Text - 短編 - 大気になった流星

城之内×海馬。海馬の一人称。
『はやぶさ』の地球への帰還を祝して、一本短編を書いてみました。
コレが二礼の『はやぶさ』への想い…かな?

 




 六月十三日深夜。日本中が宇宙事業による人類初の偉業に夢中になり、その結末に注目していた。それは勿論我が家も例外では無く、リビングの大画面モニターにインターネット中継を繋いで、オレとモクバと…そして城之内の三人でじっと最後の瞬間を見守っていた。


 小惑星探査機『はやぶさ』。マイクロ波放電型イオンエンジンを使い、地球から約三億㎞離れた宇宙空間に存在する小惑星『イトカワ』にまで探査に行き、その表面に存在する岩石や砂を地球に持ち帰る事を目的として作られた工学実験探査機だ。様々なトラブルに見舞われながらも、約七年の歳月を掛け、何とか地球に帰還する事が確定的となっている。今まで他の天体に降りたってから地球に帰還出来た探査機は存在せず、もしこれが無事に成功すれば、人類史上初めての偉業となる筈だった。
 その『はやぶさ』がついに地球に到達する事になり、意外と祭り好きのモクバや、あからさまにこういう派手なニュースを好む城之内に頼まれ、オレ達は三人揃って『はやぶさ』の偉業を見守る事になったのだ。
 まぁ…正直に言えば、オレ自身も気になっていたから全く問題は無かったのだがな。


 そして六月十三日二十二時五十一分。南半球の夜空に一際明るく輝いた人工の流れ星を、オレ達は目撃した。
 目の前に映し出されたその美しい光景にオレは言葉を無くし、モクバは「凄いぜぃ!」と叫び大興奮している。立上がって大騒ぎするモクバに目を向け、だがその向こう側に座っていた城之内の顔を見た途端、オレは違和感を感じて首を捻った。
 城之内はこういう事に至極感動してはすぐに泣く癖がある。今回も確かに感動して涙ぐんでいるのは分かるのだが…何故かその顔は嬉しそうでは無いように見えた。
 本当は感動などしていないのだろうか…? いや、そんな筈は無い。普段はちょっとした事では全く心を動かされないオレも、今回ばかりは感動したのだ。あの感動屋の城之内が何とも思っていない筈は無い。だが…。

「本当に凄かったぜぃ! な、城之内! 最後綺麗だったよな!」
「あぁ…そうだな」
「何だよー。感動が薄い奴だなー」
「そんな事は無いぜ。滅茶苦茶感動してるよ。ただ…」
「ただ?」
「………いや、何でも無い」

 城之内の反応が思ったより薄かった事に、モクバは口を尖らせて不満を表している。ただ城之内は、そんなモクバに曖昧に笑って見せるだけだった。



 結局もう深夜だという事でその場はそれでお開きになり、オレと城之内は揃って自室に赴いた。インターネット中継に齧り付いていた為に入りそびれていた風呂に一緒に入っても、城之内はどこか上の空だった。一緒に風呂になんぞ入れば、いつも何かしらの理由を付けてオレに触れてくるというのに…。
 これには流石のオレも驚いた。

「おい、城之内」
「んぁー…?」
「どうしたのだ」
「………別に」

 湯船に二人で浸かりながら問い掛けてみても、返ってくるのはどこか気の抜けた返事ばかり。試しに近寄って湯船の中で身体を触れ合わせてみても、城之内はボーッと呆けたままだった。

 これは…どうしたらいいのだ…。遂に城之内がおかしくなった!

 なんて流石にちょっと失礼だと思うような事を考えてしまう程、城之内の態度はおかしかった。
 結局その後も城之内は何もせず、パジャマに着替えて共にベッドに入っても何のアクションも起こさない。ただボーッと目を見開いたまま暗闇を見詰めているだけだ。

「お、おい…城之内。本当にどうしたのだ…。変だぞ貴様」

 流石に心配になってそう声を掛けたら城之内はゆるりと顔を動かし、ようやっとオレの方を見てくれた。その目が酷く寂しそうに見えて、途端に心配になる。

「海馬…」
「何だ…城之内?」
「『はやぶさ』は…どうしても燃え尽きなければならなかったのかなぁ…。あのまま地球の周りを人工衛星として回らせるんじゃ…ダメだったのかなぁ…」

 ボソボソと呟かれた台詞に、オレは漸く城之内がどうして沈んでいるのかが理解出来た。
 なるほど。そういう事か。コイツがすぐに他人の気持ちと同化する事を忘れていた。それは人間や命を持った動物だけかと思ったが、どうやら命を持たない機械にも有効だったらしい。
 命を持たない…。そういう風に自分で考えて、何故か心臓が微かに痛んだ。
 ん…? 何だ今のは? 何故胸が痛んだのだ。

「だって何か…可哀想だ。七年も掛けてやっと地球に帰って来て…。それなのに二度と地面に降り立つ事無く、簡単に燃え尽きちゃっただなんて」

 完全に『はやぶさ』を擬人化して考えている城之内に、オレは呆れつつも何となく同意せざるを得なかった。

 あぁ、そうだな。そう考えると確かに可哀想かもしれない。だが…。

 城之内が先程から何を考えて落ち込んでいたのかが分かったと同時に、オレの中に城之内とは別の考えが沸き起こってくる。『はやぶさ』の本体が大気圏で燃え尽きてしまった事は、事実だけを見れば確かに可哀想な事なのだろう。だがしかし、『はやぶさ』にとってはそれが本当に不幸な事だったのだろうか? いや、そんな事は無い。もしオレが『はやぶさ』だったのら、むしろ…。

「再び地球の大地に降り立つ事だけが、幸せな事とは限らんぞ」

 闇の中からじっとオレを見詰めてくる琥珀の瞳を見返して、オレは微笑みながらそう言った。

「どういう事だよ、それ」
「良く考えてみろ。『はやぶさ』が燃え尽きたのは、大気圏内だ」
「うん。それが何…?」
「地面よりももっと我々に近しい存在…。つまり大気の一部になったと考えられんか?」

 熱く冷たく、地球上に存在する全ての物を包み込む、大気という存在。大地と海を風となって吹き抜け、酸素は全ての生き物の身体に入り込み命を輝かせ、オゾン層は太陽から放出される危険な放射線や紫外線をカットして我々を守ってくれる。地球上に生きる物達にとって、絶対に無くてはならない大事な存在。それが大気だ。

「もしあの『はやぶさ』が、そんな大気の一部になったと考えれば…。どうだ? もう不幸な事では無いだろう?」

 もしオレがあの『はやぶさ』だったのなら、地球の大気になる事はちっとも悲しい事では無い。それどころか嬉しいと思うだろう。大気の一部となって愛しい人を守れるのならば、それこそがオレの本望だ。
 そんな事を考えながら、我ながら随分と珍しい思考パターンだという事に気付いて、何だか照れ臭くなって苦笑してしまった。
 今日はオレも城之内も本当にオカシイ。どうやらあの美しくも少し寂しい光にやられてしまったらしい。だが何故か悪い気はしなくて、オレはこのままでいいと思うようになっていた。

「あぁ…それいいな。うん、凄くいい! それならオレももう寂しく無いな」

 オレの言葉に城之内はウンウンと何度も頷いて、ベッドの中でオレの身体にピッタリとくっ付いて来た。その表情はもう寂しそうでは無く、何だかとても嬉しそうに見える。気持ちの切り替えが早いのはコイツの長所だが…、それにしても現金な奴だ。

「七年掛けて宇宙から帰って来て…。今度は地球の大気になってオレ達を見守ってくれているんだな。『はやぶさ』って凄ぇなぁ…! 格好いいなぁ…!!」

 ニコニコと本当に嬉しそうに笑いながら、城之内がオレを抱き寄せてきた。その優しいだけの手付きに、今日のコイツは何もするつもりが無い事を知り、オレも安心しながら城之内の背に腕を回して抱き締める。そして、城之内の肩越しに窓の方に視線を向けた。
 少し開いたカーテンからは、モニターで見ていたような晴れ渡った夜空は見えない。残念ながら梅雨入りをしたこの地方では、先程からパラパラと雨が降っている。だがあの厚い雲の向こうには、美しい星空が広がっている事を知っている。『はやぶさ』が旅してきた星々の海が…広がっているのだ。

「今夜は…良い夢が見られそうだな」
「うん、そうだな! きっと良い夢が見られるよな!」

 温かい熱を互いに分け与えながら、オレ達はそっと目を瞑り眠りへと落ちていく。
 やがて数刻後、目に入って来たのは美しくも愛しい星々の海と、闇の中に青く輝く宝石のような惑星…だった。