったという事か?」

 それにはっきりと答えを返さず、克也はまたページを捲る。

「最後はこれ。これはオレが白龍国に留学中に、法皇宮の資料庫でたまたま見付けた古い記録だ。まぁこれを見付けたお陰で当時の皇后に興味が沸いたんだけどな」
「どういう事だ…?」
「読めば分かるよ。ここに書いてあるのは例の囚人の引き渡しに参加した兵士の記録だ。ほら、ここを見てくれ。一旦白龍国に移送された囚人はその直後に冤罪である事が証明され、次の日には再び黒龍国に引き渡されたと書いてある」

 克也が燭台を更に近付けると、瀬人が身を乗り出し浮かび上がった文字を読み始める。

『その者は黒いフードを深く被り顔は良く見えなかったが、髪や瞳の色、背格好などが何となくあの御方に似ていると思ってしまった。こんな極悪人があの御方に似ているなどと考えるだけでも失礼だと思ったが、実際よく似ていると思う。確かにあの御方は自ら戦争を起こした犯罪人かもしれないが、それでも自分はあの御方を尊敬し敬っている。そんなあの御方のいる牢にこんな極悪人が一緒に入るのかと思うと遣り切れなかったが、どうやらこの男は無実だったらしい。翌日には黒龍国側から男の冤罪が証明され、再び黒龍国へ移送される事となった。前日と同じように黒いフードを目深に被り顔は良く見えなかったが、やはりあの御方によく似ていると…』

 そこまで読んで、突如瀬人は顔を上げて克也を見上げた。
 そして何かに気付いたように言葉を放つ。

「まさか…、替え玉か!?」

 瀬人の叫びに同意するように克也が頷く。

「オレもそう思った。ここに出てくる『あの御方』とは、まず間違い無く愚皇の事だろう。多分時の黒龍国皇帝は愚皇に良く似た囚人を使って替え玉としたんだ。現にそれから数日後にまるで急ぐように愚皇の処刑が行なわれている。そして囚人と入れ替えに黒龍国に移送された愚皇は、多分そのまま…」
「皇后に…なった…」
「あぁ、多分そういう事なんだろう。ま、そう言うことで、男同士で結婚した彼等には子供など出来る筈もなく。だからあの皇帝の子孫は一人もいなんだよ」
「そうだったのか…。でも何故だ…? 何故そうまでして皇帝は愚皇を守ろうとしたんだ?」

 本気で混乱し始めた瀬人を、克也は優しく見守る。
 そして「分からないのか?」と静かに尋ねた。
 それに複雑な表情をして瀬人が首を横に振るのを見て、仕方なさそうに話し出す。
「七年戦争は皇帝自らが法皇宮に攻め込み、法皇を捕らえた事で終結した。多分その時に…」
 真剣に克也の話を聞いている瀬人に対し克也は話を一旦区切ると、次の瞬間には笑って答えを出した。

「惚れちまったんじゃねーの?」

 克也の出した暢気な答えに瀬人は思わずポカンと口を開けたまま固まってしまった。
 そんな瀬人を面白そうに眺めながら、克也は笑いながら話しかける。
「な、面白いだろ? まぁ話は長くなったけど、そういう事だから側室とかそういうの気にするのやめろよな。オレはお前がいればそれでいいんだよ。いや、お前だけしかいらない。だからこれからもずっと二人で過ごそうぜ」
 驚愕の余り暫く言葉が継げなかった瀬人もやがて落ち着きを取り戻して、もう一度克也の顔をじっと見詰めた。

「だが…跡取りはどうするんだ?」
「普通に養子を貰えばいいんじゃねーの? オレみたいに」
「どこから…」
「実はオレには妹が一人いるんだ。この先妹がどこかの貴族と結婚して子供をもうけたら、その内の一人を養子として貰うって話がついている。だからお前は何も心配するな」

 そう言ってポンポンと頭を撫でられ、瀬人はそれに漸く安心したように薄く微笑んだ。
 そしてそのまま克也の身体に擦り寄ると、克也は優しく瀬人の細い身体を抱き締めた。
「でも瀬人…。オレはもう暫く二人きりでいたいと思っている…。たった半年の新婚生活の後に三年も離れ離れになっていたんだ。養子を貰うのはもっと後でもいいだろう?」
 克也の問いかけに瀬人はコクリと頷いた。
「あぁ、オレもそうしたいと思っている」
 瀬人の答えに克也は一旦身を離し、瀬人の顔を覗き込んだ。
 そして二人でクスリと笑い合うと再び強く抱き締め合い、寝台へと倒れ込む。
 今はもう少しこのままで…。
 二人でそう願いながら。