Text - 短編 - あの夏空へ(前編)

城之内×海馬。城之内の一人称。
禁断の死にネタでございます…(´∀`;
あ、でもでも! そんなに悲壮感は無いと思うし、ちょっとパラレルチックなので、気軽に読めると思います。
ある意味ハッピーエンド…かな?

 




 目に入ってきたのは、梅雨の晴れ間の青い青い空だった。
 どこまでも澄み渡った夏の青空に、オレは一筋の涙を零す。空にポッカリ浮かんだ白い雲が、瞳を覆った水滴でじわりと歪んで見えた。夏空特有の濃い青空が、どこまでもどこまでも広がっている。このまま吸い込まれてしまいそうだ…。

 そうか…。あの時のお前は、こんな気持ちでこの美しい空を見ていたのか…。

 十三年前のあの夏の日を思い出して、オレは思わず二粒目の涙を零した。



 海馬が死んだのは、今から十三年前の六月の事だった。
 丁度梅雨の最中、それまで何日も降り続いていたジメジメとした雨が上がり、その日は朝から爽やかな日差しが降り注いでいた事を覚えている。
 その年の春先にオレ達は童実野高校を卒業したばかりで、二人ともまだ十八歳だった。オレ達の間柄は『犬猿の仲』としてちょっとした名物になっていたのだが、ところが意外にも本人達はその仲を友好的な物に変えていっていたのだ。
 アメリカから帰って来た海馬は以前ほど激しくオレを拒絶しなくなったし、オレもそんな海馬に惹かれて一緒にいる時間が増えていく。遊戯や本田から「いつからそんなに仲良くなったんだ?」と言われる位にオレ達の間は近しくなり、やがてそんな時間を長く過ごしている内にオレの気持ちは友情から全く違う方向へと向かっていく事になった。

 曰く『恋』…だ。

 流石にこの気持ちを素直に海馬に打ち明ける事は出来無かったし、だからと言って離れる事も出来ずにオレ達は側に居続けて、ズルズルと『親友』っぽい関係を続けていたのだ。
 そんな調子で高校を卒業してもずっと側にいたある日の事、オレは自分の気持ちを海馬の弟のモクバに見抜かれてしまった。その頃には大分海馬邸にも入り浸っていたし、兄貴と違って聡い弟にはオレの気持ちが丸見えだったんだろうなぁ…。たまたま海馬が二週間の海外出張に行っている間に海馬コーポレーションの本社ビルへと呼び出され、オレはモクバと対面した。

「城之内は兄サマの事が好きなの?」

 直球で向かってくる質問に苦笑する。

「好きだよ。好きだからよく一緒にいるんじゃねぇか」
「そうじゃなくて。そういう好きじゃ無くってさ」
「お前の言いたい事はちゃんと分かってるよ。要するに、オレがお前の兄貴に恋してないかっていう事なんだろ?」
「うん」

 コクリと頷くモクバに笑って、オレは自分の気持ちを素直に打ち明けた。
 海馬がアメリカから帰って来た時、以前ほど嫌だという気持ちが湧いて来なかった事。当たり前だけど最初からこんな気持ちでは無かった事。だけどいつの間にか好きになっていた事。海馬を傷付けるつもりなんて一切無い事。出来ればこの先も側にいたい事…。
 それら全てを丁寧に話して聞かせた。モクバはただ黙って頷きながら話を聞き、やがて最後にニッコリと笑顔を見せてくれる。絶対怒られると思っていたオレは、その笑顔で随分と拍子抜けしてしまった。

「怒らないのか…?」
「なんで? オレお前なら別に構わないと思ってるよ」
「………オレ、男なんですけど…」
「うん。それはまぁ…困るとこだけど、でもオレは別に関係無いって思ってる。兄サマが幸せならオレはそれでいいんだ。そして城之内、お前ならきっと兄サマを幸せにしてくれると思ってるから」
「モクバ…」
「ところで城之内、兄サマに告白するつもりは無いの?」
「え…っ!? あ…いや…その…っ」
「せっかくなんだから告白しちゃえばいいのに。いつまでもこのままでいる訳にはいかなないだろ?」
「そうだけど…でもさ…」
「実は今日の朝に、兄サマ帰って来たんだよ。少し休んで昼過ぎに出社するって言ってたから、そしたら一緒に昼飯を食おうぜぃ! オレ途中で会社に戻るから、その後は二人でゆっくり話をすればいいよ」

 目の前で得意げに言葉を放つ小さなモクバが、妙に頼りがいのある大きな人間に見える。オレは何度も頭を下げながら、モクバに「ありがとう…! ありがとう…!」とお礼を言っていた。その度にモクバは擽ったそうに「やめろよ、城之内!」なんて言って照れていたけどな。



 そしてあの日、オレとモクバは海馬コーポレーションの本社ビルの前で海馬を迎えたのだ。
 黒塗りのベンツから降りてくる、白いスーツを着た海馬。オレとモクバに気付いて、微笑して右手を挙げた。夏の日差しはとても眩しくて、海馬は顔の前に掌を翳して影を作る。そして澄み渡った空をチラリと見上げた。その瞬間、側の植込みから飛び出して来た人の影。ボロボロのTシャツと薄汚れたジーンスに伸び放題の髪の、細い身体付の男。何か訳の分からない事を叫びながら、海馬に何かを向けている。事態を把握して黒服のSP達が動いたその時、夏空の下でクラッカーが破裂した。

 パンッ。

 たった一発、余りにも軽いその音を、オレは本当にクラッカーだと思った。誕生日やクリスマスのパーティーの時に使われるあのクラッカーだと。でもその男が持っていたのはクラッカーでも何でも無かった。
 黒光りしている銃。銃口から吹き上がる硝煙。一瞬驚いた様な顔を見せて、次にふっと力を無くして地面に倒れ伏す海馬の姿。SP達に取り押さえられながら、未だに訳の分からない言葉を吐き続ける細身の男。絶叫しながら倒れた海馬に駆け寄るモクバ。
 それら全てが…まるで映画のように見えた。

「か…海馬…っ! 海馬っ!!」

 オレもモクバの後を追って、地面に倒れている海馬に駆け寄る。モクバによって身体を仰向けにされた海馬の身体からは、ドクドクと血が流れていた。真っ白いスーツは鮮血に染まり、アスファルトの上にも血溜まりが出来ている。何とか止血をしようと傷口を押さえているモクバの手も真っ赤だった。
 どう考えてみても…助かる見込みは無かった。
 海馬は何も言う事が出来ず、ただ綺麗な青い瞳で真っ直ぐに空を見ていた。前日までずっと雨模様だった空は、その日は朝から晴れ渡って美しい夏空が広がっている。やがて青い瞳がゆらりと揺らぎ、眦から一筋の涙が零れ落ちて…アスファルトに小さな染みを作った。

 それが…海馬の最期だった。

 想いを告げる事無く、愛しい人は死んでしまった。その事実がどんなにオレを打ちのめしたか分からない。
 やがて数日後。海馬コーポレーション社長の死を悼む為に会社で大々的な葬儀が行なわれた。部外者であるオレは勿論それに参加する事は出来無かったんだけど、その後内輪で行なわれた小さな葬儀にモクバはオレを呼んでくれた。喪服を着込んで海馬邸に赴き、本当にシンプルな葬儀に参加する。式が終わった後、海馬の遺影の前で二人で少し話をした。モクバはすっかり窶れた顔でオレに事件の顛末を話し出す。

「アイツ…兄サマを撃ったあの男。外国人だったんだ。家が貧しくて日本に出稼ぎに来たものの、悪徳業者に騙されて余計に借金塗れになって…。そんなアイツに目を付けたライバル会社に大金をちらつかされて、それで兄サマを撃ったんだってさ」
「………」
「オレはあの男の処分は、法に任せようと思ってる。でもあの男を雇った会社だけは別だ。絶対に報復してやる」
「モクバ…」
「これからオレは色々と汚い事をするけど、城之内にはそんな事をして欲しく無いと思ってる。城之内には…何も関係無い事だから」
「関係無い筈無いじゃないか。オレだって好きな人を殺された憎き相手なんだぜ」
「そうだよな。でも兄サマがそれを望まないだろうから、だからオレはやっぱり城之内には関わって欲しく無いと思ってるんだぜぃ」
「海馬はオレの事なんか、そんな風には思って無いよ。だってオレの気持ちも知らなかった訳だし…」
「そんな事無いぜ!」
「モクバ…?」

 突然大きな声を出したモクバに、オレは本気で驚いた。疲れ切ったこの小さな身体のどこに、それだけのパワーが隠されていたんだろう。

「兄サマが…何とも思って無い奴を側に置いたりするもんか! 兄サマは自分が本当に『好き』だと思う人間以外は、絶対側にも寄せ付けないんだ!」
「モク…バ…?」
「だからオレは、お前に兄サマへの告白を勧めたんだ…。兄サマも…絶対お前の事が好きだって言う確信があったから」
「………っ」
「それなのに…こんな事になっちゃって…。兄サマもお前も…どっちも不幸になっちゃって…。オレ…どうしたら…っ!」
「モクバ…っ!!」

 小さな肩を震わせてボロボロ泣き始めたモクバを、オレはそっと抱き締めた。そうする事しか出来無かった。ただ今は無性にモクバを守ってやりたかった。

「なぁ…モクバ。お前は今『兄サマもお前も』って言ってくれたけど、その不幸になった人間の中にはちゃんとお前も含まれているんだぜ? 分かってるよな?」
「っう………!」
「お前が汚い事をして海馬を殺した会社に復讐するってんなら、オレはそれを止めない。だけど、オレにも協力させてくれ。一緒に海馬の仇を取らせてくれ」
「城之内…っ」
「オレ…お前の兄貴になるからさ」
「兄貴…?」
「そう、兄貴。海馬に比べたら随分と頼りない兄貴だろうけど、それでもお前を支えててやるから。だからオレをお前の兄貴にしてくれ」

 腕の中のモクバを強く抱き締めながらそう言ったオレに、モクバは泣きながら何度も頷いてくれた。
 こうしてオレは、その時からモクバのもう一人の『兄貴』になった。



 それからオレ達は友人同士として、そして『兄』と『弟』として仲良くやっていた。毎年六月にやってくる海馬の命日には、二人揃って墓参りに行く。この頃にはオレも立派な社会人になっていたから、命日が平日に当たると墓参りには行けない。そこで、命日に近い方の土曜日か日曜日に約束をして、二人で墓参りに行くのが常だった。
 モクバと二人でそんな風に海馬の死を悼むようになってから十三年。今年も海馬の命日がやって来た。今年はたまたま日曜日にその日が当たり、二人で朝から一緒に行く約束をしていたのだ。

「これからバイクでそっちに行くから」
「うん、分かったぜぃ。気を付けて来いよな」

 数年前、オレは思い切って大型自動二輪の免許を取った。大型のバイクを乗りこなすオレを、モクバは当初余り良い顔をしなかった。顔を合わせる度に「事故ったらどうするんだ」「オレに兄を二人も失わせるつもりか」と説教をされ、オレ自身としてもその気持ちが分からなくも無いので聞く度に胸が痛くなったものだった。でもオレがずっと無事故無違反で運転し続けている内に、ようやっと認めてくれたらしい。…諦めたとも言うんだろうけどな。
 モクバとの通話を終えて、携帯のフリップを閉じ鞄に仕舞う。バイクに跨がってフルフェイスのヘルメットを被り、エンジンを蒸かしてアクセルを踏んだ。いつも通り滑らかに発進した機体に満足して、オレはそのままスピードを上げて走り続けた。
 今日はまるであの日の再現のように、朝から爽やかに晴れ渡っていた。梅雨の時期だから仕方ないけど、あの日以降海馬の命日はずっと雨か曇りだったように思う。今日は暑くなりそうだなぁーなんて思いながら、四車線道路から二車線道路へと移行する。
 二車線道路と言っても、ここは主要道路の一つだから道幅もありスピードも出せる。オレはいつも通り指定されている法定速度を若干上回る程度のスピードで、その道路を走っていた。
 もう数十メートル走れば幹線道路を逸れて住宅街に入る事が出来る。そこから少し走れば海馬邸は目の前だ。海馬邸に着いたらこのバイクは敷地内に置かせて貰って、後はリムジンで二人一緒に墓参りに行く予定になっていた。それがいつものオレ達の、お決まりのコースだった。

 それにしても今日は暑いな…。そうだ。墓参りが終わったら、モクバと二人で冷たい珈琲でも飲みに行くか。墓地から少し離れた場所に、お洒落な喫茶店があるんだよな。いつも食事奢って貰ったりしてるから、たまにはオレの奢りでお茶するのも悪く無い。うん、そうだ。そうしよう。

 そんな事を思いつつ住宅街に入る為のカーブを目に捉えた時だった。
 突如目の前に飛び出して来た茶色い固まりが目に入って来る。尻尾を振って道路の真ん中で動きを止めたそれは、小さな子犬だった。そしてそれを追いかけてきた五~六才くらいの男の子。足元に纏わり付く子犬を抱き上げて、そしてゆっくりこっちを見た。その顔が笑顔から驚愕へと移り変わる。
 咄嗟にブレーキを掛け、大きくハンドルを切った。とにかくあの子供に当てちゃいけない! …と、もうそれしか頭に浮かばない。無茶な行動の果てに自分がどうなるかなんて…全く考えられなかった。



 そして気が付いたらオレは、無様に地面に転がっていた。腹の中が滅茶苦茶痛い。喉に迫り上がって来る血泡に、内臓破裂してんだなぁ…とまるで他人事の様に思ってしまった。フルフェイスのヘルメットはオレの頭を守ってくれたようだったけど、今は呼吸が苦しくて物凄く邪魔くさく感じる。震える手で何とかヘルメットを脱ぎ捨てて、そのまま地面に大の字に寝転がった。
 遠くで子供の泣き声が聞こえる。あと子犬の鳴き声も。良かった…無事だったんだな。怪我は無いかな? 泣いてるだけならいいんだけど。目の前でバイクがすっ転んだなんて、怖い物を見せちゃったな。
 激痛が襲う腹を掌で覆いながら、オレは瞼を開けて空を見上げる。そして目に入ってきたのが…恐ろしい程美しく晴れ渡った夏空だった。

 十三年前、海馬が見ていたこの夏空。そうか…あの時のお前はこんな気持ちだったんだな。

 涙が一粒零れる。そして二粒目も。
 ゴメンな…モクバ。あんなに注意されてたのに、オレはお前に二人目の兄貴まで失わせるハメになっちまった…。
 でもこの子供は悪く無いから…。ちょっとスピード出し過ぎてたオレが悪いんだから…。だからあの時のような復讐はやめてくれよ。
 まぁ…モクバの事だから、子供相手にそんな残酷な事はしないだろうけどな。ちょっとしたジョークだから忘れてくれ。

 薄れゆく意識の中でそんな馬鹿な事を考えながら、オレはゆっくりと瞼を閉じた。完全に視界が暗闇に覆われる直前、真っ青な空をバックに随分と懐かしい顔が自分を覗き込んでいる事を不思議に思いながら。