*百合城海シリーズ♀ - 秘密の花園 - Escape...?Ver.瀬人子♀

城之内克美×海馬瀬人子。
あの『Friend...?』の事件から少し経った頃の二人の物語です。
あくまで『親友』としての関係を持続させようという二人…。
でも、限界はすぐそこにまで近付いていました。

 




『君がこっちに来るまであと十日程だね。久しぶりに美しい君に出会えるのを、僕は楽しみに待っているよ。こちらに来たら一緒に食事をしよう。花束は真っ赤な薔薇がいいかい? それとも清楚な君のイメージにピッタリの百合の花? 出来れば指のサイズも教えてくれ。勿論左手の薬指のサイズだ。僕の気持ちはもう知っているんだろう? 君は僕がプロポーズする度に笑って誤魔化すけれど、僕の方は至って真面目な…』

 今朝アメリカから届いた長ったらしいメールにそこまで目を通し、瀬人子は呆れたような溜息を吐きながらパタリとノートPCを閉じた。本当は今すぐにでも削除してしまいたかったが、大事な仕事相手でもあるのでそこまでの事は出来無い。その事でまた苛立って、瀬人子は頭を抱えて何度も深く息を吐き出した。


 瀬人子がその男と初めて出会ったのは、彼女がアメリカでの事業に本格的に手を付け始めた頃だった。アメリカの地でも海馬コーポレーションを、そして海馬ランドを広く知って貰おうとデザイナーを急募し、大々的に宣伝しようと思っていたのである。そして応募された数あるデザイン画の中から瀬人子が選び出したのは、若干三十歳の若手デザイナーの作品だった
 新進気鋭の広告デザイナー。白人と東洋人のハーフで、知識も教養も、そして性格や外見も全く問題が無い。大学も飛び級で卒業しているらしいし、専用デザイナーとして採用した時に交わした会話では、その男の知識量と深い考え方に瀬人子も感心した程だった。
 仕事の面では何も問題が無い。こちらが注文した通りにデザインを仕上げ、期日もしっかり守ってくる。それなのに困った事が一つだけあった。

 それはその男が、瀬人子にしつこくプロポーズするようになってしまったという事だった。

 何度断わっても決して諦めない。『君はまだ若いから』『僕の大人としての魅力に気付いていないだけだ』『僕と結婚すればきっと幸せになれるよ!』と、執拗に食い下がってくる。自分とその男の関係は、ただの雇い主とデザイナーの関係に過ぎないとはっきり言っても、彼の脳には全く届いていないようだった。

「はぁー…。くそっ…!」

 ガックリと項垂れて、瀬人子は思わず悪態をついた。あと十日程でアメリカに行かなければならない。多分少なくても一ヶ月は向こうで業務に当たらなければならないだろう。仕事は好きだから、どんなに忙しくても働く事に関しては何の文句も心配も無い。ただ一つだけ瀬人子の気分を重くさせているのは、そのデザイナーの存在なのだった。

「………」

 ふと、社長机の上に置かれていた卓上カレンダーに目を留める。アメリカに行くまであと十日。その間には、土日を挟む事になる。暫くはアメリカで過ごさなければならない事が決まっていた為、その土日はゆっくり休めるようにと敢えて何のスケジュールも入れていなかった。
 置いてあった卓上カレンダーを引き寄せて、その週末の日付をそっと指先でなぞる。そして頭に克美の姿を思い浮かべた。

「城之…内…」

 克美にはまだアメリカ行きの事は言っていなかった。早めに言おうとは思っていたのだが、どうにも仕事が忙しくて学校にも登校出来ず、いつのまにかこんな時期まで追い込まれていたのである。幸い今日は午後からスケジュールが空いていた。

 午後からでも出席して、城之内にアメリカ行きの事を伝えよう。そしてこの土日は、二人でゆっくり過ごそうと提案しよう。

 そう決意して瀬人子は社長椅子から立ち上がった。
 久しぶりの克美とのお泊まり会。その後は一ヶ月程アメリカに行かなければならないが、その楽しい思い出さえあれば仕事も余裕で乗り切られるし、あのしつこいデザイナーの事も気にならないような気がした。
 克美は自分の提案を断わるような事はしないだろう。それどころか嬉しそうに尻尾を振りながら飛びついてくるに決まっている。
 一時は喧嘩別れをするような事件にまで発展したが、あれ以降はそれまでと全く同じ付き合い方をしている。ただほんの少しだけ、昔と違って自分と接触する事が少なくなったような気がしたが、それも気にする範囲の事では無いと思っていた。

「城之内…」

 忙しさにかまけて、連絡する事さえ怠っていた。学校に行って顔をみせれば、きっと克美も喜んでくれるに違いない。
 アメリカに行く前にあの明るい笑顔が見られる事、そして共に過ごす事が出来ることに瀬人子は大いに喜んで、早速学校に行く準備をして社を後にしたのだった。



「ねぇ、城之内さん。今度の土日に、泊まりがけで遊びに来ない?」

 学校に着いた時には、あと十分程で昼休みが終わる頃だった。廊下を忙しなく行き交う生徒達の間を縫って、瀬人子は自分の教室へと足を進めていた。そして教室の扉に手を掛けて一気に開けようとした時に、その声は突然瀬人子の耳に入って来たのである。
 よく知らない…少女の声。多分同級生なのだろうが、余り学校に来ない瀬人子にとっては、聞き覚えの無い声だった。
 その少女の声が再び「城之内さん?」と語りかける。瀬人子が開けようとして開けられなくなった扉のすぐ向こう側で、その話し声はしていた。

「ウチの親が旅行に行っていて留守なの。友達呼んで騒いでもいいって言ってるから遊びにおいでよ」
「は…? でもオレなんかが行ってもいいの?」
「いいよ~! ミッチもアサちゃんもユッキーも来るんだよ」
「でもオレ、あんまあの人達と遊んだ事ないし…」
「いいんだってば。皆ずっと城之内さんと遊びたがってたのよ。だって城之内さん、いつも海馬さんと一緒だったから…」
「う…ん…」
「土曜の夜にウチに集まってお泊まり会するの。それで日曜日は朝から出掛けて、映画を見たり買い物見たり食事をしたりするの。楽しそうでしょ?」
「それは楽しそうだけど。でも…なぁ?」
「何? 何か予定があるの?」
「いや…。何も無いけど…」
「じゃ、決まりね! 皆にもそう言ってくる!」
「お、おい! 勝手に…!!」

 克美の焦った声が聞こえて来たのと、瀬人子がガラリと扉を開けたのはほぼ同時だった。扉が開かれる音で思わず振り向いた克美と、その前に立っていた見知らぬ少女。二人揃って瀬人子を見て「あっ」と声を出したのが、瀬人子の気持ちを苛つかせた。

「城之内…」

 低い声を出しながら、青い瞳を細めて克美を睨み付ける。そして呆然と突っ立っている克美の腕を掴んで、無理矢理引っ張った。

「か、海馬っ!?」
「話がある。ちょっと来い!!」
「うわっ…! い、痛いって…海馬!!」

 制服越しに強く腕を掴んで、痛がる克美を無視して瀬人子は廊下をズンズンと進み、そして凄い勢いで階段を昇って行く。
 目指す場所は屋上。もうすぐ昼休みが終わるから、生徒は一人もいないだろう。今はとにかく、誰もいない場所で克美と話がしたかった。そうでないと…先程のあの会話を聞いてからざわめく胸の内や、熱く滾る脳内は治まらないような気がしたのだ。



 屋上に続く重い鉄の扉を開け放って、瀬人子は一歩表に出る。次いで屋上に降り立った克美を突き放して、瀬人子は彼女の目の前に立ち塞がった。そのまま黙って睨み付けていると、克美が後頭部を掻きながら困ったように溜息を吐くのが目に入ってくる。
 困った時に出る克美の癖。克美は突然現れた瀬人子と、そして今の状況に心底困惑していたのだ。

「なんだよ…。突然どうした? 仕事…忙しかったんじゃないのか?」

 克美の台詞に、瀬人子も幾分眼力を落として軽く嘆息しながら口を開く。

「忙しいのはまだ続いている。だが少し時間が空いたから…登校したのだ」
「そ、そうか…」
「何だ、その態度は。煮え切らないな。そんなにオレが登校してきたのが残念だったのか?」
「ばっ…! 馬鹿言うな!! そんな事思ったりしねぇよ!!」
「そうか…? 先程は実に楽しそうにお喋りに興じていたでは無いか」
「アレは…別に普通じゃんか。同級生と話す事なんて、お前だってするだろ?」
「オレはそんな無意味な事はしない」

 何故だかとても苛々する。この感覚には覚えがあった。
 そう…あの日のあの街中、一緒に買い物に行く筈だった克美が自分を置いて、偶然再会した元彼とホテルに行ってしまった時の苛々によく似ていた。
 あの時とは違い、克美は別に瀬人子を置き去りにした訳では無い。ただ同じクラスの女生徒と喋っていただけだ。それなのに瀬人子の心は苛々して、その苛立ちを止める事が出来無かったのだ。
 今感じている苛々は、あの時のものよりもずっと酷いかもしれないと…そんな事を考えつつ、瀬人子は低い声で言葉を放つ。

「城之内…。オレは十日後に仕事でアメリカに行く。一ヶ月は戻って来られない」

 苛ついている心とは裏腹に妙に冷静な声だ…と瀬人子はまるで他人事のように思っていた。

「だからこの土日に『お泊まり会』をしようと思ったのだが…。どうやら貴様は別のお泊まり会に行くようだしな。仕方が無いからオレはモクバと二人でゆっくり過ごす事にしようと思う」
「ちょ…。ち、違う! あれは…」
「何が違う? ん? 随分楽しそうな計画だったでは無いか。貴様もオレとばっかりいないで、自分自身の楽しみを見付けるが良い」
「そう思ってるなら、何でそんな言い方するんだよ! それにオレはまだアイツ等と遊びに行くと決めた訳じゃ…」
「あぁ…そうだ。せっかくだからオレの方も出発を早めてしまうのも有りだな」
「おい、海馬…! オレの話も聞いてくれよ…!」
「そうだな。よし、そうしよう。あっちにはオレにプロポーズしている男もいる事だしな。さっさとアメリカに行って一緒に食事でも楽しんで、そのまま婚約するのもいいかもしれん」
「え………?」

 心に苛々を抱えたまま、瀬人子は思っている事とは正反対の事をベラベラと喋り続けた。そうしないと苛立ちで押し潰されてしまいそうだったから。
 だが、普段から瀬人子の悩みの種であるあのデザイナーの男の話を出した途端、それまで焦って瀬人子に弁明しようとしていた克美の顔がピシリと固まった。一気に蒼白になっていく克美の表情に、流石の瀬人子も苛立ちよりも驚きが先に立って、言葉を続ける事が出来無くなってしまう。

「城…之…内…?」

 今まで見た事も無いような克美の表情に、瀬人子は恐る恐るその名を呼んだ。けれど克美は反応しないばかりか、目を大きく見開いたままじっと瀬人子の顔を見詰めている。
 押し黙ったままの二人の間に一陣の風が通り抜け、瀬人子と克美の前髪をサラリと吹き上げた。そしてそれで漸く我に返ったように克美は二度三度瞬きをすると、ズイッと瀬人子に詰め寄って細い腕を力一杯掴み上げた。先程とは全く逆のシチュエーションに、今度は瀬人子が痛みに呻く。

「っ………!」
「な…なぁ…今のどういう事だよ…?」

 震える克美の声に、瀬人子は腕の痛みで顔を歪めながら渋々口を開いた。

「もう大分前から…プロポーズを受けている男性がいる。今度アメリカに行った時も会う予定だ」
「プロポーズって…どういう…。あ、いや、嘘なんだろ? 嘘なんだよな?」
「何が嘘のものか。こんな事で嘘を言ってどうなる」
「だってお前まだ十七歳じゃないか…! 結婚なんて早過ぎるだろ!?」
「すぐに結婚はしなくても婚約は出来るから、何の問題も無い」
「こ…婚約…っ」
「婚約したら、もう日本に戻ってくる事も無いだろうな。アメリカに永住して…」
「嫌だ…そんなの…!」
「城之内…?」
「そんなのは嫌だ…っ!!」

 瀬人子の話に、克美はクシャリと泣きそうに顔を歪めてイヤイヤと首を横に振った。まるで子供が駄々をこねるような態度に、瀬人子も何も言えなくなってしまう。

「嫌だよオレ…っ。お前がいなくなるのは絶対嫌だ! 結婚なんて止めてくれ!!」
「何を我が儘言っているのだ…っ。貴様だってお友達と楽しむのだろう? オレだって自由に恋愛しても…」
「オレのは違うよ!! まだ返事もしてないし、遊びに行くつもりもない!! それにただの遊びと結婚じゃ、全然話が違うじゃないか!!」
「違わない!! お互いに別の交友関係を楽しめばいいじゃないかという話からは逸れていない!!」
「いいや違うね、全然違う! それにオレはお前がいいんだ…っ。他の奴じゃ意味が無い!! お前と一緒にいたいんだよ!!」
「じょ…の…」
「そんな野郎にはもう会うな!!」
「それは無理だ。彼は海馬コーポレーションアメリカ支部で抱える大事なデザイナーであって…」
「じゃあもうアメリカになんて行くな!!」
「それこそ無理だ!! オレの仕事がどういう仕事なのか…貴様だって理解しているだろう!?」
「理解してるけど…嫌なものは嫌なんだ!!」
「我が儘を言うな!! オレとお前はただの『友達』に過ぎない癖に…っ!!」

 そこまで大声で叫んで、今度は瀬人子の方が泣きそうに表情を歪める番だった。
 そうだ…。自分と克美はただの『友達』。最近は『親友』かどうかすらも分からなくなっている。自分には自分の、克美には克美の付き合いというものがある。それが分かっているというのに、克美が他の誰かと仲良さそうにしている事が我慢ならなかった。思わず厭味を投げ付け、思ってもしない事を口走る程に…苛ついてしまっていたのだ。

「ただの『友達』に…そこまでする権利は無い…」

 まるで自分に言い聞かせるように、瀬人子はポツリと呟く。そして顔を俯けてしまった。権利という言葉を口に出した途端、克美の表情が見ているこちらが悲しくなるくらいに酷く歪んだからだった。
 その顔を見ているのは…辛かった。自分がとても酷い事を克美に言ったと分かっていた為、瀬人子自身もやりきれなくて堪らなかったのである。


 きっと克美にはこれで本格的に呆れられて…そして嫌われてしまっただろう。
 克美はこれから別の少女達と友情を育み、日本で今まで通り明るく過ごして行くに違いない。自分はアメリカに渡ってあの男と結婚してしまおう。愛は全く無いが別に構わない。

 克美の元から離れられるなら…彼女の手が届かない場所に行けるなら、別にそれがどこでも良かったし、どんな手段を使っても良いと思った。

 そんな風に瀬人子が自暴自棄になっている目の前で、克美は別の炎を琥珀の瞳に灯し始めていた。そして掴んでいた瀬人子の腕をグイッと引っ張り、無言でスタスタと歩き出す。
 何の予兆も無く突然歩き始めた克美に面喰らって、瀬人子は足を縺れさせ転びそうになりながら必死な声を出した。

「じ…城之内…っ? ちょっと待ってくれ…っ!」
「………」
「歩くのが速い…っ!! どこへ行くつもりだ!!」
「………」

 瀬人子の質問に克美は答えない。ただ黙ったまま階段を下り続け、授業が始まってシンとしている廊下を真っ直ぐに進み、下駄箱へと辿り着く。靴箱の中から自分のスニーカーを取り出してそれに履き換え、今度は瀬人子の下駄箱からローファーを取り出して地面に揃えて置く。
 靴を履き替えろという意志を汲み取って、瀬人子は大人しく上履きからローファーに履き替えた。そして今まで履いていた上履きを丁寧に下駄箱に戻した途端、克美はまた瀬人子の腕を取って無言で歩き始めた。
 何を言っても聞きそうにないので、瀬人子は黙って腕を引かれて付いて行く。そして辿り着いた場所は、校門脇の自転車置き場だった。

「城之内…? 何を…?」

 徐ろに置いてあった自分の自転車を取り出す克美を見ながら、瀬人子は心底不思議そうな声を出す。その声に漸く振り向いた克美は、至極真剣な顔をしてこう言い放った。

「逃げる」
「え………?」
「お前を連れて逃げる。二度とアメリカになんて行けないように。オレの知らない男なんかと結婚させないように」
「っ………!!」
「オレと一緒に逃げてくれ…海馬!!」

 嘘でも冗談でも無い克美のその言葉は、熱い響きとなって瀬人子の頭に届いたのであった。