バクラが留学から帰って来た克也と再会したのは、互いに十五歳になってからの事である。
守り人である母親から克也が帰って来ている事を知らされたバクラは、誓いの泉まで自ら会いに行く事にした。
母親と共に暫く待っていると、やがて奥の通路から金髪の青年が嬉しそうな顔をして、両手を広げて駆け寄って来るのが見えた。
九歳からの六年間を白龍国で過ごした克也は、もう子供では無くすっかり一人前の青年に成長していた。
「久しぶりだな! バクラァ-!!」
「うぉっ…! あぶねっ!」
余りに勢いよく突っ込んで来られた為、バクラは慌てて横に避けた。
案の定、バクラに抱きつこうとしていた克也は支えを無くして倒れ込む。
「お…おい…。大丈夫か?」
「いってぇ…っ。何で避けるんだよ、バクラ」
「何でじゃないだろ? 皇族は守り人の一族には触れられないって掟、忘れたのかよ」
「んあ…。そういやそうだったっけか…。白龍国での暮らしに慣れちまって、すっかり忘れてたな…」
地面の上で胡座をかきながら、克也は後頭部をガシガシと掻く。
そして改めて顔を上げ、心配そうに自分を覗き込んでいるバクラと目線を合せた。
そこにいる二人は、もう少年では無かった。
背が伸び声変わりも終え、大人の世界に足を踏み入れた青年達だった。
離れていた六年という時間の間に、克也もバクラもお互いが随分と変わってしまった事を思い知らされる。
暫く黙ってお互いに見つめ合って、やがて克也が明るい笑みを顔に浮かべる。
その笑顔だけは幼い頃から何一つ変わっていないと、バクラは不意にそう思った。
「バクラ。お前、でっかくなったなぁ…」
克也の暢気な一言に、バクラも笑いながら答える。
「そういう殿下も随分と御成長なされたようじゃないですか」
「え~? 何だよ、その堅苦しい喋り方は…」
「悪いけどこっちももう子供じゃないんでね。次の守り人になる事はもう決定事項らしいから、一応殿下に対する口の利き方には気をつけろって言われてるんだ」
下半身についた土埃をパンパンと祓いながら克也が立ち上がる。
間近で立ち上がられると、より克也が男として成長してきた事が知れた。
随分と背が高い。
自分も決して低い身長では無い為に、克也のその成長ぶりに驚きを隠せない。
じっと克也を凝視しているバクラに気付いて、克也がニッコリと笑いかけた。
「何だ? 人の顔をじっと見て」
「いや…別に何も。それよりもちゃんと見付けてきたのか?」
「見付けて…? 何を?」
「何をじゃないだろ! 将来の正妃候補だよ!!」
バクラの台詞に、克也の顔がパッと明るくなる。
「あぁ、それな! 勿論ちゃんと見付けてきたぜ! とびっきりの美人だ!」
あんまり嬉しそうにそう言われたので、バクラは一瞬拍子抜けした。
だが、次の瞬間には胸がツキリと痛んだのを感じる。
六年も離れていて、バクラの克也に対する小さな恋はとっくに昇華されていたと思っていたのに、どうやらその恋心は忘れずに仕舞われていただけのようだった。
克也に気付かれないようにそっと胸に手を当て、微かに痛む心臓を押さえつける。
そしてなるべく普通の声で「そうか。それは良かったな」と克也に告げた。
克也に恋をしているからといって、バクラは別に彼とどうこうなりたいという訳では無かった。
克也を抱きたいとか、逆に克也に抱かれたいとか、そういう肉体的な接触には何の興味も無い。
むしろバクラが望んでいたのは、精神的な繋がりだった。
幼い頃、自分の命を助けて貰ったあの事件以来、バクラは克也と心の奥底で深く繋がっていると信じていた。
六年前に克也が白龍国に留学に行く前までは、それは確かに自分達の間に存在した何よりも強い絆の筈だった。
だが六年経った今、その絆が微かに揺らいでいる事に気付いてしまう。
白龍国で見付けて来たというその正妃候補の話を出される度に、克也の瞳はキラキラと輝き頬は紅潮して、視線は遠くの白龍国へと注がれていた。
克也が…本気で恋をしている。
バクラはそれに気付いてしまった。
気付かざるを得なかった。
そしてその相手がどんな人間なのか、はっきりと告げられたのはそれから一年後の事だった。
克也が白龍国から帰って来て一年後。
皇帝が突然病に倒れたとの知らせが入った。
専属主治医を初めとする医者達が賢明に治療にあたったが、数週間に渡る療養の甲斐もなく皇帝は黄泉の国へと旅立った。
黒龍国では盛大な国葬が行なわれ、賢帝の突然の死に国民の嘆きも大きかった。
そして民達は葬儀の後も数週間に渡って喪に服し、次の皇帝が即位されるのを今か今かと待ち続ける。
その期待は地下にいても嫌でも感じられた。
母親から守り人としての心得を毎日のように教えられながら、バクラは密かに克也の事を心配していた。
克也はまだ十六歳。十七歳で成人するこの黒龍国ではまだ未成年だ。
それなのに、この若さでもう国を支える立場に立たねばならないとは…。
克也がこれから背負わなければならない重責を思うと、バクラも胸が痛くなった。
だが心配していても埒があかない。
即位の日は刻一刻と近付いていた。
そして、前皇帝の喪が明けたある日の朝の事。
バクラは新たな守り人として克也が地下に降りてくるのを待っていた。
地上に通じる階段から足音が聞こえて来る。
やがて階段の影から現れた克也に、バクラは膝を付いて臣下の礼を取った。
そこにいたのは今までの克也では無かった。
立派な皇帝の衣装に身を包み、威厳を持った佇まいの高潔な君主であった。
「お待ちしておりました、皇帝陛下」
バクラの言葉に克也が寂しげに微笑んだ。
「バクラ…」
「はい、陛下」
「なぁ…。オレはまだ十六歳だっていうのにさ。何の因果かこの若さでこうして皇帝になる事になってしまった」
「………」
「お前もその若さで守り人をやるのは大変だと思うけどさ。宜しく頼むよ、バクラ」
克也の言葉にバクラは深々と頭を下げる。
「勿論でございます、陛下。オレが貴方の御代をお守するのは、幼き頃より決まっていた事。それに陛下が白龍国に留学に行かれる前、オレは貴方にお約束した筈ですよ? 守り人としてずっと陛下をお守すると…」
「あぁ。覚えているよ。ありがとう…バクラ」
バクラの言葉に優しく言葉を返すと、克也は顔を上げて誓いの泉に目を向けた。
そして軽く溜息を吐くと、自分の服に手をかける。
「これから『皇帝即位の儀』を行なう。バクラ、服を預かっていてくれ」
克也の言葉にバクラは「畏まりました」と答え、再び深く頭を下げた。