Text - 短編 - 聖なる夜の優しい奇跡(中編)

 海馬邸の玄関前に滑るように駐まったリムジンから、海馬は小さな城之内克也の手を引いて降りてきた。大きな扉の前に立つと、克也は顔をポカンとさせて上を見上げる。

「すっげー…。コレがお兄ちゃん家?」
「そうだ」
「でっけー家。お城みたいだ」

 素直な感想を言う子供の克也に、海馬はクスリと笑みを零した。初めて恋人である城之内をこの屋敷に招いた時に、彼が言った台詞と酷似していたからだ。

『でっけー家だな。知ってたけど目の前で見ると、お城みたいだ』

 まるで小さな子供の様に漏らされた感想に、海馬はその時「何を下らない事を…」と呆れたように嘆息した。だが子供の頃から感性が全く変わっていなかったらしいという事に気付いて、ついつい感心してしまう。
 城之内はやはり城之内なのだ。こんな小さな頃から全く変わっていなかったという事実に、胸が温かくなる。

「さぁ、こっちだ」

 大きな屋敷に感心している克也の手を引いて、海馬は屋敷の中に入っていった。途端に沢山のメイドと弟のモクバに迎えられる。「お帰りなさい、瀬人様」とお辞儀をするメイド達の向こうから、小さな弟が走ってきたのを見て海馬は微笑んだ。

「お帰りなさい、兄サマ! …って、あれ? 子供?」
「ただいまモクバ」
「その子…あれ? 何だか…」

 何かを言いたそうにするモクバに、海馬はしーっと口元に人差し指を当てて諫める。キョトンとしているモクバの脇から、古株のメイドが一歩進んで子供の前に座り込んだ。そしてニコリと微笑んで口を開く。

「あらあら、随分小さなお客様ですこと。こんな薄着で…外は寒かったのではありませんか?」
「大分身体を冷やしている。何か子供が飲めるような温かい飲み物を持って来てくれ」
「畏まりました。ココアとかで宜しいでしょうか?」

 メイドが何気なく放った一言に、海馬はピクリと反応して思わずメイドの顔を凝視した。頭にあの日の城之内の言葉が甦って来る。確か城之内は、サンタクロースに暖かいココアを飲ませて貰ったと言っていなかっただろうか…と。
 言葉を無くした海馬を不思議そうに見詰め返し、メイド頭は首を傾げて「いけませんか?」と主人に問うて来た。その言葉に海馬は慌てて首を振る。

「いや、ココアでいいだろう。オレの部屋に持って来てくれ」
「畏まりました。直ちにご用意致します」

 海馬の言葉にメイドは深く頭を下げ、小さな克也にニッコリと微笑むとキッチンへと下がっていった。その姿を見送って、海馬は克也の手を引いたまま歩き出す。その後ろからモクバが付いて来るのに頷いて了承し、三人は海馬の自室までやって来た。
 大きな扉を開けると、部屋の中は空調が効いてすっかり暖かくなっていた。その心地良さに、克也の顔が嬉しそうに破顔する。

「うわー。あったけぇー!」

 漸く安心したような顔になった少年に海馬は微笑みかけ、部屋の中央に置かれた革張りのソファーを指差した。

「あそこに座って待っていろ。直に暖かい飲み物を持ってくるから」

 海馬の言葉に克也はコクリと頷き、素直にソファーまで近寄るとそこによじ登って座り込んだ。そして「すげー! ふかふかだー!」と一人喜んでいるのを目にしながら、海馬は背後で呆然としているモクバに話しかける。

「済まないな、モクバ。少し驚かせてしまったか」
「ううん…。それはいいんだけど…」

 兄の言葉にフルフルと首を横に振りながらモクバは答え、ほんの少し眉根を寄せながらボソボソと言葉を放つ。

「で…兄サマ、あの子は誰?」
「誰だと思う?」

 まるで謎かけのような海馬の言葉に、モクバはますます眉根の皺を深くした。
 何となく…何となくだが予想は付く。けれどその予想は、普段兄が口癖のように言う非ィ科学的現象に属し、モクバはそれを言い当てたくは無かった。出来る事ならば科学的に証明出来る、自然な理由にしたかったのである。
 知らず知らずの内に出て来た苦笑いを抑える事も出来無いまま、頬をひくつかせながらモクバは仕方無く口を開いた。

「えーと…物凄く『誰か』に似てると思うんだけど…」
「そうだな。そっくりだろう」
「そっくりだね…城之内に」

 弟の口から出た『城之内』という言葉に、海馬はニヤリと笑った。その笑顔を目の前で見て、モクバは背中に嫌な汗が流れるのを感じてしまう。
 海馬の弟であるモクバは、子供ながらに兄と城之内の関係がどのような物かという事に関して正確に把握していた。男同士でありながら恋人同士であり、しかも二人の関係は一時の遊び等では無く至極真剣なものであり、生涯を通じて連れ添っていく事を決意しているという事も知っている。
 弟として兄と城之内の関係に些か不安があるものの、モクバは反対はしなかった。海馬の気持ちも、そして城之内の気持ちも真剣である事を感じていたし、何よりその事で兄が常に幸せそうにしている事が、弟として心から嬉しかったからだ。

「まさか…アレかな? 城之内の親戚の子…とか?」
「あんな小さな親戚など、城之内にいない事はお前もよく知っているだろう」
「じゃあ…年の離れた弟さんとかかなぁ?」
「あのアル中の父親に、そんな甲斐性があると思うか?」
「だよね…無いよね…。じ、じゃあ思いきって城之内の隠し子とか…!」
「モクバ…。思いきってって、何を思いきるのだ。年が合わんぞ。それに奴は…」
「分かってる。城之内は潔白だよ。言ってみただけだって…」

 海馬の恋人となった城之内はやがて海馬邸に入り浸るようになり、モクバも城之内から色々な話を聞くようになった。今では城之内の事に関しては、兄に次いで詳しいだろうとまで言われている。だからモクバには、城之内の身の回りにそんな小さな子供などいないという事は、よく分かっていた。
 ならばこの子は何だと言うのだろうか。ここまで本人にそっくりで、何の血の繋がりも無い筈は無い。はっきり言って、他人のそら似等というレベルでは無い。
 そこまで考えて、モクバは深く溜息を吐いた。先程から頭の中で、とある予想が頭角を現わし自分こそが正解だと主張している。兄曰く非ィ科学的現象を信じたく無かったのもあるが、モクバは兄程堅い頭の持ち主では無かった。
 半ば諦めたように、溜息混じりで正解を弾き出す。

「まさか…あれ、子供の頃の城之内とかなの?」

 モクバが吐き出した言葉に、海馬は笑顔を浮かべ「どうやらそのようだな」と答えを返した。

「どういう事…?」
「オレにも分からん。ただ…以前城之内にオレがサンタクロースだったのかもしれないという話をされてな」
「え? 何それ?」
「小さい頃に、こういう不思議な体験をしたのだそうだ。金持ちの若い青年に大きな屋敷に連れて行かれて、ご馳走をたんまり頂いたとな」
「誘拐?」
「サンタクロースだ」

 モクバの切り返しに、海馬は内心「流石兄弟だな…」と呆れつつも、その目は小さな克也から離れる事は無かった。
 子供の克也は、今はふかふかのソファーで気持ち良さそうに座っている。心持ち緊張しているのか、寝っ転がったり無駄にはしゃいだりする事はない。それがまた、初めてこの屋敷に招いた時の城之内と被って、海馬は知らず口元を緩め微笑みを浮かべていた。



 数刻後、メイド頭が持って来たココアを受け取って、海馬は克也の隣にゆったりと腰掛けた。そしてココアが入ったカップを、そっと小さな手に握らせる。

「熱いからな。口の中を火傷しないように、気を付けて飲みなさい」
「うん、大丈夫。ありがとー」

 克也はそう言って頷くと、フーフーとココアに息を吹きかけてズズ…と一口飲み込んだ。そしてほぅ…と息を吐いて、嬉しそうに顔を破顔させる。

「甘くて美味しい!」
「そうか。良かったな」

 小さな子供が嬉しそうに微笑むと、海馬も嬉しくなる。いきなり手を上げて怖がらせたりしないように、今度は気を付けてゆっくり手を伸ばし、ボサボサの頭をそっと撫でた。その感触に気付き、克也はココアのカップを持ったまま上目遣いで海馬を見詰めて来る。その視線に笑顔で応えると、子供は嬉しそうに微笑み返した。

「ココアなんて久しぶりに飲んだ。母さんがいた頃はよく作ってくれてたんだけど…」
「………そうか」

 コクリコクリとココアを飲む克也を優しく見守っていると、小さなお腹からぐーーーっという大きな音が鳴り響く。途端に真っ赤になって俯く克也に、海馬はその頭を撫でながら静かな声で優しく言葉を放った。

「お腹が空いたな」
「うん…。ちゃんと食べたんだけどな」
「何を食べたのだ?」
「カップ麺! でも半分食べたところで父さんが暴れ出しちゃって…。残して来ちゃったな…アレ。勿体無かったなぁー」

 せっかくのクリスマスイブだと言うのに、こんな小さな子供が食べるご馳走がカップ麺だとは…。海馬は知っていた事とは言え、余りの不遇な状況に胸が痛むのを感じた。
 子供というのは、この季節はもっと笑顔ではしゃいでいるのが当然だと思う。美味しいご馳走と、甘いケーキと、クリスマスプレゼント。手に入って当然のそれらが、この小さな子供には遠く無縁の物だったのだ。

「大丈夫。もうすぐ夕食が運ばれてくるから、一緒に食べよう」

 海馬の言葉に、克也は嬉しそうにキラキラと目を輝かせた。

「ほんと?」
「あぁ、本当だ。チキンやケーキもあるぞ」
「ケーキも!? やった!! ずっと食べたかったんだ!!」

 満面の笑顔でキャッキャと騒ぐ克也の姿に、隣に腰掛けていた海馬と、克也と一緒に遊べるようにと自室からボードゲームを持って来たモクバは、少し悲しそうに微笑んだのだった。



 暖かい部屋と熱々のココアで漸く子供の体温が戻った頃、クリスマスのご馳走が目の前に運ばれて来て、克也はそれらを目の前にして目を輝かせていた。

「これ…本当に食べてもいいの?」
「いいぞ。存分に食べるがいい」

 恐る恐る口に出した疑問に海馬が即答すると、克也は顔を紅潮させてご馳走に目を向けた。
 最初は一緒に並べられたフォークやナイフを一生懸命使おうとしていたのだが、海馬が「手で食べてもいいぞ」と言うとキョトンとした顔で海馬の顔を見返して首を傾げる。その態度に海馬が笑顔で頷けばニッコリと笑い、小さな手をチキンのグリルに伸ばした。そして骨に蒔かれた銀紙部分を掴んで大口を開けてがぶりと食いつき、至極幸せそうに微笑む。

「うめぇーっ!! こんなに美味しいご馳走初めてだ…」

 本当に幸せそうにチキンを頬張る克也を、隣に座っている海馬も向かいに腰掛けているモクバも、ただただ微笑ましく見守っている。ここまで来ると、モクバももうこの子供が城之内である事を認める他は無かった。というより、疑う余地が無い。
 チキンを食べ、野菜がたっぷり入ったコンソメスープを飲み、焼きたてのパンを夢中で食べてる姿を優しく見ているだけだ。

「口の周りがベタベタだな。こっちを向きなさい」

 チキンの油やソースで口元や頬をベタベタに汚した克也に、海馬はクスリと微笑んでその顔を自分の方に向けさせた。そしてこんな事もあろうかと用意させておいたおしぼりを使い、海馬は克也の汚れた口元や手を丁寧に拭ってあげる。子供はむーむー言いながらも、大人しくされるがままになっていた。
 そんな姿を笑顔で見詰めながら、モクバはクリスマスケーキを上手に切り分けて小皿に乗せ、克也の目の前にコトリと置いてやる。

「ケーキもあるんだぜぃ! ほら、食べていいよ」

 新鮮なフルーツが山盛りに載った生クリームのケーキを、克也は子供独特の大きな目でじーっと見詰めていた。そして何度かパチクリと瞬きをし、視線を上げて海馬を見る。

「ケーキ…食べてもいいの?」
「あぁ、構わないぞ」
「でもオレ…。まだちゃんと他のご飯食べてない」
「………?」
「ご飯をちゃんと食べないと、ケーキは食べちゃ駄目だって母さんが…」
「あぁ…なるほどな」

 父親が酒に溺れ、そんな父に愛想をつかした母親が家を出る前までは、城之内家とて普通にクリスマスイブを祝っていた筈だ。親子四人が揃って仲良くしていた頃の、小さくて懐かしい記憶。それが今の克也の言葉だった。
 再びズキリと痛む胸を何とか押さえて、海馬は笑顔のまま言葉を放つ。

「構わん。今日は特別だ。先にケーキを食べても良い」

 海馬の言葉に克也は安心したようにホッと息を吐き、そして笑顔でデザート用のフォークを掴んでケーキに刺した。フルーツと生クリームがたっぷり載ったケーキの破片を口に運び、パァッと明るい笑顔を見せる。

「甘いーっ!! うめぇーっ!!」

 心から幸せそうに笑ってご馳走やケーキを食べる克也に、海馬やモクバはただ笑ってそれを見守るだけだった。



 お腹が一杯になった後、克也はモクバと一緒にボードゲームで遊んでいた。「こんなゲーム、友達の家でしかした事ない!」とはしゃぐ克也にモクバは寂しげに微笑み、それでも年上として気を使いながら楽しそうにゲームを進めていった。だがやがて、克也はお腹が満腹になったのと暖かい部屋の居心地の良さと、そして大いにはしゃいだお陰で疲れてしまったらしく、気が付いたらウトウトと船を漕ぐようになってしまった。
 海馬が自分の膝の上に抱き上げてやると、その胸に縋り付くようにして本格的に眠ってしまう。その眠りは深く、スゥスゥ…と規則正しい寝息を立てて起きる気配も無い。薄い背を掌で撫で擦ってやりながら、海馬はこの先どうしたものか…と頭を悩ませていた。
 このままこの家に居させてやっても良いと思う。けれど、あの日の城之内の言葉が海馬の中で燻っていた。

『その後、そこの家に居た子供と一緒にボードゲームやったりさ…本当に楽しかった。でも、腹が膨れたら急に眠くなっちゃって…次に起きた時には二十五日の朝で、オレは自分家のコタツで眠っていたんだ』

 次の日の朝、この克也が目覚めた場所は海馬邸では無く、自宅のコタツの中だった。それがどうにも海馬の中で引っ掛かってならない。

「ねぇ…兄サマ。その子どうするつもり?」

 目の前に座って心配そうに克也を見詰めているモクバが、小さな声で尋ねて来る。海馬は弟の顔を見詰めて、ふぅ…と小さく嘆息しながら言葉を放った。

「そうだな…。ここには置いておけないだろうな」
「なんで? このまま泊めてあげようよ」
「それは出来無い。多分…コイツは今夜中には『帰って』しまうだろうからな」
「え? 何でそんな事分かるの…?」
「当の城之内がそう言っていたしな。本人の記憶がそうならば、そういう事なのだろう…」

 きゅっ…と少し力を込めて小さな身体を抱き締めると、子供の克也がむずがって「ん…」と顔を顰める。だが次の瞬間にはもう安らかな顔に戻って、クゥクゥと寝息を立て始めた。
 行かなければならない…と海馬は本能で感じる。この子供が帰る場所へ向かわなければならない…と。
 意を決して海馬は克也を抱いたまま立ち上がり、モクバに視線を向けた。

「モクバ。今すぐ車を玄関前に用意するように連絡してくれ」
「えぇっ!? こんな時間からどこ行くの!?」
「この子が帰る場所へ…」
「………え?」
「城之内の家に行く」

 兄の真剣な色の目を見た弟は、すぐにそれがどういう事かを理解した。サッと立上がると「うん、分かった」と頷いて早速行動を開始する。
 聡い弟の迅速な行動を嬉しく思い、海馬は克也の身体を優しく抱き締めた。腕に掛かる子供の重さが、悲しい程に心地良かった。



 城之内が住んでいる団地までは、車で二~三十分程度で着く。団地の前でリムジンを駐めて貰い、海馬は眠ったままの克也を抱いて車を降りた。
 どんなに動かしても克也の眠りは深く、全く目覚めようとはしなかった。これが自然な眠りなのかそうで無いのかは、海馬には分からない。ただ、もう二度とこの小さな克也と言葉を交わす事は無いだろうという事だけは理解していた。
 重さでずり落ちる身体をきちんと抱き締め直して、海馬は城之内が住む部屋の窓を見上げる。その部屋には既に明かりが付いていた。その窓を見遣って、海馬は階段を上り始める。
 連絡は全くしていない。何となく…しなくても別に問題無いような気がしていたのだ。
 カツンカツンと階段を上がり、城之内の部屋の前まで行く。すると、目の前のドアがキィ…という金属音を立てて開かれた。そして部屋の中から、荒れた金髪がひょっこり現れる。

「城之内…?」
「待ってた」
「え?」
「そろそろ来る頃だろうと思って待ってた」

 にこりと微笑み、そして海馬の腕の中の子供をじっと見詰める。特に驚いた様子もなく、城之内は至極穏やかだった。