ゆっくりと浮上していく意識に従って目覚めた時、バクラは自分の部屋の寝台に寝かされていた。
そっと瞼を開けて周りを見渡すと、自分の直ぐ側に守り人である母親と長老がいて、そして少し離れたところに女官に寄り添われている克也の姿が見えた。
「なん…で…オレ…?」
掠れた声でそう尋ねる。
喉は乾いていて、ヒリヒリと痛んでいた。
「覚えてる? 貴方は禁を破って外に出てしまったのよ」
心配そうに覗き込んでいる母親の問いに、バクラは黙って頷いた。
「殿下が貴方をここまで連れ帰ってくれたのよ」
「殿下が…?」
「バクラ、貴方…危なかったのよ。もう少し手当が遅れていたら死んでいたかもしれなかったのよ」
母親の言葉に、バクラは恐る恐る自らの腕を上げてみた。
両の腕には指先にまでしっかり包帯が巻かれている。
包帯の色が若干変わっているのは、薬草の液を染みこませているからだろう。
そっと自分の顔を撫でると、頬や首筋の辺りにも薬液を染み込ませた布が宛てられているのに気付く。
「バクラ…」
震える声で名前を呼ばれて、バクラはそちらを振り返った。
そこには涙をボロボロと零しながら、克也が心配そうな顔で立っていた。
「バクラ、ゴメン…ッ!! オレ…ッ!!」
駆けだして縋り付こうとするのを、横にいた女官が慌てて止める。
「いけません、殿下! せっかく汚れを祓う清めの儀式をしたばかりだというのに…っ!!」
女官に止められて寝台から少し離れている場所で、克也はずっと泣いていた。
その左頬が真っ赤に腫れているのが見てとれる。
「何だよ…お前。そのほっぺた、どうしたんだよ…」
「バクラを殺すつもりだったのかって…、父上に殴られた」
溢れ出る涙を手の甲でぐしぐしと拭いながら、克也はそれでもそこから離れる事は無かった。
しばらくは克也の嗚咽だけが部屋に響いていたが、やがて椅子に座っていた長老が顔を上げる。
「仕方ありませんな…。殿下、それにバクラ。すこし爺と話をしましょう」
長老は優しげに微笑み、立ったままだった克也に椅子を勧めた。
しゃっくりあげながら克也がその椅子に座ったのを見届けると、長老はコホンと一つ咳払いをして話だす。
「まずは…。何故バクラがこんな目に合ったのか…。それを知って頂かねばなりませんな」
長老はまずバクラを見て、そして離れた場所に座っている克也に目を向けた。
それに対して克也はコクリと頷く事で答える。
「殿下…。我々守り人の一族は、太陽の光に弱いのです。ずっと昔から先祖代々地下で暮らしておりました故、太陽の光を浴びると酷い火傷をしてしまうのですよ」
「火傷…?」
「そう。更に言えば外の空気は熱過ぎて、我々の身体には合いません。外の人間にとっては涼しげな風も、我らにとっては熱風にしかなりません。熱い空気は呼吸を出来なくさせます」
「だからバクラは倒れたのか?」
「そうです。それからもう一つ…」
長老はそこまで言って、寝台に横たわっているバクラに目を向けた。
バクラもそれに気付いて長老の言葉を待つ。
「バクラや…。お前は外の世界を見てきたのだね?」
「はい。見てきました…」
「それでどうだったね? 色鮮やかな世界は見れたのかね?」
長老の言葉にバクラは静かに首を横に振った。
「分かりませんでした…。青い空も白い雲も、色とりどりの花も…何も」
それらがそこにある事は分かったが、それらが一体どんな色をしているのか、バクラには全く理解出来なかった。
悲しそうに俯いたバクラの頭を長老は優しく撫でる。
「殿下…。我々守り人の一族は、地下で生きることを定められております。長く地下で生きる内に、我々の目は色を感じる事が出来なくなりました」
「え…っ!?」
「いえ、じっくりと見ればその違いは分かるのです。ただ普通の人間のように、はっきりと色鮮やかな世界を見ることが出来ないのです。濃淡の違いはわかっても、色の違いは分かりにくいのですよ」
長老の言葉で、バクラは外に出た時の違和感の正体に気付いた。
あれは…そこに何の色も感じられなかった故の違和感だったのだ。
克也の言う鮮やかな世界の魅力が、何一つ感じられなかった。
「これが…真紅眼の黒龍の呪いかよ…」
思わず低い声でそう呟くと、長老はそれに対してゆっくりと首を横に振った。
「バクラよ…。それは違う。呪いではなく祝福だ」
「オレ達を地下に閉じ込めておく事の何が祝福なんだよ! 太陽に弱くして…色を見えなくして…それがどうして呪いじゃなくて祝福なんだよ…っ!!」
感情のままに叫ぶバクラを落ち着かせようと、長老が優しく微笑んだ。
そして再び頭を撫でながら説明をする。
「何か誤解しているようだな。真紅眼の黒龍が我々を閉じ込めたのでは無い。黒龍がこの地に来る前から、我ら一族は既に地下で暮らしておったのだ」
長老のその言葉にバクラも、そして側で話を聞いていた克也も驚いて目を剥いた。
守り人の一族というからには、最初に皇家があって、次にそれを守る守り人の一族があるのかと思っていたが…。
長老によるとそうでは無いのだという。
「多分…突然変異か何かなのだろう…。我々一族の祖先は陽の光の下で暮らす事が出来ない事に気付き、地下に逃げてそこで暮らしておった。そこに今から約三千年前、真紅眼の黒龍が黒龍国を興す為にこの地にやってきた。この大地と同化した黒龍はやがて、地下でひっそりと息を潜めて暮らす我らの存在に気付き、そしてその運命を哀れに思われたのだという…。そして黒龍は我々を祝福してくれた。暗い洞窟は黒龍の破片で明るい水晶の洞窟に変わり、黒龍と同化した土は地下でありながら作物を育てさせ、そして死ぬと分かっていて憧れることを止められなかった外界への欲望を、その御力で断ち切って下さったのだ」
狭い世界に住みながら、それでもそれに対して全く不満を持たず、地下での生活を快適に感じていた理由がそれだった。
外の世界への欲望を断ち切り、そして皇家を守る重要な一族として祭り上げた。
それこそが真紅眼の黒龍の慈悲であり、我らの一族が祝福されている証拠であると、長老は最後に締めくくった。
誰もいなくなった部屋で、バクラと克也は二人でそこにいた。
克也は絶対にバクラに触れないという約束の元、そこに居る事を許されていた。
「バクラ…。悪かったな…。オレ何にも知らないで…」
克也の言葉にバクラがゆるゆると首を横に振る。
「いや…。何も知らなかったのはオレも一緒だ」
「でも、オレはお前を殺しかけた」
「殺そうと思って外に連れ出したんじゃないだろ? オレに外の世界を見せたかっただけじゃねーか」
「そうだけど…」
「それにお前はちゃんとオレを助けてくれた。それにオレの方こそ悪かったな…。陛下に殴られたんだろ? ほっぺ腫れてるぞ」
「こんなの…お前が感じた苦しみに比べたら大した事無い」
椅子に座ったまま再び泣き出した克也を見て、バクラは胸が温かくなっていく自分に気付いた。
胸がドキドキする。
それは先程外で感じた苦しみの動悸とは全然違うものだった。
「殿下…」
自分の為に泣いてくれている克也の涙を止めたくて、なるべく優しい声を出す。
「殿下はオレを助けてくれた。だから殿下が皇帝になった時…その時はオレが殿下を守るよ。ずっとずっと殿下を守る。約束する。だからもう泣くなよな…」
その時自分が感じた感情を、暫く何というのかバクラは分からなかった。
だがそれは、一年後に克也が留学の為に白龍国に行くと報告に来てくれた時に、はっきりと理解出来た。
白龍国になんて行きたくない。
ずっとバクラの側にいたい。
一緒にいたい。
そう言って泣き続ける克也を宥めながら、バクラは漸く気付いていた。
自分が克也に対して小さな恋をしている事を…。