Text - 短編 - あの夏空へ(後編)

 オレの身体は救急車で病院へと運ばれ、そこで緊急の手術が行なわれた。だけど勿論オレが蘇生する事は無かった。死神である海馬があの大鎌でオレの魂の紐を切ってしまったので、オレの死は最初から確定的だったんだ。
 手術室の前でほぼ同時に駆けつけて来たモクバと静香が肩を寄せ合って泣いている。…ああいう姿を見ると、やっぱり死んだ本人としてはちょっと辛い…というかキツイ。あの二人をあんな風に悲しませたいなんて思った事も無かったし、特にモクバに対しては申し訳無く感じて仕方が無い。一度ならず二度までもこんな目に合わせてしまうなんて…。しかも海馬の命日に…なんて。

「お前も…こういう気分だったのか?」

 後から駆けつけて来たオレの母親も含めて三人で泣き崩れるその姿に、胸がズキリと痛む。その様子を海馬もオレの背後で見守りながら「そうだな…」と小さな声で一言呟いた。

「何か…申し訳無いな」
「あぁ」
「だからこそ…早死にしちゃったのが悔しいな」
「あぁ…そうだな」

 落ち込んで俯くオレの頭を、白く細い指先がサラリと撫でてくる。その手はもう…冷たくも何とも無かった。完全に死んでしまったオレの体温が、海馬と同化しているからだ。

「なぁ…海馬。オレこれからどうなるの?」

 その手を掴んでオレの頭から離し、そっと振り返って海馬に尋ねた。海馬はオレの瞳をじっと見詰め、何度か瞬きをしてからゆっくりと口を開く。そこから零れ落ちてくる言葉は、まるで静かな音楽のようだ。

「これから貴様は四十九日の間、この地上に留まる事となる。その間は何をしてても自由だ。遺族の側にいても良いし、どこかに出掛けても良い。ただしお目付役として常にオレが側にいるし、自分の遺骨から遠く離れる事は出来無いがな」
「ふーん…四十九日ねぇ…」
「四十九日後、貴様は納骨される事となる。骨を墓に納められるという事は、そこで初めて完全に彼岸の人間となる事を示している。そうなったらもう、貴様はもうここにはいられない。オレが上に連れて行くだけだ」
「なるほどね。ちなみに今どこかに出掛けても良いって言ってたけど、それってどこでもいいのか?」
「あぁ、行ける範囲内ならばどこでも良い」
「山でも?」
「あぁ」
「海でも?」
「勿論だ」
「遊園地でも?」
「遊園地は…どうだろうか…。微妙だな」
「行けないのか?」
「行けなくは無いが、行ってどうするのだ。オレ達は死者だぞ? 物にも触れないし、遊具にも乗れないし、自分に供えられた物以外は食べる事も出来無いのに」
「それでもいい! オレはお前と行きたいんだ!」

 海馬の目の前に立ち白い両手をギュッと強く握り締め、オレはドキドキしながら言葉を放った。
 十三年前に言えなかった言葉。言おうとして届かなかった言葉。まさか自分が死んでから言う嵌めになるとは思わなかったけど、伝えられるなら今しか無いと思った。

「これから四十九日間…オレと一緒にデートしてくれよ。現世での最後の思い出に…協力してくれ」

 オレの言葉に海馬は目を丸くする。けれどオレは臆することなく言葉を放ち続けた。

「この事は、本当は十三年前にお願いするつもりだった。お前の事が好きだから、オレと色んな所に行って欲しいって…デートして欲しいって言うつもりだった。山にも海にも遊園地にも…全部お前と一緒に行きたいって伝えるつもりだった。でもその言葉は…届かなかったけどな」
「………」
「でも…今なら届くから…。だから…」

 もう死んでいるというのに、オレはそれこそ必死だった。何とか震える声で告白すると、海馬は少し考え込むように目を細め…そして次の瞬間にふわりと微笑んでくれる。十三年前にオレがあれ程見たいと望んでいた…優しい優しい海馬の笑みだった。

「届かなかった言葉を後悔しているのは、貴様だけでは無いのだ…城之内。あの青い夏空を背景にオレを覗き込むお前とモクバに、何も伝える事が出来無いまま命を失うしか無かったあの瞬間…。オレがどれだけ絶望し…そして後悔したか、今思い返してみても辛くなる」
「海馬…」
「あんな辛い想いをお前にだけはさせたくなかったのだがな。だが…結局こうなってしまった。運命とは…残酷なものだ」
「そうだな…。でも、そのお陰であの時言えなかった告白が出来た。たった四十九日でも一緒にいられる事が出来るんだ」

 そう、これから四十九日の間、オレは海馬とずっと一緒にいる事が出来る。最初で最後の蜜月。もう二度とやって来ない幸せな日々。
 まさかそれを死んでから味わう事になるとは思わなかったけどな。

「好きだ…。ずっと好きだったんだ…海馬」

 冷たい身体を強く抱き締めながらそう言ったら、耳元で「オレもだ…」と小さな声で囁かれる。
 十三年前のあの日、海馬が死ぬ直前にモクバがオレに放った一言が脳裏に甦って来た。

『兄サマが…何とも思って無い奴を側に置いたりするもんか! 兄サマは自分が本当に『好き』だと思う人間以外は、絶対側にも寄せ付けないんだ!』
『だからオレは、お前に兄サマへの告白を勧めたんだ…。兄サマも…絶対お前の事が好きだって言う確信があったから』

 あぁ、そうだな。やっぱりモクバは分かってたんだな。オレと海馬が両思いだった事を。だからモクバは海馬が死んだ後、オレの事をずっと気に掛けてくれてたんだ。自分だってたった一人の兄貴を失って辛かった筈なのに、『弟』としてもう一人の『兄』を心配してくれてたんだ。
 それなのにオレは…そんな『弟』に再び悲しい想いをさせる事になっちまった。物凄く罪悪感を感じる。

「モクバなら…大丈夫だ」

 そんなオレの気持ちを見透かしたように、海馬はオレの背中を撫でながら優しい声で語りかけてきた。

「あいつももう二六歳だ。来月に誕生日を迎えたら二七歳になる。もうあの頃の小さなモクバでは無い」
「だけど…」
「貴様の妹も一緒だ。見ろ」

 海馬に指を指されて、オレはそっと振り返って後ろを見てみた。そこには涙で目を真っ赤に腫らしつつも、これからどうすべきかを話し合っているモクバと静香の姿があった。今だ泣き崩れているオレの母親を、二人が慰めたりもしている。
 そう言えば海馬が死んだ時もそうだっけか…。いつまでも泣いていられないと、強い気持ちで立ち直ったような気がする。

「城之内。貴様の現世の身体の事はあの者達に任せるとして…お前はお前のしたいようにするが良い」

 海馬の言葉にオレはコクリと頷き、差し出された白い手に自分の右手を載せた。



 その後、オレの通夜や告別式がモクバや静香の手で無事に行なわれた。場所は童実野町内にあるちょっと品の良い斎場。本当はモクバがもっと良い会館を紹介してくれると言ってくれていたんだけど、流石に悪いからと静香が断わっていたんだ。

「あんまり凄い場所だと、お兄ちゃんもビックリしちゃうだろうから」

 そう言って苦笑する静香にモクバも納得してくれて、それならば普通より少し見栄えのする場所をという事でこの斎場に決まったらしい。
 モクバと静香が二人で話し合って執り行なってくれた通夜や葬儀は、死んだ当人でさえ感心する程立派なものだった。親戚の他にも、遊戯や本田や漠良や杏子等の昔馴染みの友人も一杯来てくれて、何か嬉しいやら…申し訳無いやら…情けないやら、とにかく微妙な気持ちで自分の葬儀を見守っていた。
 途中、何となく喉が渇いたり腹が減ったりしたので「どうしたらいいんだ」と海馬に訴えてみたら、祭壇に供えてある物なら食べられるという事を教えてくれた。実際に祭壇に置かれていた水を飲み、飾られていた饅頭やバナナや林檎等を頬張ると、それだけで充たされていくのを感じる。海馬に言わせると、仏壇や墓に供えられた物も自由に食べられるのだそうだ。
 アレってただの飾りじゃ無かったんだと、改めて感心させられた。


 葬式が無事に終わった後はオレの身体は荼毘に付され(流石に自分の身体が焼けるのは見られなかった…。だってホラーだろ)、遺骨は静香が自宅に持ち帰ってくれた。オレの遺骨を守る静香と、度々線香を上げに来てくれるモクバの様子を見守りつつも、オレはそれから海馬と一緒に度々出掛けるようになった。
 山に行って盛りの紫陽花を見て回り、海に行って沈みゆく夕日を眺める。そしてこの十三年の間に大分大きくなって様変わりした海馬ランドにも足を伸ばした。

「凄いだろ! これ、全部モクバがやったんだぜ!」
「ほう…これは見事だな。素晴らしい」

 オレも海馬も、モクバの功績をまるで自分の事のように嬉しく思った。
 死んだ兄貴の夢を引き継ぎ、世界中の子供達の為に日々立派になっていく海馬ランド。それは海馬とモクバと…そしてオレの夢でもあるんだ。
 まだ工事中の新しいアトラクションの現場を上空から眺めながら、オレは満足して大きく息を吐く。ここからまた新しい夢が生まれるんだ。モクバが紡ぎ出す…子供の為の優しくて楽しい夢だ。その夢を一緒に見られなかったのはとても残念だけど、でもきっと…その夢は成功するって信じてるから。だから何も心配してないよ。

「安らかだ…」
「………? 城之内…?」

 オレがボソリと囁いた一言に、海馬が気付いてオレの顔を覗き込んでくる。

「死んだ直後は悔しくて悔しくて仕方なかったけど、今はとても安らかだ。なぁ…海馬。お前もこんな気持ちだったのか?」
「そう言われると…そうだな。死んだ直後はお前と同じでとても悔しくて…。やがて自分の死に諦めがついて、そして段々と安らかな気持ちになっていったな。丁度このくらいの時期だと思う」
「やっぱりなぁ…。そういう気持ちの整理的な意味でも、四十九日ってのは重要なのかもしれないな」

 海馬ランドから帰って来たら、オレの遺骨の前でモクバと静香が何かを話し合っていた。机の上に資料やパンフレットが広げられている。どうやらオレの墓の相談らしい。「まさか三一で死ぬとは思って無かったから、自分の墓の事なんて何にも考えて無かった」と呟いたら、すぐに海馬から「そんな事を言ったら十八で死んだオレはどうなる」と怒られた。
 うん、そうだった。ゴメン。
 カレンダーの日付は六月を過ぎ、七月へと入っていた。あと一週間もすれば、もうモクバの誕生日だ。こんな気持ちで二七歳の誕生日を迎えないといけなくなったモクバに心底済まないと思いつつ、だけどすぐに立ち直ってくれるだろうという気持ちが湧き上がってくる。
 大丈夫。信じてる。モクバは強いからオレも安心だ。静香は…立ち直るまでに少し時間が掛かるだろうな。でも静香の事も大丈夫だって信じてるから。それに何より…モクバが側にいてくれるだろうしな。

「四十九日が終わったら、オレどうなっちまうのかなぁ…。やっぱりお前みたいに死神になるんだろうか?」
「馬鹿言うな。貴様はそこまでの罪を犯していない」
「そう? 中学時代は結構悪さしてたんだけど」
「貴様のはただ荒れていただけだろう。人を死に追いやった事などあるまい」
「………人を死に…? あぁ…そうか。お前の犯した罪って…親父さんの…」
「………」

 海馬が若干引っ掛かったと言っていた罪。それは自分の義父という一人の人間を死に追いやった事だったんだ。それが故意であろうとなかろうと、罪は罪に違いない。その罪の所為で海馬は十三年間死神として働かなければならなくなり、そして最後にオレの魂を迎えに来てくれたのだった。
 海馬にとっては物凄く辛い十三年であっただろうけど、実はオレはその事にほんの少しだけ感謝をしていた。だってそのお陰でオレは長年の想いを海馬に伝える事が出来たし、今もこうして一緒にいられるんだ。それがたった四十九日の間だったとしても、これを奇跡と言わずして何と言うんだ。

「でもさ、お前もこれで死神しなくてよくなるんだろ?」
「あぁ、その通りだ」

 そっと身体を寄せながらそう言ったら、海馬もオレを抱きとめつつ答えを返してくれた。じっと顔を見詰めたら、青い瞳が同じように強く見返してくる。

「そしたらさ…一緒に成仏出来るって事なのかな?」
「さぁな…。流石にここから先の死の世界は、オレでも知らん。自分がどうなるかは…分からないのだ」
「そっか…」
「しかし…悪い事にはならないだろうな」

 そう言った海馬の顔は随分と晴れ晴れとしている。その笑顔に安心しつつ…オレも『その日』がくるのをコイツと一緒に大人しく待つ事に決めた。



 今モクバと静香が相談しているオレの墓は、どうやら海馬の墓のすぐ隣に建ててくれるらしい。その墓が出来上がって、そこに自分の遺骨が納められた時。オレは空へ還らなくてはならない。だけどちっとも寂しいとは思わなかった。
 現世に残す人々の事は、もう何も心配していない。自分の逝く先も…万事受け止める覚悟がある。
 あとはもう、海馬と一緒に空へ還っていくだけだ。
 
 そう…あの青色の濃い夏空へ。

 覚悟を決めたオレの目の前を通り抜けて行った夏風は、この季節にしてはとても爽やかだった。