2010年クリスマス企画の小説です!
城之内×海馬で、クリスマスイブに起きた、ちょっと不思議で優しい奇跡のお話をどうぞ~!
それは十一月の中旬の頃だった。
この頃既に海馬コーポレーションはクリスマス商戦で忙しくなり始め、そろそろ自由な時間は取りにくくなってきたある日の夜。海馬は恋人である城之内と甘い一夜を過ごしていた。クリスマスが終わるまでは自分は忙しい身だし、城之内も城之内でバイトで全く時間が取れなくなる。それが分かっていたからこそ、この日は時間を掛けてゆっくりと愛し合った。
「なぁ、海馬。サンタクロースって信じるか?」
それは情事が終わり、ベッドの中で他愛の無いお喋り…つまりピロートークを繰り広げている最中に、唐突に城之内の口から吐き出された。
逞しい腕に抱かれ、優しく髪を梳かれながらウトウトしていた海馬は、その一言でパッと目が覚める。そして訝しげに城之内の顔を見詰めた。
「何だ? 突然…」
「あ、その顔。今オレの事を馬鹿にしただろ」
「いや、そういう訳では無いが…」
考えてみればクリスマスも近いので、強ち場違いな話でも無いのだろう。先程までお互いに「クリスマスは忙しい」という話をしていたから、海馬はその続きだろうと思って黙って耳を傾ける事にした。
「実はオレ、ちょっと信じてるんだ」
続けて放たれた言葉に、海馬は目をパチパチと瞬かせ首を傾げる。
サンタクロースの存在を信じるなど、高校生が真面目に言う事では無い。ましてや、今時の子は小学生だってそんな馬鹿げた話はしないだろう。だが海馬は、その話を馬鹿にしたり呆れたりする事は無かった。城之内の暖かい体温に包まれながら、その胸の上に頭を乗せ黙って耳を傾ける。
「サンタクロースっていうか…サンタクロース的な物をっていう方が正しいかもな」
「どういう意味だ…それは」
「うん。実は小さい頃にな、一度だけ会った事があるんだよ。サンタクロースみたいな人に」
胸に擦り寄る海馬の身体をキュッと抱き締め、城之内はどこか夢現な表情で言葉を続けた。
「お袋が静香を連れて出て行ってから一年ちょっとって時だったかな。親父は酒飲んで荒れに荒れまくってて、ウチじゃクリスマスも正月も誕生日も全く関係無い生活をしていた。その年のクリスマスも親父は朝から酒飲んでて、ついに夜中に大暴れ。オレは理不尽な事で怒られて殴られて蹴られて…堪らなくなって家を飛び出した。玄関から転がるように逃げ出して走って走って走りまくって…。暫くしてジャンパーを着てくるのを忘れた事を思い出したけど、もうあの家に戻る気は全く無かったんだ」
城之内の話を聞いている海馬がモゾリと身体を動かして、恋人の身体を抱き締める。その動きに城之内はクスリと微笑み、海馬の身体を強く抱き寄せて再び口を開いた。
「寒いけどジャンパーは無いし、お金も持ってないから何も買えないし、仕方無く繁華街の入り口にある公園に行って時間潰しする事にした。寒いし腹減ったし、ブランコに乗ってどうすっかなーって考えてたら、その人が目の前に現れた」
「その人…?」
「うん。オレのサンタクロース」
海馬の質問に城之内は笑顔で答え、当時の事を懐かしむように目を閉じた。
「その人はオレの側に近寄って来て、こんなところで何をしているんだって尋ねて来た。当時のオレは、大人がそういう風に尋ねて来るのが苦手だったんだ。だって親父の事を話すとみんな『可哀想に』って同情だけはするけど、結局その後は何もしてくれないからな。こんな事、他人に言っても無駄なんだって気がしてたんだ」
「………」
「だけどその人は何か違った。寒さと空腹でどうでも良くなっていたのかもしれないけど、オレはその人に素直に親父の事を話す事が出来たんだ。そうしたらその人はただ一言『そうか』とだけ言って、少し困ったように微笑んだ。何かその反応が嬉しかったんだ」
城之内は再び瞳を開き、どこか遠くを見るように目を細めた。その顔が何だか儚くて、海馬は城之内から目を離せなくなってしまう。じっと凝視する海馬に城之内は優しく微笑みかけ、言葉を続けていった。
「それが本当にあった事だったのかどうかは分からない。もしかしたらタダの夢だったのかもしれない。だけどオレにとってその人は、確かにいたんだよ」
「よく覚えていない…という事か?」
「そうだな。よく覚えていないんだ。だけどまだ覚えている事も一杯ある。その人は…オレの手を握って『冷たい手だな』と、悲しそうに言った。そしてオレの手を引いて車に乗せて、自分の家に連れて行ってくれたんだ」
「誘拐か?」
「違うっつーの! 何か金持ちの兄ちゃんだったんだよ。今のお前と同じくらいの年齢で、屋敷も…ここと似たような感じだったかな。凄くデカイ家だった事を覚えている」
「ほう…」
「そこで暖かいココア飲ませて貰ったり、美味しいご馳走食べさせて貰ったりしたんだ。今日はクリスマスイブだからってデッカイチキンのグリルとか、大きなクリスマスケーキとかも食わせて貰った。オレ、あんなに美味しいご馳走を食べたのは生まれて初めてだったから、本当に嬉しかったんだ」
「そうか」
「その後、そこの家に居た子供と一緒にボードゲームやったりしてさ…本当に楽しかった。でも、腹が膨れたら急に眠くなっちゃって…次に起きた時には二十五日の朝で、オレは自分家のコタツで眠っていたんだ」
「それは…」
城之内の言葉に海馬が何かを言いかけようとすると、城之内は少し寂しそうな瞳で海馬を見据えてコクリと頷いた。まるで海馬の言いたい事が全て分かっているとでも言うように。
「そう…。そういう目覚め方をすると、やっぱ夢オチっぽいだろ? だからオレ自身も、夢か現か分からなくなっているんだよ。寂しいクリスマスを過ごす子供が、楽しいクリスマスを思い描いて見た夢に過ぎなかったのかもしれないってな。ハッキリと覚えている癖に、痕跡が何も残っていなかったんだ」
「城之内…」
「幸いその日は親父がいなくて、オレはずっとコタツの中で昨日の出来事をなぞっていた。何度思い返してみても、その人は確かに存在していて…。でもそれを証明する物が何一つ無い。だからオレはあの日、アレはサンタクロースだったんじゃないかな…と思うようになったんだ」
「それでサンタクロースか」
「うん。サンタクロースが若い兄ちゃんに姿を変えて、一晩だけ幸せなクリスマスイブをオレにプレゼントしてくれたのかもってな。そう考えると妙に納得出来て、オレはもうそれでいいと思った」
「………」
「今になって考えてみると、その人はただの気の良い金持ちの兄ちゃんってだけだったのかもしれない。でもその兄ちゃんがただの人間でもオレは構わない。オレに取ってはその人は確かにサンタクロースで、オレに幸せなイブをプレゼントしてくれたってのは間違い無いんだからさ」
「なるほど…な」
「だからオレは、サンタクロースをちょっと信じているんだ」
そう言って城之内は海馬の顔を優しく見詰め、白い頬を指先でサラリと撫でた。愛しそうに目を細め、そして最後にこう言ったのだった。
「そう言えば…あの時の兄ちゃん、お前に良く似ていたかもしれない」
そんな話を聞いていたからだろうか…。海馬は先程から何か胸騒ぎがしてならなかった。
十二月二十四日。海馬コーポレーションの社長として完璧にクリスマス商戦の準備を行なった海馬は、イブからクリスマス当日に掛けては逆に時間を作る事に成功した。準備をしておくのは社長の努めだが、当日の戦争に参加するのは部下の努めだと熱弁され、社長である海馬と、副社長である弟のモクバは早々に屋敷に帰らせられる事になってしまったのである。
とは言っても他にやるべき事も沢山あったので、海馬は先にモクバを帰らせ、そして自分は夜の九時過ぎに漸く会社を出る事になった。これでも例年のクリスマス時に比べれば、ずっと早い帰宅である。
恋人である城之内は残念ながらバイト中で、今日は会う事が出来無い。ただ明日の夕方には時間が出来るという事で、若干遅いクリスマスパーティーを城之内宅で二人でやる約束になっていた。
今夜はモクバと二人で、海馬邸でクリスマスを祝う事になっている。こんな風にゆっくりと、弟とクリスマスを祝うのも久しぶりだな…と海馬は至極幸せな気分でいた。
だが、海馬を乗せたリムジンが繁華街に入った辺りで、その幸せな気持ちとは別の何か妙な胸騒ぎを感じてならなかったのだ。必死で自分に「気の所為だ」と言い聞かせても、胸のざわめきが止まらない。リムジンが道を進めば進む程胸の動悸が速くなり、いざ繁華街を抜けようとした時に、ついに海馬は我慢が出来無くなった。
「済まん。ちょっと車を駐めてくれ」
社長の命令に車は緩やかに道路脇に停車し、気分が悪くなったのかと心配する運転手を宥めて、海馬はリムジンから外に出た。
行く宛ては無い。というか、この辺りの地理には全く詳しく無いし、特に用事も無い筈だ。だが海馬の視線はとあるところを注視して、そこから外す事が出来無くなっていた。
「公…園…」
繁華街の外れにある小さな公園。そこから聞こえる、キィ…キィ…という誰かがブランコを揺らす金属音。まるでその音に誘われるかのように、海馬の足はそちらに向いた。そして公園の入り口から中を覗くと、ポツンと光る街灯の下に、その少年がいるのを確認してしまう。
ボサボサの髪、薄汚れたトレーナーに半ズボン。膝小僧には大きなガーゼが当てられていて、それが医療用テープで留められている。街灯の光に照らされる顔は、幼い顔に似合わずあちこちに大きな傷がある。唇の脇には絆創膏が貼られ、頬は赤く腫れ上がり、逆に目の上は青紫色の痣になっていた。
そして俯いたまま寂しそうにブランコを漕ぐその子供がふと顔を上げた時、海馬は驚きに目を瞠った。
「城之…内…っ!」
見慣れた琥珀色の瞳が、その小さな少年が恋人であるという事を物語っている。
海馬の脳裏に、あの日の城之内の話が甦って来た。いや、まさか、そんな非ィ科学的な事は有り得ない! と自分の中で否定しようとするが、目の前の事実は揺らぐ事無く存在している。
その事を確認して、海馬は深く嘆息して諦めた。理性ではどう否定しようと、心がそれを肯定しているのだ。もはやどんなに抗っても無駄であろう。
仕方が無いな…ともう一度深く深呼吸をして、海馬はその少年に近付いて行った。
ジャリジャリと公園の砂を踏んで、ブランコの側まで歩いて行く。海馬の気配に気付いた少年が顔を上げるのと同時に、海馬は優しく微笑んで声を掛けた。
「こんなところで何をしているのだ?」
なるべく怖がらせないように声を掛けると、子供はパチパチと何度か瞬きをして、まるで相手を見定めるようにじっと海馬の顔を凝視する。それに何も言わずにただ微笑んで立っていると、子供は少し安心したようにふぅ…と小さな溜息を吐いた。
「父さん…に…怒られて…」
「お父さんに?」
そう聞き返すと、子供はコクリと頷いて答える。
「酒飲んで暴れるんだ。だからオレ…怖くて逃げ出してきた」
「…そうか」
ボソボソと、赤くなった頬を小さな掌で押さえながらそう言う少年に、海馬はただそれだけしか言えなかった。そして海馬は少年の側に膝を付き、目線を合わせてからその小さな手をそっと自らの掌で包み込む。その手は本当に酷く冷たく、まるで氷のようだと海馬は思った。
海馬は、普段の城之内の手がとても温かい事を知っている。特に情事の時に触れられている時なんて、その手はまるで火を灯しているかのように熱いのだ。その事を告げると城之内はいつも嬉しそうに「あ、やっぱり熱い? オレ子供の時から体温高いんだよ」と言って、ケラケラ笑うのだった。
大人になった城之内の手がそれだけ熱いのなら、小さい子供の手なら尚更だろう。子供特有の体温が酷く熱い事を、海馬は弟のモクバの事からもよく知っている。
けれどこの少年の手の温度は、それとは全く逆だった。凍り付きそうな程に冷たくなっている手を、何とか温めようとギュッと握り込む。
「冷たい手だな」
そう言うと、目の前の少年がハッと顔を上げる。海馬の反応に少し驚いているようだった。
「あ…うん。ジャンパー忘れちゃったから、ちょっと寒くて…」
「そうだな。この季節にその格好だと寒いだろう」
良く見ると、子供は寒さでカタカタと震えている。海馬は自分が着ていた上着を脱いで、そっと少年の肩に掛けてやった。そしてボサボサの頭を撫でようとそっと手を上げた時だった。それまで大人しくしていた子供が突然ビクリと反応し、肩を竦めて自分の頭を庇うように身を縮めたのだ。
その反応に驚いて目を瞠ると、少年はガタガタと震えながら泣きそうな声を出した。
「ご、ごめんなさい…! 謝るから…ぶたないで…っ!!」
小さな子供の予想外の反応に、海馬は胸が締め付けられそうになる。
城之内がそういう子供時代を過ごしていた事は、海馬も良く知っている。お互いの異常な幼少期を、何度かそういう風に真面目に話し合った事があるからだ。だが、大人になった城之内が話すのはあくまで過去の話であって、今現在の問題では無い筈だった。
それなのに、今まさにそれが海馬の目の前にある。その事実に胸が苦しくなった。
「大丈夫だ…。オレは何もしない」
怖がらせないようにゆっくりと手を伸ばし、震える頭を何度も撫でる。ボサボサの髪の毛に触れるとヒヤリと芯まで冷えていて、その事にズキリと胸が痛んだ。
「こんなところにいたら寒いだろう…。今日はクリスマスイブだ。オレと一緒にクリスマスを祝わないか? ん?」
抱き寄せて、震えが止まるまで優しく頭や背中を撫でる。小さな子供に似つかわしくないツンとした消毒液の匂いが、余計に哀れだと海馬は思った。
それからどれくらい時間が経ったであろうか。寒さと恐怖でガタガタ震えていた子供が大人しくなり、海馬の腕の中で顔を上げてふと…小さな声で呟いた。
「お兄ちゃんと…一緒に…?」
「そうだ」
子供の問い掛けに頷いて即答すると、途端にその子の顔がパーッと明るくなる。嬉しそうに笑いながら「うん!」とハッキリとした声で頷き、キラキラと琥珀色の瞳を輝かせた。その明るい笑顔に漸く安心して、海馬はその子の手を引いて歩き出す。子供は何も抵抗する事無く、素直に海馬と共に歩き出した。
公園を出て、道路脇に駐まっているリムジンを目指す。海馬の姿を確認した運転手がドアを開け、海馬は子供と共に車に乗り込んだ。主人が小さな子供を連れて帰って来た事に運転手は何も言わず、ただ「では、出発します」と一声を掛けアクセルを踏む。リムジンは至極滑らかに走り出した。
車窓から流れる景色を物珍しそうに眺めている子供を、海馬はただ微笑ましく見守っていた。その視線に気付いた子供が振り返り「何?」と言うのにクスッと微笑んで、海馬は言葉を放つ。
「名前は?」
「克也! 城之内克也!」
大きな声で明るく答えられた名前に、海馬は「やはりな…」と瞠目したのであった。