*奇跡の証明(完結) - 番外編『二つの恋の物語』 - その9

 誓いの泉の中央にある小島では、瀬人と真紅眼の黒龍が何かを話しているのが見える。
 その光景は遠目に確認出来るだけで、流石に何を話しているかまでは分からない。
 ただバクラは一つだけ確信している事があった。
 それはあの真紅眼の黒龍が何の意味もなく姿を現わす事は絶対に無いという事だ。
 黒龍が現れた事には何かはっきりとした意味がある筈。
 そして今のこの状況やタイミングを思えば、答えは自ずと導かれる。
「おい、マナ」
 バクラ振り返り、いつもと同じように瀬人を見守っているマナに声をかけた。

「戦争は無事終わったようだぞ」
「え…? 何故突然そのような事を…?」

 マナはバクラの言葉が信じられないように、目を丸くしてキョトンとしていた。
 それはそうだろう。
 何の状況証拠も無しに三年もの長い間続いてきた戦争が突然終わったなどと急に告げられても、一体誰が信じられようか。
 だがバクラの言葉を裏付けるように、地上へ続く洞窟から一人の女官が降りてきてマナの側に駆け寄った。
「マナ様…っ。急ぎ耳にお入れしたい事が…」
 興奮した様子の女官をちらりと見遣って、バクラは再び誓いの泉へと視線を向ける。
 そこでは未だ瀬人と黒龍が何かを話し込んでいる。
 だがその姿がゆっくりと消え始め、黒龍が再び巨大な黒水晶に変わった頃、報せを持って来た女官と話し終わったマナが小走りで誓いの泉へと近付いていった。
 そして両手を広げブンブンと大きく振りながら、瀬人に向かって大声で叫ぶ。

「瀬人様ぁ―――――っ!!」

 マナの叫び声に、黒水晶に抱きつくように座り込んでいた瀬人がこちらを向いたのが分かった。

「瀬人様ぁーっ!! たった今…知らせが参りました…っ!! 戦争が…、戦争が終わりましたっ!! 我が軍の勝利で戦争が終わったそうです…っ!! 勿論陛下はご無事だそうです!! あぁ…これで陛下が…、皇帝陛下が…戻っていらっしゃいます…っ!!」

 小島に向かって大声で叫ばれたその報せに、瀬人も漸く事態が把握出来たらしかった。
 そのままずるずるとその場に崩れ落ちれ、小さく肩を震わせている。
 それは三年もの長い間、一言の弱音も一筋の涙を見せる事も無くただただ真摯に毎日祈り続けてきた瀬人が初めて見せた涙だった。


 その二ヶ月後、真紅眼の黒龍に守られてきた克也は無事に戦場から黒龍国へと帰って来た。
 戦果報告の儀をする為に久しぶりに誓いの泉に現れた克也に、バクラは思わず眼を細める。
 すっかり立派な大人の男に成長していた克也は、まさに眩しい程に光り輝いていた。
 その姿に心から感嘆し、バクラは深く頭を下げる。

「お久しぶりです、皇帝陛下。ご無事でお戻り何よりでした」
「あぁ、お前も留守中ご苦労だったな」
「戦果報告の儀…ですか?」
「その通りだ。いつものように服を預かっていてくれ」

 聞こえて来た声も三年前より少し低くなったようだ。
 儀式をする為に服を脱ぎだした克也の身体を見て、バクラは思わず溜息を吐いてしまった。
 三年前に、まだ少年の域を抜けきっていなかった頃に見た身体に比べ、その裸体は明らかに一人前の男として逞しく成長している。
 薄く付いていただけだった筋肉も今は一目でそれと分かるし、何よりも随分と背が伸びていた。
「随分と逞しくなられましたねぇ…。背も伸びたようですし、三年前とは筋肉の付き方が全然違います」
 思わずそう呟くと、振り向いた克也が苦笑する。

「そりゃそうだろうよ。戦地でずっと身体動かして来た訳だし、気付いたら二十歳になって肉体的にも大人になっていたしな」
「まぁ、そうですよね。でもその割りには傷が少ないんじゃないですか? 細かい傷は結構あるようですけど、それにしたって大きな傷が一つも無い。前戦で戦ってた割りには幸運だったのでは?」
「そうなんだよなぁ…。オレも不思議に思っていたんだが、まるで何かに守られているように致命傷を負うことは無かった」
「真紅眼の黒龍ですよ」
「え?」

 突然出てきた『真紅眼の黒龍』の単語に、克也は一瞬訳が分からないような顔して目を丸くした。
 その顔に思わずクスッと笑ってしまう。
 身体付きは随分と逞しくなったというのに、その表情だけは幼い頃から何一つ変わっていなかったからだ。
「真紅眼の黒龍が貴方を守っていたんですよ。間違いなくね」
 吹き出しそうになるのを耐えつつそう言うと、克也は一旦首を傾げたものの、何となくそれに納得したようだった。

「ま…まぁ…。こう見えてもオレは黒龍国の皇帝だからな…。自国の皇帝を黒龍が守ってくれるのは当然だろう?」
「そうですかね。真紅眼の黒龍はこの国の大地となった時、その力の殆どを失っている筈ですが…。それなのにその黒龍が貴方を守る程の力を得たのは何か理由があったのではないでしょうか?」
「何が言いたいんだ、バクラ?」
「さぁてね。オレが言えるのはここまでですよ。あとはご自身でお確かめ下さい」

 知っている答えを教えるのは簡単だ。
 だが貴方はそれを自分自身で確かめなくてはならない。
 それが三年もの長い間、貴方の無事を祈って毎日祈り続けた皇后サマに対する誠意というものだ。
 そして貴方がその答えを知った時、それこそが皇后サマに対する最大最高の褒美となるだろう。
 それ以外では…きっとだめなのだ。


 バクラは意味深な笑みを浮かべながらも、それ以上何も言うつもりはなかった。
 ただ黙って克也に頭を垂れ、儀式を見守る事にする。
 儀式が無事終了し、泉から上がって来た克也が再び問いかけてきても、バクラは決して口を割ろうとはしなかった。
 克也はその事に至極不満そうな顔をしていたが、仕事が残っている為に名残惜しそうに地上へと戻っていく。
 誰もいなくなった空間で、バクラは振り返ってじっと黒水晶を見詰めた。
 皇族では無い自分は誓いの泉の水に触れる事は出来ず、当然の如くあの水晶に願いをかける事は出来ない。
 だがもし、自分達が本当に真紅眼の黒龍に祝福された一族ならば…、願いはきっと届くに違いない。
 バクラはギリギリまで泉の側まで寄ると、口に手を当てて大声で叫んだ。

「真紅眼の黒龍よ!! 聞こえるか!! こんな遠くからでは願いの効力は無いかもしれないが、どうかオレの願いを聞いて欲しい!! あの二人に…、皇帝陛下と皇后陛下にどうか奇跡を与えてやってくれ!! それがどんな奇跡でも構わない!! でもオレはどうしても、あの御方達に幸せになって貰いたいんだ!! あの御方達が悔いのない一生を…そして幸せだったと笑って言えるような、そんな人生を過ごして欲しいんだ!! だから頼む!! どうか…どうかあの御方達を幸せにしてやってくれ!!」

 願いが届いたかどうかは分からない。
 たかが守り人である自分の前に、真紅眼の黒龍が現れる事はないだろう。
 ただ一瞬…。
 ほんの一瞬だけ黒水晶の周りの景色が陽炎のように歪んだのが見えた。
 バクラにはそれが真紅眼の黒龍からの返事のように思えた。