*奇跡の証明(完結) - ページをめくる - 第十話

 瀬人が黒龍国に嫁いで来て、早半年が経っていた。
 月に一回のアイシスの診断の度に彼女に許可を求めるが、その度に首を横に振られ落胆する日々が続いていた。
 未だ克也と身を繋げる事が出来ず名ばかりの皇后である自分に、瀬人は苛立ちを隠せない。
 更に間の悪いことに、国家間の情勢も余り芳しく無かった。


 黒龍国は二国に挟まれる形で存在している。
 東の山脈を国境として隣接しているのは、瀬人の出身国である白龍国。
 対して西の大河を国境として存在しているのは、『冥龍国』という五十年ほど前に出来たばかりの新生国家だった。
 元々は西方の荒れ地や砂漠の向こうの国々で傭兵として雇われていた者達が集まり出来た集落で、それが集まってやがて小国として成り立つようになった。
 やがてその国は、太古の昔から存在していた白龍国や黒龍国を真似て『龍』の字を使い冥龍国と名乗りを上げた。
 国土や人口は先の二国と比べものにならないほど小規模なものである。だがその武力は『武の国』として名を立てる黒龍国ですら一目置く程凄まじいものだった。
 そして以前から冥龍国は、黒龍国の肥沃な大地を狙っているという報告が幾度もなされていた。
 その冥龍国が最近西の大河の沿岸で要塞を築き上げ、更にその要塞に兵を集め出しているという。
 黒龍国の国境警備兵も常に監視を行っている状況ではあるが、もういつ戦争が起きても可笑しくない状況にまで追い込まれていた。


「………。ふぅ…」
 今朝も謁見の間にて西の国境付近からもたらされた報告書が届き、それに目を通して克也は溜息をついた。
 状況は刻一刻と悪くなる。
 こちらも沿岸警備兵を増やし、更に主力軍隊を現地に派遣して様子見をさせているが、これではいつ攻め込まれるか分かったものではない。
 何とか戦争を回避しようと使者や書状を送ってみるも、その全てが門前払いにされてしまっていて全く話にならない。
 仕方無く皇都に在駐する軍関係者や兵士達にも非常事態宣言を発動し、何が起きても直ぐに出撃できるように準備が為されている為、市民の不安感も最大限に高まっていた。
 午前中の謁見を終えて兵や使用人を全て下がらせても、克也は玉座に深く腰を沈めたまま立ち上がろうとはしなかった。
「克也…」
 真剣な顔をして物思いに沈んでいる克也に近づき、瀬人は小さく声をかける。
「戦争が…始まるのか…?」
 心配そうな顔でそう訪ねる瀬人に、克也は慌てて笑顔を浮かべて手の中の報告書を握りしめた。

「いや、まだ分からない。もしかしたら向こうもこっちを恐れて沿岸の警備を固めているだけかも知れないし。まだ何とも言えないな…」
「もし…、もし戦争が起きてしまったら…お前はどうなるのだ?」
「瀬人…。いいから落ち着けって。まだ戦争が起きると決まった訳じゃ無い」
「白龍国にいた頃、歴史書で読んだことがある。黒龍国の皇帝は自らが最前線に赴き、陣頭指揮を執ることを定められていると…! もし戦争が起こったら、お前も行ってしまうのか…っ!?」

 克也は興奮した瀬人を落ち着かせるように冷たい手をギュッと強く握りしめ、なるべくいつもの笑顔でゆっくり言葉を紡ぐ。
「大丈夫だ。お前が心配する事は何もないよ」
 その言葉に瀬人はまた少し苛立ちを深めてしまう。
 皇后として皇帝を支える為に自分は存在するのに、全く役に立っていない気にさせられた。
「お前は…いつもそうだ…! いつだって自分一人で何とかしようとして誰の助けも求めようとしない…! 結局オレの事なんてどうでもいいと思っているんだろう!?」
 怒りにまかせて握られた手を振り解き、瀬人はそのまま自室へと帰っていく。
 その背を見送って、克也はフッと苦笑した。
 そんなつもりは無かった。だが、瀬人の言うように無意識にそうなるように仕向けている感もある。


 十六歳で父親が病死し、この若さで大国『黒龍国』の皇帝を継ぐことになった。
 その重責は想像以上で、皇帝就任当時、克也は何度もその重苦しい責任感に押し潰されそうになった。
 だけどその度に、白龍国にいる瀬人の事を思い出しては自らの力と変えてきたのだ。
 その事がどんなに克也を救ってきたのか…、言葉にしても伝えきれるものでは無い。

「愛しているんだ…瀬人」

 誰もいない謁見の間でボソリと呟く。
 本当だったら今すぐにでも瀬人を抱きたい。
 だが未成熟な瀬人の身体の事を考えた時、それだけは決してしてはならないと自分自身に固く誓いを立てた。
 瀬人がその事で焦っているのは知っている。だが…。
「オレは…、それでもお前を守りたいと思っているんだ」
 誰もいない空間に向かって、克也は更に強く誓った。