Text - 短編 - 聖なる夜の優しい奇跡(後編)

「まぁ、上がれよ」

 ニコニコと微笑んだままそう言う城之内に海馬はコクリと頷いて、眠ったままの克也を抱いたまま玄関に入った。靴を脱いでドアの向こうに消えていく城之内の背を追いかけると、台所と間続きになっている居間の真ん中に思いも掛けない物が置いてあるのが目に入ってくる。
 それは、古びたコタツであった。

「これは…」
「ん? コタツだけど…お前知らねーのか?」
「いや、それは知っているが…。随分と古臭いな」
「はい…?」

 海馬の台詞に城之内は一瞬目をパチクリと瞬かせたが、次の瞬間ににこりと笑みを零す。

「そうだろ。オレが子供の頃から使ってる奴だからな」
「子供の頃から?」
「うん。あの日…あのクリスマスの朝に目覚めた時も、このコタツの中にいたんだ」
「………なっ…」
「さ、いいからソイツをここに入れてやってくれよ」

 分厚いコタツ布団を持ち上げて、城之内が目で合図をする。それに頷いて同意を返し、海馬は跪いて克也をそこに寝かせた。腰から下を暖かいコタツの中に入れてやり、胸の辺りにコタツ布団を被せてやる。子供はどんなに動かされても目覚める気配がちっとも無く、絨毯の上でスヤスヤと気持ち良さそうに眠っていた。
 その寝顔を心配そうに眺めていると、大きな手が伸びてきて栗色の頭を優しく撫でられた事に気付く。顔を上げると、ニコニコと笑っている城之内と視線が合って海馬は目を瞠った。城之内は幸せそうな笑みを浮かべて、海馬の頭をワシワシと撫でている。

「ありがとな…海馬」
「え………?」
「コイツの相手をしてくれて。それから…ここに連れてきてくれて、ありがとう」
「………」
「まぁ、とにかくお前もコタツに入れよ。寒かっただろ?」

 確かに外の冷気で自分の身体が大分冷えている事に気付いた海馬は、城之内に促されるまま克也の隣部分のコタツ布団を上げて、その中に足を突っ込んだ。途端に何とも言えない、ふんわりとした暖かさに包まれてホッと一安心する。
 じわじわと身体が温まっていくのを感じながら眠ったままの克也を見詰めていると、目の前でそれを見ていた城之内がクスクスと笑い出した。そしてスッと立上がり、台所の方に足を進める。薬缶の中に水を貯め何らかの準備をしている城之内の背中を見詰め、海馬は恋人の名を呼んだ。

「城之内…?」
「今あったかいお茶煎れてやるからな。話はそれからしよう」

 肩越しに振り返って笑顔でそう言う城之内に、海馬はもうそれ以上何も言えなかった。ボッとガスの火が付けられる音を聞きながら、海馬は隣でグッスリ眠っている克也に視線を移す。どんなに見詰めても、そしてどんなにそのボサボサの頭を撫でても、子供が起きる気配は全く無かった。



 コトンとコタツ机の上に置かれたマグカップの音で、海馬は視線を元に戻した。そこには同じデザインのマグカップを持って、海馬とは反対側に座り込み、男らしい笑顔を浮かべている城之内がいる。マグカップからは暖かな湯気が立ち上り、フワリと紅茶の良い香りが辺りに広がっていった。

「とりあえず紅茶飲めよ。ウチには高級な茶葉なんて無いから、ティーパックの奴で悪いけどさ」
「いや、ありがとう」
「砂糖とか要らない? 大丈夫か?」
「このままでいい」

 城之内の申し出に海馬はフルリと首を横に振り、そのままマグカップに口を付けて暖かな紅茶を一口飲んだ。途端に身体の内が温まり、鼻に抜ける良い香りで心が落ち着いていくのが分かる。二口三口紅茶を飲んで、海馬はマグカップを机の上に置いた。コトリ…と小さな音が、静寂した空間によく響く。
 暖かいマグカップを両手で包み込むように持ちながら、海馬は黙って目の前の城之内を見詰めた。城之内はその視線を受けながら苦笑し、片手でマグカップを持ち上げて紅茶を少し飲む。そして海馬と同じようにカップを机の上に戻して、はぁー…と大きな溜息を吐いた。そして後頭部をガシガシ掻きながら、言葉を放つ。

「あぁ…やっぱりなぁ…。今年じゃないかと思ってたんだ」

 城之内のそんな言葉に、海馬は口を挟まないで黙って先を促す。じっと見詰めて来る青い視線に城之内は困ったように笑いながら、話を続けた。

「先月の中頃かな。オレが小さい頃、若い兄ちゃん風のサンタクロースに出会ったって話をした事があっただろ?」
「あぁ」
「実はな。あの話…つい最近まで綺麗サッパリ忘れてたんだよ」
「………なんだと?」
「小さい頃はちゃんと覚えてたんだ。だけどいつの間にかすっかり忘れちまっていた。だってさ、本当かどうか分からない事をいつまでも覚えていても仕方無いだろ?」
「まぁ…それは…確かにそうだが…」
「だけどあの日、急にそれを思い出したんだ。しかも今まで忘れていたとは思えない程、はっきりと。夢か現か分からなかった事が、完全に現実だと思えるくらいに」
「………」
「それがどんな意味なのかは分からなかったけど、何だか無性にお前に話して聞かせたくなってな。それであの時、ああいう話をしたんだよ」
「そう…だったのか…」
「で、その後自分で思った訳だ。もしかしたら今年のクリスマスに、『あの日』が来るんじゃ無いかってな。もしかしたら…いや、もしかしなくてもあの兄ちゃんは確かにいて、しかもそれは海馬なんじゃ無いかって…そう思ったんだ」
「…城之内」
「そしたら、ビンゴだったって訳」
「それでは…やはり…っ」
「あの話をお前にしていたから、きっと子供の頃のオレが現れても海馬が相手してくれるだろうと信じていた。更に、眠ってしまったオレを連れてお前がここに来るだろうという事も、何となく分かってた。次の日の朝にコタツで目覚めた事も言ってあったから、頭の良いお前の事だから絶対ここを選ぶだろうと思って、待ってたんだ」

 改めて告げられた話に海馬は驚き、ただただ目を瞠るばかりだった。そんな海馬に優しく微笑みかけて、城之内はマグカップを持ち上げて少し温くなってしまった紅茶に口を付ける。喉が渇いていたようでゴクリゴクリと一気に飲み干していき、やがて空になったマグカップをタンッと机の上に戻して、城之内は再び溜息を吐いた。そして、自分と海馬に挟まれる位置で眠りこけている幼き日の自分を見詰める。
 海馬のように子供に触れる事はしないが、その視線はどこまでも柔らかで穏やかだ。

「我ながら…ひでぇ格好だなぁ…」

 クスッ…と眉根を寄せて、城之内は苦笑する。

「あっちもこっちも傷だらけ。頭はボサボサだし、服もきたねぇし、爪も真っ黒だし、見られたもんじゃねーな」
「それは…コイツの所為では…っ」
「分かってるよ。そんな事、オレが一番よく分かっている。こうなったのはオレが悪い訳じゃねーんだ」
「………」
「でもな、今オレは嬉しいんだ。嬉しいっていうか、滅茶苦茶お前に感謝してるんだよ」
「…何がだ」
「こんなきたねぇ餓鬼を、よくあんなに優しく丁寧に世話してくれたなーって思って…な。当時の事思い出して、すげー嬉しくて堪らなくなってさぁ…」

 突然、机の上に投げ出していた手をキュッ…と優しく握り込まれて、海馬はハッと顔を上げた。目の前に本当に心から嬉しそうに微笑んでいる城之内の顔があり、その琥珀色の明るい瞳が涙で潤んでいるのが目に入ってくる。

「ありがとう…な、海馬。本当に…ありがとう…」
「城之…内…」
「コイツに代わって礼を言うよ。本当に幸せだったんだ。最高のクリスマスイブだった。こんなに幸せなクリスマスを迎えられて、オレは本当に本当に嬉しかったんだ」
「………っ! 城之内…っ!」
「ありがとな…っ。幸せだったよ…!」

 最後の方はもう涙声だった。城之内は両手で海馬の手を強く握り、涙をボロボロ零しながら泣いている。ただその顔が幸せそうに微笑んでいるのを見て、海馬も同じように涙ぐみながら「泣くな…馬鹿」と悪態を吐く事しか出来無かった。
 もう片方の手を城之内の両手の上に置き、ギュッ…と力を込めて握り締める。泣きながら笑みを浮かべると、城之内も同じように笑い返すのだった。



 それからは、二人は共にコタツに当たりながら、じっと克也の事を見守っていた。時計の針は真夜中をとうに過ぎ、朝の四時を指している。シンとした空間が二人を包み込んでいた。

「この子は…いつ帰るのだろうな?」

 城之内が煎れてくれた何杯目かの紅茶を飲みながら、海馬はポツリと言葉を漏らす。その声に城之内は視線を上げ、「さぁな」と一言返した。

「前にも言ったと思うけど、オレは自分がいつ帰ったのか分からないんだ。気が付いたら二十五日の朝で、ただコタツで寝てたってだけで…」
「そうか…」
「でも、もうすぐなんじゃねーかなぁ…。だってもう朝に…っ。あっ…」

 子供を見詰めながら言葉を放っていた城之内が、突然驚いた様に身を乗り出した。その様子に海馬も慌てて隣で眠っていた克也に視線を向ける。幸せそうにぐっすり眠っている子供の身体が淡く光を放っている事に気付き、海馬は驚きで目を瞠った。そして仄かな光に包まれながら、子供の輪郭が段々薄まっていくのもハッキリと確認出来た。

「あぁ…っ!」

 思わずその身体に手を伸ばそうとすると、その手が誰かの手に掴まれて留められてしまった。慌てて顔を上げると、いつの間にか自分の隣に移動して来ていた城之内と目が合う。

「城之内…っ!」
「触るな」
「だが…っ」
「多分、触っちゃいけないんだ。『オレ』は帰らないと…」

 城之内の言葉に、海馬は泣きそうにクシャリと顔を歪めた。
 帰って…帰って一体どうするというのだ。この子がこれからどんな辛い目に合い続けるのか、自分はよく知っている。こんな小さな身体で、これからも父親の理不尽な暴力を受け続けなければならない事を知っているのだ。
 だからこそ、海馬は克也を帰したくは無かった。何とかこの世界に留めようと腕を伸ばすが、その度に城之内に引き留められてしまう。恨みがましく睨み付けても、城之内はただ穏やかに笑っているだけだった。

「お前が今何を考えているのか…オレには分かるぜ? このまま『オレ』を帰らせたら駄目だと思ってるんだろ? オレが親父に虐待されてた事知ってるから、それから助け出そうとしてるんだろ? 違うか?」
「それが分かっているのだったら…!」
「確かに子供時代は辛かったよ。でもな、海馬。それだけじゃないんだ」
「………何…?」
「辛いだけじゃ無かった。もし今帰らなかったら、オレはきっと物凄く後悔する。だってそうだろ? 過去に戻らなければ、遊戯や本田達のような大事な友達にも会えなかったし、遊戯達と一緒に楽しくデュエルする事も出来無かった。それに…」
「それに…?」
「それに何より…お前に出会えなかった」
「………っ!!」
「お前に出会えて、喧嘩しつつも好きになって、やがて恋をして…。もし『あの時』元の世界に帰れなかったら、こうやって恋人同士になる事も出来無かったんだ。それを考えると、オレは凄く怖くなるよ」
「………城…之…内…っ」
「『あの時』…無事に帰って良かったよ。じゃなかったら、今のオレはいなかった。な、そうだろ?」
「城之内…っ!」
「確かに辛い日々はあったけど、それも全部無駄じゃなかったんだって思うぜ。だってオレは今…幸せだよ。物凄く、メチャクチャ幸せだ。なぁ…海馬…」
「………」
「『オレ』の幸せを、邪魔しないであげてくれねーかなぁ?」
「っ………!!」

 城之内はニッコリと微笑みながらそんな事を言い、その言葉に海馬はもう何も言う事は出来無かった。
 視界の端で光の塊が膨張し、パンッと弾けて消えたのがまるで合図だったかのように、突然城之内に唇を塞がれてしまう。海馬は目をギュッと強く瞑って涙を零した。

「んっ………むっ…ぅ!」

 ドサリと安っぽい絨毯の上に押し倒されて、のし掛かる身体を自ら抱き寄せた。男らしい広い背に腕を回して、城之内が着ていたパーカーを強く握り締める。薄く目を開いて克也が眠っていた辺りを見ても、もうそこに子供はいなかった。何の形跡すら残さず、消えてしまっていたのだ。

「泣くなよ、海馬」

 海馬の身体の上に乗り上げた城之内が優しく微笑みながら、海馬の眦に溜まった涙を指先でそっと拭ってくれる。その動作は至極思いやりに満ちていた。

「オレはここにいるだろ? 今こんなに…幸せなんだよ。それもこれも、全部お前がくれたんだ。ありがとな…」
「………城之…内…っ」
「海馬…愛してるよ。お前に出会えて…良かった」
「………あぁ…オレも…」
「ん?」
「オレも…お前に会えて良かった…城之内…っ」
「うん」
「好きだ…っ」
「うん」
「愛してる…っ!」
「うん。本当に…ありがとな、海馬」

 優しい言葉と共に、城之内の唇は海馬のそれに迫る。それを待ちきれず、自ら顔を上げて積極的に唇を押し付けながら、海馬は再び熱い涙を零した。
 その涙は、可哀想な子供を見送った時の哀しみの涙では無く、愛しい人と情を交わす事が出来る嬉しさの涙であった。



 城之内がいつも使っている安っぽい布団に裸体を横たえながら、海馬はそろりと寝返りを打った。久しぶりの情交で未だ熱を失わない身体に、ヒヤリとした木綿布団の冷たさが心地良い。
 城之内は朝早くからクリスマスのバイトに出掛け、今この団地の一室には海馬しかいない。父親は遠地に出稼ぎに行っているらしく、暫くは戻らないからゆっくりしてろと恋人は言っていた。
 城之内の父親が最近真面目に働き出している事を、海馬は城之内からの話で知っていた。未だにアルコール中毒の症状はあるものの以前程酷くもなく、何より自分で酒断ちをしている事は大きな進歩であった。幼い頃から悩まされ続けて来た理不尽な暴力から、城之内は漸く解放されていたのである。
 海馬の頭の中に、昨夜の城之内の言葉が甦って来る。

『確かに辛い日々はあったけど、それも全部無駄じゃなかったんだって思うぜ。だってオレは今…幸せだよ。物凄く、メチャクチャ幸せだ』

 そう海馬に言っていた時の城之内の顔は、本当に幸せそうに輝いていた。
 過去の世界に帰ってしまった克也を心配する気持ちは、確かに今もまだ消えてはいない。けれど、海馬は信じていた。あの小さな子供にも、この先とても大きな幸せが待ち受けている事を。そしてその幸せの為には、自分の存在が無くてはならないものだという事も…知ってしまったのだ。

「仕方が無いな…」

 誰もいない部屋で、恋人の匂いのする木綿布団にくるまりながら、海馬は一人幸せそうに笑う。

「オレはアイツの…サンタクロースだからな」

 小さなあの子には、一夜の優しい奇跡を。そして大きく成長した恋人には、永遠の幸せを。

「それがサンタクロースであるオレの…プレゼントだ、城之内」

 クスリと微笑んでそう口にして、海馬は疲れた身体を丸めて再び布団に潜り込んだ。そしてもう少しだけ眠る為に、瞼を閉じる。
 頭の中では、仕事を終えて帰って来た恋人の笑顔が浮かぶ。その笑顔に心からの幸せを感じながら、海馬は静かで充実したクリスマスを過ごしたのだった。