Text - 短編 - Embrace

城之内×海馬。
海馬の一人称です。
相手の過去に触れる事は出来無いけれど、過去毎愛する事は出来ますよね(*'-')

 




「オレ、お前の事抱き締めたい」

 唐突に言われた一言に、オレはメールチェックをする為に凝視していたノートPCのモニターから顔を上げて、視線をその先の方へと移した。そこには城之内がいて、ソファーにゆったりと座ったまま何やら険しい顔をして、膝の上に置いてあるアルバムを睨み付けている。
 一体全体突然何を言いだしたのかと、オレは軽く首を捻ってみせた。



 休日の我が家。会社は休みだったが、メールはそんな事は関係無いとばかりにひっきりなしにやってくる。その為、オレはやりかけの書類を仕上げるついでにメールのチェックも終わらせてしまおうと、一~二時間だけという約束で自室で仕事をする事にした。
 約束したというのは、今日は城之内が遊びに来ていたからだった。もし自分一人だけなら、わざわざこんな約束などしないでさっさと仕事に向かう事だろう。だが、城之内がいる時は勝手が違う。せっかくの休日にわざわざ仕事をする事を、コイツは本気で嫌っていた。オレが黙って仕事をしようとするとチクチクと文句を言い、最終的には力尽くで止められる。
 もし城之内がただの知り合い程度だったなら、こんな事されて黙ってるオレでは無い。直ぐさま怒鳴り返して速攻部屋から追い出していた事だろう。けれど、そんな事は出来ない理由があった。

 それは…城之内がただの知り合いなんかでは無く、オレの恋人だったという事だ。

 恋人と言う事は、オレだって少なからず城之内の事を認めているという事であって、そんな奴の言う事を無下には出来無い。まして、城之内の言う事がただの我が儘では無く、オレの事を気遣っている一言だと理解出来るから尚更だ。
 そんな訳で、普段のオレは城之内と一緒にいる時は余り仕事の方に手を出さない事に決めていた。だが今回の場合、どうしても今日中に仕上げてしまいたい書類があった事と、未読メールが溜っていた事が、オレの神経を嫌でもそちらに傾けさせた。一緒にいても全く集中していない事に気付いたのだろう。城之内は深々と溜息を吐きながらも「じゃあ、一時間くらいならいいよ。多くても二時間な!」と、オレが仕事をする事を認めてくれたのだった。
 ただし、何か暇潰し出来る物を与えてくれという条件付きだったが…。



 こうして城之内は、今は大人しくソファーに座り込んで、オレが暇潰し用にと与えてやったアルバムを眺めている。恋人同士になったばかりの頃から、ずっとオレの子供時代の写真が見てみたいと言っていたので、実に良い暇潰しになったらしい。
 子供時代の写真と言っても、オレが本当の意味で幼少期だった頃の写真は一枚も残っていない。海馬邸にあるのは、オレが十歳で養子にやって来てからの写真ばかりだ。それでも城之内的には満足だったらしくて、さっきから黙って真剣に写真を見詰めている。だからオレもすっかり気楽になって、思った以上に仕事が捗って気分が良かった。そして、あともう少しで全てのメールの返事を出し終えると、そう思っていた時だった。
 先程の一言が、実に唐突に発せられたのは…。

「突然何を言っている…。そんな事、いつもしているだろう?」

 少々溜息混じりで呆れたように返してやれば、城之内はアルバムから顔を上げてこちらに視線を向け、そしてフルリと首を横に振ってみせた。

「違う違う。オレが言っているのはそういう事じゃ無い」
「じゃあどういう事なんだ? 言っている意味が全く分からないぞ」

 城之内の言葉に主語が無い事はもう慣れた。慣れたが、それを良しとしている訳では無い。言いたい事があるなら順序立ててしっかり言えと常日頃から言っているので、今回もそういう意味を込めて先を促してみる。すると城之内は、強い視線のままオレを見据えて口を開いた。

「勿論今のお前も抱き締めたいけどさ。さっきオレが言ったのは、ここに写っている昔のお前を抱き締めたいって事なんだ」
「昔の…オレ?」
「そう。だってさぁ…。どの写真見ても、お前寂しそうな顔してんだもん。目に光が無いしさ」
「………」
「だからオレ、この頃のお前を抱き締めたいって思ったんだ。ぎゅっと抱き締めて『大丈夫だよ』って言えば、お前だってきっとあそこまで酷い状態にはならなかっただろうにって…」
「………城之内…」
「そう思ったら…悔しくってさぁ…」

 城之内は最後にそう言って、本当に悔しそうに下唇を噛み締めていた。
 城之内が言っている『あそこまで酷い状態』とは、丁度Death-Tで出会った頃のオレの事を言っているのだろう。確かにあの頃のオレは、完全に壊れていた。壊れている事にすら気付かず、ただ剛三郎の亡霊に操られて生きているだけの状態だった訳だが。
 そんな壊れた人形のオレは、遊戯によって救われた。………非常に不本意な話だが、事実だから認めざるを得ない。そしてそんなオレを憎んでいた筈の城之内は、いつの間にかオレを許し…そして愛してくれるようになった。
 オレを抱き締め、耳元で愛を囁き、そして事ある毎に城之内は言う。

「お前が好きだよ。愛してる。もう大丈夫だから…」

 ………と。
 それは、城之内が本気でオレを好きになってくれて、そして壊れていた頃のオレも含めて全ての『海馬瀬人』という存在を愛してくれている証拠でもあった。先程の台詞も、そんな奴の想いから発せられた一言であろう。
 だがオレはそんな城之内に対して、ひっそりと心中にて反論していた。
 そう思っているのは貴様だけでは無い! オレも同じだ!! ………と。



 オレがそのアルバムを見たのは、今から少し前の事だった。
 学校帰りに城之内の家に寄り、その日は特別な用事も何も無かった為、城之内の手製の夕食をご馳走して貰う事になったのだ。何か手伝おうとしたのだが、城之内は「お前は客だからゆっくりしておけよ」と笑顔で言い、一人で台所に立っていた。そして「暇潰しにそこらにある物、何でも読んでいいからな」と言われ、何気なく手を伸ばしてオレが手にしたのが…薄いアルバムだったという訳だ。
 写っている写真は、殆どが城之内家で撮られた物では無かった。学校行事に付きそう専属カメラマンが撮った写真や、友達の親や近所の人が撮ったであろうと予想される写真ばかりがそこにあった。その証拠に、家族内での写真や、家の中での写真が皆無だ。運動会や遠足、林間学校や修学旅行等の学校行事の写真。そして、公園や友人の家で撮られたと思わしき写真。そればかりだ。
 一見、無邪気な顔をして楽しそうに写っているその写真でも、オレの目を誤魔化す事は出来無かった。先程の城之内の言葉を借りるならば、そこにある全ての城之内は、寂しそうな顔をして目に光が無かった。
 こんなに小さな子供なのに、まるで疲れ切った大人のような表情をしている事に胸が痛む。周りに一緒に写っている子供達とは、明らかに違う表情。同年代の子供達が普通に持っている輝きが、完全に失われている。そしてその内の何枚かには、痛々しい傷を負ったままの城之内も写っていた。
 赤紫色に腫れた頬に、ガーゼとテープが貼られている。子供のふっくらした頬が、それの何倍も膨れあがって、それなのにカメラに笑顔を向けてピースサインを出しているのだ。
 この城之内を写したカメラマンは、一体どんな想いでこのシーンを切り取ったのだろうか。その気持ちを考えると、胸の内がズキズキと痛んだ。

「何? 何でそんなモン見てるの?」

 アルバムをじっと見詰めているオレに気付いて、城之内が菜箸を持ったまま台所から覗き込んでくる。ギクリとして視線を上げたが、目に入ってきたその顔に非難の色は無い。どちらかと言えば、何故そんなツマラナイ物を見ているのかと疑問に思っている顔だ。

「もっと面白い雑誌とかがあるだろ?」
「別に。オレはこんな低俗な雑誌には興味は無い。まだ貴様のアルバムを見ていた方が有意義だ」
「ふーん。お前が面白ければそれでいいんだけどよ。あとで『やっぱりつまらなかった』とか文句言うなよな」
「言うか、そんなもの!」

 オレの返答に城之内は安心したらしく、「それじゃ、もう少しで出来るからな」と笑顔で言い残し、再び台所に戻っていった。鼻歌交じりで料理を続けている城之内の背中を見遣って、オレは再び膝の上に開きっぱなしだったアルバムに視線を戻した。そして、そこに写る幼い城之内に小さく溜息を吐く。
 痛々しく、そして何よりも深い孤独感が伝わってくる。こんなに小さな子供なのに、周りの子供達と雰囲気が余りにも違っていて思わず泣きそうになった。
 このくらいの子供は、もっと伸び伸びと笑っているべきだ。不安なんて何一つ感じず、こんな理不尽な怪我なんて負わずに親の愛情を一心に受けて、心の底からただ今を楽しいと思う感情そのままに笑顔を浮かべているべきだ。
 だからオレはこの時思った。

 この城之内を抱き締めてやりたい。

 ………と。
 弟以外の誰かを、こんなに強く「抱き締めてやりたい」等と思ったのはこれが初めてだったと思う。



 数日前のオレが思った事と、今城之内が言っている事は、多分全く同じ事だ。お互いがお互いの子供の頃を痛々しく思い、抱き締めて安心させてやりたいと思っている。それは紛れも無く、オレが城之内に、そして城之内がオレに愛情を感じているからだ。
 直接言わなくてもよく分かる。これは愛の告白と全く変わらない気持ちの表れだ。

「………フフッ」
「な…何だよ。笑うなよー」

 何だか妙に幸せを感じてしまって思わず笑ってしまったら、城之内が顔を真っ赤にして唇を尖らせた。別に馬鹿にしたつもりでは無かったが、コイツはいつもみたいにオレが失笑したのだと考えたらしい。
 馬鹿だな、本当に。オレがその想いを馬鹿にしたりする筈無いではないか。こんなに愛しいと思っているというのにな…。
 すっかり拗ねてしまった城之内に更に笑いつつ、オレは席を立ってソファーに近付いた。そして城之内のすぐ隣に腰掛ける。

「済まない。馬鹿にして笑った訳では無いのだ」
「………」
「そうぶすくれるな。少し嬉しいと思っただけだ」
「………嬉しい?」
「そうだ。お前もオレと同じ事を考えていたのだなと思ったら、嬉しくてな」

 そう言って隣にある城之内の身体を、そっと抱き寄せた。背中に腕を回し背骨に沿って掌を上下させて撫でてやると、やがて城之内の方からも腕が回って来て、そしてオレ以上の強い力で抱き締められた。

「至極残念だが…子供の頃のオレは抱き締めさせてやる事は出来ん。どんなに望んでも時間は戻らんからな」
「………うん…」
「だが、それはオレも同じ事。オレだって、子供の頃のお前を抱き締めてやりたいと思っていた。だが…そんな事は無理な話だろう?」
「そう…だけど…」
「昔を抱き締めるのは無理だ。ならば、今抱き締めればいいでは無いか」
「海馬……」
「オレはお前を抱き締める。だからお前もオレを抱き締めてくれ…城之内」
「うん…。うん! 抱き締めるよ。この頃のお前を抱き締められなかった分…いくらでも!!」

 強く強く、ただ愛情を一心に込めて恋人を抱き締める。あの頃、あの小さかった頃に、与えられて呵るべき物を誰にも与えられなかった愛情も一杯に込めて…ただただ強く。



 これが今のオレ達の、精一杯の愛情だ。
 出会う事の無かった幼き頃。そのお互いの子供時代を、今のオレ達がどれだけ「抱き締めたい」と思っても、それは絶対に不可能な事なのだ。だがそれでも、抱き締めて「大丈夫だよ」と安心させたいと…そう思う。何故ならそれだけ相手の事を愛しているから。
 服越しにじんわりと伝わってくる相手の体温を心から愛しく思いつつ、オレ達は小さい頃の自分達が強く抱き締め合って微笑んでいる姿を想像した。その事にほんの少しだけ安心しつつ、今ある幸せを満喫しようと、そっと…唇を寄せ合ったのだった。