*奇跡の証明(完結) - ページをめくる - 第十四話

 小一時間後、瀬人が書状を手に謁見の間に入ると、そこには既に白龍国の軍務大臣と副将軍が跪いて待っていた。
 早速皇后として席に着くと、目の前に座っている二人に「面を上げよ」と命ずる。
 顔を上げた大臣と副将軍の二人は瀬人を見て、再び深々と頭を下げた。

「お久しぶりです猊下…いえ、皇后陛下。お元気そうで何よりでございます」
「回りくどい挨拶などどうでもいい。さっさと話を進めるぞ。お前達も知っての通り、我が黒龍国は西の隣国冥龍国との戦争状態に入った。そこでお前達に問う。今回の戦争で白龍国はどういう立場を取るつもりか?」

 瀬人の質問に大臣と副将軍は顔を見合わせる。
 まだ瀬人が白龍国の法皇であった頃、この様に彼の前に跪き何度も報告や相談毎をした事があったが、こんなに威風堂々とした態度で迎えられた事はなかったのだ。
 瀬人がこの黒龍国に嫁ぎ早半年経ったが、その間に一体何がこの方の身にあったのだろうかと首を捻る。
 そうこうしている間に痺れを切らしたのか「返事はどうした?」と尋ねられたので、慌てて軍務大臣が口を開く。
「法皇猊下にあらせられては静観せよとのお言葉でございます。我が白龍国にも軍隊はございますが、皇后陛下もよくご存じの通り、まさに形ばかりの軍隊でございます。この黒龍国の軍隊と比べれば、我が国の軍隊は子供のようなもの。とても此度の戦争に役立てるとは思いません」
 大臣の言葉に瀬人は「ふん、そんな事だろうと思った」と小さく呟いた。
 三百年前のあの七年戦争以来、白龍国はなるべく『戦争』というものから距離を取ってきた。
 再びあの悲劇を繰り返さないという意味では殊勝な心構えだが、今回の戦争は侵略戦争ではなくあくまで自国を守る為の戦争。こんな大事な時にまで引き籠もって貰っては困るのだ。
 瀬人は顔を上げて凛とした声で言い放った。

「では黒龍国皇后として白龍国に命ずる。直ちに軍隊を編成し、黒龍国と冥龍国の国境である西の大河沿岸の警備にあたれ」
「そ…そんな…っ! 皇后陛下は我ら白龍国に戦争に参加しろとおっしゃられるのですか!? 元白龍国の法皇であった瀬人様がおっしゃられるようなお言葉とは思いません…っ!」
「何も直接戦争に参加しろと言っている訳では無い。白龍国の軍隊が戦争に参加したとしても、戦果なんぞは期待しておらぬ。オレが言っているのは国境の警備だ。冥龍国側から来る兵士や間者を見付けたら即刻捕らえ、拷問にかけてでも情報を吐かせろ。戦争は黒龍国軍隊に任せ、白龍国はとにかく国境警備に徹するのだ」
「国境警備とは申しましても…、結局戦争に荷担する事と同じ事では…?」
「貴様等、もし万が一黒龍国が此度の戦争に負けることがあってみろ。次に狙われるのは白龍国だ。黒龍国でさえ負けた国相手に白龍国が勝てるとでも思っているのか? だったら少しでも黒龍国がこの戦争に勝てるように同盟国として援助するのが、白龍国の役目ではないのか?」
「し…しかし皇后陛下…。そんな事を法皇猊下がお許しになる筈は…」
「モクバに対する書状ならもう書いてある。これを持って直ぐに白龍国に帰り、命令を遂行させろ。とにかく西の大河の向こうから兵士一人猫の子一匹渡らせることを許すな!! 絶対にだ!!」

 瀬人の剣幕に大臣と副将軍は慌てて頭を下げ、そして書状を持って謁見の間を急いで出て行った。
 二人が出て行ったのを確認し、瀬人は立ち上がり側に控えていたマナに声をかける。

「マナ、付いて来い」
「瀬人様…、次はどこへ行かれるのですか…?」
「誓いの泉だ」

 瀬人の言葉にマナが目を丸くする。
 というのも、瀬人が誓いの泉に行く意味が無かったからだ。
 戦争が起こった際の『戦勝祈願の儀』は、通常皇帝一人が行うもの。皇后が行う儀では無い。
 ならば瀬人は何の為に誓いの泉に行こうとしているのか…。
「…っ! 瀬人様…っ!!」
 マナはある一つの仮説が脳裏に浮かび、思わず大声で前を歩く瀬人を呼び止めた。
「瀬人様はもしや…っ」
 驚いた表情のまま動きを止めてしまったマナを振り返り、瀬人は「マナ」と優しく呼びかける。

「マナ、オレは先程自分にしかやれない事をやると言っただろう? そしてオレがこれからやろうとしている事は、多分オレにしか出来ない事なんだ。頼む…。これからオレがする事を信じて、ただ黙って見守っていてくれないか?」

 マナは恐る恐る瀬人の顔を覗き見る。そこにある瞳には揺るぎない意志が宿っていて、とてもじゃないが自分の力ではその意志を動かすことは無理だと思われた。
「分かりました…」
 諦めた様に頷くマナに瀬人は微笑みかけ、再び足を誓いの泉へと向けた。
 中庭を抜け神殿に入り、そこから地下に踏み入る。水晶の洞窟を抜け地下広場に降りると、人の気配にそこに佇んでいたバクラが慌てて振り返った。

「バクラ、久しぶりだな」
「え…? 皇后サマ…?」

 バクラは余りに予想だにしなかった人物の来訪に本気で驚いていたらしい。
「皇后サマ…? 一体何しにここへ来たんですか? 戦勝祈願の儀ならば昨日皇帝陛下が行なって、皇后サマの出られる幕はありませんが…」
 慌てるバクラを一瞥して、瀬人は「ふん」と鼻を鳴らすと自らの服に手をかけ始めた。
 金や銀の糸で刺繍の入った帯をシュルリと解きマナに手渡すと、今度は服の合わせ目の紐を解いて豪華な衣装を脱ぎ始める。
「え…、ちょっと…。何やってるんですか皇后サマ!! っ…! うぷ…っ!」
 突然の瀬人の行動に大声を出すバクラに、瀬人は脱いだ上等の絹の衣装を頭の上から被せる事で黙らせる。
 纏わりつく長い衣をどけようとバクラがあたふたしている内に、瀬人は他の衣類や髪飾りも全部脱いでマナに手渡してしまっていた。
 漸く衣を頭上から除けたバクラが見たのは、すっかり全裸になって泉を見詰めている瀬人の姿だった。
「皇后サマ…。もしや貴女は…」
 バクラの戸惑ったような声に瀬人が振り返る。

「もしや貴女は、『願いの儀』をするつもりじゃないでしょうね…?」
「流石守り人。察しがいいな。その通りだが?」
「その通りじゃないですよ!」
「何を怒っているのだ? 皇后として戦争に赴いた皇帝の身の安全を黒水晶に祈ることは、そんなにおかしい事なのか」
「別におかしくは無いですけどね…」

 バクラは深く溜息をつきつつ、瀬人を何とか思い留まらせようと必死に言葉を紡ぎ出した。

「皇后サマ、貴女は知らないんだ。願いの儀は本気で大変な儀式なんだ。一日だって休むことは出来ない。たった一日祈りを途切れさせただけで、その願いは永久に叶わなくなる」
「そんな事は覚悟の上だ。オレは戦争が終わり克也が無事に帰ってくるまで、毎日祈りに来る自信がある」
「だから…っ。今度の戦争はそんな生易しいものじゃないんだって! 相手は冥龍国…この黒龍国以上の軍国だ。とてもじゃないが二~三ヶ月で終わるような戦争じゃない。下手すりゃ一年…いや、それ以上かかる可能性だってある。ただでさえ三百年前の七年戦争並になると言われているんだ! そんな長い時間を、貴女は毎日祈り続けられるってのか!?」

 何とか瀬人を止めようと頑張っているバクラを見て、それでも瀬人はその意志を崩すことは無いと胸を張る。
 バクラから視線を外し一歩泉に向かって歩き出した瀬人に思わずバクラが詰め寄るが、皇族の身体に指一本触れることが出来ないしきたりの為、伸ばしかけた腕を止めてしまった。

「どうした、バクラ。オレを止めるのではないのか」
「出来るわけないだろ…。オレは守り人だ。皇族の身体に触れる事は許されていない」

 悔しそうに俯くバクラに、瀬人は「そうだろうな」と言い放った。

「お前達守り人が皇族の身体に触れられないのは、今回のように皇族の願いの儀を邪魔される事の無いようにする為だ。例え儀式が成功しようと失敗しようと、皇族が自らやると決めたその願いを、たかが臣下が邪魔する事は許される事では無い。その為のしきたりだ。違うか?」

 瀬人の言葉にバクラは悔しそうな表情をしたまま「その通りです…」と呟いた。
 そして今度は後ろに向き直り、そこに控えていたマナに詰め寄った。
「おい、マナ! いいからお前が皇后サマを止めやがれ!」
 焦った風なバクラの言葉に、マナは静かに首を横に振った。
「私には…出来ません…。瀬人様を信じるとお約束したのです…」
 マナの言葉にバクラが力を無くしてその場に座り込んでしまう。
 そして項垂れながら諦めたような声で呟いた。

「はぁ…。分かりましたよ、皇后サマ…。もう好きにして下さい。ただしここから先の責任はオレは持てませんよ? それだけはご理解下さい」
「分かっている。お前が心配するような事は何も無い」

 バクラの言葉にしっかりと頷くと、瀬人は振り返って泉へと歩いて行く。
 ただ克也の無事を願う為だけに、これから自分は毎日ここへ来て祈り続けるのだ。そうする事で克也が無事に帰ってくるのなら、そんなもの…大した苦労ではない。
 瀬人は己の胸に再び決意を固め、冷たい泉の中へと踏み込んでいった。